うたかたに吠ゆる(牧)
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牧君に彼女がいるらしい。
そんな話を耳にしたのは、体育の授業のために運動場へ向かうべく、外履きのシューズを手に取ったときだった。
「隣のクラスの牧君。なんか彼女と歩いてたって。」
「牧君ってあの、バスケ部の?黒い?」
「黒い!そう、黒い人。ははは!」
二組合同で行う体育。噂話は下駄箱の向こう側から聞こえてきた。よそのクラスの女子達も私と同じく運動場へ向かっていた。彼女達の会話は止まらない。
「牧君ってずっと片思いしてたらしいよ。猛アタックしてたとか。」
「うっそー!いいね、そういうの。牧君カッコいいじゃん。」
「で、彼女って?うちの学校の子?」
「さあ?」
「誰に聞いたのよ、その話。」
***
「、、、と、サッカー部の山内君が言ってたんだって。」
「あ、そう。」
今日の出来事について私は隣に立つ彼に報告した。時刻は21時。制服は脱いで、パーカーにジーンズを履いたラフな格好でコンビニのコピー機に並ぶ。自宅では一貫してジャージで過ごす私も、流石に待ち合わせの時間になったら着替えて出てきた。一方、隣の彼は制服姿で、担いでいた大きなリュックの外側のポケットから財布を取り出し、そして私に聞いた。
「ほかには?」
「牧君は彼女になかなか振り向いてもらえなくって、ずっと猛アタックしてたんだって。」
私の話を聞いてるのか、聞いていないのか、相槌を打つ代わりに、彼はチャリチャリと小銭を投入して、慣れた手付きでコピー機のタッチパネルを操る。そんな態度がつまらなくなって、気を引きたい一心で、私はいじけたふりをする。
「浮気だ、浮気。牧君のバーカ。」
隣の彼、牧紳一君を見上げて言った。私の気の引き方にも、彼はもう慣れたものだ。決して真に受けないし、私に呆れたため息も見せないのだ。牧君は何ら変わらぬ平然とした顔で、用紙が排出されるのを合図に、コピー機のカバーを開けてはノートのページを入れ替える。そんな作業を繰り返しながら、合間に返答する。邪険にされないだけマシだろうか。どうみても私との会話の方がついでみたい。牧君は、繰り返しコピー機のカバーを開けながら言った。
「オレ、浮気したことないぞ。」
分かってるよ、そんなこと。
***
「ノート、サンキュ。英語はまあなんとかなるけど、数学はノート取ってないと厳しいよな。」
二人でコンビニを出た。私は牧君から返してもらった自分の数学のノートをバッグに仕舞いながら話した。
「今週も土日は部活?」
「ああ。」
自分で聞いたけれど、ふうん、と曖昧な相槌で返す。特に知りたい情報でもないし、尋ねたところで変化球が返ってきた試しはない。牧君との会話には必ずバスケがくっついてくるのが常だった。
「そうだ。これ、お土産。」
牧君が手のひらに収まるサイズの袋を私に見せてきた。恒例のやつだ。牧君の律儀さに笑いが自然と出た。
「ははは。ありがとう。今回はどこに行ってきたの?」
「長野。サービスエリアで買ったやつだけど。」
牧君は高校入学時から有名人だった。高校の大会は勿論のこと、今やU18の強化合宿にも招集されたりするもんだから、牧君が学校に来ていないなんてこともザラだ。牧君の活躍はもはや県内におさまらず、やれ遠征だ試合だと、あちこちを飛び回っている。
牧君は試合で公休を取っている間、不在だ。隣の席だった私は、ロッカーとの往復が億劫で、不在中の牧君の机によく辞書だったりノートだったりと私物を置かせてもらっていた。友達とお弁当を食べる際も、牧君の机を無断で借りる。こればかりは牧君が学校に来ている時にも利用させてもらっていたため、許可を取ろうとしたこともあったが、
「昼休みは体育館にいるし、気にしなくていいよ。」
