鳴かず飛ばずのキスと行方(三井)
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連絡を取ってはいるけど、盛り上がるわけでもなく、かといって盛り下がるわけでもなく、淡々とやりとりを続けていた男の名前がスマホを光らせた。
「明日休み?」
具体性の見えないメッセージの送り方は卑怯だと思う。これで私がイエスと言えば、強制的に相手の予定に合わせざるを得ない状況を作り出してしまう気がしませんか。相手もきっとそのつもりで私にまわりくどく問いかけているんだ。こうやって相手の出方を伺いつつ、あーでもないこーでもないと心理戦を行うことに疲れ果てていた私は、気の利いた言葉の一つも返せやしない。
***
「"めんどくさい"って何だよ、お前。」
私が送ったメッセージが未だ気に食わなかったらしい三井君は、待ち合わせの東京駅で私を見つけるや否や文句を垂れた。
「なんかもう色々と。」
ロングカーディガンのポケットに手を突っ込む私は、意地を張るように地面に向かって腕を突っ張った。ニットのカーディガンがそれにつられてビヨンと伸びるのを、下を向いて見つめる。三井君はちょっとめんどくさいところがある。分かりやすいようで、分かりにくい。分かったふりをすることにももう疲れた私は、気持ちも行動も先回りすることをいつしかやめた。
「で、何?いつもいきなりすぎ。三井君。」
丸の内駅舎側から1階のコンコースを抜けると新幹線の乗り換え口がある。昨日三井君から指定されたその待ち合わせ場所は、朝8時だというのにすでに多くの人で溢れかえっていた。
「とりあえず駅弁、買ってから。」
は?全容を把握できなくて、三井君の言葉が理解できない。私はきっと目を丸くして三井君を見返したのだろう。それを見た三井君が何を勘違いしたのか、
「あれ?もしかして朝メシ食べてねーの?」
なんて、一応気を利かせて尋ねますけど、みたいな顔して言ってくるもんだから、
「食べてきてます!」
と怒り心頭で言い返したら、三井君は笑ってさっさと駅弁コーナー賑わう人混みに向かって歩いていく。さて駅弁を買ってまでして向かう目的地はどこなのか。私はだいたいの見当をつけながら三井君の背中についていく。三井君には出会った時から振り回されっぱなしだけれど、ある程度慣れてきたせいか、順応性が身に付いてしまっている自分に笑いが乾く。
***
「まっさか、、、行先が京都なんて。信じらんない。昨日の今日でそういう計画立てる?やっぱり信じらんない。っていうか、私が東京駅まで来なかったらどうしたの?待って、待って。まだ事態把握できてない。あー、頭痛くなってきた。」
自由席の新幹線車内。私は横並びで座る三井君を見ることもなく、両手を頭に添えて項垂れる。
「その割にしっかり駅弁吟味してたじゃねーかよ。」
そう言って、先程駅ホームの売店で買ってくれたペットボトルのお茶を、ちょこんと私の頭の上に乗せた。丸めて前屈みになっていた背中を椅子の背もたれに預け返した私は両手でペットボトルを支えて受け取る。きっ!と睨んで私は三井君に言った。
「しかも日帰りって、、、!ハードスケジュールすぎる!片道三時間はアホ!」
「二時間半くらいだろ。だから朝集合にしてんじゃねーか。」
もっとこう、大人の余裕が欲しい!行き当たりばったりすぎる。事前に予告してくれたらいいのに。見てよ、私の格好を。どうせ歩かされるんだろうなとは予想してたから、使い古したスニーカーで東京駅までやってきたし、それに合わせるべくして、一回り大きめのストレートジーンズを履いてきたから、ラフさを適度に折り込んで可愛らしさを狙うつもりが、ただのコンビニに出掛けるような格好に落ち着いていた。せめて首元に大判のショールでも巻いて来たら旅感が出たかもなあ。入り方って大事じゃん。やっぱり前もって言ってよ、三井君!なんて残念に思いながら、新幹線の座席で足を伸ばしたら、奇しくも三井君と同じスニーカーのブランドであることに気付く。
「あ、お揃いだ。」
「真似すんなよ。」
「そっちこそ。」
そんな会話をしていたら、もう品川駅だ。窓際に置かれた駅弁の袋や、車窓からの移り変わる景色を眺めていると、東京を離れる非日常感が迫ってきた。三井君を抜きにしても、ちょっとだけワクワクしているのはまだ態度には出せない。そう、私もめんどくさい奴なのだ。
