やぶさかではない(南)
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「お待たせしましたー。」
注文したコーヒーをカウンター越しに受け取って、テラス席を陣取った。もう十分な大人であるはずなのに、いつもこの席に座れば、おしゃれで大人になった気分になる。363円のドリップコーヒーを口にして一息ついたら「入口の近くの、外の席にいるね。」とスマホに打ち込むと、すぐに相手からの既読がついたので、私は顔を上げた。きっと相手もスマホを片手に、こちらに向かっているんだろう。ほらね。少し高い位置にあるテラス席から路上に目を向けると、交差点の向こう側で行き交う人達の中から頭一つ分飛び出した彼を見つけた。高校時代の同級生である南烈を。
私は片手を上げて烈に自分の存在を示した。烈は私に向かって歩いてくるくせに、全くこちらを見ないし、小走りで駆け寄ってくるでもない。でもおそらく私が烈に気付くよりも先に、烈は私に気付いていたのだろう。真っ直ぐ、私に照準を合わせた歩き方がそう思わせる。私はスマホをカバンにしまい、コーヒーに口をつけた。手を振る私に向かって、目を合わせるとか、手を挙げるとか、会釈をするとか、少しくらい分かりやすくリアクションを取ってくれたならば、こちらも振った手を下ろそうとも思うのだが、烈は完全に私からの信号を無視してくれているので、挙手したまま私は烈を観察し続けた。
ほぼ何を考えているのか読めないタイプの彼は、足先を外に向けて大股でゆったりと歩くから、いつも気怠そう。しかし同時に、年齢以上に落ち着き払っている印象を受けるのは、背筋が伸びているせいだろうか。
烈が私の向かいの席にドカと腰を下ろしたのを見届けてから、私は口を開いた。私が喋り始めるまで、烈は自分から動くことはない。それもいつものことなので気にせずに、私は下ろさなかった手のひらを挨拶に代えて、言った。
「よっ!久しぶり。」
「おう。何や、今日は。」
ようやく私に反応してくれた烈は、私と烈の間を仕切る小さな丸テーブルに肘を置いて聞いてきた。
「まあ、それはおいおい、、、話しますけども。今日、何時までいい?この後何か用事あるんだっけ?」
「ああ。夕方から飲み行く。」
烈はスマホの画面に現れる時刻を気にしながら言った。多分ホントに予定が入っているんだろうと思った。烈はスマホのスリープボタンを短押しし、画面が暗くなったことを確認した。そしてねじ込むようにしてスマホをポケットにしまったことから、これ以上この話を広げられたくないのだと私は悟るのだが、そんなことに構いはしない。
「お、合コン?合コンでしょ。」
「知り合いに呼ばれてん。」
「だから、合コンなんでしょ?いいなー、私も連れてってよ。」
「笑うわ。何て言って付いて来んねん。相手の子ら、引くやろ。」
烈が一度は座った椅子から立ち上がる。なんか飲みもん買ってくるわ、と言い捨てて、Tシャツの上に羽織るオープンカラーのアロハシャツを揺らして店内に入って行った。烈はよく分かんない柄のシャツをたくさん持っている。今日はネイビーのトロピカルなモチーフがいくつも散りばめられた総柄だ。オーバーサイズで着こなすのがお気に入りらしく、こなれたルーズ感が、いつも気怠そうな顔した烈によく似合ってていた。しかし素直に認めたくはない。私は飲み物をオーダーしている烈の背中をテラスから眺めつつ、くすんだ思いと共にコーヒーをゆっくりと飲み込んだ。
***
南烈とは高校三年生の時に同じクラスだった。まあまあ喋る男子という位置にいて、決して学生時代に一番仲良かった男友達ではない。教室では席が近ければよく会話したが、そうでない時は挨拶程度に一言二言を交わすだけだったし、例えばクラスイベントなどでみんなで写真を撮ろうかといった際には、同じ画角には収まるものの、決して隣り合ってピースサインをするような、そんな二人では決してなかった。
「烈、そういえば大阪には帰ってる?」
コーヒーを手に持った烈が戻ってきたところで私は出し抜けに話しかけた。烈は道路側に膝を向けて椅子に腰掛け、人の往来に目を流しながら答えた。
「今年はまだやな。」
「転勤とかあるんだっけ?烈んとこの会社。」
「希望出せば、ってとこやけど。」
高校時代にさして親密ではなかった私達が大人になってもこうして二人で会える程近付いたのは、高校卒業後からだ。殆どの同級生が地元大阪で就職、進学する中で、烈と私は上京組だった。私は専門学校で、烈は大学に進学。知らない土地に放り出され、新しい生活を始めた18歳の春。標準語に囲まれた環境はあまりに心細く、少しでも知っている誰かと繋がりたくて、連絡先を漁った結果、関東圏に進学した中で私から連絡出来る同級生枠という距離感に収まっていたのが南烈だった。そして学校を卒業し、二人ともそのまま東京で就職した。だから今に至るまで長らく、会おうと思えば会える距離にいたから、細々と友人関係が続いており、何かあるとつい連絡を取ってしまうくらいには、私にとって烈は気心の知れた存在となっている。こうやって目的もなく、損得もなく、お互いの近況や仕事の話をしたりして。烈は会話を続けた。
「別にこっちおっても地元おっても生活は変わらんしな。そないに大阪にこだわってへんし。」
「そうやんな?実は私もやねん。もうこっちも長くなってきたし、こっちで出来た友達もおるし?ぶっちゃけ親と電話したらビビんのよ。いや、めっちゃどぎつい関西弁浴びせてくるやん〜、みたいな。」
私が昨日久々に電話で喋った母親との会話を思い出して笑うと、烈はコーヒーを丸テーブルに置き、そして口元をにわかに上げて可笑しそうに答えた。
「それあるな。オレもある。」