なんて軽い返事が返ってきていたので、図々しい私は本当に気にしなかった。でもある時、私はこれまでのお礼にと、なんとなく、本当になんとなくで、牧君が出席出来なかった分の授業のノートのコピーをまとめて渡してあげたのだが、牧君はいたく感激してくれたみたいだった。
「、、、ノートのコピー?苗字さんが?いいのか?」
「うん。あっ、誰かからもう貰ってた?要らない?」
「いや、要るよ。すごく助かる。そうだ、コピー代を、、、。」
「いいよ、牧君にはいつもお世話になっているから。」
主に牧君の机に、だけど。なんて茶目っ気たっぷりにふざけてみても、牧君は愛想笑いすらしない。私の目を見て、真面目に聞いた。
「コピー代、結構するじゃないか。何かお礼するよ。」
「お礼〜?このノートのコピー自体がお礼なんだけど。」
「いや、それに対しての、だよ。」
「何それ〜!あはは。」
そもそも私が牧君へ何かしてあげたいなと勝手に思い付いてノートをコピーしたに過ぎないのに。お礼にお礼で返そうとするなんて、それじゃあいつまで経ってもこのやりとりは終わりそうにない。牧君ったら本当に律儀な人だから、私は可笑しくなって、牧君の気が済むならと、これまた軽いお願いをした。
「それじゃあ、牧君。バスケの遠征とかで県外出たりしてんじゃん?今度、ご当地ストラップ買ってきてよ。ほら、私、このキャラ、昔から好きでさ。結構いろんなところで売ってるから、すぐ見つかると思う。」
ペンケースから自分のシャープペンシルを差し出した。子供っぽいと未だに友達に笑われているけれど、好きなキャラクターのマークがついたシャープペンシル。実は中学生の頃から使っているお気に入り。
「ああ。これな。分かった。」
「うんうん。よろしく!」
そうして間もなくすると、牧君はご当地キャラの根付けストラップを約束通りに私に買ってきてくれた。まさか本気にしてくれていたなんて。牧君の生真面目さと優しさが、私に向けられたことに嬉しくなって、単純な私は彼の目の前で飛び跳ねるようにはしゃいだ。すぐさまその場でペンケースのファスナーに取り付ける。それを隣の席から牧君は、ホントに好きなんだな、と感心したように眺めていた。どうやらそれが牧君のツボにハマってくれたらしい。牧君は県外に出る度に、私に今度はお土産と称して、ご当地キャラの根付けストラップを毎回買ってくるようになった。最初の頃は私も単純に喜んだ。だってご当地の食べ物だったり、建物だったりの特徴を模していて、その土地でしか買えないという限定仕様がプラスされたキャラクターだ。それが何にもしなくても手に入るわけで。しかしながら私の反応を見て嬉しそうにする牧君を横目に、一個、二個、三個、とご当地キャラが増えていく度に、今度は段々と申し訳なさが生まれてきてしまった。私は言った。
「あのぅ、、、牧君。いつもいつも嬉しいんだけどさ、毎回買ってきてくれるのすごい忍びないんだけど。」
何度目かの牧君からのお土産を手渡された時は、もう席替えもして、牧君の隣の席ではなかったし、その距離を乗り越えて毎日会話するほど牧君と親しくなれていたわけではない。牧君のことを気にし始めていたからこそ、買ってきてもらう義理も無いのだからと、私は牧君との公休明けの会話以外に、どのようにして牧君に近付いたら良いのか不安になった。好きになると、途端にこれまで普通に出来ていた会話の正解が分からなくなる。だから、このルーチンのような牧君との物と会話の取り交わしを、当時の私は持て余し気味で、気まずい思いが増していたのだと思う。私のやんわりとした拒絶の提案に牧君はこう答えた。
「オレもだんだん買う度に、可愛いと思うようになってきたよ。」
「、、、あ、そうなの?ははは!愛着湧いてきた?」