***
三井君とは合コンで数ヶ月前に知り合った。特に積極的に声をかけられたわけでもないし、合コンの帰りの方向が一緒だったというだけ。ホームで電車を待っているその時間で連絡先を交換した。酔っ払っていたから、私もまあまあノリが良く、よそ行きの対応をしてたんだと思う。第一印象の三井君は、大人しそうに見えて、誠実そうだったんだもの。ただしそれは合コンが単につまらなかっただけだったことは後で知ることとなるのだけれど。
その後、三井君とは会社も近かったということも講じて、仕事帰りに何度か食事をした。1回、2回、3回と回を重ねるうちに、三井君から誘ってきてくれるもんだから、これはそろそろお付き合いに入るんじゃないかしら?なんて期待し出した私がいた。だって「じゃあまた別メンバー集めて合コンでも」っていう話にはならないし、いい大人がただの友達付き合いで二人で食事に行く必要がどこにある。そうだよね?合コンで知り合ったんだから、そういう出会いや展開を期待しますよね?と自問自答すること、えーと何ヶ月だっけ?しかし三井君は全然切り出して来なかった。あ、キスは一回したかな。今より先の関係に進みたい気持ちがあった私は、三井君からの確固たる言葉を待てずに先を急いでしまった。まあ別に後悔とかはないんだけど、三井君にどう思われたのかが読めなくて、軽く失敗したなとは思う。三井君、私の事どう思ってるわけ?どうしたいわけ?こういった迷いの繰り返しに、最近では私はもしや次が見つかるまでのキープ女なのでは?なんてことも、薄らと脳裏をよぎる。こんな時には潮が引くようにスッと三井君との間に心の境界線を張ろう。そんな都合の良い女じゃないんだからな、私は。侮ってくれるなよ、三井寿。
「ここは私の肘置きだからね。三井君、窓側なんだし、そっち使ってよね。」
三井君との間に肘置きの黒いバーを下ろした。物理的に私は今日もまた三井君に線を引く。
「お前、案外セコい奴なんだな。」
「うるさいなあ。」
思い上がっているわけでも、のぼせ上がっているわけでもないが、すでに私と三井君はいい感じなはずなのだ。私が三井君からの誘いを何だかんだ言ったって断らないことを、三井君だって勘付いているでしょ?なんて匂わせることの出来ない、可愛げのない自分にも辟易するけれど、それと同じくらいに、三井君が私に踏み込んできてくれない態度にも腹が立って仕方ない。けれども一方的に私が強い態度で迫り寄るとあっさりと三井君は連絡を寄越さなくなりそうな気もして、どうにもこうにも、新しい展開に踏み出すのは勇気がいる。こういった関係の脆さに慎重になるのは、正直なところ、私が三井君とどうにかなりたいからだ。悔しい。
***
「なんか腹空かね?もう食っちまおうぜ。コレ。」
新幹線は新たな乗客を連れて新横浜駅を出発したばかりだというのに、窓際に置かれた二人分のお弁当が入ったビニール袋を三井君は覗き込んだ。
「早いよ三井君!さっき京都着く30分前くらいに食べるって言ってたくせに〜!」
「まあまあ。おら、テーブル出せって。」
私は三井君に命じられるがまま、前席のレバーを捻って、テーブルを手前に倒した。ほらね、こうやって三井君に振り回される。お弁当の上蓋を開けながら、私は三井君に不機嫌に話しかけた。
「他に誘う人いないの?三井君。」
「あ?オレ、友達少ねーもん。」
私と喋りつつも三井君は、いただきます、と言って手を合わせた。私が最初に三井君に好感を抱いたのは、食事をして、お店を出る時にお店の人にご馳走様を言えるところだったんだよなあ。こういうところ、意外とちゃんとしてるのよね。なんてしみじみと三井君に感想を抱き、横目で三井君を捉える私も、促されるようにお箸を持って手を合わせた。三井君の粗探しをして気持ちをがっかりする方向へ持っていきたいはずなのに、三井君の良い所ばかりが目につくし、増え続ける。悔しい。
「三井君、友達少ないとか嘘じゃん。そんな感じしないけど。」
「こういうの、ノリで付き合えるの、名前くらいじゃね?」
「、、、バカにしてる?」
「ははは。してる。」