私達は同じタイミングで地元を離れた者同士。故郷に対する考え方とか、感覚的なところがシンクロしやすい。それが地味に嬉しい。大阪が嫌になって出てきた訳じゃない。だから烈とはたまに会いたくなる。烈を通じて地元の空気感や学生時代も思い出せたり、触れられるのは嬉しかった。しかしながら長い東京生活の末にお互いに少し標準語が混じるようになった。ノスタルジーにノイズが混ざって濁る。さらにはその濁りを、理解や解釈の浅いところで笑い合ってまた濁す。
「せやろ?もうあたし、純粋な関西弁喋れてないと思う。」
「実家帰れば、そんなんスグ戻るやろ。」
「、、、、じゃあ、大阪帰ろかなあ。仕事探そか。」
私はコーヒーの紙コップを口元まで持っていき、続く言葉を止めた。本当のところを自分から言うのは躊躇して、つい心が働いたからだ。しかしそんな私に烈は昔から私に鋭く突っ込んでくる奴だし、私も幾らかは烈から切り込んでくれるのを期待してもいた。
「っていうか、彼氏は。」
「、、、別れた。」
「だと思ったわ。」
烈のリアクションに、私はヘラヘラと笑った。他人と決別した悲しみとか、終わった後ですら相手も自分も責めてしまうやるせなさはとうに超えて、今は自分と向き合うためのステージを迎えている。そんな境地に至らないと、人に会うエネルギーだって湧いてこない。今、まさにそういう時。だから烈に連絡を取った。
「急にな、ポッカリ大きな穴が空いたんよ。そして、その穴をどうにか別のことで埋めようと頑張るやろ?でも頑張れば頑張るほど、穴が広がって行く気がすんねん。で、そういうのに疲れたら、もう考えるの一旦やめとこか、ってなる。それが今。」
「切ないなー。」
烈は同調した言葉をくれたが、多分そこまで私の気持ちに歩み寄るつもりはないし、前向きな言葉をくれるわけでもない。私も決して私の気持ちを分かって欲しかったり、背中を押して欲しいわけではないから、烈は女友達よりもちょうど良い立ち位置にいて、いつもこうやって聞く耳だけを私に向けてくれる。だから烈には何でも話したくなる。烈の前で、ポツリ、ポツリと自分で言葉を編んで、頭の中を整理する。それが私なりの立ち直り方なのかもしれない。
「切ないやろ?でも元カレのこと凄い好きやったか言われたら自分がよう分からんわ、これほんまの話。最後の方は、一人になりたくないってエゴだけで付き合ってた感じ。」
標準語のイントネーションに慣れていくのと一緒なのだ。東京に馴染んで行くにつれ、元々あった自分という人格に色んなものがくっついて、混じって、それが濁ってしまったもんだから、自分を見失っているような気持ちになるのだ。好きだから一緒にいたい、ではなく一緒にいてくれるから好き、というある意味、逆説的な私の恋愛模様は、大変にいびつな形をしており容易に示し難い。
「私、これからどうなるんやろ。寂しがりのくせに、自分から寂しいって言えないんだよね。好きとかも言えない。烈は?烈は意外と言いそうだよね。あはは。」
私が寂しさを上塗りするように笑ったら、烈は言った。
「そんなんよう言わんわ。恥ずかしい。」
「そうなん?そっかー、烈もそうなのかあ。」
似たもの同士ですね、私達。と言おうとしてやめた。私が一方的に烈に自分を重ねて、仲間意識を持ちたいだけだと冷めた頭で考えた。私達の横を足早に去っていく人達をぼんやりと見つめて、私は黙った。忙しない雑踏の景観の一つに自分も上手く紛れていればそれで良いと思っていた。しかし、当たり前だけど誰も私と目を合わせないし、気にも留めてくれない。それが気になり出すと、誰とも繋がりのない世界に置きざりにされたかのような孤独感がじわりと込み上げてくる。その寂しさを誰かで埋められるものなら埋めてしまいたくて、いい加減に呟いた。
「あー、寂しい。めっちゃ寂しい。心も体も。もうさ、贅沢言わないよ私。どっちかだけでも埋めてくれる人、どこかにおらへんかな?手っ取り早く、体で。」
「お前、発言が病んどるやんけ。」
「さすがに烈の前でしかこんなこと言わないって。ふふっ、あっはっはっは!」
私はテーブルに体を預けて、大きく口を開けて笑った。そういえば、元カレからはもっと可愛く笑って欲しいって言われたことあったなあ。急に思い出して胸がツーンと氷水に浸かったように冷え切ったが、悲しいかな、自分の中に落ちた不快な感情は麻痺してくれない。会話の息継ぎに口にするコーヒーはぬるくなっていた。苦々しい味だけが舌先に残り、眉を顰めるようにして、えいっ、と一気に飲み干した。
「心と体って今言うたけど、相手に心を預けるのって私にとってはややこしいねん。心のどっかで相手のこと信じ切れてへんのやろなあ。」
恋愛の回数を重ねれば重ねるほど、終わりが必ず訪れるということを知る。傷付くばかりは嫌だから、終わり方ばかりが上手になって、いつまで経っても幸せになる方法を学べない。甘えさせてくれる人が好き。都合良く好きだと思わせてくれる人が好き。そんな人に好かれようと一生懸命になってしまうから、いつの間にか私の方が都合の良い女になっている。
私はいつも恋人に愛されるラインを踏み違える。これまでにも許されるラインはここだぞ、と目の前で私に示してくれる人もいた。それなのに私は分かったふりでやり過ごし、自分の主張を繰り返す。相手に依存したり、されたりを望むことで、心の隙間を埋めようとする。そしていつも壊れてしまうのだ。
「体だけの関係って楽しいんかな。いっそのこと割り切ってみるか、、、?」
「それはそれで虚しいんとちゃうか?多分、一瞬やで、割り切れるのも、楽しいのも。ほいで後悔して、名前にまたオレが呼ばれるやつや、それ。」
