いろはに金平糖(福田)
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浴衣姿の男女や家族連れが賑わって、夜を彩る。地元の夏祭りは、毎年この時期の恒例イベントだ。いつもは閑散としているはずの沿道に、一体どこから集まってきたんだろうか、と驚くばかりの人、人、人で溢れかえっている。かく言う私も、このお祭りを楽しみにしていた一人で、夕方から高校で同じクラスの何人かと待ち合わせて遊びにきていた。私達の他にも、似たようなグループはいるもので、あちこちから「あー!」とか「わー!」とか、おそらく知り合いなんだろうと思われる中高校生のグループ同士が、お祭りの独特な空気に煽られて、遭遇する度に弾むような歓声を上げるのが聞こえる。
「名前、福田達もいたよ〜。合流しよ!」
一緒に来ていた友達の美里ちゃんが私に声をかけた。美里ちゃんがかき氷を持った手で指を差した方向に目を向けたら、同じクラスの男子数人のグループが立っていた。
「フクちゃんも来てたんだ?」
露店の白熱灯が明るくその姿を照らしていた。露店の裏手に置かれた発電機が、ボボボボ、と振動しながら激しく音を出すから、私はフクちゃんの耳元に近付き、大きな声で尋ねた。フクちゃんは頷いて私の問いかけに応じた。
フクちゃんと私は同じ中学の出身だ。進学先が同じ陵南高校だと聞いてから、中学の終わり頃からよく話をするようになった。単に同じ高校に進学する知り合いが少なかったので、心細くて私から話しかけていただけだが、会話をするようになるにつれて福田君から、フクちゃんへと呼び方も変わる。フクちゃんとは、中学からの付き合いという自負もあってか、高校に入学してからも、私が一番喋る男の子だった。
「フクちゃん、部活忙しいんじゃないの?」
「夏休みに入ったから、夜まではやってない。その分朝からやってるけど。」
「へぇー。少し焼けた?」
「外、結構走らされてる。」
フクちゃんはダルそうに答えたけれど、それはあくまでも見せかけだ。本当は黙々と部活に打ち込んでいるフクちゃんを知っているから、私も頷いて、そっか、と話を合わせた。そういえば、と私が新たな話題を投じようと顔を上げたら、
「福田君!ごめんね、お待たせ!」
と跳ねるように元気な声が割って入った。誰だろう、と私が振り向けば、見覚えのある女の子。喋ったことはないが、おそらく同じ高校の子だ。次に目がいったのは、その浴衣姿。所々にころんと丸いフォルムの椿が大きく咲いている。しかも紺地に紫色のストライプが入っていて、真っ赤な赤椿のモチーフに対し、全体的に古典的ではないモダンさを表すその色合いが斬新で、こんな浴衣いいなあ、とまじまじとその子を眺めてしまった。とてもよく似合うその子の可愛らしい浴衣姿に、いつものTシャツに、ジーンズ姿の自分を見返したら、なんだか圧倒されちゃって、存在を消すようにフクちゃんの後ろに下がった。
「、、、えっと、いい?」
女の子が沿道の一本向こうの道を、遠慮がちに指で示した。私のことは一向に気にする気配もなく、フクちゃんを連れ立っていく。二人が祭りの人の波に飲まれていくのを、ぼうっとその場で見守ってしまった。
「あれ?福田は?」
美里ちゃんが、私のそばに寄ってきて話しかける。ハイ、とかき氷をすくったプラスチックのスプーンを私の口に放り込もうとしてきた。食べさせてくれるらしいので、私はこぼさないように首を突き出して口を開ける。溶けていく氷を飲み込むと、胃の中まで流れ落ちていくのが分かるほど、内側に荒涼とした冷たさが染み渡る。なんだか置いてきぼりをくらったような気がして、私の心までひんやりとさせられたみたい。私は呆気に取られた気持ちそのままに、美里ちゃんに伝えた。
「なんか、別の女の子と二人で行っちゃった、、、。ほら、多分、3組の。えーと、陸上部の中谷さんとよく一緒にいる、、、ショートカットの子。」
「ああ、その子、なんとなく分かる。え?でもなんで、福田?」
「、、、分かんない。」
私はぼんやりと答えた。そう、なんとも言い表せられないこの感じ。フクちゃんが他の女の子に話しかけられていたことに少し驚いてしまったのかも。或いは私の方が前から仲が良いのに、というちっぽけなプライドとか優越感みたいなものに初めてヒビが入ったことを知り、ショックだったのかも。どちらにせよ、自分がたいそう嫌な子に思えてきて、首を左右に振ってこの浮き彫りにされた思考を蹴散らしたい。
「その子、浴衣着て来てたよ。すごい可愛い柄でオシャレだった〜。ああいうのは、自分で買い揃えるのかなあ。」
「それ、なんか本気出してきてない?」
「本気って?」
美里ちゃんの怪しがる声色に、私はまだピンとこないまま聞き返した。
「福田って、スポーツ大会で活躍してたの知ってる?それでちょっと注目されたじゃん。暗い奴かと思いきや、意外と運動できる、みたいな。で、帰宅部と思われてて、実はバスケ部だった、っていうね?それだけで、騒ぐ女子がいたのよ。ホンット単純だよねぇぇ〜。」
生徒会執行部の美里ちゃんは学年の裏事情に大変詳しい。春のスポーツ大会のときも、執行部席で運動場のテント下にいたので、当時の状況を私に説明してくれた。