牧君がこのキャラクターを可愛いと思うなんて。確かバスケットボールを抱えた部活バージョンのキーホルダーがあったはずだから、今度牧君に買ってきてあげようかな、なんて頭の中で楽しくなった。ところがそんな私に牧君の予想だにしない甘い言葉が脅かす。
「いつも選ぶ時、苗字さんのこと考えているからだろうな。」
これを告白と捉えることができようか、いやできない。けれども、こんなことを冗談で言えるような牧君ではないはずだ。私はこの時、どうリアクションを取ればいいのか混乱して、聞き流した。そして脈絡もなく先程の話の流れに戻そうと躍起になる。
「や、だから、えーっと、牧君。もう買ってこなくていいって。悪いよ。」
「だったら、オレに買ってくる理由をくれないか?」
「え?どういう、、、、。」
「好きなんだよ、苗字さんのこと。」
牧君は私から目を逸らさなかった。牧君から毎回お土産だと称して渡されていたものは、私への好意だったと、ようやく知らされる。牧君から手渡された、ご当地キャラクターの根付けストラップを私はギュッと握りしめる。こうして私は牧君と付き合うようになった。
***
恋の余白を楽しもう。何かの雑誌で目にした言葉だ。好きな人と離れている時も、相手のことを思う。十分に反芻しては、好きを溶かして、自覚して、ずっと味わいたい。だがしかし、牧君とのお付き合いは余白だらけ。真っ白な私達の関係は、どこから隙間を埋めていけばいいのやら途方に暮れそうになる。
牧君とはとにかく二人きりで会える時間がなかった。彼氏とはいっても、休んでいた分の授業のノートをコピーするため、コンビニで待ち合わせをこうして行うくらいだ。学校では同じクラスだし、顔を合わせることはできたから、滅多に会えないという彼ではない。だけど、だけど、付き合うってそれだけじゃないはずだと、私の心はしかめ始める。
牧君に彼女がいるらしい、と噂が広がっても、それを私だとは誰も気付けない程、私と牧君は周りから見ても、付き合っているような素振りがないのだろう。私は大変つまらない気持ちになると同時に、それを皮肉にして牧君にぶつけた。
「その彼女は、スタイルが良くて、頭も良くて、美人なんだって。体育の時間に隣のクラスの子が言ってた。」
「それは今、話を作っただろ。」
「バレたか。」
コンビニを出ると、毎回こうやって砂を噛むような話も笑いに変えて、牧君は私を家の前まで送ってくれる。コンビニと自宅までが私と牧君のちょっとしたデートコース。
「でも、オレ、明るくていつも笑顔なところが可愛いって、山内に伝えたぞ?」
「、、、それ、山内君どんな顔して聞いてた?」
「つまらなそうに黙ってたな。」
牧君のことだから、なんの衒いもなくただの日常会話のテンションで受け答えしたのだろうと、想像に容易い。そんなストレートな惚気を聞いて、山内君だって、茶化すことも貶すことも出来ずに、呆れるようにして受け止めるのに精一杯だったのかもしれない。なぜなら、今、牧君のこの言葉を受けて、私も山内君同様に、何と返答して良いか分からなくなってしまったから。そして捻り出した言葉は、思い込みの激しい独り言。
「誰も私が牧君の彼女だって気付いてくれない。」
「あ。言った方がいいか?」
「いいよ、そんな宣伝みたいにしなくても。もっとこう、自然に気付かれたいの。あの二人、実は付き合ってるんだよ〜!お似合い〜!とか言われてみたい。」
「そうか。」
私のくすぶっていた本音を炙り出してみたら、少し鼻で笑われたけど、牧君は同意してくれるように私の手を握った。牧君の手はあったかくて、安心する。もっともっと一緒にいたいし、くっつきたい。そう考えているのは私一人じゃないんだと思わせてくれるような心地がする。私は牧君の手を両手で握り返した。それなのに牧君は私の気持ちをかわすかのように、するりと私の手から離れて、自分のリュックに手を伸ばす。
「そうだ、まだお土産あったんだった。」
「え!?もう十分貰ってるって。」