的を得た烈の言葉に私は、打ちひしがれるようにしてテーブルに突っ伏した。確かにそう。烈が言ったことは頭では全部分かっている。しかし私は素直に従いたくなかった。もたげた頭は、心と同じくらい重たい。口を尖らせ、そして心をも尖らせた。
「一瞬でもいいの。一瞬、一瞬の連続なんだから、人生は。」
「ええ感じに言わんといて。でもそれええな。その言葉、貰お。」
「今日の合コンでそれ、烈が女の子に言ってたら、私マジ笑う。」
烈と喋ることで、烈から何か適切なアドバイスを貰いたいわけじゃない。人との関係性を見つめ直したり、自分と向き合うために、ただ誰かと下らない会話をする。楽しいとか可笑しいとか、美味しいとか嬉しいとか、悔しいとか寂しいとか、そんな感情の色々を取り戻すことが必要だし、そうして自分を浮上させるしか私は出来ないのだと思う。烈にとっては迷惑な話かもしれないな。結局、自分の都合の良い時にしか、烈に連絡を取っていない気がしてきた。
「ねー、烈。私ってぶっちゃけ男の人から見てどう?駄目?重たい感じする?」
「は?それ、ヤれそうか目線で?答えたらええの?」
「あ、そうなる?うん、まあそれでもいいや。どう?」
私は評価を求めるべくして、そして緊張感をもって烈を見つめた。髪の毛を手櫛で整えてから両耳にかけ直して顔を烈の前に向ける。そして膝に手を置き、しゃんと背筋を伸ばす。
「"どう?"って。お前、何やその顔。これ何の面接や。」
「あはは!面接!、、、ほんまやな!ウケる〜!面接か!あはははは。」
お腹を抱え、またテーブルに突っ伏して私は笑う。高校時代も、よく教室の机に突っ伏して笑っていたことを思い出した。机を椅子にして座る烈は、その輪の中にいるものの、遠巻きにこっちを見て笑っていた光景が浮かんだ。そういう時の烈は、大人っぽくてカッコいいな、と私は思っていたことも思い出す。
「ねぇ、烈。で、どうなん?私。」
「は?いや全然ヤれるよ。」
「うっそ!?あはははは!何それ!烈が、ってこと?!私と?ぶふふ、、、っ!ひぃー、お腹痛いわ。」
烈の真顔と、しかも全くためらわない即答のタイミングも作用して、これが分かりやすく烈なりのボケだということに私は楽しんだ。こういうノリは元カレは嫌いだったから、私は元カレへの腹いせのように思いっきり笑って、未だ残る鈍痛のような記憶も吹き飛ばしてやるんだ。そのせいもある。私はお酒も入っていないのに、ハイになって烈にケラケラと尋ねた。
「めっちゃおもろい。烈、どんな風にするん?ちょっと詳しく聞こか。」
「そこ掘り下げてくんなや。」
烈は呆れた口調で聞いてきた。しかし、こんな話を大きな声で喋るわけには行かない。私は肘を体の前に突き出してテーブルに前のめりになった。烈との距離を詰め、さらに両手で顔を覆って目を瞑る。
「だっておもろいやん。ねぇ、どうやって烈は始めんの?ちょっと言ってみて?あはははは。最高。」
「お前って、ほんっとアホ。で、何で顔隠してんの?」
「つよポンの顔見たら笑ってまうから。」
私は両手で顔を覆ったまま、肩を震わせてふざけた。つよポンて何やねん、どっから出てきたん、とボヤく声に、テーブルの向かい側で烈がため息を頬杖で受け止めている姿が容易に想像できて、更に私は面白くなる。いつも烈はこうして私のおふざけに呆れはするけれど、見捨てはしない。いつだって私に付き合ってくれるから、踏み込めるのだ。もしかして、また私はラインを踏み違えてしまっている?でも烈はそのラインを足で無造作に消して、何度でも敷き直してくれる作業を厭わない。烈は友達だ。それ以上でもそれ以下でもない。だからこそ私達には、相手を自分の恋愛の天秤に乗せる必要もないし、品も無ければ、思慮も分別もないところがある。このようなみだりがましい会話ですら、ますます可笑しくなってきてしまって、平気で聞けてしまうのだ。つまり私はそう思う事で、自分側のラインを敷いて烈との距離を保っているのかもしれない。
「で?で?聞いていい?まず、どうする?烈、どこ触ってくる?」
「まず抱きしめるわ。オレ匂いとか結構嗅ぐ派やねん。髪の毛とか。」
「きゃっ!エローい。」
「名前が言うか?それ。」
「ほんで?服もう脱がす?」
「え、キスするやん。しようや。」
「ぶは!そうか!キスな。ごめん、ごめん。アンタ、ちゃんとしてるな。」
私は両手で顔を隠したまま下を向き、そして背中を丸くして笑った。そんな私を前にして、烈が少し多めに息を吸ったのを感じ取った。
「、、、ちゃんとするよ。好きなら。」
烈が、ゆっくりと、そして丁寧に言葉を置いた。烈の声が低く落ち着いていたからだろうか。私達の会話は一オクターブ下がり、勢いの良かった表打ちの会話のリズムが、急に裏打ちのリズムに切り替わる。すると私はその変化に何拍かを踏み外して出遅れ、反応出来なくなった。そんな私の気配を察知したのか、烈は譜面を取っ払うかのようにして言った。
「やっぱ、やめ。無理や。」
「、、、せやな。私も無理やわ。」
白けるようにして取り繕う私の態度は、やっぱり冷静になると良いものではない。私は自分の顔を覆っていた両手を下げて、チラと視界の隅で烈の表情を確認する。烈はこのテラス席に面した道路側に体の正面を向けて座っていて、黙ったまま人混みを眺めていた。私は都合の良いだけの自分に虚しくなり、コーヒーカップを口元に寄せたが、もう中身は空っぽだ。しかし二杯目をおかわりに行くには、この場から露骨に逃げようとしているみたいで、大変バツの悪い思いがする。全てがもう遅い気がして、この席から立ち上がることすらできやしない。私も烈と一緒に道路側をぼんやりと見つめた。この白けた空気を有耶無耶にさせ、人混みに紛れたくなった。
「でも、久々思い出したわ。」
烈が話しかけてきても、私はもう聞き直すのが精一杯で、ぶっきらぼうに言葉を返す。