「だけどさあ、夏祭りで浴衣って!告白なんじゃないの、それ。んん?まさかもう付き合ってたりして?キャー、モテるね〜吉兆〜!」
いつもの福田呼びから、わざと下の名前に代えて呼ぶ美里ちゃんは、バスケ部補正がかかってんじゃないの?なんて言い、親しみを込めてふざけている。
「あ!福田が戻ってきたよ、名前!」
美里ちゃんが興味津々で私の肩を叩いて知らせてくる。そんなことはつゆ知らず、フクちゃんは、いつも通りにしれっとクラスの男子集団に混じった。私達の前方を歩くフクちゃんが急に遠くに感じる。さっきの子とはどういう関係なのかが気になって仕方ない。それは美里ちゃんも同様のよう。
「うーん。聞いてみよっか。福田に。」
「えっ、美里ちゃん、駄目だよ。フクちゃん、嫌がるって。絶対。」
「そぉ?なーんかこういうのハッキリさせないとさ、今後の福田への接し方とかもあるじゃない?」
「せ、接し方って、、、?」
「だってさぁ、もし、、もしよ?3組のあの子が彼女だったら〜?名前は福田と結構仲良いし?今までみたいに家近いからって一緒に二人で帰ったりとかしたら、3組のその彼女?の取り巻きに名前、囲まれるかもよ。あはは、ってか取り巻きって、今時言うかな?言わないか!取り巻き、、、ふはは!」
最近はフクちゃんと帰ったりしてないよ、と反論しようとしたが、美里ちゃんは、笑い話で片付けようとして、私の話に取り合ってくれそうもない。しょうがなく私は下を向いた。
フクちゃんに彼女。そんなこと今まで考えてもみなかったが、女友達と違って、男友達とは距離感を誤ってはいけないらしい。女友達と接するような態度で過ごしてしまうと、どこかで誰かの勘違いや疑念が生まれる。美里ちゃんはそれを懸念して私に言ってくれたのだ。もしフクちゃんが特定の女の子と付き合ってたりするなら、私は友達であっても、二人だけで仲良くしてはいけなくて、一緒にいるのも控えめにした方が良いらしい。そんな第三者への配慮という大人な目線をこれからは加えなくてはいけないそうだ。そんなのって、納得がいかない。フクちゃんとの関係性が、こんなことをきっかけに崩れていくのかと思うと、声が震える。
「ええ〜、、、、私、想像して泣けてきた、、、。」
「ちょ、、っ!どうしたのよ、名前っ!」
「やだ、、、。」
「え?何!?」
「フクちゃんと今まで通り喋れないなんてやだぁ、、、。」
人目を憚らずに大粒の涙がボタボタとこぼれ落ちる。こんなに涙って、重たかったっけ?地面に垂直にぶつかっていく涙に重力を知る。私の胸にも、ドスンと重たい何かがのし掛かってきて、嫌だ、嫌だ、という気持ちで占拠された。
「何それっ!えー、名前、意味わかんない!とりあえず福田呼ぼっか。ねぇっ、ねーえ!福田ぁっ!」
美里ちゃんが、前方を歩くフクちゃんを呼び止める。フクちゃんがそれに気付いて、振り返った。フクちゃんは、私が両手で涙を擦っては鼻をすすっている姿に、一瞬だけギョッとして、だけどみんなにはバレないようにしてくれたのか、ゆっくりと私と美里ちゃんのそばに寄った。
「、、、ど、どうした?」
私は俯いて何も言い出せずにヒック、ヒックと鼻をすするだけで、フクちゃんの足元しか見つめることしか出来ない。こんなに近くにフクちゃんが来てくれるのも、もしかしたらもう最後なんじゃないか。なんていう極端な思考は感情も極端に動かす。向かい合っている私の靴先と、フクちゃんの靴先が、どんどん滲んでぼやけて溶け合っていく。それは治まりかけた涙がまた溢れてきたせいだ、と気付いたら、わああっと声を上げてまた泣き出してしまった。どうしようもない私の代わりに美里ちゃんがフクちゃんを見上げて、言った。
「知らないわよ〜!情緒がおかしいのよ、この子。もう解散するっぽいしさ、先に帰らせよう。」
「そうか。おつかれ。気をつけて。」
「いや、何言ってんの。福田、名前と家近いじゃん。送ってってよ。」
「あ、そうか。、、、え?オレ?」
フクちゃんが、肩を一度ビクつかせて、そして猫のように背中を丸めて美里ちゃんにオドオドと尋ねた。
「何?なんかマズいことある?名前と帰るのが。」
美里ちゃんの聞き方は、完全に先程の私達の会話を元にした探りを入れていたものだったが、フクちゃんは当然知る由もない。
「いや別に。、、、でも、オレ?」
二度聞きするフクちゃんが他人事のようにしてたからか、美里ちゃんはフクちゃんの理解が追いついていないことを責めるようにして、声を大きくした。
「そうだよ!だから呼んだんじゃん〜っ!あんたのせいだからね、どうにかしてよ、もう。ね?名前、いい?福田ともう帰りな?」
美里ちゃんは、強引に私とフクちゃんを回れ右させて、クラスのグループの輪から外させた。フクちゃんが美里ちゃんの命に従い、少し怯みつつも私を連れて歩き出した。フクちゃんと二人、人混みの流れを逆らって歩く。露店と露店の継ぎ目から祭りの出口を見つけて、国道に向かう静かな道路に出た。
喧騒から離れたら、自分でも聞こえていなかったしゃくり上げる声がやたらと目立ち始めて、それがまた呼び水のようになって、嗚咽で肩を震わせた。
「ぐすっ、ぐす、、、、うぇぇ。」
「、、、何で、、、泣いてんだっけ?」
