アルタイルとベガをなぞる(越野)
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夕飯を済ませ、シャワーが終わると、消灯までは自由時間だ。セミナールームの大部屋の隅で自分の荷物を整理していた私に、同じ部の香澄ちゃんが後ろから抱きついてきた。
「名前!ホラ、行くよ!」
「えっ?行くって、、、?」
「もぉ!さっき言ったじゃん。バスケ部ときもだめしするよ、って!」
「ええっ!あれ、ホントだったの!?」
「ホントだってば!何だと思ってたの、名前!」
「ええぇー、だって、私、知ってる男子そんなにいな、、、」
言いかけて、香澄ちゃんに腕を掴まれる。
「良いから、行く!」
「えええええぇぇ。」
***
風が少し強くて、半袖で外に出てきてしまったことを後悔した。隣の香澄ちゃんも半袖なのだけど、きもだめしにテンション上がって、きっとそんなこと感じてはいない。私は両腕をさすりながら、他の子とケラケラ笑っている香澄ちゃんを羨ましく見つめた。
夏休みが始まってすぐ、バレー部の合宿に参加した。といっても、私は選手としてではなく、バレー部のマネージャーとして。しかも二年になってからの途中入部なので、部活歴も浅いし、バレーなんて体育の授業でやったことがあるかな?程度のもの。そんな私がバレー部に入部したのは、同じクラスでもある香澄ちゃんに誘われたからだ。仲の良い友達は、ほぼ何かしらの部活に入っていて、帰宅部の私はいつもホームルームを終えると、友達が部室に行くのを見送る。帰りはいつも一人だった。二年に進級した際に、何気なく「部活やっとけば良かった」とこぼしたら、その日のうちに香澄ちゃんに体育館に連れて行かれた。そう、今夜みたいに。
「みんな集まったー?」
声をかけてきたのは、男子バスケ部の、確か植草君。セミナールームの前に集まったのは、女バレと男バスの二年生。うちの部が、夏休みを使って学校で合宿をするように、他の部だって同じように合宿を行えば、こうやって日程が被るそうなのだ。植草君と仲が良い香澄ちゃんが、練習後の夜の自由時間を使ってきもだめしをすることを計画したらしい。ちなみに、私にこの話が回ってきたのは、今から一時間ほど前にシャワーを終えて、着替えている時だったから、私は多分、香澄ちゃんと仲良くしているだけで、人数集めにすぎない。実際、男子バスケ部の男の子とは喋ったこともないし、いつも体育館で顔を合わせているといっても、マネージャーの私は休憩時間も、部活の始まりも終わりも、みんなとは別のことをしているから、他の部の男の子と会話なんて生まれるはずがなかった。
「んじゃ、二人一組ね。はいはい、くじ引いてー。」
香澄ちゃんから詳細は聞かされていなくて、きもだめしを真面目にやるということを今知った。男の子と二人でこのどんよりした暗い学校の敷地内を歩いて帰ってくるという。てっきりみんなで散歩するような感じをイメージしていたので、私は焦る。焦って助けを求めるようにして、私は香澄ちゃんを見た。香澄ちゃんはさすが勘が良くって、私の不安げな視線を感じ取って声をかけてきた。
「名前、誰とだっけ?越野?大丈夫、大丈夫!意外とあいつ、喋りやすいよ。」
大丈夫じゃない。これっぽっちも。香澄ちゃんと違って、男の子と接することは慣れてないし、得意じゃなかった。同じクラスの男の子の中にも、喋ったことが無い人だっているのに、別のクラスの男の子となると、話題も少ない私は、会話がぎこちなくなるのは目に見えていて、憂鬱さがますます私のテンションを下げまくる。しかしここにきて、「私、きもだめしやらない」なんて言い出せるほどの我が道を行く強さも持ち合わせていない。
「自分のペア確認できた〜?四組、10分おきにスタートね。運動場回って、中庭抜けて、保健室あるよね?あそこの横通って、ここに戻ってくる感じで。」
結局、この場の流れに身を任せることしか出来なくて、植草君の説明を黙って聞いてしまうだけだった。
***
「あの、私のこと知ってますか、、、?」
「は?いや、バレー部の苗字さん、、、だろ?5組の。福田と同じクラスの。」
「あ、はい。そうです。」
最初の一組目は仙道君のペアで、その十分後に、植草君が私と越野君を送り出した。暗闇に一歩目を踏み出した時に、とりあえず越野君みたいな体育会系には挨拶だ、と自己紹介めいた会話からスタートさせた。ぎこちなさは取れないし、そもそもきもだめしなんて好きじゃないから怖いし、楽しめないし、隣の越野君との慣れない二人きりの時間をなんとか無難に終わらせたい。
「っていうか、そっちこそ。」
「え?」
越野君はボソっと呟くように言った。
「なんで敬語なんだよ。おかしいだろ。苗字さんこそ、オレのこと知らねーだろ。」
「し、知ってるよ、、、。」
違うクラスだけれど、越野君のことは二年になって、正確には私がバレー部に入ってから、一方的に認識していた。
練習中、コート外にこぼれるボールを取りに行くことがある。これが連続で続くと、他の部のエリアにお邪魔しなきゃならないから、またかよ、と嫌な顔をされることもあるし、多くは無視を貫かれるのだけれど、ボールに近寄り、拾ってくれる人というのがよその部に何人かは存在する。バスケ部では越野君がそうだった。越野君は常に険しい表情をしながらではあったけれど。他の人達は誰も転がるボールに見向きもしてくれないけれど、越野君は毎回ボールをすくい上げては、そばまで駆け寄った私に放り投げて返してくれた。だから、ああ、きっとこの人は良い人、と勝手に私が位置付けている中の一人だった。ゆえにバスケ部へボールが転がっていったら、そして越野君がそれに気付いてくれたら、他の部に対しては嫌味を浴びないために息を止めるようにして存在感を失くそうとする私も、ちょっとだけ息を吹き返すような気持ちになれたのだ。
こんな風に越野君は私の日常にたまに登場してくれていた。私は越野君が投げてくれたボールをキャッチして、小さな会釈で返す。そんなやりとりを越野君は、いちいち覚えていないだろし、越野君について、私がそんな印象を抱いてるなんて言っても気色悪いだけだろう。越野君との会話に余計な気をさまざま回した結果、私は押し黙って、早歩きの越野君について行くだけだった。