「ああ、いや、これは、名前の親に。」
そうして差し出されたのは、信州などと分かりやすく書かれている長方形のお菓子の箱だった。
「こんな夜遅くに、名前を外に連れ出すみたいなことしてるからな。せめて。」
「牧君、、、。気遣い〜!大人〜!社会人〜!」
体が大きいと、心も広いのだろうか。私だったらそんなことまで気が回りそうもない。私は牧君から渡されたお土産を受け取りながら言う。
「はは、親に渡しとくね。彼氏が気にしてたって付け加えて。」
「、、、怒られたりしてないか?」
「大丈夫だよ。私、結構信用あるもの。それに、牧君が家の前まで送ってくれるし。それは親もちゃんと知ってる。」
「だったらいいけど。」
コンビニから私の家までは大した距離はない。この間に、牧君の部活のスケジュールは聞けても、二人だけのスケジュールを組み立てるまではいかない。どこかへ遊びに行きたいね、と話は出来ても、実際にデートの約束なんて出来たためしがなかった。
先程牧君が私に買ってきてくれた、根付けのストラップが、手元でチャリンと揺れた。しみじみと眺めたら、軽井沢の結婚式を真似してキャラクターがドレス姿をしており、とっても可愛い。遠征先は市内だと言ってたし、軽井沢なんて全く関係ない。多分、陳列棚に長野くくりで売っていた中から選んだだけじゃないかな。牧君のズレたセンスはこういう所に出る。付き合いたての彼女に、結婚式仕立てのキャラクターを渡してくるなんて。どんな心の装いでもって牧君はこれを買ってきたのだろう。おそらく何も考えていないんだろうな。憂いが転じてもはや笑うしかなかった。
こうして牧君は毎度私にお土産を買ってきてくれる丁寧さを見せてくれるも、それは付き合う前と何ら変わり映えがしない。せっかく彼女になったのに、今一つ進展しない私達。だけどわがままな彼女とは思われたくない。なるべく牧君の都合に合わせて付き合おうとすると、もしかしたらずっとこんな感じなのかもしれない。好きと想いを交わし合うなら、もう少し関係を深めたいのだけれど、私は。ねえ、牧君?
自分の中で、ぬか喜びと待ちぼうけの思いを交互にくぐらせていたら、牧君との会話は止まってしまっていて、あの角を曲がれば、もう自分の家に着くところまで来てしまっていた。沈黙ののちに牧君が思い出したように私に話しかける。
「もうすぐテスト期間だな。」
「え?あ、うん。今回範囲広いと思うよ。中間の時から結構進んでるもん。」
「はぁ。だるいな。」
「ふふ、牧君もそういうこと言うんだ?」
「言うよ。何だと思ってんだよ、オレのこと。」
「牧君って、きっちり計画的にこなしてそうなイメージあるんだもん。授業中も寝ないし。」
「その分、家で寝てるんだって。一人だとどうも気が緩むし、勉強以外のこと始めてしまわないか?」
「分かるー。みんなどうやってテスト勉強乗り切ってるんだろうね?」
私が尋ねるようにして牧君を見上げたら、牧君は私の顔を見て何かを閃いたようだった。
「一緒にやるか?テスト勉強。部活無いし。」
「う、うん、、、!」
突然の提案にびっくりしたが、慌てて頷く。牧君と二人っきりで何かをするということが未知の領域すぎて、心臓がドクンと跳ねる。
「あー、でもどこでやる?ファミレスとかでもいいけど長居出来ないよな?」
牧君が具体的に予定を立て始める。私も出来れば誰にも邪魔されないで、それでもっていつもよりも長い時間を牧君と過ごせるような都合の良い場所を頭の中でいくつか見繕ってみたけれど、どれも現状から最適だと思えるところは見つからない。まずい、もうすぐ家に着いちゃう。何も答えないままだと、牧君からのせっかくの提案も有耶無耶になってしまいそうな気がして私はいよいよ焦る。ブロック塀の曲がり角を曲がると、自分の家が目に入った。
「あの、、、私の家でもいいよ!?」