ノリで付き合ってるわけじゃない。訴えるようにしてジロリと三井君を睨んだが、三井君は俵型のご飯を一口で頬張り、私の方を向いて無邪気に笑った。いつもは偉そうに笑うのに、こんな笑い方はずるい。
「ど、どうして京都?」
三井君の不意の笑顔に私は弱い。そんなところに気付かれないために、私はなるべく三井君を見ないようにして、目の前のお弁当に視線を下ろし、三井君に今我々が向かっている目的地について尋ねる。
「たまたま。テレビ見てたら。オレ、行ったことねぇんだよ。」
三井君はさっきついでに売店で買った旅行本をテーブルの隅に広げながら私に見せてきた。
「ここ。とりあえず京都初心者としては、定番の金閣寺は押さえたい。」
私はモグモグと口を動かしつつ、三井君が広げた旅行本を奪い取るようにして、手元に引き寄せた。
「定番だねぇ〜。修学旅行じゃないんだからさあ。なんかもっとないの〜?しっぽり京都旅的なさ。あ、私、抹茶ソフトクリーム食べたい。これ見て。」
「お前、どこがしっぽりだよ、、、。」
三井君は呆れて言うが、しっかりと金閣寺と抹茶ソフトのページの角に折り目をつけてくれた。
「あ、三井君。お土産特集のページも折り目つけて。後で見るから。漬物と八つ橋は絶対買うからね。」
「へいへい。」
ペラペラとページをめくって素直にお土産のページを探す三井君は、笑いながら私に言った。
「立派に楽しんでんじゃん。やっぱ、名前のそういうところ好きだわ。」
「、、、ははは。そりゃどーも。」
じゃあ、なんで!そこで「付き合おうか」が言えないのか、三井寿よ、、、!!と本当は叫びたいところだけれど、眉間の皺をなだめるようにして指でさするだけしか出来ない。今、きっと私は渋い顔をしているだろう。ため息の代わりに三井君に言葉を投げた。
「三井君はさ、もう少し分かりやすい人だと思ってたんだけどな。」
「あん?」
私はお弁当に入っていた、ほうれん草のおひたしをカップ毎お箸で摘む。そしてそのまま隣にスライドさせ、三井君の前に置いた。
「あげる。社会人の基本を。」
「はあ?意味分かんないんすけど。」
「三井君は、報告、連絡、相談が足らないから。いつも。」
一言でいいのに。私達の関係を始めるスタートの合図。三井君が一言発してくれたら、私は応じるからね。だけど悔しいから私からは言ってやらない。
「あっ、ホウレンソウ!?なーるほど。ってオイ、お前さあ。」
「ふふふふふ。」
三井君が隣であーだこーだと言い、私がそれに受け答える。大人になればなるほど、小手先の会話ばかりこなれてしまう。本当に伝えたいことって、実はシンプルなのに、遠回しに伝えようとするから、自分ですらもう本心がどこにあるのか見つけられなくなってくる。複雑な気持ちだけが積み重なって今にも崩れ落ちそうになるのを必死に支えてる。
***
「着くまで、寝ていいからな。」
「言われなくても。朝早かったし。」
お弁当を食べ終えた私は背もたれに寄り掛かった。隣の三井君も背もたれに体を預けると、私の顔をじっと見た。
「ほれ。」
トントンと三井君は自分の肩を叩いた。
「何?」
「肩。貸すぜ。寄り掛かりなさい。」
言い方が優しくないことについムッとした。ついでに偉そうだし。なんだか私が軽く見られているみたいでますますムッとした。
「やだよ。」
「ちょ、拒否かよ。」
「三井君、すぐキスするもん。」
イラついたせいもあったが、ギリギリで堪えていた思いが押し崩れて吐き出された。極めてクールに言い捨ててみたが、三井君とこの手の会話をするのは、自分の気持ちを見せるみたいでちょっとだけ怖かった。だから息継ぎの代わりに私は手にするお茶のペットボトルのフタを回して、一口飲み干す。沈黙を取り繕い、三井君の出方を待った。
「するか、バカ。」
ぐ。私を見ずに、三井君も正面を向いたままペットボトルに口をつけて言った。思いっきり拒絶されて胸がツキンとひび割れを起こした。こないだのキスも無かったかのようにされているじゃないか。いじけるようにして私は会話の主導権を三井君に放り投げて黙る。三井君はそんな私の態度を前に、きまりが悪そうに顎を掻いた。
「お前、あれから守りに入っただろ。」
三井君のご指摘はごもっとも。よく分かっているじゃん、三井君。あのキスの意味とか目的とか魂胆とか真意を深く考えたらいけないって思ってた。私だってむやみに傷付きたくはない。だから虚勢だって張るし、恋愛の上澄み部分だけをすくって、余計なものは見ないようにしてた。