真っ暗な運動場を横切る。少し斜め前を越野君が歩いた。越野君は歩くのが早くて、私が体一つ分置いていかれると、小走りで越野君に追いつく、みたいなことをさっきから繰り返していた。
「今日、星、全然見えねーな。」
越野君が空を見上げて言った。私に話しかけているのかも読めなかった。独り言なのかもしれない。しかし越野君からそんなロマンチックな話題が出てくるなんて想像しておらず、意外性を感じて私は思わず聞いてしまう。
「えっ、越野君、星とか興味あるの?」
「別にねーよ。ただ言っただけ。」
越野君はぶっきらぼうに答えた。多分ホントに興味はないんだろう。では何故こんな話を?と疑問に思ったところで、越野君に気を遣わせていることに気付く。そうか、きもだめしを無難に終わらせたいのは私だけでなく、越野君もきっとそうなんだ。無難な会話をセレクトしようとすれば、おのずと天気の話になりがちだ。私も話を合わせようと、越野君と一緒に空を見上げた。暗くて何も見えないのは、厚い雲がかかっていたから。
「プ、プラネタリウムとか、おすすめだよ。夏は涼しいし。」
「苗字さん、行ったりすんの?」
「うん。今だったら夏の大三角形とか説明してくれる。」
「何それ。知らね。」
「天の川は分かる?」
「あー、七夕?」
「そうそう。そういうのもストーリー仕立てになってて上映されるの。映画館みたいに。科学館のプラネタリウムなら、夏休み期間は学習室開放日とかもあって、勉強してる人もいるみたい。」
「へー。」
最後まで越野君は私の話に興味はなさそうだったけれど、せっかく越野君が話題を振ってくれたのだからと、私は頑張って会話をする。そもそも会話って頑張るものなのかな、とも思ったけれど越野君と私の間に共通の話題なんてないものだから、捻り出すために必死に自分の中の会話の引き出しをひっくり返すしかない。
「ってか、一人で行くもん?そういうの。」
越野君が息継ぎのような会話で繋げた。
「友達と。、、、越野君も行ったらどうかな。バスケ部で。」
「なんで男だけでゾロゾロと。キモいだろ。そもそも行きたがる奴、あの面子にいなくね?」
「うーん。植草君とかは?きもだめしとか企画するタイプみたいだし、好奇心旺盛そうだよね?」
「あいつなー。それこそ彼女とかと行くんじゃね?」
「植草君、彼女いるんだ!?」
「あいつ長いよ。中学ん時の同級生とか言ってたし。」
「へぇぇ。」
植草君のあの女子に対する自然な対応は、きっと彼女がいるからなんだな、と妙に納得する。結局、話題は天気の話から、友達の話に移っていく。こういう時、テンポよく進む会話というのは、自分のことより他人のことなのだ。自分のことを話さなくても、無責任に話が進められるからだろう。
「仙道君も、彼女いるもんね?」
「えっ、うそっ。」
越野君が一瞬、虚を衝かれたように言葉を見失ってしまったから、私もそれに驚いてしまう。
「えっ!?知らないの?え、だって、、、ほら、今日も、きもだめし、二人で、、、。」
越野君の反応に戸惑ってしまい、途切れ途切れの言葉で伝えると、越野君は私のこのおぼつかないキーワードを拾って、答えを導く。
「、、、マジか。バレー部。」
「いや、バレー部だからってわけじゃないと思うけど。うん。」
仙道君の彼女は、私と同じバレー部の結衣ちゃんだ。後から今夜のきもだめしについて知らされた私と違って、付き合っている仙道君と結衣ちゃんはペアになることを、あの場にいた全員は事前に知らされているのかと思っていた。それなのに目の前にいる越野君はそもそも仙道君に彼女がいるという事実を知らないのだから、バスケ部って仲が良いのか悪いのかよく分からない。
「男の子ってそういう話しないの?」
「人によるだろ。」
ザッ、ザッと砂利を踏む音から、足音は草木と擦れ合う音に変わる。渡り廊下を抜けて、校舎に囲まれた中庭に入る。越野君の言い捨てるような口調にも徐々に慣れてきた。決して私に対して、否定的な印象を持っての口調なんかじゃないと分かったのは、私が何も答えなければ、越野君から会話を繋ぐようにして、話しかけてきてくれるからだ。
「けど、仙道。あのやろう。言えよっつーの。」
「付き合ってるの隠したりもしてないはずだけど。仙道君目立つから。よく結衣ちゃんに話しかけに行ってるの見かけない?」
「知らねーよ。そんなイチイチ仙道のこと気にしてねーし。オレが女子だったら絶対、仙道なんかと付き合いたくないけどな。自己中だし。絡み方ウザイし。」
「そんなことないよ。仙道君ね、凄く結衣ちゃんに優しいよ?休憩中とか、体育館の階段のとこにいたら、わざわざペットボトル買って渡しに来たりするの。」
「あいつ、部活中たまにフラっと居なくなるの、それか!」
越野君が合点がいったとばかりに、私の方を勢い良く振り向いて目を見開いた。越野君って、初見はぶっきらぼうに見えるけれど、喜怒哀楽が実は頼もしいくらい豊かだった。仙道君にウザいくらい絡まれているのは、越野君がそういう顔をするからだ。そんな越野君が面白くて、もっと見ていたくなって、私は続けた。
「私はホラ、ノート付けたりとか、ボール拾ったりとか、体育館の隅っこや外の水道のとこにいること多いから、仙道君に聞かれること多いの。」
「何を。」
「"結衣どこ?"って。あれがねー、私は良いなって思うの。キュンキュンする。」
「は?なんで?」
つい女友達と恋バナをするみたいなテンションになっちゃって、越野君に掛ける言葉もちょっと誤った勢いで返す。
「えー!分かってよ、越野君!探してるんだよ?彼女を!そういうの良くない?結衣ちゃんのことを、私の前でも呼び捨てで言うところとかもさ、そういうの恥ずかしげも無く聞けちゃうんだ、みたいな。仙道君、結衣ちゃんのこと大好きじゃん、みたいな!いいな、そういうの。ドキドキする。」
「、、、、えーと?待って。分かんね。つまり苗字さんは、仙道のこと好きなわけ?」
越野君とはこの手の話では、永遠に噛み合いそうもないということが良く分かって、呆れると同時に私の勢いは更に増した。
「ええー!つまり、じゃないよ!全然つまってない。なんでそうなるの。」