頭よりも先に口が動いた。
そんな話を耳にしたのは、体育の授業のために運動場へ向かうべく、外履きのシューズを手に取ったときだった。
「隣のクラスの牧君。なんか彼女と歩いてたって。」
「牧君ってあの、バスケ部の?黒い?」
「黒い!そう、黒い人。ははは!」
二組合同で行う体育。噂話は下駄箱の向こう側から聞こえてきた。よそのクラスの女子達も私と同じく運動場へ向かっていた。彼女達の会話は止まらない。
「牧君ってずっと片思いしてたらしいよ。猛アタックしてたとか。」
「うっそー!いいね、そういうの。牧君カッコいいじゃん。」
「で、彼女って?うちの学校の子?」
「さあ?」
「誰に聞いたのよ、その話。」
***
「、、、と、サッカー部の山内君が言ってたんだって。」
「あ、そう。」
今日の出来事について私は隣に立つ彼に報告した。時刻は21時。制服は脱いで、パーカーにジーンズを履いたラフな格好でコンビニのコピー機に並ぶ。自宅では一貫してジャージで過ごす私も、流石に待ち合わせの時間になったら着替えて出てきた。一方、隣の彼は制服姿で、担いでいた大きなリュックの外側のポケットから財布を取り出し、そして私に聞いた。
「ほかには?」
「牧君は彼女になかなか振り向いてもらえなくって、ずっと猛アタックしてたんだって。」
私の話を聞いてるのか、聞いていないのか、相槌を打つ代わりに、彼はチャリチャリと小銭を投入して、慣れた手付きでコピー機のタッチパネルを操る。そんな態度がつまらなくなって、気を引きたい一心で、私はいじけたふりをする。
「浮気だ、浮気。牧君のバーカ。」
隣の彼、牧紳一君を見上げて言った。私の気の引き方にも、彼はもう慣れたものだ。決して真に受けないし、私に呆れたため息も見せないのだ。牧君は何ら変わらぬ平然とした顔で、用紙が排出されるのを合図に、コピー機のカバーを開けてはノートのページを入れ替える。そんな作業を繰り返しながら、合間に返答する。邪険にされないだけマシだろうか。どうみても私との会話の方がついでみたい。牧君は、繰り返しコピー機のカバーを開けながら言った。
「オレ、浮気したことないぞ。」
分かってるよ、そんなこと。
***
「ノート、サンキュ。英語はまあなんとかなるけど、数学はノート取ってないと厳しいよな。」
二人でコンビニを出た。私は牧君から返してもらった自分の数学のノートをバッグに仕舞いながら話した。
「今週も土日は部活?」
「ああ。」
自分で聞いたけれど、ふうん、と曖昧な相槌で返す。特に知りたい情報でもないし、尋ねたところで変化球が返ってきた試しはない。牧君との会話には必ずバスケがくっついてくるのが常だった。
「そうだ。これ、お土産。」
牧君が手のひらに収まるサイズの袋を私に見せてきた。恒例のやつだ。牧君の律儀さに笑いが自然と出た。
「ははは。ありがとう。今回はどこに行ってきたの?」
「長野。サービスエリアで買ったやつだけど。」
牧君は高校入学時から有名人だった。高校の大会は勿論のこと、今やU18の強化合宿にも招集されたりするもんだから、牧君が学校に来ていないなんてこともザラだ。牧君の活躍はもはや県内におさまらず、やれ遠征だ試合だと、あちこちを飛び回っている。
牧君は試合で公休を取っている間、不在だ。隣の席だった私は、ロッカーとの往復が億劫で、不在中の牧君の机によく辞書だったりノートだったりと私物を置かせてもらっていた。友達とお弁当を食べる際も、牧君の机を無断で借りる。こればかりは牧君が学校に来ている時にも利用させてもらっていたため、許可を取ろうとしたこともあったが、
「昼休みは体育館にいるし、気にしなくていいよ。」
なんて軽い返事が返ってきていたので、図々しい私は本当に気にしなかった。でもある時、私はこれまでのお礼にと、なんとなく、本当になんとなくで、牧君が出席出来なかった分の授業のノートのコピーをまとめて渡してあげたのだが、牧君はいたく感激してくれたみたいだった。