「何を。」
「好き、だった。高校ん時。」
烈が私を見ないで言ったからなのか。間を詰めるようにして言い放たれたのに、それは烈の独り言として片付き、消えていきそうだった。
烈はいつも会話の温度を無視する。何を考えているのか分からない奴、という烈の印象の大部分は、まさにこういうところにあると思う。普段なら烈の発言を言葉通りに受け取ったところで相手にはしないのだが、既に今日は烈に対して、いくつもの自分の都合の良さに申し訳が立たなくなっていた。だからかもしれない。私は烈と同じように、すぐに消える小さな声で呟いた。
「、、、私もイイなって思ってたよ。高校ん時。好きとまでは行かへんかったけど。」
「そこは話合わせていこーや。もう好きでええやん。」
「なんでや!」
ようやく烈が私を見て言った。私も烈を見た。二人してこんな場面を迎えるとは思わなかったものだから、互いに苦い顔をしている。気まずいのとはまた違う。興味本位で口にしてみた。噛み砕いたら、想像していなかった甘酸っぱい味が口いっぱいに広がってびっくりした。そんな顔をしている。どうして良いか分からなくなって、目を合わせたら笑いが込み上げてきた。
「はよ、合コン行き。もう時間やないの?」
「名前、これからどうすんの。」
「家帰るよ。そして転職サイト見て寝る。」
私は背中に回していた、自分のバッグを手繰り寄せながら言うと、烈は私の転職というワードに引っ掛かりを覚えたらしく、私の様子を見つめながら聞いてきた。
「大阪、ほんまは帰りたいとか?」
「そうでもないって。でも、仕事は変えよかな思て。それによっては地元に戻るってのもアリかもしれへんね。」
私はグンと伸びをし、話をまとめようとして烈に言った。
「強制的にでも暮らしを変えたら、少しは良いことあるんかな〜。」
どこまでが本音でどこまでが建前として、人と対峙したら良いのだろうか。確かに、今、私に一番近い異性といったら、烈なのだ。だからといって、烈に気持ちを向けられない。正直、烈とのことを真剣に考えられるほど、私の心はまだ充実していないのだ。
「あのな、大事なこと教えたるわ。」
「何?」
「どこで過ごすかやないで。誰と過ごすかや。」
「、、、私、今、口説かれてます?」
「名前がそう思うなら、そうやろ。」
ここまで言われたら、さすがの私でも烈との心のラインが目前にはっきり見えているし、多分そこを飛び越えたら恋人になるのも簡単だろう。だけど飛び越えた先がいつも楽しいわけじゃない。過去の経験が私を臆病にしていく。思考の波に揺れる私はゆらゆらと、なおも烈の敷いたラインの前で立ち止まったままだ。
「今日の合コン。別にオレ、行かんでもええで。」
「ダメ。ちゃんと行き。ドタキャンとかする男、私、大嫌いやねん。」
「お前、どの位置から言うてんの。」
烈は両の眉を磁石が引き合うように器用に顔の真ん中に寄せる。そして私を睨むように笑う。呆れた時に烈がよくやる表情だ。
「んなら、合コン終わったら、また名前に会いに行く。それでええか?」
「え、、、。」
烈がスマホを見て、淡々と続けた。
「18時からやから、なんやかんやあって2時間半かかるとして、21時前やな。待っとけ。」
「でもさ、合コンで可愛くて気の合う女の子に出会うかもしれへんやん。二次会行こって誘われたりするよ?そしたらどうすんの。」
「"彼女が待っとるから"って言う。」
今度は私が烈を真似して、眉を顔の真ん中に寄せる。そして前のめりになって、わざとらしく烈に聞いた。
「え?おったん?彼女。」
「お前、しばくぞ。」
そう言い放ち、ほな、行くわ、とコーヒーのカップを手に持った烈が椅子から立ち上がったから、この一連のやりとりに、効果的な結末と言って良いオチもしっかりと付いたのだと私は納得する。これで本当に烈は私に呆れ、この話は終わるんだと思った。これでいいのだ。目の前に敷かれたラインから私は自ら一歩引いて、そしてうつむいた。
「名前。」
烈が黙って座ったままの私を呼んだ。見上げたら、烈は薄目で私を見下ろし、いつもの調子で淡々と言葉を降らせる。
「オレ、結構引きずるタイプやねん。そういえば。嫌やったらはっきり言わんと、オレ、気付かんフリずっとするで。」
「、、、嫌やない。せやけどまだ追い付けてない。」
烈とどうなるとか先のことを考えるのは実はちょっと怖い。
「なら、考えとけ。あと2時間半あるから。」
「ちょっと、烈、、、。本気?」
「そんで答え合わせや。」
「答えとか、、、すぐ出せへんて。今の私には難しいよ。」
烈とは終わりたくないから、始まりたくない。それだけ烈の存在は私の中で大きくなっているのは否定しない。
「ほなら、一緒に考えよ。」
烈の大きな手が私の頭に乗せられた。触れられたのは頭だったのに、心臓を直接撫でられたんじゃないかって思うくらい、驚くほど胸が震えてしまった。胸から喉元に迫り上がってきた感情にすがりたい気持ちでいっぱいになった。声が穏やかで優しかったから。乗せられた手がじんわりと暖かかったから。優しくされると泣きそうになる。
「そういうのズルい。私、弱ってるだけかもしれないよ?寂しいだけかもしれないよ?」
烈はコーヒーカップを持った手で、ひとさし指だけを私に向けて言う。
「ピンチはチャンスってやつや。」
「あはは。あんた、やっぱおもろいな。」
私は笑って時計を見る。今日、私はもう一度烈と会ってみよう。待ち合わせをしてみよう。待っている間、烈のことだけを考えていよう。
烈は敷いていたラインを足で無造作に消した。それだけじゃなく、私の周りをくるりと一周し、円を描いていたらしい。私は、ただ突っ立っているだけ。気が付いたら、その円の内側に立っていて、そこには烈がいた。