「全然つまってない、って何語だよ。なんだそれ。はははは!」
越野君は私の話を半分も理解していない。そして見当違いなところに光を当てて、その語呂の奇妙さに笑ってきた。
「いいな、気に入った。"全然つまってない。"はは!」
今、話したいことはそこじゃないのに、と越野君と会話が噛み合わないことに、ため息が一つ出る。が、私が越野君にようやく慣れてきて、安心すると同時にこれまでの緊張感から解放された、安堵のため息でもあった。
中央に丸くくり抜かれたようにして花壇があって、そこに沿うようにして歩き、保健室側の中庭の終わりに差し掛かる。きもだめしなんて気乗りもしなかったけれど、越野君との会話にずっと緊張を持っていかれていたためか、ここまではなんとか順調に歩いて来ることができた。ところが、越野君に対してようやく肩の力が抜けてきたと思った瞬間に、背後から、
「わっ!」
と脅かす掛け声と共に、トンと肩に何かが触れた。
「きゃあああー、、、っ!」
体の内側からゾワゾワするものが喉元まで競り上がってきた。息が詰まるほど驚いて、私は叫ぶ。暗闇でよく見えない上に、更に背後から襲われることほど恐怖以上のものはない。つんのめるようにして二歩、三歩と後ろにいる何かから距離を取る。逃げ進み、転びそうになって、しゃがみこんだ。
「うおっ!、、、って何だよ!仙道かよ!」
隣にいた越野君も、ビックリした様子でちょっと腰が引けていたけれど、懐中電灯を持っていたからか、すぐに背後の人物に気が付いて声を掛けた。私達が振り向いた先に立っていたのは、きもだめしの一組目で出発した仙道君のペアだった。
「あっはっは。越野、ビビった?お前、反応やっぱ良いな。」
お腹を押さえながら仙道君がケラケラと楽しそうに話しかけてきた。
「うるせーよ。お前ら、何やってんだ。バカか。」
越野君が仙道君達のペアに向けて呆れたように言い返したら、仙道君はもう脅かしたことも忘れて雑談を始めてきた。
「越野達、来るの早くね?」
「仙道が遅いんだろ。タラタラ歩いてんじゃねーよ。」
「越野って、きもだめしとか楽しめない奴だなあ。ねえ、苗字さん?」
仙道君は、まだしゃがんでうずくまっている私に遠慮なしに話を振ってくる。私は鳥肌が立ったまま、まだちょっと怖くて震えてる。私がこんな状態なのは、仙道君が私を脅かしたからなのに、その切り替えの早さが全然反省していないようで、ちょっと信じられない。私はしゃがんだ状態から仙道君を見上げて言い返す。心は少し涙目だ。
「やだ。もう仙道君、嫌い。ホントやだ。最低。」
「えっ、うっそ。オレ、嫌われた〜。」
そうは言うものの、大袈裟に傷付いたフリだけで、大して私の言葉を真に受けてないのが仙道君だ。隣にいた結衣ちゃんが私の代わりに謝ってくれたから、一応は私の気も鎮まる。仙道君の様子を見ていたら、しつこく怒る方が子供みたいに思えてくるんだもん。それもまた悔しいけど、実際、私だってそこまで怒りたいわけじゃない。
「もういいからお前ら、先行けって。」
越野君が、仙道君を追い払うかのように言ってくれたのが救いだった。仙道君は結衣ちゃんに引っ張られて去って行く。また私と越野君の二人だけの沈黙が訪れた。
「苗字さん、行ける?」
越野君がそう言うから、私は越野君を見上げて、情けない声を上げた。
「待って。腰抜けてるっていうか、、、。実はまだ足が震えてて。で、でも越野君、先に行かないでよ?」
「どーしろっつーんだよ。」
「めっちゃ怖かった、、、。はぁぁ。きもだめしの面白さが、全っ然分からない。」
私は座り込んだまま、両膝に額を擦り付けんばかりに顔を沈める。決してかわいこぶるとか、そんな意図はないんだ。私は鳥肌がおさまらない両腕を抱えながら、もしそんな風に越野君に思われていたら嫌だなあ、と頭の片隅で変な自尊心も抱え込んだ。
「んじゃ、手は?、、、引っ張ってやろうか?」
「手、、、?」
繋ぐ、とは言わないところに、越野君の私に対する遠慮とか、距離とか、気まずさみたいなものを感じ取った。仙道君と結衣ちゃんみたいに、付き合ってたりするわけじゃない。仲の良い友達というわけじゃない。ただ、たまたま呼び出されて、たまたまペアにされただけ。越野君だって、さっさとこのきもだめしを終わらせたいんじゃないかな。だから越野君を困らせてもいけないのだ。それなのに私ときたら、越野君の提案に、うん、と素直に応じられずに、分かりやすく躊躇した。異性と手を繋ぐなんてしたことないし、そういうスキンシップに慣れてない。たとえ私が越野君の差し伸べる手を掴んだとしてもだ。どれくらいの強さで握ったらいいの?手汗はどうやって拭ったらいいの?越野君はそういうことが言えるっていうことは、女の子と手を繋いだことがあるのかな。意識してしまう私は変なのかな。越野君にとってはこんなこと、大したことじゃないのかな。そもそも、越野君って彼女いないのかな。越野君は。越野君は。
「苗字さん。」
越野君に懐中電灯を当てられた。声をかけられるまで、私は地面を見つめて、越野君のことを考えていたことにさらにハッとした。
「えっ、あ、ごめん。どうしよう?」
「、、、どうしようって。いやそれ、オレのセリフ。」
「あ、そっ、そうなの?」
「そうなのって、、、。」
私の方こそ、越野君と話が噛み合わなくなってきた。頭が回らないのは、夜のせいか、怖いせいか、はたまた越野君のせいなのか。多分、越野君は気は短い方だと思う。私は震える足をさすった。これ以上、越野君は待ってくれないだろう。越野君のつま先はゴールの方を向いていて、私の方を向いてはいないからだ。暗がりの中で、しゃがみ込む私は越野君の足元ばかりを見つめた。
「、、、あのさ、これならいいだろ?」
そっけなく言い放たれたあと、私の目の前に垂らされたのは、越野君が首から下げていたスポーツタオルだった。私が、越野君の手を握るのを明らかに躊躇したのを、越野君も察知したのだと思う。越野君の二度目の提案に、私もようやく立ち上がる。
「、、、うん。」
「んじゃ、行こうぜ。」