「、、、ノートのコピー?苗字さんが?いいのか?」
「うん。あっ、誰かからもう貰ってた?要らない?」
「いや、要るよ。すごく助かる。そうだ、コピー代を、、、。」
「いいよ、牧君にはいつもお世話になっているから。」
主に牧君の机に、だけど。なんて茶目っ気たっぷりにふざけてみても、牧君は愛想笑いすらしない。私の目を見て、真面目に聞いた。
「コピー代、結構するじゃないか。何かお礼するよ。」
「お礼〜?このノートのコピー自体がお礼なんだけど。」
「いや、それに対しての、だよ。」
「何それ〜!あはは。」
そもそも私が牧君へ何かしてあげたいなと勝手に思い付いてノートをコピーしたに過ぎないのに。お礼にお礼で返そうとするなんて、それじゃあいつまで経ってもこのやりとりは終わりそうにない。牧君ったら本当に律儀な人だから、私は可笑しくなって、牧君の気が済むならと、これまた軽いお願いをした。
「それじゃあ、牧君。バスケの遠征とかで県外出たりしてんじゃん?今度、ご当地ストラップ買ってきてよ。ほら、私、このキャラ、昔から好きでさ。結構いろんなところで売ってるから、すぐ見つかると思う。」
ペンケースから自分のシャープペンシルを差し出した。子供っぽいと未だに友達に笑われているけれど、好きなキャラクターのマークがついたシャープペンシル。実は中学生の頃から使っているお気に入り。
「ああ。これな。分かった。」
「うんうん。よろしく!」
そうして間もなくすると、牧君はご当地キャラの根付けストラップを約束通りに私に買ってきてくれた。まさか本気にしてくれていたなんて。牧君の生真面目さと優しさが、私に向けられたことに嬉しくなって、単純な私は彼の目の前で飛び跳ねるようにはしゃいだ。すぐさまその場でペンケースのファスナーに取り付ける。それを隣の席から牧君は、ホントに好きなんだな、と感心したように眺めていた。どうやらそれが牧君のツボにハマってくれたらしい。牧君は県外に出る度に、私に今度はお土産と称して、ご当地キャラの根付けストラップを毎回買ってくるようになった。最初の頃は私も単純に喜んだ。だってご当地の食べ物だったり、建物だったりの特徴を模していて、その土地でしか買えないという限定仕様がプラスされたキャラクターだ。それが何にもしなくても手に入るわけで。しかしながら私の反応を見て嬉しそうにする牧君を横目に、一個、二個、三個、とご当地キャラが増えていく度に、今度は段々と申し訳なさが生まれてきてしまった。私は言った。
「あのぅ、、、牧君。いつもいつも嬉しいんだけどさ、毎回買ってきてくれるのすごい忍びないんだけど。」
何度目かの牧君からのお土産を手渡された時は、もう席替えもして、牧君の隣の席ではなかったし、その距離を乗り越えて毎日会話するほど牧君と親しくなれていたわけではない。牧君のことを気にし始めていたからこそ、買ってきてもらう義理も無いのだからと、私は牧君との公休明けの会話以外に、どのようにして牧君に近付いたら良いのか不安になった。好きになると、途端にこれまで普通に出来ていた会話の正解が分からなくなる。だから、このルーチンのような牧君との物と会話の取り交わしを、当時の私は持て余し気味で、気まずい思いが増していたのだと思う。私のやんわりとした拒絶の提案に牧君はこう答えた。
「オレもだんだん買う度に、可愛いと思うようになってきたよ。」
「、、、あ、そうなの?ははは!愛着湧いてきた?」
牧君がこのキャラクターを可愛いと思うなんて。確かバスケットボールを抱えた部活バージョンのキーホルダーがあったはずだから、今度牧君に買ってきてあげようかな、なんて頭の中で楽しくなった。ところがそんな私に牧君の予想だにしない甘い言葉が脅かす。