フクちゃんが気まずそうに話しかけてきた。ボソボソといつも以上に小さな声だったから、余計に気を遣わせてしまっていることが分かってしまい、声にならない。どうにもこうにもこの感覚について、うまく説明が出来そうになく、喜怒哀楽に基づいて湧き起こるどの思いにも当てはまりそうにない。
「だって、、、だってぇ、、、。フクちゃんがぁ、、、うああぁぁん!あだじ、、、あだじ、、、うぐっ、うあっ、ひっく。」
「駄目だ。何言ってるか分からん、、、。」
フクちゃんは、自宅へ私を帰すのを第一優先と定めたらしく、話題を変えた。
「名前。何で来た?バス?」
「、、、バス」
鼻をズンっとすする合間に、どうにか私は答えた。
「オレ、チャリ。後ろ、乗れるやつだから、、、。」
「、、、うん。」
フクちゃんに迷惑をかけちゃいけない。もう十分迷惑かけているけれども。だからグスンと、鼻を吸うとともに涙も無理矢理に引っ込める。フクちゃんは自転車の二人乗りで、家まで送ってくれるみたいだ。フクちゃんは駐輪場の入口で私を待たせ、乗ってきた自転車を引いて、また私の前に現れた。私とフクちゃんは一瞬だけ目を合わせたが、フクちゃんは多くを語らずに、アッチまで、と言いながら向こうの大通りを顎で指して教えてくれた。どうやらアッチの大通りまで出てから自転車に跨がろうということらしい。私は涙を拭く。そして黙って頷き、その隣に従って歩いた。
フクちゃんはバスケ部だ。学校の裏門から帰るとき、たまにランニングに出て行くバスケ部を見かける。その中にフクちゃんの姿を目にするようになったのが夏前だ。遠目から見るフクちゃんは、バスケ部員の中に紛れると、特に目立つこともなかったが、今こうして隣を歩くと、上背もあって、随分と肩幅が広いことを知る。みんなといると気付かないのに、二人きりになった途端、フクちゃんのあらゆるところに目がいった。しかも制服姿のフクちゃんしか私は知らないのに、今日は私服姿なものだから、急に知らない人みたいに思えてしまい、私は言った。
「フクちゃんが、、、、みんなのフクちゃんじゃなくなるのがヤダ。」
「それ意味不明。」
「だってフクちゃん、さっき違うクラスの女子から呼び出されてたじゃん。」
「、、、あー。」
思い出したような相槌をするフクちゃんは、それ以上は何も言わない。否定をしないってことは、やっぱりそういうことなんだろう。だけど私はこれ以上追求は出来なかった。いや、瞬間的にこれ以上混乱したくない、と思ってしまった。だから、自分の願いだけを一方的にぶつけるようなことしか言えない。
「フクちゃんに彼女が出来るなんて考えてなかったんだもん。フクちゃんは、みんなのフクちゃんだもん。」
自分のバカみたいに自己中の発言が情けなくて、さっきとは違う涙が出そうになる。そんな私を慰めることなんてなく、フクちゃんはこっちを見ないで答えた。
「オレだって彼女欲しいし。普通に。」
そうなのか、いやそりゃそうか。とフクちゃんの返事に私も心の中で頷いた。フクちゃんのそっけないトーンが、現実味を帯びていたからだろうか。私は冷静さを取り戻して言った。
「フクちゃんが他の女の子と仲良く喋ってたりするなんて知らなかったの。だからなんかショックなのかな、私、、、。」
「泣いてんの、ビックリした、、、。」
「そ、そうだよね!?ごめんね、フクちゃん。フクちゃんにしてみたら、なんだコイツ?!って感じだよね、、、。」
はあぁ〜っと肺が底をつきそうなくらいの息を吐いた。気持ちを整理しようと呼吸を改めたのに、私の心はまだ落ち着かない。ザワザワしたまま、喉元がキュッと絞られたような苦しさが込み上げる。でも、それは私の身勝手な思い上がりだと、心を引き締めた。私は思い切り顔を上げてフクちゃんに迫った。
「、、、あの、さ!私、フクちゃんと二人で帰っちゃ駄目じゃない!?この状況いけないと思う、、、。さっきのあの女の子に悪いよ、、、。か、彼女なんでしょ?」
フクちゃんは、目線を下げて静かに言った。
「、、、断った。」
「えっ、なんで!?」
「誰でもいいわけ、じゃない。」
口数が少ないフクちゃんは、それ以上私に説明してくれない。いつもならば私はフクちゃんから言葉を促そうと、必要以上になんでも聞いてしまうし、思ったことが躊躇なくポンポンと口からついて出てしまうのだけど、こんな会話をフクちゃんとしたことがなくて、さっきからずっと私は言葉に詰まり続けてしまっている。私の返す言葉でフクちゃんの言葉に蓋をしてはいけない、とフクちゃんから続く言葉を待ってみたものの、やっぱり沈黙が怖くなって、私の視線はフクちゃんとアスファルトの地面を何度も行き交った。私のこわばった表情に気付いたフクちゃんは、予想だにしない角度から話を振った。
「今どんな気分?」
フクちゃんが私に尋ねた。どんな気分?どんな気分かって?そういえば、もう涙は引っ込んでいた。正直なところ、自転車置き場にいた時よりも随分と心が軽くなっている。フクちゃんに彼女ができたらしいと聞けば、すごくショックだった。でもフクちゃんは、断ったと言ったから、これまでと同様にフクちゃんとは仲良くしたいなと思うし、それを誰にも気兼ねしなくていいのなら、素直に嬉しい。こんな気持ちになるのは、相手がフクちゃんだからなのか、そうでないのかを改めて思い直したら、自分にもそしてフクちゃんにも問わずにいられなくなって、ムズ痒いこの気持ちを声に乗せる。