「警戒されてるって、分かんだよ、こっちも。」
私が三井君をチラと見たら、三井君もこちらをチラと見る。だけど互いの視線は交差することはなく、タイミングは決して合わない。二人とも正面を向いたまま会話は進んだ。
「おい、何か言えよ。気まずい。」
「三井君が言ってよ。」
「何を。」
三井君はズルい。これ以上、立ち向かってこないもんだから、私も向き合うのをやめてプイっと三井君から顔を背けた。少しの間を置き、三井君がポツリとこぼした。
「謝らねえぞ。」
「は?何を?」
「キス、したこと。」
私達は決して互いの表情を確認することなく、前を向いたまま会話を続ける。
「、、、別に、それは。」
気にしてない、と言いかけてためらったのは、物分かりが良いフリはもうやめようと心が働いたから。対して三井君はやっぱり卑怯だ。どうしてこんな逃げ場の無い車内で、土俵際の話題を取り上げるのか。いや、口火を切ったのは私か。三井君を前にして、自分を抑えきれない。いつも私は失敗したくない恋愛の時ほど、短気さが仇となる。そんな内省を繰り返している間に、今度は三井君が痺れを切らした。堰を切ったように、どっとひと息で喋り出した。
「好きだからキスしたんだよ。名前が何も言わねーから。悪かったな。」
「私のせいにされた。ダサ。」
私の指摘になのか、または自分の突っ走ってしまった言動に恥じたのか、三井君はデカデカと京都と載った雑誌を広げて自分の顔を覆ってしまった。謝らねえぞ、なんて言っておきながら謝ってきたから、三井君も逃げ場に窮してドツボにハマっているとみた。三井君も私と同じく短気なくせに相当我慢してたのかもしれない。
「、、、だよな。分かってるよ。、、、あー、オレ、かっこわりい。」
そう言って掠れた声で凹む三井君を初めて見た。彼の本音を垣間見た気がした。そう思ったらなんだか急に三井君が愛おしくなる。私は三井君の肩に顔を寄せた。三井君がちょっとだけ体を強張らせたのが伝わってくる。嬉しさに動かされて反射的に私は口元がほころんだ。
「貸して。その雑誌。」
三井君は黙って雑誌を渡してくれた。三井君の表情を隠していたそれを、半ば奪い取るように受け取って、私はパラパラとめくった。三井君に寄りかかる私の意志を三井君は受け取ってくれただろうか。私はさっきまでの会話の流れをまるで無視して話しかける。
「ちゃんとさあ、前もって言ってくれたらさあ、ここも、あそこも下調べしたし、計画だってしたよ?私。」
「、、、おう。」
「ホントに分かってる?」
私は三井君に体を預けて、見上げた。ようやく私と目が合った三井君は、下唇を突き出して私の顔色を窺うようにして見つめ返してきた。もう、分かってるなら早く言ってよ、三井君。私が訴えるような目つきをしたためか、三井君の表情が、ぐぐぐと強張るのがわかる。そんな私の突き刺すような視線を遮るべく、三井君は私のおでこに頬を添え、思い詰めるようにして息を吐く。そして唾を飲みこむ喉が鳴る。そんな距離感で私達は既に接しているということに、いよいよこちらまで緊張が伝わって面映い。そしてゆっくりと言葉は紡がれた。
「付き合って貰ってもいーすか。」
「もう新幹線乗ってるじゃん。向かってるよ、京都に。」
「、、、いや、その付き合うじゃなくて。お前こそ、分かれよ、、、。頼むから。」
珍しく弱気になっている三井君を面白がる私は、ふふふふふ、と肩を揺らし、三井君の胸元に顔を寄せて、また笑う。三井君の手が私の肩を抱いた。その触れ合った手も温度も匂いも、三井君を感じられて大きく気持ちが動く。
「三井君。」
「何。」
「宜しくお願いします。」
「、、、おう。」
まだ少し胸の奥がもぞもぞする。くすぐったくて、それをどうにか三井君に分かってもらいたい。
「こういうの、大人になってもなんか慣れないよね。」
「分かる。」
急にぎこちなくなる自分達に照れ臭さすら覚える。それすらも三井君を好きだという実感に変わる。
車内アナウンスは早口に行先を告げた。駅を出発し、ぐんぐんとスピードを増す新幹線は背中を押すようにして座席を揺らした。二人の関係も速度を上げる。やがて一定速度を維持すると安定した走りに落ち着き、そして緩やかに次の停車駅に滑り込む。目的地はもう少し。