越野君が差し出したタオルの端っこを私は掴んだ。越野君は私とは反対のタオルの端っこを握るようにして持っている。私達はタオルを命綱みたいにして、縦に並んで歩いた。何かに触れているだけで安心する。不思議と恐怖は和らいで、足が前に進んだ。越野君の優しさに触れているからかもしれない、とも思えた。そうしてようやく気付くのだが、越野君は相変わらずぶっきらぼうな物言いだったけれど、言葉には必ずクエスチョンマークが付いていて、私への注意というか、確認を怠らないでいてくれる。
「この辺、石多くね?ここ段差あるし。」
「うん、ちゃんと見えてる。」
先頭の越野君が懐中電灯を持ち、自分の少し前を照らす。当然その後ろを歩き、しかもフェイスタオル一枚分の距離を取っている私には、懐中電灯の光は届いていなかった。それでも越野君に迷惑をかけてはいけないと思い、足元はよく見えなくっても、越野君の歩いた後を用心深く辿った。
「嘘つけよ。」
越野君はそう言って、懐中電灯をくるりと回転させて、私の足元を照らしてくれた。私の「大丈夫」に対して、越野君は「大丈夫じゃないだろ。」と踏み込んできてくれる人だ。そしてさっきからずっとそうなのだ。それが分かったら、途端に胸が騒いだ。だってこんなに私に寄り添ってくれる男の子なんて、初めて出会ったんだもん。私はなるべく別のことを考えようとした。じゃないと、越野君を意識しすぎて、ますます喋れなくなりそうだったから。
「仙道君達、さっきさ、、、。」
「うん?」
タオルを握る手元ばかりを気にしていたら、無意識に仙道君達のことが思い起こされ、ふいに私は口にした。
「手、繋いでたよね、、、。」
「あー、ホントにあいつら付き合ってんのな。」
「うん。そうだね。」
この会話が何の意味も持つわけでも、持たせたいわけでもなかった。越野君は歩くのが早いから、リードのようなタオルに引っ張られて、私も同じ速度で歩く。だから私の会話のテンポもいつもよりちょっと先を急いでしまってたのかもしれない。
「なんかいいよね。私もああやって手を繋いでみたいなぁ、、、。」
言ってしまって、私と越野君は同じタイミングで目が合う。越野君が私に振り向いたから。そして私が越野君を意識したような思わせぶりな発言だったと気付いて越野君を見たから。
「あっ!えっと、ちがいます!」
「、、、何がだよ。」
越野君の言う通り、自分でも何を否定したかったのだろう。しかし先程、越野君が差し伸べようとした手を躊躇した手前、私の否定が越野君と手を繋ぎたくない、という意味に捉えられても困る。いや、おかしいな。なんで困るんだっけ?私は越野君へ上手く説明出来ずに、置き換えるような言い訳を咄嗟に口にする。
「私、冷え性だし、、、っ!」
「ブハっ、、、!」
越野君は笑いを堪えきれずにとうとう立ち止まってしまった。私達の会話は噛み合っていないのかもしれない。
「そんなん気にするか?!」
「、、、しなくていいのかな。」
「いいだろ。多分。」
越野君は前を向いて、また歩き出した。私と越野君はタオル一枚分の距離を保ったままだ。ごめんなさい、越野君。私、よく考えたら女の子同士であっても、そんなに喋るの上手じゃない方だ。なんて心の中で越野君に謝りながら、頭の上に広がる、真っ暗な空を見上げた。厚い雲がその背後にある月も星も隠してしまって、私の心までも覆って、残念な気持ちにさせる。
私達は保健室の横を通り過ぎようとしている。そろそろこのきもだめしのゴールも、越野君との会話の終わりも見えてきた。
「バレー部は、、、」
ふと越野君が言った。
「合宿いつ終わんの?」
「うちは二泊三日だから金曜日の昼で終わりだよ。バ、バスケ部、、、は?」
「土日も練習。なんかプリント渡されただろ?体育館使用割みたいなの。」
体育館を利用する部は学校が長期休みの際は、各部に充てがわれた時間帯で体育館を利用する。越野君が言ったのは、各部統一的に渡された体育館のスケジュール表のことを指していた。
「ああ、そっか。夏休み中も越野君がいるかどうかはそれを確認すればいいか。」
言ってしまって、私と越野君は同じタイミングで目が合う。越野君が私に振り向いて、目を見開いたかと思うと、訝しげな表情に変わったので、やっと自分の思わせぶりな発言に気付いてしまう。
「あっ!えっと、ちがいます!」
「、、、何がだよ。」
越野君が笑った。本当に楽しそうに肩を震わせて笑っていた。そんなに面白いことを言った覚えはないのに。でも越野君の機嫌が良いならそれはそれでいいのかな。そんなことをぼんやりと思うのだ。
遠くのセミナールームの灯りが私達に届き、もう懐中電灯は必要ないところまで来た。ゴールは目の前であることを知る。だから、私はもう越野君との会話を締め括ろうとした。深い意味は残しちゃいけない。そう自分の中で、強く言い訳をした。
「越野君と喋れたのが嬉しかったの。喋ったことなかったから。ほんとそれだけ。」
「大袈裟じゃね?苗字さんとは別にこれからも学校でも会うし、体育館でも会うだろ。」
「、、、話しかけてもいいのかな?」
私はゆっくりと顔を上げて、様子を窺うように問いかけたけれど、越野君は振り向かずに歩きながら返事をした。
「全然いいよ。何言ってんだよ。」
「でも、私、用事がない限り男の子と喋ったりしないし。やっぱり話しかけられないかも。」
越野君とはクラスも違うし、部活だって違う。選択教科だって違うから移動教室で一緒になることはない。きっと今日、こうやって越野君と話をした思い出は、それぞれが日常に戻ってしまうと、嘘みたいに無かったことになるんだろう。このタオルを手離したら、もう越野君との繋がりを失ってしまうように感じて、私は越野君のタオルをギュッと強く握った。
「オレ、多分フツーに声かけると思うけど。」
「へ!?」
越野君は振り向きざまに、おつかれさん、と言って私が握るタオルをスルリと回収した。セミナールームの玄関前では、先にゴールしていた仙道君達が待っていて、越野君はその輪にさっさと合流する。私はその場に立ち尽くし、越野君が言ったことを胸の内で反芻する。とりあえず、今夜は体育館のスケジュール表を確認しなきゃ眠れそうにない。来週以降、体育館でバスケ部と一緒になる日が結構あった気がする。大事なスケジュールだから、星マークでも付けることにしよう。そうだ、それがいい。そこには満天の星が浮かびますように、と私は祈った。