「いつも選ぶ時、苗字さんのこと考えているからだろうな。」
これを告白と捉えることができようか、いやできない。けれども、こんなことを冗談で言えるような牧君ではないはずだ。私はこの時、どうリアクションを取ればいいのか混乱して、聞き流した。そして脈絡もなく先程の話の流れに戻そうと躍起になる。
「や、だから、えーっと、牧君。もう買ってこなくていいって。悪いよ。」
「だったら、オレに買ってくる理由をくれないか?」
「え?どういう、、、、。」
「好きなんだよ、苗字さんのこと。」
牧君は私から目を逸らさなかった。牧君から毎回お土産だと称して渡されていたものは、私への好意だったと、ようやく知らされる。牧君から手渡された、ご当地キャラクターの根付けストラップを私はギュッと握りしめる。こうして私は牧君と付き合うようになった。
***
恋の余白を楽しもう。何かの雑誌で目にした言葉だ。好きな人と離れている時も、相手のことを思う。十分に反芻しては、好きを溶かして、自覚して、ずっと味わいたい。だがしかし、牧君とのお付き合いは余白だらけ。真っ白な私達の関係は、どこから隙間を埋めていけばいいのやら途方に暮れそうになる。
牧君とはとにかく二人きりで会える時間がなかった。彼氏とはいっても、休んでいた分の授業のノートをコピーするため、コンビニで待ち合わせをこうして行うくらいだ。学校では同じクラスだし、顔を合わせることはできたから、滅多に会えないという彼ではない。だけど、だけど、付き合うってそれだけじゃないはずだと、私の心はしかめ始める。
牧君に彼女がいるらしい、と噂が広がっても、それを私だとは誰も気付けない程、私と牧君は周りから見ても、付き合っているような素振りがないのだろう。私は大変つまらない気持ちになると同時に、それを皮肉にして牧君にぶつけた。
「その彼女は、スタイルが良くて、頭も良くて、美人なんだって。体育の時間に隣のクラスの子が言ってた。」
「それは今、話を作っただろ。」
「バレたか。」
コンビニを出ると、毎回こうやって砂を噛むような話も笑いに変えて、牧君は私を家の前まで送ってくれる。コンビニと自宅までが私と牧君のちょっとしたデートコース。
「でも、オレ、明るくていつも笑顔なところが可愛いって、山内に伝えたぞ?」
「、、、それ、山内君どんな顔して聞いてた?」
「つまらなそうに黙ってたな。」
牧君のことだから、なんの衒いもなくただの日常会話のテンションで受け答えしたのだろうと、想像に容易い。そんなストレートな惚気を聞いて、山内君だって、茶化すことも貶すことも出来ずに、呆れるようにして受け止めるのに精一杯だったのかもしれない。なぜなら、今、牧君のこの言葉を受けて、私も山内君同様に、何と返答して良いか分からなくなってしまったから。そして捻り出した言葉は、思い込みの激しい独り言。
「誰も私が牧君の彼女だって気付いてくれない。」
「あ。言った方がいいか?」
「いいよ、そんな宣伝みたいにしなくても。もっとこう、自然に気付かれたいの。あの二人、実は付き合ってるんだよ〜!お似合い〜!とか言われてみたい。」
「そうか。」
私のくすぶっていた本音を炙り出してみたら、少し鼻で笑われたけど、牧君は同意してくれるように私の手を握った。牧君の手はあったかくて、安心する。もっともっと一緒にいたいし、くっつきたい。そう考えているのは私一人じゃないんだと思わせてくれるような心地がする。私は牧君の手を両手で握り返した。それなのに牧君は私の気持ちをかわすかのように、するりと私の手から離れて、自分のリュックに手を伸ばす。
「そうだ、まだお土産あったんだった。」
「え!?もう十分貰ってるって。」
「ああ、いや、これは、名前の親に。」
そうして差し出されたのは、信州などと分かりやすく書かれている長方形のお菓子の箱だった。