注文したコーヒーをカウンター越しに受け取って、テラス席を陣取った。もう十分な大人であるはずなのに、いつもこの席に座れば、おしゃれで大人になった気分になる。363円のドリップコーヒーを口にして一息ついたら「入口の近くの、外の席にいるね。」とスマホに打ち込むと、すぐに相手からの既読がついたので、私は顔を上げた。きっと相手もスマホを片手に、こちらに向かっているんだろう。ほらね。少し高い位置にあるテラス席から路上に目を向けると、交差点の向こう側で行き交う人達の中から頭一つ分飛び出した彼を見つけた。高校時代の同級生である南烈を。
私は片手を上げて烈に自分の存在を示した。烈は私に向かって歩いてくるくせに、全くこちらを見ないし、小走りで駆け寄ってくるでもない。でもおそらく私が烈に気付くよりも先に、烈は私に気付いていたのだろう。真っ直ぐ、私に照準を合わせた歩き方がそう思わせる。私はスマホをカバンにしまい、コーヒーに口をつけた。手を振る私に向かって、目を合わせるとか、手を挙げるとか、会釈をするとか、少しくらい分かりやすくリアクションを取ってくれたならば、こちらも振った手を下ろそうとも思うのだが、烈は完全に私からの信号を無視してくれているので、挙手したまま私は烈を観察し続けた。
ほぼ何を考えているのか読めないタイプの彼は、足先を外に向けて大股でゆったりと歩くから、いつも気怠そう。しかし同時に、年齢以上に落ち着き払っている印象を受けるのは、背筋が伸びているせいだろうか。
烈が私の向かいの席にドカと腰を下ろしたのを見届けてから、私は口を開いた。私が喋り始めるまで、烈は自分から動くことはない。それもいつものことなので気にせずに、私は下ろさなかった手のひらを挨拶に代えて、言った。
「よっ!久しぶり。」
「おう。何や、今日は。」
ようやく私に反応してくれた烈は、私と烈の間を仕切る小さな丸テーブルに肘を置いて聞いてきた。
「まあ、それはおいおい、、、話しますけども。今日、何時までいい?この後何か用事あるんだっけ?」
「ああ。夕方から飲み行く。」
烈はスマホの画面に現れる時刻を気にしながら言った。多分ホントに予定が入っているんだろうと思った。烈はスマホのスリープボタンを短押しし、画面が暗くなったことを確認した。そしてねじ込むようにしてスマホをポケットにしまったことから、これ以上この話を広げられたくないのだと私は悟るのだが、そんなことに構いはしない。
「お、合コン?合コンでしょ。」
「知り合いに呼ばれてん。」
「だから、合コンなんでしょ?いいなー、私も連れてってよ。」
「笑うわ。何て言って付いて来んねん。相手の子ら、引くやろ。」
烈が一度は座った椅子から立ち上がる。なんか飲みもん買ってくるわ、と言い捨てて、Tシャツの上に羽織るオープンカラーのアロハシャツを揺らして店内に入って行った。烈はよく分かんない柄のシャツをたくさん持っている。今日はネイビーのトロピカルなモチーフがいくつも散りばめられた総柄だ。オーバーサイズで着こなすのがお気に入りらしく、こなれたルーズ感が、いつも気怠そうな顔した烈によく似合ってていた。しかし素直に認めたくはない。私は飲み物をオーダーしている烈の背中をテラスから眺めつつ、くすんだ思いと共にコーヒーをゆっくりと飲み込んだ。
***
南烈とは高校三年生の時に同じクラスだった。まあまあ喋る男子という位置にいて、決して学生時代に一番仲良かった男友達ではない。教室では席が近ければよく会話したが、そうでない時は挨拶程度に一言二言を交わすだけだったし、例えばクラスイベントなどでみんなで写真を撮ろうかといった際には、同じ画角には収まるものの、決して隣り合ってピースサインをするような、そんな二人では決してなかった。
「烈、そういえば大阪には帰ってる?」
コーヒーを手に持った烈が戻ってきたところで私は出し抜けに話しかけた。烈は道路側に膝を向けて椅子に腰掛け、人の往来に目を流しながら答えた。
「今年はまだやな。」
「転勤とかあるんだっけ?烈んとこの会社。」
「希望出せば、ってとこやけど。」
高校時代にさして親密ではなかった私達が大人になってもこうして二人で会える程近付いたのは、高校卒業後からだ。殆どの同級生が地元大阪で就職、進学する中で、烈と私は上京組だった。私は専門学校で、烈は大学に進学。知らない土地に放り出され、新しい生活を始めた18歳の春。標準語に囲まれた環境はあまりに心細く、少しでも知っている誰かと繋がりたくて、連絡先を漁った結果、関東圏に進学した中で私から連絡出来る同級生枠という距離感に収まっていたのが南烈だった。そして学校を卒業し、二人ともそのまま東京で就職した。だから今に至るまで長らく、会おうと思えば会える距離にいたから、細々と友人関係が続いており、何かあるとつい連絡を取ってしまうくらいには、私にとって烈は気心の知れた存在となっている。こうやって目的もなく、損得もなく、お互いの近況や仕事の話をしたりして。烈は会話を続けた。
「別にこっちおっても地元おっても生活は変わらんしな。そないに大阪にこだわってへんし。」
「そうやんな?実は私もやねん。もうこっちも長くなってきたし、こっちで出来た友達もおるし?ぶっちゃけ親と電話したらビビんのよ。いや、めっちゃどぎつい関西弁浴びせてくるやん〜、みたいな。」
私が昨日久々に電話で喋った母親との会話を思い出して笑うと、烈はコーヒーを丸テーブルに置き、そして口元をにわかに上げて可笑しそうに答えた。
「それあるな。オレもある。」