「あれ?私、フクちゃんのこと好きだったのかな。いや、そんな。え?そうなの?」
「、、、オレはそうだけど。」
「え!?え!?そう、って何?!オレは、って、、、???!」
誰が誰を好きだとか。そんな恋愛のあれこれについて、真剣に考えたことはなかった。あの人カッコいいな、なんていうのは客観的に思うことはあっても、自分が主体的にどうなりたい、なんて考えてはいない。フクちゃんを含め、周囲の親しい友達に彼氏や彼女がいる子はいなかったし、特定の人とお付き合いをするということに鈍感な環境にいたせいもある。
それにしても、フクちゃんが答えた「オレはそうだけど。」の意味を今一度読み解かねばならなくなった。フクちゃんは私のことをどう思ってくれていたのだろう。フクちゃんが私のことを特別な存在だと思ってくれていたのなら。そのことを肯定したら、込み上げる感情に私は自然と口元が綻ぶのを止められない。多分、それを答えにしてもいいんだと思う。フクちゃんにそう言われ、さらに自分でもさきほど「好き」という単語にして口にしたら、不思議なもので坂道を転がるように加速し、心が走り出した。
フクちゃんは、あまり感情を表に出さない我慢強い人だ。私のどうでもいい話にも、黙ってふんふんと頷きながら聞いてくれる。私の身勝手な振る舞いにだって、実はずっと黙って寄り添っていてくれたのかもしれない。私はフクちゃんを見上げ、フクちゃんはようやく私のことを見た。二人の視線が交わったのをきっかけにして、フクちゃんが転がり出していく私の気持ちに、ドアを開けて迎えてくれた。
「みんなのフクちゃんじゃなくて、名前のフクちゃんになってやってもいいけど。」
フクちゃんはプライドが高い。そしてこのプライドは、たまにおかしなタイミングでひょっこりと顔を出すのだ。
「ふ、ふふ。あははは。それ素敵。」
私は笑った。フクちゃんの、他人からの評価を求めるあまり、自分の価値を高める態度を崩すまいとする姿勢が、見事なまでに彼の不器用さを表していたからだ。
私が笑ったせいで、フクちゃんは不愉快そうな表情で固めたまま下唇を突き上げる。フクちゃんのプライドを傷付けたかもしれないが、そんなことはおかまいなしだ。何もこんなタイミングでフクちゃんのことが好きだと気付くなんて。しかもそれをフクちゃんに教えられるなんて。あまりにも鈍感な自分にも苦笑しながら、私はフクちゃんに想いを返した。
「これって、フクちゃんから告白されたってことにしていいんだよね?」
フクちゃんは、私に笑われたのが癇に障ったのか、返事をしてくれない。いや、お互いにぼんやりとしか気持ちを伝えないせいで、この後の道筋が分からなくなってしまったからだろう。フクちゃんは、私への返事の仕方に戸惑っているようだった。
「フクちゃん。」
だから私は、自分の鈍感さを押し付けるようにして、更にフクちゃんの名前を呼んだ。
「名前のフクちゃん、なんでしょ?ねっ?」
そう言ったらフクちゃんは、軽く目を泳がせてから、ようやく口を開いてくれた。
「、、、何。」
フクちゃん、と呼びかけたら、必ずこっちを向いてくれる。この絶対的な安心感は手離したくない。そんなことを今更ながら思ったのだ、私は。
「私が思う、フクちゃんの良いところ。今、言ってもいい?」
フクちゃんが首を縦にコクと小さく振る。
「フクちゃんはね、我慢強いと思うの。一年のとき、部活停止になったのに不貞腐れなかったじゃん。辞めなかったじゃん。あそこの境内でもさ、よく一人で練習してたよね。私、尊敬してたよ。誰のせいにもしないとこ。それにわけわかんない私のこともこうやって、文句も言わずに家まで送ってくれるし。めちゃくちゃ優しいよ。」
先程、フクちゃんに対して笑ってしまったことを挽回するかのように、私はフクちゃんを褒めて褒めて褒めまくる。言えば言うほど、それが自分の中で大きくなっていき、私の胸がきゅっと鳴った。それをフクちゃんにも伝えたくて、更に私は言葉を繋げる。
「フクちゃん、カッコいいよ。」
私がそう言って笑いかけると、フクちゃんは下を向く。こんなこと、私も言い慣れてないものだから、フクちゃんと同じく、私も下を向いて照れながら言った。
「えーっと、これって返事になるのかな?こんな返事でいいの?ははは、どう言っていいか分かんないや。こういうの初めてで。」
フクちゃんは、何も答えない代わりに、眉間に指を置いて、口を真一文字に結び目を瞑る。気になって下から覗き込んだら、震えているのがよく分かった。
「えっ、やだ!フクちゃん、泣いてる!?」
「、、、泣いてない。」
路線バスが真横を揺れながら通り過ぎた。遅れて排気ガスが混じる熱風がぶつかってきて、私は顔にかかってきた髪の毛を咄嗟に押さえて、顔を伏せた。そしてふと、辺りを見回して気付く。バスで帰るつもりなら乗る予定にしていたバス停すらも、とっくに通り過ぎていたことを。つまり大通りに出てから、私達は結構長いこと歩いてしまっていた。気になった私は、フクちゃんの自転車のサドルにポンポンと手を置いて尋ねた。
「そういえば、私、いつ後ろに乗ったらいい?」
「、、、流れ的に、言うタイミング逃してた。実は。」