「こんな夜遅くに、名前を外に連れ出すみたいなことしてるからな。せめて。」
「牧君、、、。気遣い〜!大人〜!社会人〜!」
体が大きいと、心も広いのだろうか。私だったらそんなことまで気が回りそうもない。私は牧君から渡されたお土産を受け取りながら言う。
「はは、親に渡しとくね。彼氏が気にしてたって付け加えて。」
「、、、怒られたりしてないか?」
「大丈夫だよ。私、結構信用あるもの。それに、牧君が家の前まで送ってくれるし。それは親もちゃんと知ってる。」
「だったらいいけど。」
コンビニから私の家までは大した距離はない。この間に、牧君の部活のスケジュールは聞けても、二人だけのスケジュールを組み立てるまではいかない。どこかへ遊びに行きたいね、と話は出来ても、実際にデートの約束なんて出来たためしがなかった。
先程牧君が私に買ってきてくれた、根付けのストラップが、手元でチャリンと揺れた。しみじみと眺めたら、軽井沢の結婚式を真似してキャラクターがドレス姿をしており、とっても可愛い。遠征先は市内だと言ってたし、軽井沢なんて全く関係ない。多分、陳列棚に長野くくりで売っていた中から選んだだけじゃないかな。牧君のズレたセンスはこういう所に出る。付き合いたての彼女に、結婚式仕立てのキャラクターを渡してくるなんて。どんな心の装いでもって牧君はこれを買ってきたのだろう。おそらく何も考えていないんだろうな。憂いが転じてもはや笑うしかなかった。
こうして牧君は毎度私にお土産を買ってきてくれる丁寧さを見せてくれるも、それは付き合う前と何ら変わり映えがしない。せっかく彼女になったのに、今一つ進展しない私達。だけどわがままな彼女とは思われたくない。なるべく牧君の都合に合わせて付き合おうとすると、もしかしたらずっとこんな感じなのかもしれない。好きと想いを交わし合うなら、もう少し関係を深めたいのだけれど、私は。ねえ、牧君?
自分の中で、ぬか喜びと待ちぼうけの思いを交互にくぐらせていたら、牧君との会話は止まってしまっていて、あの角を曲がれば、もう自分の家に着くところまで来てしまっていた。沈黙ののちに牧君が思い出したように私に話しかける。
「もうすぐテスト期間だな。」
「え?あ、うん。今回範囲広いと思うよ。中間の時から結構進んでるもん。」
「はぁ。だるいな。」
「ふふ、牧君もそういうこと言うんだ?」
「言うよ。何だと思ってんだよ、オレのこと。」
「牧君って、きっちり計画的にこなしてそうなイメージあるんだもん。授業中も寝ないし。」
「その分、家で寝てるんだって。一人だとどうも気が緩むし、勉強以外のこと始めてしまわないか?」
「分かるー。みんなどうやってテスト勉強乗り切ってるんだろうね?」
私が尋ねるようにして牧君を見上げたら、牧君は私の顔を見て何かを閃いたようだった。
「一緒にやるか?テスト勉強。部活無いし。」
「う、うん、、、!」
突然の提案にびっくりしたが、慌てて頷く。牧君と二人っきりで何かをするということが未知の領域すぎて、心臓がドクンと跳ねる。
「あー、でもどこでやる?ファミレスとかでもいいけど長居出来ないよな?」
牧君が具体的に予定を立て始める。私も出来れば誰にも邪魔されないで、それでもっていつもよりも長い時間を牧君と過ごせるような都合の良い場所を頭の中でいくつか見繕ってみたけれど、どれも現状から最適だと思えるところは見つからない。まずい、もうすぐ家に着いちゃう。何も答えないままだと、牧君からのせっかくの提案も有耶無耶になってしまいそうな気がして私はいよいよ焦る。ブロック塀の曲がり角を曲がると、自分の家が目に入った。
「あの、、、私の家でもいいよ!?」
頭よりも先に口が動いた。
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