私達は同じタイミングで地元を離れた者同士。故郷に対する考え方とか、感覚的なところがシンクロしやすい。それが地味に嬉しい。大阪が嫌になって出てきた訳じゃない。だから烈とはたまに会いたくなる。烈を通じて地元の空気感や学生時代も思い出せたり、触れられるのは嬉しかった。しかしながら長い東京生活の末にお互いに少し標準語が混じるようになった。ノスタルジーにノイズが混ざって濁る。さらにはその濁りを、理解や解釈の浅いところで笑い合ってまた濁す。
「せやろ?もうあたし、純粋な関西弁喋れてないと思う。」
「実家帰れば、そんなんスグ戻るやろ。」
「、、、、じゃあ、大阪帰ろかなあ。仕事探そか。」
私はコーヒーの紙コップを口元まで持っていき、続く言葉を止めた。本当のところを自分から言うのは躊躇して、つい心が働いたからだ。しかしそんな私に烈は昔から私に鋭く突っ込んでくる奴だし、私も幾らかは烈から切り込んでくれるのを期待してもいた。
「っていうか、彼氏は。」
「、、、別れた。」
「だと思ったわ。」
烈のリアクションに、私はヘラヘラと笑った。他人と決別した悲しみとか、終わった後ですら相手も自分も責めてしまうやるせなさはとうに超えて、今は自分と向き合うためのステージを迎えている。そんな境地に至らないと、人に会うエネルギーだって湧いてこない。今、まさにそういう時。だから烈に連絡を取った。
「急にな、ポッカリ大きな穴が空いたんよ。そして、その穴をどうにか別のことで埋めようと頑張るやろ?でも頑張れば頑張るほど、穴が広がって行く気がすんねん。で、そういうのに疲れたら、もう考えるの一旦やめとこか、ってなる。それが今。」
「切ないなー。」
烈は同調した言葉をくれたが、多分そこまで私の気持ちに歩み寄るつもりはないし、前向きな言葉をくれるわけでもない。私も決して私の気持ちを分かって欲しかったり、背中を押して欲しいわけではないから、烈は女友達よりもちょうど良い立ち位置にいて、いつもこうやって聞く耳だけを私に向けてくれる。だから烈には何でも話したくなる。烈の前で、ポツリ、ポツリと自分で言葉を編んで、頭の中を整理する。それが私なりの立ち直り方なのかもしれない。
「切ないやろ?でも元カレのこと凄い好きやったか言われたら自分がよう分からんわ、これほんまの話。最後の方は、一人になりたくないってエゴだけで付き合ってた感じ。」
標準語のイントネーションに慣れていくのと一緒なのだ。東京に馴染んで行くにつれ、元々あった自分という人格に色んなものがくっついて、混じって、それが濁ってしまったもんだから、自分を見失っているような気持ちになるのだ。好きだから一緒にいたい、ではなく一緒にいてくれるから好き、というある意味、逆説的な私の恋愛模様は、大変にいびつな形をしており容易に示し難い。
「私、これからどうなるんやろ。寂しがりのくせに、自分から寂しいって言えないんだよね。好きとかも言えない。烈は?烈は意外と言いそうだよね。あはは。」
私が寂しさを上塗りするように笑ったら、烈は言った。
「そんなんよう言わんわ。恥ずかしい。」
「そうなん?そっかー、烈もそうなのかあ。」
似たもの同士ですね、私達。と言おうとしてやめた。私が一方的に烈に自分を重ねて、仲間意識を持ちたいだけだと冷めた頭で考えた。私達の横を足早に去っていく人達をぼんやりと見つめて、私は黙った。忙しない雑踏の景観の一つに自分も上手く紛れていればそれで良いと思っていた。しかし、当たり前だけど誰も私と目を合わせないし、気にも留めてくれない。それが気になり出すと、誰とも繋がりのない世界に置きざりにされたかのような孤独感がじわりと込み上げてくる。その寂しさを誰かで埋められるものなら埋めてしまいたくて、いい加減に呟いた。
「あー、寂しい。めっちゃ寂しい。心も体も。もうさ、贅沢言わないよ私。どっちかだけでも埋めてくれる人、どこかにおらへんかな?手っ取り早く、体で。」
「お前、発言が病んどるやんけ。」
「さすがに烈の前でしかこんなこと言わないって。ふふっ、あっはっはっは!」
私はテーブルに体を預けて、大きく口を開けて笑った。そういえば、元カレからはもっと可愛く笑って欲しいって言われたことあったなあ。急に思い出して胸がツーンと氷水に浸かったように冷え切ったが、悲しいかな、自分の中に落ちた不快な感情は麻痺してくれない。会話の息継ぎに口にするコーヒーはぬるくなっていた。苦々しい味だけが舌先に残り、眉を顰めるようにして、えいっ、と一気に飲み干した。
「心と体って今言うたけど、相手に心を預けるのって私にとってはややこしいねん。心のどっかで相手のこと信じ切れてへんのやろなあ。」
恋愛の回数を重ねれば重ねるほど、終わりが必ず訪れるということを知る。傷付くばかりは嫌だから、終わり方ばかりが上手になって、いつまで経っても幸せになる方法を学べない。甘えさせてくれる人が好き。都合良く好きだと思わせてくれる人が好き。そんな人に好かれようと一生懸命になってしまうから、いつの間にか私の方が都合の良い女になっている。
私はいつも恋人に愛されるラインを踏み違える。これまでにも許されるラインはここだぞ、と目の前で私に示してくれる人もいた。それなのに私は分かったふりでやり過ごし、自分の主張を繰り返す。相手に依存したり、されたりを望むことで、心の隙間を埋めようとする。そしていつも壊れてしまうのだ。
「体だけの関係って楽しいんかな。いっそのこと割り切ってみるか、、、?」
「それはそれで虚しいんとちゃうか?多分、一瞬やで、割り切れるのも、楽しいのも。ほいで後悔して、名前にまたオレが呼ばれるやつや、それ。」
的を得た烈の言葉に私は、打ちひしがれるようにしてテーブルに突っ伏した。確かにそう。烈が言ったことは頭では全部分かっている。しかし私は素直に従いたくなかった。もたげた頭は、心と同じくらい重たい。口を尖らせ、そして心をも尖らせた。