私は笑った。フクちゃんは口元を押さえつつも、何も言わない。だから私もこれ以上は何も聞かないことにした。自宅までは自転車に跨がれば、あっという間の距離だったが、歩いて帰れば結構な距離になる。それでも私達は、この時間を一分一秒でも多く共有したくて、じっくりと、そしてゆっくりと歩調を合わせた。
「名前、福田達もいたよ〜。合流しよ!」
一緒に来ていた友達の美里ちゃんが私に声をかけた。美里ちゃんがかき氷を持った手で指を差した方向に目を向けたら、同じクラスの男子数人のグループが立っていた。
「フクちゃんも来てたんだ?」
露店の白熱灯が明るくその姿を照らしていた。露店の裏手に置かれた発電機が、ボボボボ、と振動しながら激しく音を出すから、私はフクちゃんの耳元に近付き、大きな声で尋ねた。フクちゃんは頷いて私の問いかけに応じた。
フクちゃんと私は同じ中学の出身だ。進学先が同じ陵南高校だと聞いてから、中学の終わり頃からよく話をするようになった。単に同じ高校に進学する知り合いが少なかったので、心細くて私から話しかけていただけだが、会話をするようになるにつれて福田君から、フクちゃんへと呼び方も変わる。フクちゃんとは、中学からの付き合いという自負もあってか、高校に入学してからも、私が一番喋る男の子だった。
「フクちゃん、部活忙しいんじゃないの?」
「夏休みに入ったから、夜まではやってない。その分朝からやってるけど。」
「へぇー。少し焼けた?」
「外、結構走らされてる。」
フクちゃんはダルそうに答えたけれど、それはあくまでも見せかけだ。本当は黙々と部活に打ち込んでいるフクちゃんを知っているから、私も頷いて、そっか、と話を合わせた。そういえば、と私が新たな話題を投じようと顔を上げたら、
「福田君!ごめんね、お待たせ!」
と跳ねるように元気な声が割って入った。誰だろう、と私が振り向けば、見覚えのある女の子。喋ったことはないが、おそらく同じ高校の子だ。次に目がいったのは、その浴衣姿。所々にころんと丸いフォルムの椿が大きく咲いている。しかも紺地に紫色のストライプが入っていて、真っ赤な赤椿のモチーフに対し、全体的に古典的ではないモダンさを表すその色合いが斬新で、こんな浴衣いいなあ、とまじまじとその子を眺めてしまった。とてもよく似合うその子の可愛らしい浴衣姿に、いつものTシャツに、ジーンズ姿の自分を見返したら、なんだか圧倒されちゃって、存在を消すようにフクちゃんの後ろに下がった。
「、、、えっと、いい?」
女の子が沿道の一本向こうの道を、遠慮がちに指で示した。私のことは一向に気にする気配もなく、フクちゃんを連れ立っていく。二人が祭りの人の波に飲まれていくのを、ぼうっとその場で見守ってしまった。
「あれ?福田は?」
美里ちゃんが、私のそばに寄ってきて話しかける。ハイ、とかき氷をすくったプラスチックのスプーンを私の口に放り込もうとしてきた。食べさせてくれるらしいので、私はこぼさないように首を突き出して口を開ける。溶けていく氷を飲み込むと、胃の中まで流れ落ちていくのが分かるほど、内側に荒涼とした冷たさが染み渡る。なんだか置いてきぼりをくらったような気がして、私の心までひんやりとさせられたみたい。私は呆気に取られた気持ちそのままに、美里ちゃんに伝えた。
「なんか、別の女の子と二人で行っちゃった、、、。ほら、多分、3組の。えーと、陸上部の中谷さんとよく一緒にいる、、、ショートカットの子。」
「ああ、その子、なんとなく分かる。え?でもなんで、福田?」
「、、、分かんない。」
私はぼんやりと答えた。そう、なんとも言い表せられないこの感じ。フクちゃんが他の女の子に話しかけられていたことに少し驚いてしまったのかも。或いは私の方が前から仲が良いのに、というちっぽけなプライドとか優越感みたいなものに初めてヒビが入ったことを知り、ショックだったのかも。どちらにせよ、自分がたいそう嫌な子に思えてきて、首を左右に振ってこの浮き彫りにされた思考を蹴散らしたい。
「その子、浴衣着て来てたよ。すごい可愛い柄でオシャレだった〜。ああいうのは、自分で買い揃えるのかなあ。」
「それ、なんか本気出してきてない?」
「本気って?」
美里ちゃんの怪しがる声色に、私はまだピンとこないまま聞き返した。
「福田って、スポーツ大会で活躍してたの知ってる?それでちょっと注目されたじゃん。暗い奴かと思いきや、意外と運動できる、みたいな。で、帰宅部と思われてて、実はバスケ部だった、っていうね?それだけで、騒ぐ女子がいたのよ。ホンット単純だよねぇぇ〜。」
生徒会執行部の美里ちゃんは学年の裏事情に大変詳しい。春のスポーツ大会のときも、執行部席で運動場のテント下にいたので、当時の状況を私に説明してくれた。
「だけどさあ、夏祭りで浴衣って!告白なんじゃないの、それ。んん?まさかもう付き合ってたりして?キャー、モテるね〜吉兆〜!」
いつもの福田呼びから、わざと下の名前に代えて呼ぶ美里ちゃんは、バスケ部補正がかかってんじゃないの?なんて言い、親しみを込めてふざけている。
「あ!福田が戻ってきたよ、名前!」