「明日休み?」
具体性の見えないメッセージの送り方は卑怯だと思う。これで私がイエスと言えば、強制的に相手の予定に合わせざるを得ない状況を作り出してしまう気がしませんか。相手もきっとそのつもりで私にまわりくどく問いかけているんだ。こうやって相手の出方を伺いつつ、あーでもないこーでもないと心理戦を行うことに疲れ果てていた私は、気の利いた言葉の一つも返せやしない。
***
「"めんどくさい"って何だよ、お前。」
私が送ったメッセージが未だ気に食わなかったらしい三井君は、待ち合わせの東京駅で私を見つけるや否や文句を垂れた。
「なんかもう色々と。」
ロングカーディガンのポケットに手を突っ込む私は、意地を張るように地面に向かって腕を突っ張った。ニットのカーディガンがそれにつられてビヨンと伸びるのを、下を向いて見つめる。三井君はちょっとめんどくさいところがある。分かりやすいようで、分かりにくい。分かったふりをすることにももう疲れた私は、気持ちも行動も先回りすることをいつしかやめた。
「で、何?いつもいきなりすぎ。三井君。」
丸の内駅舎側から1階のコンコースを抜けると新幹線の乗り換え口がある。昨日三井君から指定されたその待ち合わせ場所は、朝8時だというのにすでに多くの人で溢れかえっていた。
「とりあえず駅弁、買ってから。」
は?全容を把握できなくて、三井君の言葉が理解できない。私はきっと目を丸くして三井君を見返したのだろう。それを見た三井君が何を勘違いしたのか、
「あれ?もしかして朝メシ食べてねーの?」
なんて、一応気を利かせて尋ねますけど、みたいな顔して言ってくるもんだから、
「食べてきてます!」
と怒り心頭で言い返したら、三井君は笑ってさっさと駅弁コーナー賑わう人混みに向かって歩いていく。さて駅弁を買ってまでして向かう目的地はどこなのか。私はだいたいの見当をつけながら三井君の背中についていく。三井君には出会った時から振り回されっぱなしだけれど、ある程度慣れてきたせいか、順応性が身に付いてしまっている自分に笑いが乾く。
***
「まっさか、、、行先が京都なんて。信じらんない。昨日の今日でそういう計画立てる?やっぱり信じらんない。っていうか、私が東京駅まで来なかったらどうしたの?待って、待って。まだ事態把握できてない。あー、頭痛くなってきた。」
自由席の新幹線車内。私は横並びで座る三井君を見ることもなく、両手を頭に添えて項垂れる。
「その割にしっかり駅弁吟味してたじゃねーかよ。」
そう言って、先程駅ホームの売店で買ってくれたペットボトルのお茶を、ちょこんと私の頭の上に乗せた。丸めて前屈みになっていた背中を椅子の背もたれに預け返した私は両手でペットボトルを支えて受け取る。きっ!と睨んで私は三井君に言った。
「しかも日帰りって、、、!ハードスケジュールすぎる!片道三時間はアホ!」
「二時間半くらいだろ。だから朝集合にしてんじゃねーか。」
もっとこう、大人の余裕が欲しい!行き当たりばったりすぎる。事前に予告してくれたらいいのに。見てよ、私の格好を。どうせ歩かされるんだろうなとは予想してたから、使い古したスニーカーで東京駅までやってきたし、それに合わせるべくして、一回り大きめのストレートジーンズを履いてきたから、ラフさを適度に折り込んで可愛らしさを狙うつもりが、ただのコンビニに出掛けるような格好に落ち着いていた。せめて首元に大判のショールでも巻いて来たら旅感が出たかもなあ。入り方って大事じゃん。やっぱり前もって言ってよ、三井君!なんて残念に思いながら、新幹線の座席で足を伸ばしたら、奇しくも三井君と同じスニーカーのブランドであることに気付く。
「あ、お揃いだ。」
「真似すんなよ。」
「そっちこそ。」
そんな会話をしていたら、もう品川駅だ。窓際に置かれた駅弁の袋や、車窓からの移り変わる景色を眺めていると、東京を離れる非日常感が迫ってきた。三井君を抜きにしても、ちょっとだけワクワクしているのはまだ態度には出せない。そう、私もめんどくさい奴なのだ。