「名前!ホラ、行くよ!」
「えっ?行くって、、、?」
「もぉ!さっき言ったじゃん。バスケ部ときもだめしするよ、って!」
「ええっ!あれ、ホントだったの!?」
「ホントだってば!何だと思ってたの、名前!」
「ええぇー、だって、私、知ってる男子そんなにいな、、、」
言いかけて、香澄ちゃんに腕を掴まれる。
「良いから、行く!」
「えええええぇぇ。」
***
風が少し強くて、半袖で外に出てきてしまったことを後悔した。隣の香澄ちゃんも半袖なのだけど、きもだめしにテンション上がって、きっとそんなこと感じてはいない。私は両腕をさすりながら、他の子とケラケラ笑っている香澄ちゃんを羨ましく見つめた。
夏休みが始まってすぐ、バレー部の合宿に参加した。といっても、私は選手としてではなく、バレー部のマネージャーとして。しかも二年になってからの途中入部なので、部活歴も浅いし、バレーなんて体育の授業でやったことがあるかな?程度のもの。そんな私がバレー部に入部したのは、同じクラスでもある香澄ちゃんに誘われたからだ。仲の良い友達は、ほぼ何かしらの部活に入っていて、帰宅部の私はいつもホームルームを終えると、友達が部室に行くのを見送る。帰りはいつも一人だった。二年に進級した際に、何気なく「部活やっとけば良かった」とこぼしたら、その日のうちに香澄ちゃんに体育館に連れて行かれた。そう、今夜みたいに。
「みんな集まったー?」
声をかけてきたのは、男子バスケ部の、確か植草君。セミナールームの前に集まったのは、女バレと男バスの二年生。うちの部が、夏休みを使って学校で合宿をするように、他の部だって同じように合宿を行えば、こうやって日程が被るそうなのだ。植草君と仲が良い香澄ちゃんが、練習後の夜の自由時間を使ってきもだめしをすることを計画したらしい。ちなみに、私にこの話が回ってきたのは、今から一時間ほど前にシャワーを終えて、着替えている時だったから、私は多分、香澄ちゃんと仲良くしているだけで、人数集めにすぎない。実際、男子バスケ部の男の子とは喋ったこともないし、いつも体育館で顔を合わせているといっても、マネージャーの私は休憩時間も、部活の始まりも終わりも、みんなとは別のことをしているから、他の部の男の子と会話なんて生まれるはずがなかった。
「んじゃ、二人一組ね。はいはい、くじ引いてー。」
香澄ちゃんから詳細は聞かされていなくて、きもだめしを真面目にやるということを今知った。男の子と二人でこのどんよりした暗い学校の敷地内を歩いて帰ってくるという。てっきりみんなで散歩するような感じをイメージしていたので、私は焦る。焦って助けを求めるようにして、私は香澄ちゃんを見た。香澄ちゃんはさすが勘が良くって、私の不安げな視線を感じ取って声をかけてきた。
「名前、誰とだっけ?越野?大丈夫、大丈夫!意外とあいつ、喋りやすいよ。」
大丈夫じゃない。これっぽっちも。香澄ちゃんと違って、男の子と接することは慣れてないし、得意じゃなかった。同じクラスの男の子の中にも、喋ったことが無い人だっているのに、別のクラスの男の子となると、話題も少ない私は、会話がぎこちなくなるのは目に見えていて、憂鬱さがますます私のテンションを下げまくる。しかしここにきて、「私、きもだめしやらない」なんて言い出せるほどの我が道を行く強さも持ち合わせていない。
「自分のペア確認できた〜?四組、10分おきにスタートね。運動場回って、中庭抜けて、保健室あるよね?あそこの横通って、ここに戻ってくる感じで。」
結局、この場の流れに身を任せることしか出来なくて、植草君の説明を黙って聞いてしまうだけだった。
***
「あの、私のこと知ってますか、、、?」
「は?いや、バレー部の苗字さん、、、だろ?5組の。福田と同じクラスの。」
「あ、はい。そうです。」
最初の一組目は仙道君のペアで、その十分後に、植草君が私と越野君を送り出した。暗闇に一歩目を踏み出した時に、とりあえず越野君みたいな体育会系には挨拶だ、と自己紹介めいた会話からスタートさせた。ぎこちなさは取れないし、そもそもきもだめしなんて好きじゃないから怖いし、楽しめないし、隣の越野君との慣れない二人きりの時間をなんとか無難に終わらせたい。
「っていうか、そっちこそ。」
「え?」
越野君はボソっと呟くように言った。
「なんで敬語なんだよ。おかしいだろ。苗字さんこそ、オレのこと知らねーだろ。」
「し、知ってるよ、、、。」
違うクラスだけれど、越野君のことは二年になって、正確には私がバレー部に入ってから、一方的に認識していた。
練習中、コート外にこぼれるボールを取りに行くことがある。これが連続で続くと、他の部のエリアにお邪魔しなきゃならないから、またかよ、と嫌な顔をされることもあるし、多くは無視を貫かれるのだけれど、ボールに近寄り、拾ってくれる人というのがよその部に何人かは存在する。バスケ部では越野君がそうだった。越野君は常に険しい表情をしながらではあったけれど。他の人達は誰も転がるボールに見向きもしてくれないけれど、越野君は毎回ボールをすくい上げては、そばまで駆け寄った私に放り投げて返してくれた。だから、ああ、きっとこの人は良い人、と勝手に私が位置付けている中の一人だった。ゆえにバスケ部へボールが転がっていったら、そして越野君がそれに気付いてくれたら、他の部に対しては嫌味を浴びないために息を止めるようにして存在感を失くそうとする私も、ちょっとだけ息を吹き返すような気持ちになれたのだ。
こんな風に越野君は私の日常にたまに登場してくれていた。私は越野君が投げてくれたボールをキャッチして、小さな会釈で返す。そんなやりとりを越野君は、いちいち覚えていないだろし、越野君について、私がそんな印象を抱いてるなんて言っても気色悪いだけだろう。越野君との会話に余計な気をさまざま回した結果、私は押し黙って、早歩きの越野君について行くだけだった。
真っ暗な運動場を横切る。少し斜め前を越野君が歩いた。越野君は歩くのが早くて、私が体一つ分置いていかれると、小走りで越野君に追いつく、みたいなことをさっきから繰り返していた。