美里ちゃんが興味津々で私の肩を叩いて知らせてくる。そんなことはつゆ知らず、フクちゃんは、いつも通りにしれっとクラスの男子集団に混じった。私達の前方を歩くフクちゃんが急に遠くに感じる。さっきの子とはどういう関係なのかが気になって仕方ない。それは美里ちゃんも同様のよう。
「うーん。聞いてみよっか。福田に。」
「えっ、美里ちゃん、駄目だよ。フクちゃん、嫌がるって。絶対。」
「そぉ?なーんかこういうのハッキリさせないとさ、今後の福田への接し方とかもあるじゃない?」
「せ、接し方って、、、?」
「だってさぁ、もし、、もしよ?3組のあの子が彼女だったら〜?名前は福田と結構仲良いし?今までみたいに家近いからって一緒に二人で帰ったりとかしたら、3組のその彼女?の取り巻きに名前、囲まれるかもよ。あはは、ってか取り巻きって、今時言うかな?言わないか!取り巻き、、、ふはは!」
最近はフクちゃんと帰ったりしてないよ、と反論しようとしたが、美里ちゃんは、笑い話で片付けようとして、私の話に取り合ってくれそうもない。しょうがなく私は下を向いた。
フクちゃんに彼女。そんなこと今まで考えてもみなかったが、女友達と違って、男友達とは距離感を誤ってはいけないらしい。女友達と接するような態度で過ごしてしまうと、どこかで誰かの勘違いや疑念が生まれる。美里ちゃんはそれを懸念して私に言ってくれたのだ。もしフクちゃんが特定の女の子と付き合ってたりするなら、私は友達であっても、二人だけで仲良くしてはいけなくて、一緒にいるのも控えめにした方が良いらしい。そんな第三者への配慮という大人な目線をこれからは加えなくてはいけないそうだ。そんなのって、納得がいかない。フクちゃんとの関係性が、こんなことをきっかけに崩れていくのかと思うと、声が震える。
「ええ〜、、、、私、想像して泣けてきた、、、。」
「ちょ、、っ!どうしたのよ、名前っ!」
「やだ、、、。」
「え?何!?」
「フクちゃんと今まで通り喋れないなんてやだぁ、、、。」
人目を憚らずに大粒の涙がボタボタとこぼれ落ちる。こんなに涙って、重たかったっけ?地面に垂直にぶつかっていく涙に重力を知る。私の胸にも、ドスンと重たい何かがのし掛かってきて、嫌だ、嫌だ、という気持ちで占拠された。
「何それっ!えー、名前、意味わかんない!とりあえず福田呼ぼっか。ねぇっ、ねーえ!福田ぁっ!」
美里ちゃんが、前方を歩くフクちゃんを呼び止める。フクちゃんがそれに気付いて、振り返った。フクちゃんは、私が両手で涙を擦っては鼻をすすっている姿に、一瞬だけギョッとして、だけどみんなにはバレないようにしてくれたのか、ゆっくりと私と美里ちゃんのそばに寄った。
「、、、ど、どうした?」
私は俯いて何も言い出せずにヒック、ヒックと鼻をすするだけで、フクちゃんの足元しか見つめることしか出来ない。こんなに近くにフクちゃんが来てくれるのも、もしかしたらもう最後なんじゃないか。なんていう極端な思考は感情も極端に動かす。向かい合っている私の靴先と、フクちゃんの靴先が、どんどん滲んでぼやけて溶け合っていく。それは治まりかけた涙がまた溢れてきたせいだ、と気付いたら、わああっと声を上げてまた泣き出してしまった。どうしようもない私の代わりに美里ちゃんがフクちゃんを見上げて、言った。
「知らないわよ〜!情緒がおかしいのよ、この子。もう解散するっぽいしさ、先に帰らせよう。」
「そうか。おつかれ。気をつけて。」
「いや、何言ってんの。福田、名前と家近いじゃん。送ってってよ。」
「あ、そうか。、、、え?オレ?」
フクちゃんが、肩を一度ビクつかせて、そして猫のように背中を丸めて美里ちゃんにオドオドと尋ねた。
「何?なんかマズいことある?名前と帰るのが。」
美里ちゃんの聞き方は、完全に先程の私達の会話を元にした探りを入れていたものだったが、フクちゃんは当然知る由もない。
「いや別に。、、、でも、オレ?」
二度聞きするフクちゃんが他人事のようにしてたからか、美里ちゃんはフクちゃんの理解が追いついていないことを責めるようにして、声を大きくした。
「そうだよ!だから呼んだんじゃん〜っ!あんたのせいだからね、どうにかしてよ、もう。ね?名前、いい?福田ともう帰りな?」
美里ちゃんは、強引に私とフクちゃんを回れ右させて、クラスのグループの輪から外させた。フクちゃんが美里ちゃんの命に従い、少し怯みつつも私を連れて歩き出した。フクちゃんと二人、人混みの流れを逆らって歩く。露店と露店の継ぎ目から祭りの出口を見つけて、国道に向かう静かな道路に出た。
喧騒から離れたら、自分でも聞こえていなかったしゃくり上げる声がやたらと目立ち始めて、それがまた呼び水のようになって、嗚咽で肩を震わせた。
「ぐすっ、ぐす、、、、うぇぇ。」
「、、、何で、、、泣いてんだっけ?」
フクちゃんが気まずそうに話しかけてきた。ボソボソといつも以上に小さな声だったから、余計に気を遣わせてしまっていることが分かってしまい、声にならない。どうにもこうにもこの感覚について、うまく説明が出来そうになく、喜怒哀楽に基づいて湧き起こるどの思いにも当てはまりそうにない。
「だって、、、だってぇ、、、。フクちゃんがぁ、、、うああぁぁん!あだじ、、、あだじ、、、うぐっ、うあっ、ひっく。」
「駄目だ。何言ってるか分からん、、、。」