***
三井君とは合コンで数ヶ月前に知り合った。特に積極的に声をかけられたわけでもないし、合コンの帰りの方向が一緒だったというだけ。ホームで電車を待っているその時間で連絡先を交換した。酔っ払っていたから、私もまあまあノリが良く、よそ行きの対応をしてたんだと思う。第一印象の三井君は、大人しそうに見えて、誠実そうだったんだもの。ただしそれは合コンが単につまらなかっただけだったことは後で知ることとなるのだけれど。
その後、三井君とは会社も近かったということも講じて、仕事帰りに何度か食事をした。1回、2回、3回と回を重ねるうちに、三井君から誘ってきてくれるもんだから、これはそろそろお付き合いに入るんじゃないかしら?なんて期待し出した私がいた。だって「じゃあまた別メンバー集めて合コンでも」っていう話にはならないし、いい大人がただの友達付き合いで二人で食事に行く必要がどこにある。そうだよね?合コンで知り合ったんだから、そういう出会いや展開を期待しますよね?と自問自答すること、えーと何ヶ月だっけ?しかし三井君は全然切り出して来なかった。あ、キスは一回したかな。今より先の関係に進みたい気持ちがあった私は、三井君からの確固たる言葉を待てずに先を急いでしまった。まあ別に後悔とかはないんだけど、三井君にどう思われたのかが読めなくて、軽く失敗したなとは思う。三井君、私の事どう思ってるわけ?どうしたいわけ?こういった迷いの繰り返しに、最近では私はもしや次が見つかるまでのキープ女なのでは?なんてことも、薄らと脳裏をよぎる。こんな時には潮が引くようにスッと三井君との間に心の境界線を張ろう。そんな都合の良い女じゃないんだからな、私は。侮ってくれるなよ、三井寿。
「ここは私の肘置きだからね。三井君、窓側なんだし、そっち使ってよね。」
三井君との間に肘置きの黒いバーを下ろした。物理的に私は今日もまた三井君に線を引く。
「お前、案外セコい奴なんだな。」
「うるさいなあ。」
思い上がっているわけでも、のぼせ上がっているわけでもないが、すでに私と三井君はいい感じなはずなのだ。私が三井君からの誘いを何だかんだ言ったって断らないことを、三井君だって勘付いているでしょ?なんて匂わせることの出来ない、可愛げのない自分にも辟易するけれど、それと同じくらいに、三井君が私に踏み込んできてくれない態度にも腹が立って仕方ない。けれども一方的に私が強い態度で迫り寄るとあっさりと三井君は連絡を寄越さなくなりそうな気もして、どうにもこうにも、新しい展開に踏み出すのは勇気がいる。こういった関係の脆さに慎重になるのは、正直なところ、私が三井君とどうにかなりたいからだ。悔しい。
***
「なんか腹空かね?もう食っちまおうぜ。コレ。」
新幹線は新たな乗客を連れて新横浜駅を出発したばかりだというのに、窓際に置かれた二人分のお弁当が入ったビニール袋を三井君は覗き込んだ。
「早いよ三井君!さっき京都着く30分前くらいに食べるって言ってたくせに〜!」
「まあまあ。おら、テーブル出せって。」
私は三井君に命じられるがまま、前席のレバーを捻って、テーブルを手前に倒した。ほらね、こうやって三井君に振り回される。お弁当の上蓋を開けながら、私は三井君に不機嫌に話しかけた。
「他に誘う人いないの?三井君。」
「あ?オレ、友達少ねーもん。」
私と喋りつつも三井君は、いただきます、と言って手を合わせた。私が最初に三井君に好感を抱いたのは、食事をして、お店を出る時にお店の人にご馳走様を言えるところだったんだよなあ。こういうところ、意外とちゃんとしてるのよね。なんてしみじみと三井君に感想を抱き、横目で三井君を捉える私も、促されるようにお箸を持って手を合わせた。三井君の粗探しをして気持ちをがっかりする方向へ持っていきたいはずなのに、三井君の良い所ばかりが目につくし、増え続ける。悔しい。
「三井君、友達少ないとか嘘じゃん。そんな感じしないけど。」
「こういうの、ノリで付き合えるの、名前くらいじゃね?」
「、、、バカにしてる?」
「ははは。してる。」
ノリで付き合ってるわけじゃない。訴えるようにしてジロリと三井君を睨んだが、三井君は俵型のご飯を一口で頬張り、私の方を向いて無邪気に笑った。いつもは偉そうに笑うのに、こんな笑い方はずるい。
「ど、どうして京都?」