「今日、星、全然見えねーな。」
越野君が空を見上げて言った。私に話しかけているのかも読めなかった。独り言なのかもしれない。しかし越野君からそんなロマンチックな話題が出てくるなんて想像しておらず、意外性を感じて私は思わず聞いてしまう。
「えっ、越野君、星とか興味あるの?」
「別にねーよ。ただ言っただけ。」
越野君はぶっきらぼうに答えた。多分ホントに興味はないんだろう。では何故こんな話を?と疑問に思ったところで、越野君に気を遣わせていることに気付く。そうか、きもだめしを無難に終わらせたいのは私だけでなく、越野君もきっとそうなんだ。無難な会話をセレクトしようとすれば、おのずと天気の話になりがちだ。私も話を合わせようと、越野君と一緒に空を見上げた。暗くて何も見えないのは、厚い雲がかかっていたから。
「プ、プラネタリウムとか、おすすめだよ。夏は涼しいし。」
「苗字さん、行ったりすんの?」
「うん。今だったら夏の大三角形とか説明してくれる。」
「何それ。知らね。」
「天の川は分かる?」
「あー、七夕?」
「そうそう。そういうのもストーリー仕立てになってて上映されるの。映画館みたいに。科学館のプラネタリウムなら、夏休み期間は学習室開放日とかもあって、勉強してる人もいるみたい。」
「へー。」
最後まで越野君は私の話に興味はなさそうだったけれど、せっかく越野君が話題を振ってくれたのだからと、私は頑張って会話をする。そもそも会話って頑張るものなのかな、とも思ったけれど越野君と私の間に共通の話題なんてないものだから、捻り出すために必死に自分の中の会話の引き出しをひっくり返すしかない。
「ってか、一人で行くもん?そういうの。」
越野君が息継ぎのような会話で繋げた。
「友達と。、、、越野君も行ったらどうかな。バスケ部で。」
「なんで男だけでゾロゾロと。キモいだろ。そもそも行きたがる奴、あの面子にいなくね?」
「うーん。植草君とかは?きもだめしとか企画するタイプみたいだし、好奇心旺盛そうだよね?」
「あいつなー。それこそ彼女とかと行くんじゃね?」
「植草君、彼女いるんだ!?」
「あいつ長いよ。中学ん時の同級生とか言ってたし。」
「へぇぇ。」
植草君のあの女子に対する自然な対応は、きっと彼女がいるからなんだな、と妙に納得する。結局、話題は天気の話から、友達の話に移っていく。こういう時、テンポよく進む会話というのは、自分のことより他人のことなのだ。自分のことを話さなくても、無責任に話が進められるからだろう。
「仙道君も、彼女いるもんね?」
「えっ、うそっ。」
越野君が一瞬、虚を衝かれたように言葉を見失ってしまったから、私もそれに驚いてしまう。
「えっ!?知らないの?え、だって、、、ほら、今日も、きもだめし、二人で、、、。」
越野君の反応に戸惑ってしまい、途切れ途切れの言葉で伝えると、越野君は私のこのおぼつかないキーワードを拾って、答えを導く。
「、、、マジか。バレー部。」
「いや、バレー部だからってわけじゃないと思うけど。うん。」
仙道君の彼女は、私と同じバレー部の結衣ちゃんだ。後から今夜のきもだめしについて知らされた私と違って、付き合っている仙道君と結衣ちゃんはペアになることを、あの場にいた全員は事前に知らされているのかと思っていた。それなのに目の前にいる越野君はそもそも仙道君に彼女がいるという事実を知らないのだから、バスケ部って仲が良いのか悪いのかよく分からない。
「男の子ってそういう話しないの?」
「人によるだろ。」
ザッ、ザッと砂利を踏む音から、足音は草木と擦れ合う音に変わる。渡り廊下を抜けて、校舎に囲まれた中庭に入る。越野君の言い捨てるような口調にも徐々に慣れてきた。決して私に対して、否定的な印象を持っての口調なんかじゃないと分かったのは、私が何も答えなければ、越野君から会話を繋ぐようにして、話しかけてきてくれるからだ。
「けど、仙道。あのやろう。言えよっつーの。」
「付き合ってるの隠したりもしてないはずだけど。仙道君目立つから。よく結衣ちゃんに話しかけに行ってるの見かけない?」
「知らねーよ。そんなイチイチ仙道のこと気にしてねーし。オレが女子だったら絶対、仙道なんかと付き合いたくないけどな。自己中だし。絡み方ウザイし。」
「そんなことないよ。仙道君ね、凄く結衣ちゃんに優しいよ?休憩中とか、体育館の階段のとこにいたら、わざわざペットボトル買って渡しに来たりするの。」
「あいつ、部活中たまにフラっと居なくなるの、それか!」
越野君が合点がいったとばかりに、私の方を勢い良く振り向いて目を見開いた。越野君って、初見はぶっきらぼうに見えるけれど、喜怒哀楽が実は頼もしいくらい豊かだった。仙道君にウザいくらい絡まれているのは、越野君がそういう顔をするからだ。そんな越野君が面白くて、もっと見ていたくなって、私は続けた。
「私はホラ、ノート付けたりとか、ボール拾ったりとか、体育館の隅っこや外の水道のとこにいること多いから、仙道君に聞かれること多いの。」
「何を。」
「"結衣どこ?"って。あれがねー、私は良いなって思うの。キュンキュンする。」
「は?なんで?」
つい女友達と恋バナをするみたいなテンションになっちゃって、越野君に掛ける言葉もちょっと誤った勢いで返す。
「えー!分かってよ、越野君!探してるんだよ?彼女を!そういうの良くない?結衣ちゃんのことを、私の前でも呼び捨てで言うところとかもさ、そういうの恥ずかしげも無く聞けちゃうんだ、みたいな。仙道君、結衣ちゃんのこと大好きじゃん、みたいな!いいな、そういうの。ドキドキする。」
「、、、、えーと?待って。分かんね。つまり苗字さんは、仙道のこと好きなわけ?」
越野君とはこの手の話では、永遠に噛み合いそうもないということが良く分かって、呆れると同時に私の勢いは更に増した。
「ええー!つまり、じゃないよ!全然つまってない。なんでそうなるの。」
「全然つまってない、って何語だよ。なんだそれ。はははは!」
越野君は私の話を半分も理解していない。そして見当違いなところに光を当てて、その語呂の奇妙さに笑ってきた。