「一瞬でもいいの。一瞬、一瞬の連続なんだから、人生は。」
「ええ感じに言わんといて。でもそれええな。その言葉、貰お。」
「今日の合コンでそれ、烈が女の子に言ってたら、私マジ笑う。」
烈と喋ることで、烈から何か適切なアドバイスを貰いたいわけじゃない。人との関係性を見つめ直したり、自分と向き合うために、ただ誰かと下らない会話をする。楽しいとか可笑しいとか、美味しいとか嬉しいとか、悔しいとか寂しいとか、そんな感情の色々を取り戻すことが必要だし、そうして自分を浮上させるしか私は出来ないのだと思う。烈にとっては迷惑な話かもしれないな。結局、自分の都合の良い時にしか、烈に連絡を取っていない気がしてきた。
「ねー、烈。私ってぶっちゃけ男の人から見てどう?駄目?重たい感じする?」
「は?それ、ヤれそうか目線で?答えたらええの?」
「あ、そうなる?うん、まあそれでもいいや。どう?」
私は評価を求めるべくして、そして緊張感をもって烈を見つめた。髪の毛を手櫛で整えてから両耳にかけ直して顔を烈の前に向ける。そして膝に手を置き、しゃんと背筋を伸ばす。
「"どう?"って。お前、何やその顔。これ何の面接や。」
「あはは!面接!、、、ほんまやな!ウケる〜!面接か!あはははは。」
お腹を抱え、またテーブルに突っ伏して私は笑う。高校時代も、よく教室の机に突っ伏して笑っていたことを思い出した。机を椅子にして座る烈は、その輪の中にいるものの、遠巻きにこっちを見て笑っていた光景が浮かんだ。そういう時の烈は、大人っぽくてカッコいいな、と私は思っていたことも思い出す。
「ねぇ、烈。で、どうなん?私。」
「は?いや全然ヤれるよ。」
「うっそ!?あはははは!何それ!烈が、ってこと?!私と?ぶふふ、、、っ!ひぃー、お腹痛いわ。」
烈の真顔と、しかも全くためらわない即答のタイミングも作用して、これが分かりやすく烈なりのボケだということに私は楽しんだ。こういうノリは元カレは嫌いだったから、私は元カレへの腹いせのように思いっきり笑って、未だ残る鈍痛のような記憶も吹き飛ばしてやるんだ。そのせいもある。私はお酒も入っていないのに、ハイになって烈にケラケラと尋ねた。
「めっちゃおもろい。烈、どんな風にするん?ちょっと詳しく聞こか。」
「そこ掘り下げてくんなや。」
烈は呆れた口調で聞いてきた。しかし、こんな話を大きな声で喋るわけには行かない。私は肘を体の前に突き出してテーブルに前のめりになった。烈との距離を詰め、さらに両手で顔を覆って目を瞑る。
「だっておもろいやん。ねぇ、どうやって烈は始めんの?ちょっと言ってみて?あはははは。最高。」
「お前って、ほんっとアホ。で、何で顔隠してんの?」
「つよポンの顔見たら笑ってまうから。」
私は両手で顔を覆ったまま、肩を震わせてふざけた。つよポンて何やねん、どっから出てきたん、とボヤく声に、テーブルの向かい側で烈がため息を頬杖で受け止めている姿が容易に想像できて、更に私は面白くなる。いつも烈はこうして私のおふざけに呆れはするけれど、見捨てはしない。いつだって私に付き合ってくれるから、踏み込めるのだ。もしかして、また私はラインを踏み違えてしまっている?でも烈はそのラインを足で無造作に消して、何度でも敷き直してくれる作業を厭わない。烈は友達だ。それ以上でもそれ以下でもない。だからこそ私達には、相手を自分の恋愛の天秤に乗せる必要もないし、品も無ければ、思慮も分別もないところがある。このようなみだりがましい会話ですら、ますます可笑しくなってきてしまって、平気で聞けてしまうのだ。つまり私はそう思う事で、自分側のラインを敷いて烈との距離を保っているのかもしれない。
「で?で?聞いていい?まず、どうする?烈、どこ触ってくる?」
「まず抱きしめるわ。オレ匂いとか結構嗅ぐ派やねん。髪の毛とか。」
「きゃっ!エローい。」
「名前が言うか?それ。」
「ほんで?服もう脱がす?」
「え、キスするやん。しようや。」
「ぶは!そうか!キスな。ごめん、ごめん。アンタ、ちゃんとしてるな。」
私は両手で顔を隠したまま下を向き、そして背中を丸くして笑った。そんな私を前にして、烈が少し多めに息を吸ったのを感じ取った。
「、、、ちゃんとするよ。好きなら。」
烈が、ゆっくりと、そして丁寧に言葉を置いた。烈の声が低く落ち着いていたからだろうか。私達の会話は一オクターブ下がり、勢いの良かった表打ちの会話のリズムが、急に裏打ちのリズムに切り替わる。すると私はその変化に何拍かを踏み外して出遅れ、反応出来なくなった。そんな私の気配を察知したのか、烈は譜面を取っ払うかのようにして言った。
「やっぱ、やめ。無理や。」
「、、、せやな。私も無理やわ。」
白けるようにして取り繕う私の態度は、やっぱり冷静になると良いものではない。私は自分の顔を覆っていた両手を下げて、チラと視界の隅で烈の表情を確認する。烈はこのテラス席に面した道路側に体の正面を向けて座っていて、黙ったまま人混みを眺めていた。私は都合の良いだけの自分に虚しくなり、コーヒーカップを口元に寄せたが、もう中身は空っぽだ。しかし二杯目をおかわりに行くには、この場から露骨に逃げようとしているみたいで、大変バツの悪い思いがする。全てがもう遅い気がして、この席から立ち上がることすらできやしない。私も烈と一緒に道路側をぼんやりと見つめた。この白けた空気を有耶無耶にさせ、人混みに紛れたくなった。
「でも、久々思い出したわ。」
烈が話しかけてきても、私はもう聞き直すのが精一杯で、ぶっきらぼうに言葉を返す。
「何を。」
「好き、だった。高校ん時。」