フクちゃんは、自宅へ私を帰すのを第一優先と定めたらしく、話題を変えた。
「名前。何で来た?バス?」
「、、、バス」
鼻をズンっとすする合間に、どうにか私は答えた。
「オレ、チャリ。後ろ、乗れるやつだから、、、。」
「、、、うん。」
フクちゃんに迷惑をかけちゃいけない。もう十分迷惑かけているけれども。だからグスンと、鼻を吸うとともに涙も無理矢理に引っ込める。フクちゃんは自転車の二人乗りで、家まで送ってくれるみたいだ。フクちゃんは駐輪場の入口で私を待たせ、乗ってきた自転車を引いて、また私の前に現れた。私とフクちゃんは一瞬だけ目を合わせたが、フクちゃんは多くを語らずに、アッチまで、と言いながら向こうの大通りを顎で指して教えてくれた。どうやらアッチの大通りまで出てから自転車に跨がろうということらしい。私は涙を拭く。そして黙って頷き、その隣に従って歩いた。
フクちゃんはバスケ部だ。学校の裏門から帰るとき、たまにランニングに出て行くバスケ部を見かける。その中にフクちゃんの姿を目にするようになったのが夏前だ。遠目から見るフクちゃんは、バスケ部員の中に紛れると、特に目立つこともなかったが、今こうして隣を歩くと、上背もあって、随分と肩幅が広いことを知る。みんなといると気付かないのに、二人きりになった途端、フクちゃんのあらゆるところに目がいった。しかも制服姿のフクちゃんしか私は知らないのに、今日は私服姿なものだから、急に知らない人みたいに思えてしまい、私は言った。
「フクちゃんが、、、、みんなのフクちゃんじゃなくなるのがヤダ。」
「それ意味不明。」
「だってフクちゃん、さっき違うクラスの女子から呼び出されてたじゃん。」
「、、、あー。」
思い出したような相槌をするフクちゃんは、それ以上は何も言わない。否定をしないってことは、やっぱりそういうことなんだろう。だけど私はこれ以上追求は出来なかった。いや、瞬間的にこれ以上混乱したくない、と思ってしまった。だから、自分の願いだけを一方的にぶつけるようなことしか言えない。
「フクちゃんに彼女が出来るなんて考えてなかったんだもん。フクちゃんは、みんなのフクちゃんだもん。」
自分のバカみたいに自己中の発言が情けなくて、さっきとは違う涙が出そうになる。そんな私を慰めることなんてなく、フクちゃんはこっちを見ないで答えた。
「オレだって彼女欲しいし。普通に。」
そうなのか、いやそりゃそうか。とフクちゃんの返事に私も心の中で頷いた。フクちゃんのそっけないトーンが、現実味を帯びていたからだろうか。私は冷静さを取り戻して言った。
「フクちゃんが他の女の子と仲良く喋ってたりするなんて知らなかったの。だからなんかショックなのかな、私、、、。」
「泣いてんの、ビックリした、、、。」
「そ、そうだよね!?ごめんね、フクちゃん。フクちゃんにしてみたら、なんだコイツ?!って感じだよね、、、。」
はあぁ〜っと肺が底をつきそうなくらいの息を吐いた。気持ちを整理しようと呼吸を改めたのに、私の心はまだ落ち着かない。ザワザワしたまま、喉元がキュッと絞られたような苦しさが込み上げる。でも、それは私の身勝手な思い上がりだと、心を引き締めた。私は思い切り顔を上げてフクちゃんに迫った。
「、、、あの、さ!私、フクちゃんと二人で帰っちゃ駄目じゃない!?この状況いけないと思う、、、。さっきのあの女の子に悪いよ、、、。か、彼女なんでしょ?」
フクちゃんは、目線を下げて静かに言った。
「、、、断った。」
「えっ、なんで!?」
「誰でもいいわけ、じゃない。」
口数が少ないフクちゃんは、それ以上私に説明してくれない。いつもならば私はフクちゃんから言葉を促そうと、必要以上になんでも聞いてしまうし、思ったことが躊躇なくポンポンと口からついて出てしまうのだけど、こんな会話をフクちゃんとしたことがなくて、さっきからずっと私は言葉に詰まり続けてしまっている。私の返す言葉でフクちゃんの言葉に蓋をしてはいけない、とフクちゃんから続く言葉を待ってみたものの、やっぱり沈黙が怖くなって、私の視線はフクちゃんとアスファルトの地面を何度も行き交った。私のこわばった表情に気付いたフクちゃんは、予想だにしない角度から話を振った。
「今どんな気分?」
フクちゃんが私に尋ねた。どんな気分?どんな気分かって?そういえば、もう涙は引っ込んでいた。正直なところ、自転車置き場にいた時よりも随分と心が軽くなっている。フクちゃんに彼女ができたらしいと聞けば、すごくショックだった。でもフクちゃんは、断ったと言ったから、これまでと同様にフクちゃんとは仲良くしたいなと思うし、それを誰にも気兼ねしなくていいのなら、素直に嬉しい。こんな気持ちになるのは、相手がフクちゃんだからなのか、そうでないのかを改めて思い直したら、自分にもそしてフクちゃんにも問わずにいられなくなって、ムズ痒いこの気持ちを声に乗せる。
「あれ?私、フクちゃんのこと好きだったのかな。いや、そんな。え?そうなの?」
「、、、オレはそうだけど。」
「え!?え!?そう、って何?!オレは、って、、、???!」