「いいな、気に入った。"全然つまってない。"はは!」
今、話したいことはそこじゃないのに、と越野君と会話が噛み合わないことに、ため息が一つ出る。が、私が越野君にようやく慣れてきて、安心すると同時にこれまでの緊張感から解放された、安堵のため息でもあった。
中央に丸くくり抜かれたようにして花壇があって、そこに沿うようにして歩き、保健室側の中庭の終わりに差し掛かる。きもだめしなんて気乗りもしなかったけれど、越野君との会話にずっと緊張を持っていかれていたためか、ここまではなんとか順調に歩いて来ることができた。ところが、越野君に対してようやく肩の力が抜けてきたと思った瞬間に、背後から、
「わっ!」
と脅かす掛け声と共に、トンと肩に何かが触れた。
「きゃあああー、、、っ!」
体の内側からゾワゾワするものが喉元まで競り上がってきた。息が詰まるほど驚いて、私は叫ぶ。暗闇でよく見えない上に、更に背後から襲われることほど恐怖以上のものはない。つんのめるようにして二歩、三歩と後ろにいる何かから距離を取る。逃げ進み、転びそうになって、しゃがみこんだ。
「うおっ!、、、って何だよ!仙道かよ!」
隣にいた越野君も、ビックリした様子でちょっと腰が引けていたけれど、懐中電灯を持っていたからか、すぐに背後の人物に気が付いて声を掛けた。私達が振り向いた先に立っていたのは、きもだめしの一組目で出発した仙道君のペアだった。
「あっはっは。越野、ビビった?お前、反応やっぱ良いな。」
お腹を押さえながら仙道君がケラケラと楽しそうに話しかけてきた。
「うるせーよ。お前ら、何やってんだ。バカか。」
越野君が仙道君達のペアに向けて呆れたように言い返したら、仙道君はもう脅かしたことも忘れて雑談を始めてきた。
「越野達、来るの早くね?」
「仙道が遅いんだろ。タラタラ歩いてんじゃねーよ。」
「越野って、きもだめしとか楽しめない奴だなあ。ねえ、苗字さん?」
仙道君は、まだしゃがんでうずくまっている私に遠慮なしに話を振ってくる。私は鳥肌が立ったまま、まだちょっと怖くて震えてる。私がこんな状態なのは、仙道君が私を脅かしたからなのに、その切り替えの早さが全然反省していないようで、ちょっと信じられない。私はしゃがんだ状態から仙道君を見上げて言い返す。心は少し涙目だ。
「やだ。もう仙道君、嫌い。ホントやだ。最低。」
「えっ、うっそ。オレ、嫌われた〜。」
そうは言うものの、大袈裟に傷付いたフリだけで、大して私の言葉を真に受けてないのが仙道君だ。隣にいた結衣ちゃんが私の代わりに謝ってくれたから、一応は私の気も鎮まる。仙道君の様子を見ていたら、しつこく怒る方が子供みたいに思えてくるんだもん。それもまた悔しいけど、実際、私だってそこまで怒りたいわけじゃない。
「もういいからお前ら、先行けって。」
越野君が、仙道君を追い払うかのように言ってくれたのが救いだった。仙道君は結衣ちゃんに引っ張られて去って行く。また私と越野君の二人だけの沈黙が訪れた。
「苗字さん、行ける?」
越野君がそう言うから、私は越野君を見上げて、情けない声を上げた。
「待って。腰抜けてるっていうか、、、。実はまだ足が震えてて。で、でも越野君、先に行かないでよ?」
「どーしろっつーんだよ。」
「めっちゃ怖かった、、、。はぁぁ。きもだめしの面白さが、全っ然分からない。」
私は座り込んだまま、両膝に額を擦り付けんばかりに顔を沈める。決してかわいこぶるとか、そんな意図はないんだ。私は鳥肌がおさまらない両腕を抱えながら、もしそんな風に越野君に思われていたら嫌だなあ、と頭の片隅で変な自尊心も抱え込んだ。
「んじゃ、手は?、、、引っ張ってやろうか?」
「手、、、?」
繋ぐ、とは言わないところに、越野君の私に対する遠慮とか、距離とか、気まずさみたいなものを感じ取った。仙道君と結衣ちゃんみたいに、付き合ってたりするわけじゃない。仲の良い友達というわけじゃない。ただ、たまたま呼び出されて、たまたまペアにされただけ。越野君だって、さっさとこのきもだめしを終わらせたいんじゃないかな。だから越野君を困らせてもいけないのだ。それなのに私ときたら、越野君の提案に、うん、と素直に応じられずに、分かりやすく躊躇した。異性と手を繋ぐなんてしたことないし、そういうスキンシップに慣れてない。たとえ私が越野君の差し伸べる手を掴んだとしてもだ。どれくらいの強さで握ったらいいの?手汗はどうやって拭ったらいいの?越野君はそういうことが言えるっていうことは、女の子と手を繋いだことがあるのかな。意識してしまう私は変なのかな。越野君にとってはこんなこと、大したことじゃないのかな。そもそも、越野君って彼女いないのかな。越野君は。越野君は。
「苗字さん。」
越野君に懐中電灯を当てられた。声をかけられるまで、私は地面を見つめて、越野君のことを考えていたことにさらにハッとした。
「えっ、あ、ごめん。どうしよう?」
「、、、どうしようって。いやそれ、オレのセリフ。」
「あ、そっ、そうなの?」
「そうなのって、、、。」
私の方こそ、越野君と話が噛み合わなくなってきた。頭が回らないのは、夜のせいか、怖いせいか、はたまた越野君のせいなのか。多分、越野君は気は短い方だと思う。私は震える足をさすった。これ以上、越野君は待ってくれないだろう。越野君のつま先はゴールの方を向いていて、私の方を向いてはいないからだ。暗がりの中で、しゃがみ込む私は越野君の足元ばかりを見つめた。
「、、、あのさ、これならいいだろ?」
そっけなく言い放たれたあと、私の目の前に垂らされたのは、越野君が首から下げていたスポーツタオルだった。私が、越野君の手を握るのを明らかに躊躇したのを、越野君も察知したのだと思う。越野君の二度目の提案に、私もようやく立ち上がる。
「、、、うん。」
「んじゃ、行こうぜ。」
越野君が差し出したタオルの端っこを私は掴んだ。越野君は私とは反対のタオルの端っこを握るようにして持っている。私達はタオルを命綱みたいにして、縦に並んで歩いた。何かに触れているだけで安心する。不思議と恐怖は和らいで、足が前に進んだ。越野君の優しさに触れているからかもしれない、とも思えた。そうしてようやく気付くのだが、越野君は相変わらずぶっきらぼうな物言いだったけれど、言葉には必ずクエスチョンマークが付いていて、私への注意というか、確認を怠らないでいてくれる。