烈が私を見ないで言ったからなのか。間を詰めるようにして言い放たれたのに、それは烈の独り言として片付き、消えていきそうだった。
烈はいつも会話の温度を無視する。何を考えているのか分からない奴、という烈の印象の大部分は、まさにこういうところにあると思う。普段なら烈の発言を言葉通りに受け取ったところで相手にはしないのだが、既に今日は烈に対して、いくつもの自分の都合の良さに申し訳が立たなくなっていた。だからかもしれない。私は烈と同じように、すぐに消える小さな声で呟いた。
「、、、私もイイなって思ってたよ。高校ん時。好きとまでは行かへんかったけど。」
「そこは話合わせていこーや。もう好きでええやん。」
「なんでや!」
ようやく烈が私を見て言った。私も烈を見た。二人してこんな場面を迎えるとは思わなかったものだから、互いに苦い顔をしている。気まずいのとはまた違う。興味本位で口にしてみた。噛み砕いたら、想像していなかった甘酸っぱい味が口いっぱいに広がってびっくりした。そんな顔をしている。どうして良いか分からなくなって、目を合わせたら笑いが込み上げてきた。
「はよ、合コン行き。もう時間やないの?」
「名前、これからどうすんの。」
「家帰るよ。そして転職サイト見て寝る。」
私は背中に回していた、自分のバッグを手繰り寄せながら言うと、烈は私の転職というワードに引っ掛かりを覚えたらしく、私の様子を見つめながら聞いてきた。
「大阪、ほんまは帰りたいとか?」
「そうでもないって。でも、仕事は変えよかな思て。それによっては地元に戻るってのもアリかもしれへんね。」
私はグンと伸びをし、話をまとめようとして烈に言った。
「強制的にでも暮らしを変えたら、少しは良いことあるんかな〜。」
どこまでが本音でどこまでが建前として、人と対峙したら良いのだろうか。確かに、今、私に一番近い異性といったら、烈なのだ。だからといって、烈に気持ちを向けられない。正直、烈とのことを真剣に考えられるほど、私の心はまだ充実していないのだ。
「あのな、大事なこと教えたるわ。」
「何?」
「どこで過ごすかやないで。誰と過ごすかや。」
「、、、私、今、口説かれてます?」
「名前がそう思うなら、そうやろ。」
ここまで言われたら、さすがの私でも烈との心のラインが目前にはっきり見えているし、多分そこを飛び越えたら恋人になるのも簡単だろう。だけど飛び越えた先がいつも楽しいわけじゃない。過去の経験が私を臆病にしていく。思考の波に揺れる私はゆらゆらと、なおも烈の敷いたラインの前で立ち止まったままだ。
「今日の合コン。別にオレ、行かんでもええで。」
「ダメ。ちゃんと行き。ドタキャンとかする男、私、大嫌いやねん。」
「お前、どの位置から言うてんの。」
烈は両の眉を磁石が引き合うように器用に顔の真ん中に寄せる。そして私を睨むように笑う。呆れた時に烈がよくやる表情だ。
「んなら、合コン終わったら、また名前に会いに行く。それでええか?」
「え、、、。」
烈がスマホを見て、淡々と続けた。
「18時からやから、なんやかんやあって2時間半かかるとして、21時前やな。待っとけ。」
「でもさ、合コンで可愛くて気の合う女の子に出会うかもしれへんやん。二次会行こって誘われたりするよ?そしたらどうすんの。」
「"彼女が待っとるから"って言う。」
今度は私が烈を真似して、眉を顔の真ん中に寄せる。そして前のめりになって、わざとらしく烈に聞いた。
「え?おったん?彼女。」
「お前、しばくぞ。」
そう言い放ち、ほな、行くわ、とコーヒーのカップを手に持った烈が椅子から立ち上がったから、この一連のやりとりに、効果的な結末と言って良いオチもしっかりと付いたのだと私は納得する。これで本当に烈は私に呆れ、この話は終わるんだと思った。これでいいのだ。目の前に敷かれたラインから私は自ら一歩引いて、そしてうつむいた。
「名前。」
烈が黙って座ったままの私を呼んだ。見上げたら、烈は薄目で私を見下ろし、いつもの調子で淡々と言葉を降らせる。
「オレ、結構引きずるタイプやねん。そういえば。嫌やったらはっきり言わんと、オレ、気付かんフリずっとするで。」
「、、、嫌やない。せやけどまだ追い付けてない。」
烈とどうなるとか先のことを考えるのは実はちょっと怖い。
「なら、考えとけ。あと2時間半あるから。」
「ちょっと、烈、、、。本気?」
「そんで答え合わせや。」
「答えとか、、、すぐ出せへんて。今の私には難しいよ。」
烈とは終わりたくないから、始まりたくない。それだけ烈の存在は私の中で大きくなっているのは否定しない。
「ほなら、一緒に考えよ。」
烈の大きな手が私の頭に乗せられた。触れられたのは頭だったのに、心臓を直接撫でられたんじゃないかって思うくらい、驚くほど胸が震えてしまった。胸から喉元に迫り上がってきた感情にすがりたい気持ちでいっぱいになった。声が穏やかで優しかったから。乗せられた手がじんわりと暖かかったから。優しくされると泣きそうになる。
「そういうのズルい。私、弱ってるだけかもしれないよ?寂しいだけかもしれないよ?」
烈はコーヒーカップを持った手で、ひとさし指だけを私に向けて言う。
「ピンチはチャンスってやつや。」
「あはは。あんた、やっぱおもろいな。」
私は笑って時計を見る。今日、私はもう一度烈と会ってみよう。待ち合わせをしてみよう。待っている間、烈のことだけを考えていよう。
烈は敷いていたラインを足で無造作に消した。それだけじゃなく、私の周りをくるりと一周し、円を描いていたらしい。私は、ただ突っ立っているだけ。気が付いたら、その円の内側に立っていて、そこには烈がいた。
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