三井君の不意の笑顔に私は弱い。そんなところに気付かれないために、私はなるべく三井君を見ないようにして、目の前のお弁当に視線を下ろし、三井君に今我々が向かっている目的地について尋ねる。
「たまたま。テレビ見てたら。オレ、行ったことねぇんだよ。」
三井君はさっきついでに売店で買った旅行本をテーブルの隅に広げながら私に見せてきた。
「ここ。とりあえず京都初心者としては、定番の金閣寺は押さえたい。」
私はモグモグと口を動かしつつ、三井君が広げた旅行本を奪い取るようにして、手元に引き寄せた。
「定番だねぇ〜。修学旅行じゃないんだからさあ。なんかもっとないの〜?しっぽり京都旅的なさ。あ、私、抹茶ソフトクリーム食べたい。これ見て。」
「お前、どこがしっぽりだよ、、、。」
三井君は呆れて言うが、しっかりと金閣寺と抹茶ソフトのページの角に折り目をつけてくれた。
「あ、三井君。お土産特集のページも折り目つけて。後で見るから。漬物と八つ橋は絶対買うからね。」
「へいへい。」
ペラペラとページをめくって素直にお土産のページを探す三井君は、笑いながら私に言った。
「立派に楽しんでんじゃん。やっぱ、名前のそういうところ好きだわ。」
「、、、ははは。そりゃどーも。」
じゃあ、なんで!そこで「付き合おうか」が言えないのか、三井寿よ、、、!!と本当は叫びたいところだけれど、眉間の皺をなだめるようにして指でさするだけしか出来ない。今、きっと私は渋い顔をしているだろう。ため息の代わりに三井君に言葉を投げた。
「三井君はさ、もう少し分かりやすい人だと思ってたんだけどな。」
「あん?」
私はお弁当に入っていた、ほうれん草のおひたしをカップ毎お箸で摘む。そしてそのまま隣にスライドさせ、三井君の前に置いた。
「あげる。社会人の基本を。」
「はあ?意味分かんないんすけど。」
「三井君は、報告、連絡、相談が足らないから。いつも。」
一言でいいのに。私達の関係を始めるスタートの合図。三井君が一言発してくれたら、私は応じるからね。だけど悔しいから私からは言ってやらない。
「あっ、ホウレンソウ!?なーるほど。ってオイ、お前さあ。」
「ふふふふふ。」
三井君が隣であーだこーだと言い、私がそれに受け答える。大人になればなるほど、小手先の会話ばかりこなれてしまう。本当に伝えたいことって、実はシンプルなのに、遠回しに伝えようとするから、自分ですらもう本心がどこにあるのか見つけられなくなってくる。複雑な気持ちだけが積み重なって今にも崩れ落ちそうになるのを必死に支えてる。
***
「着くまで、寝ていいからな。」
「言われなくても。朝早かったし。」
お弁当を食べ終えた私は背もたれに寄り掛かった。隣の三井君も背もたれに体を預けると、私の顔をじっと見た。
「ほれ。」
トントンと三井君は自分の肩を叩いた。
「何?」
「肩。貸すぜ。寄り掛かりなさい。」
言い方が優しくないことについムッとした。ついでに偉そうだし。なんだか私が軽く見られているみたいでますますムッとした。
「やだよ。」
「ちょ、拒否かよ。」
「三井君、すぐキスするもん。」
イラついたせいもあったが、ギリギリで堪えていた思いが押し崩れて吐き出された。極めてクールに言い捨ててみたが、三井君とこの手の会話をするのは、自分の気持ちを見せるみたいでちょっとだけ怖かった。だから息継ぎの代わりに私は手にするお茶のペットボトルのフタを回して、一口飲み干す。沈黙を取り繕い、三井君の出方を待った。
「するか、バカ。」
ぐ。私を見ずに、三井君も正面を向いたままペットボトルに口をつけて言った。思いっきり拒絶されて胸がツキンとひび割れを起こした。こないだのキスも無かったかのようにされているじゃないか。いじけるようにして私は会話の主導権を三井君に放り投げて黙る。三井君はそんな私の態度を前に、きまりが悪そうに顎を掻いた。
「お前、あれから守りに入っただろ。」
三井君のご指摘はごもっとも。よく分かっているじゃん、三井君。あのキスの意味とか目的とか魂胆とか真意を深く考えたらいけないって思ってた。私だってむやみに傷付きたくはない。だから虚勢だって張るし、恋愛の上澄み部分だけをすくって、余計なものは見ないようにしてた。
「警戒されてるって、分かんだよ、こっちも。」