「この辺、石多くね?ここ段差あるし。」
「うん、ちゃんと見えてる。」
先頭の越野君が懐中電灯を持ち、自分の少し前を照らす。当然その後ろを歩き、しかもフェイスタオル一枚分の距離を取っている私には、懐中電灯の光は届いていなかった。それでも越野君に迷惑をかけてはいけないと思い、足元はよく見えなくっても、越野君の歩いた後を用心深く辿った。
「嘘つけよ。」
越野君はそう言って、懐中電灯をくるりと回転させて、私の足元を照らしてくれた。私の「大丈夫」に対して、越野君は「大丈夫じゃないだろ。」と踏み込んできてくれる人だ。そしてさっきからずっとそうなのだ。それが分かったら、途端に胸が騒いだ。だってこんなに私に寄り添ってくれる男の子なんて、初めて出会ったんだもん。私はなるべく別のことを考えようとした。じゃないと、越野君を意識しすぎて、ますます喋れなくなりそうだったから。
「仙道君達、さっきさ、、、。」
「うん?」
タオルを握る手元ばかりを気にしていたら、無意識に仙道君達のことが思い起こされ、ふいに私は口にした。
「手、繋いでたよね、、、。」
「あー、ホントにあいつら付き合ってんのな。」
「うん。そうだね。」
この会話が何の意味も持つわけでも、持たせたいわけでもなかった。越野君は歩くのが早いから、リードのようなタオルに引っ張られて、私も同じ速度で歩く。だから私の会話のテンポもいつもよりちょっと先を急いでしまってたのかもしれない。
「なんかいいよね。私もああやって手を繋いでみたいなぁ、、、。」
言ってしまって、私と越野君は同じタイミングで目が合う。越野君が私に振り向いたから。そして私が越野君を意識したような思わせぶりな発言だったと気付いて越野君を見たから。
「あっ!えっと、ちがいます!」
「、、、何がだよ。」
越野君の言う通り、自分でも何を否定したかったのだろう。しかし先程、越野君が差し伸べようとした手を躊躇した手前、私の否定が越野君と手を繋ぎたくない、という意味に捉えられても困る。いや、おかしいな。なんで困るんだっけ?私は越野君へ上手く説明出来ずに、置き換えるような言い訳を咄嗟に口にする。
「私、冷え性だし、、、っ!」
「ブハっ、、、!」
越野君は笑いを堪えきれずにとうとう立ち止まってしまった。私達の会話は噛み合っていないのかもしれない。
「そんなん気にするか?!」
「、、、しなくていいのかな。」
「いいだろ。多分。」
越野君は前を向いて、また歩き出した。私と越野君はタオル一枚分の距離を保ったままだ。ごめんなさい、越野君。私、よく考えたら女の子同士であっても、そんなに喋るの上手じゃない方だ。なんて心の中で越野君に謝りながら、頭の上に広がる、真っ暗な空を見上げた。厚い雲がその背後にある月も星も隠してしまって、私の心までも覆って、残念な気持ちにさせる。
私達は保健室の横を通り過ぎようとしている。そろそろこのきもだめしのゴールも、越野君との会話の終わりも見えてきた。
「バレー部は、、、」
ふと越野君が言った。
「合宿いつ終わんの?」
「うちは二泊三日だから金曜日の昼で終わりだよ。バ、バスケ部、、、は?」
「土日も練習。なんかプリント渡されただろ?体育館使用割みたいなの。」
体育館を利用する部は学校が長期休みの際は、各部に充てがわれた時間帯で体育館を利用する。越野君が言ったのは、各部統一的に渡された体育館のスケジュール表のことを指していた。
「ああ、そっか。夏休み中も越野君がいるかどうかはそれを確認すればいいか。」
言ってしまって、私と越野君は同じタイミングで目が合う。越野君が私に振り向いて、目を見開いたかと思うと、訝しげな表情に変わったので、やっと自分の思わせぶりな発言に気付いてしまう。
「あっ!えっと、ちがいます!」
「、、、何がだよ。」
越野君が笑った。本当に楽しそうに肩を震わせて笑っていた。そんなに面白いことを言った覚えはないのに。でも越野君の機嫌が良いならそれはそれでいいのかな。そんなことをぼんやりと思うのだ。
遠くのセミナールームの灯りが私達に届き、もう懐中電灯は必要ないところまで来た。ゴールは目の前であることを知る。だから、私はもう越野君との会話を締め括ろうとした。深い意味は残しちゃいけない。そう自分の中で、強く言い訳をした。
「越野君と喋れたのが嬉しかったの。喋ったことなかったから。ほんとそれだけ。」
「大袈裟じゃね?苗字さんとは別にこれからも学校でも会うし、体育館でも会うだろ。」
「、、、話しかけてもいいのかな?」
私はゆっくりと顔を上げて、様子を窺うように問いかけたけれど、越野君は振り向かずに歩きながら返事をした。
「全然いいよ。何言ってんだよ。」
「でも、私、用事がない限り男の子と喋ったりしないし。やっぱり話しかけられないかも。」
越野君とはクラスも違うし、部活だって違う。選択教科だって違うから移動教室で一緒になることはない。きっと今日、こうやって越野君と話をした思い出は、それぞれが日常に戻ってしまうと、嘘みたいに無かったことになるんだろう。このタオルを手離したら、もう越野君との繋がりを失ってしまうように感じて、私は越野君のタオルをギュッと強く握った。
「オレ、多分フツーに声かけると思うけど。」
「へ!?」
越野君は振り向きざまに、おつかれさん、と言って私が握るタオルをスルリと回収した。セミナールームの玄関前では、先にゴールしていた仙道君達が待っていて、越野君はその輪にさっさと合流する。私はその場に立ち尽くし、越野君が言ったことを胸の内で反芻する。とりあえず、今夜は体育館のスケジュール表を確認しなきゃ眠れそうにない。来週以降、体育館でバスケ部と一緒になる日が結構あった気がする。大事なスケジュールだから、星マークでも付けることにしよう。そうだ、それがいい。そこには満天の星が浮かびますように、と私は祈った。
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