誰が誰を好きだとか。そんな恋愛のあれこれについて、真剣に考えたことはなかった。あの人カッコいいな、なんていうのは客観的に思うことはあっても、自分が主体的にどうなりたい、なんて考えてはいない。フクちゃんを含め、周囲の親しい友達に彼氏や彼女がいる子はいなかったし、特定の人とお付き合いをするということに鈍感な環境にいたせいもある。
それにしても、フクちゃんが答えた「オレはそうだけど。」の意味を今一度読み解かねばならなくなった。フクちゃんは私のことをどう思ってくれていたのだろう。フクちゃんが私のことを特別な存在だと思ってくれていたのなら。そのことを肯定したら、込み上げる感情に私は自然と口元が綻ぶのを止められない。多分、それを答えにしてもいいんだと思う。フクちゃんにそう言われ、さらに自分でもさきほど「好き」という単語にして口にしたら、不思議なもので坂道を転がるように加速し、心が走り出した。
フクちゃんは、あまり感情を表に出さない我慢強い人だ。私のどうでもいい話にも、黙ってふんふんと頷きながら聞いてくれる。私の身勝手な振る舞いにだって、実はずっと黙って寄り添っていてくれたのかもしれない。私はフクちゃんを見上げ、フクちゃんはようやく私のことを見た。二人の視線が交わったのをきっかけにして、フクちゃんが転がり出していく私の気持ちに、ドアを開けて迎えてくれた。
「みんなのフクちゃんじゃなくて、名前のフクちゃんになってやってもいいけど。」
フクちゃんはプライドが高い。そしてこのプライドは、たまにおかしなタイミングでひょっこりと顔を出すのだ。
「ふ、ふふ。あははは。それ素敵。」
私は笑った。フクちゃんの、他人からの評価を求めるあまり、自分の価値を高める態度を崩すまいとする姿勢が、見事なまでに彼の不器用さを表していたからだ。
私が笑ったせいで、フクちゃんは不愉快そうな表情で固めたまま下唇を突き上げる。フクちゃんのプライドを傷付けたかもしれないが、そんなことはおかまいなしだ。何もこんなタイミングでフクちゃんのことが好きだと気付くなんて。しかもそれをフクちゃんに教えられるなんて。あまりにも鈍感な自分にも苦笑しながら、私はフクちゃんに想いを返した。
「これって、フクちゃんから告白されたってことにしていいんだよね?」
フクちゃんは、私に笑われたのが癇に障ったのか、返事をしてくれない。いや、お互いにぼんやりとしか気持ちを伝えないせいで、この後の道筋が分からなくなってしまったからだろう。フクちゃんは、私への返事の仕方に戸惑っているようだった。
「フクちゃん。」
だから私は、自分の鈍感さを押し付けるようにして、更にフクちゃんの名前を呼んだ。
「名前のフクちゃん、なんでしょ?ねっ?」
そう言ったらフクちゃんは、軽く目を泳がせてから、ようやく口を開いてくれた。
「、、、何。」
フクちゃん、と呼びかけたら、必ずこっちを向いてくれる。この絶対的な安心感は手離したくない。そんなことを今更ながら思ったのだ、私は。
「私が思う、フクちゃんの良いところ。今、言ってもいい?」
フクちゃんが首を縦にコクと小さく振る。
「フクちゃんはね、我慢強いと思うの。一年のとき、部活停止になったのに不貞腐れなかったじゃん。辞めなかったじゃん。あそこの境内でもさ、よく一人で練習してたよね。私、尊敬してたよ。誰のせいにもしないとこ。それにわけわかんない私のこともこうやって、文句も言わずに家まで送ってくれるし。めちゃくちゃ優しいよ。」
先程、フクちゃんに対して笑ってしまったことを挽回するかのように、私はフクちゃんを褒めて褒めて褒めまくる。言えば言うほど、それが自分の中で大きくなっていき、私の胸がきゅっと鳴った。それをフクちゃんにも伝えたくて、更に私は言葉を繋げる。
「フクちゃん、カッコいいよ。」
私がそう言って笑いかけると、フクちゃんは下を向く。こんなこと、私も言い慣れてないものだから、フクちゃんと同じく、私も下を向いて照れながら言った。
「えーっと、これって返事になるのかな?こんな返事でいいの?ははは、どう言っていいか分かんないや。こういうの初めてで。」
フクちゃんは、何も答えない代わりに、眉間に指を置いて、口を真一文字に結び目を瞑る。気になって下から覗き込んだら、震えているのがよく分かった。
「えっ、やだ!フクちゃん、泣いてる!?」
「、、、泣いてない。」
路線バスが真横を揺れながら通り過ぎた。遅れて排気ガスが混じる熱風がぶつかってきて、私は顔にかかってきた髪の毛を咄嗟に押さえて、顔を伏せた。そしてふと、辺りを見回して気付く。バスで帰るつもりなら乗る予定にしていたバス停すらも、とっくに通り過ぎていたことを。つまり大通りに出てから、私達は結構長いこと歩いてしまっていた。気になった私は、フクちゃんの自転車のサドルにポンポンと手を置いて尋ねた。
「そういえば、私、いつ後ろに乗ったらいい?」
「、、、流れ的に、言うタイミング逃してた。実は。」
私は笑った。フクちゃんは口元を押さえつつも、何も言わない。だから私もこれ以上は何も聞かないことにした。自宅までは自転車に跨がれば、あっという間の距離だったが、歩いて帰れば結構な距離になる。それでも私達は、この時間を一分一秒でも多く共有したくて、じっくりと、そしてゆっくりと歩調を合わせた。
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