私が三井君をチラと見たら、三井君もこちらをチラと見る。だけど互いの視線は交差することはなく、タイミングは決して合わない。二人とも正面を向いたまま会話は進んだ。
「おい、何か言えよ。気まずい。」
「三井君が言ってよ。」
「何を。」
三井君はズルい。これ以上、立ち向かってこないもんだから、私も向き合うのをやめてプイっと三井君から顔を背けた。少しの間を置き、三井君がポツリとこぼした。
「謝らねえぞ。」
「は?何を?」
「キス、したこと。」
私達は決して互いの表情を確認することなく、前を向いたまま会話を続ける。
「、、、別に、それは。」
気にしてない、と言いかけてためらったのは、物分かりが良いフリはもうやめようと心が働いたから。対して三井君はやっぱり卑怯だ。どうしてこんな逃げ場の無い車内で、土俵際の話題を取り上げるのか。いや、口火を切ったのは私か。三井君を前にして、自分を抑えきれない。いつも私は失敗したくない恋愛の時ほど、短気さが仇となる。そんな内省を繰り返している間に、今度は三井君が痺れを切らした。堰を切ったように、どっとひと息で喋り出した。
「好きだからキスしたんだよ。名前が何も言わねーから。悪かったな。」
「私のせいにされた。ダサ。」
私の指摘になのか、または自分の突っ走ってしまった言動に恥じたのか、三井君はデカデカと京都と載った雑誌を広げて自分の顔を覆ってしまった。謝らねえぞ、なんて言っておきながら謝ってきたから、三井君も逃げ場に窮してドツボにハマっているとみた。三井君も私と同じく短気なくせに相当我慢してたのかもしれない。
「、、、だよな。分かってるよ。、、、あー、オレ、かっこわりい。」
そう言って掠れた声で凹む三井君を初めて見た。彼の本音を垣間見た気がした。そう思ったらなんだか急に三井君が愛おしくなる。私は三井君の肩に顔を寄せた。三井君がちょっとだけ体を強張らせたのが伝わってくる。嬉しさに動かされて反射的に私は口元がほころんだ。
「貸して。その雑誌。」
三井君は黙って雑誌を渡してくれた。三井君の表情を隠していたそれを、半ば奪い取るように受け取って、私はパラパラとめくった。三井君に寄りかかる私の意志を三井君は受け取ってくれただろうか。私はさっきまでの会話の流れをまるで無視して話しかける。
「ちゃんとさあ、前もって言ってくれたらさあ、ここも、あそこも下調べしたし、計画だってしたよ?私。」
「、、、おう。」
「ホントに分かってる?」
私は三井君に体を預けて、見上げた。ようやく私と目が合った三井君は、下唇を突き出して私の顔色を窺うようにして見つめ返してきた。もう、分かってるなら早く言ってよ、三井君。私が訴えるような目つきをしたためか、三井君の表情が、ぐぐぐと強張るのがわかる。そんな私の突き刺すような視線を遮るべく、三井君は私のおでこに頬を添え、思い詰めるようにして息を吐く。そして唾を飲みこむ喉が鳴る。そんな距離感で私達は既に接しているということに、いよいよこちらまで緊張が伝わって面映い。そしてゆっくりと言葉は紡がれた。
「付き合って貰ってもいーすか。」
「もう新幹線乗ってるじゃん。向かってるよ、京都に。」
「、、、いや、その付き合うじゃなくて。お前こそ、分かれよ、、、。頼むから。」
珍しく弱気になっている三井君を面白がる私は、ふふふふふ、と肩を揺らし、三井君の胸元に顔を寄せて、また笑う。三井君の手が私の肩を抱いた。その触れ合った手も温度も匂いも、三井君を感じられて大きく気持ちが動く。
「三井君。」
「何。」
「宜しくお願いします。」
「、、、おう。」
まだ少し胸の奥がもぞもぞする。くすぐったくて、それをどうにか三井君に分かってもらいたい。
「こういうの、大人になってもなんか慣れないよね。」
「分かる。」
急にぎこちなくなる自分達に照れ臭さすら覚える。それすらも三井君を好きだという実感に変わる。
車内アナウンスは早口に行先を告げた。駅を出発し、ぐんぐんとスピードを増す新幹線は背中を押すようにして座席を揺らした。二人の関係も速度を上げる。やがて一定速度を維持すると安定した走りに落ち着き、そして緩やかに次の停車駅に滑り込む。目的地はもう少し。
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