あぶくたった(越野)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「、、、何やってんだ、お前ら。」
越野君は、放課後の教室のドアに手を掛けて、ギョッとした目で私達に言った。越野君が投げかけた言葉を拾ったのは、友達のモッちゃんとユウナちゃん。
「あはははは!昼ごはん中!」
「見れば分かるでしょ、お好み焼き作ってんの。」
モッちゃん、ユウナちゃん、そして私の三人は、教室の机にホットプレートを設置し、既に一枚目を食べながら、二枚目のお好み焼きを流し込んだ。
***
学校主体の英検対策の一環で、模擬試験を先程まで受けていた。二年生までは、ほぼ強制的に受検させられるため、今日は土曜日だというのに対策試験と解説授業のため登校せねばならない。授業は午前中だけ。本日の終わりのチャイムが鳴れば各自午後の予定に忙しい。部活生は足早に午後からの部活に向かうし、帰宅部生はさっさと学校を去る。
にも関わらず、帰宅部である我々三人は、この日のために前々から計画し、各自道具と材料を持ち寄りの上、お好み焼きパーティーの最中だ。教室に居残り、およそ学校の教室に似つかわしくない調理家電を囲む。この異様な光景の私達三人の前に、ジャージ姿の越野君が出くわした。不思議そうに、いや、若干引き気味に越野君は言った。
「、、、そこ、オレの席。」
眉間に皺を寄せて、口をへの字に曲げる越野君は、どうやら午後からの部活の前に教室に戻ってきたみたい。何か用事があったのかな?越野君とは二年生になってから同じクラスになったので、バスケ部に所属しているということ以外、実はよく知らない。私の隣に座る、苗字が茂木のモッちゃんは越野君と一年の時から同じクラス。私とは違い、越野君のことはあだ名で呼んだ。
「あー、それはごめん。コッシーの席、ほら、コンセント近いからさあ!」
「あはははは!」
笑い上戸のユウナちゃんも関わって、一層盛り上がる。このふざけた昼食時間に、越野君という一人だけまともな人間が迷い込んできたため、私達の奇抜な計画も、前代未聞の行為もますます際立って、ますます笑いを誘った。私も声には出さないものの、みんなと一緒になってクスクスと笑った。そんな私達に対して越野君は、冷静に会話する。
「何一つ面白くねぇよ、、、。ていうか、マジで教室でお好み焼きって何。ホットプレート、、、家から持ってきたのかよ?」
「苗字がね〜!」
モッちゃんが答え、それを受け取る形で、初めて越野君の視線が私に向かう。
「苗字さんが?やることぶっ飛んでんな。先生に怒られるぞ、お前ら。」
越野君に名前を呼ばれたのはおそらく初めてだ。私のことをクラスメイトと認識はしてくれているらしい。越野君と私はこんなに近くで接したことがないものだから、二人の会話が始まるはずもなく、私の頭を通り越して、モッちゃんと越野君の会話のキャッチボールを私は眺めるだけだ。
「大丈夫だって!土曜日だし、もうガッコも終わったし。先生達が二年の廊下歩くわけないじゃん。」
「あ、ほらほら、お好み焼き!もうひっくり返していいんじゃない?!」
会話に割って入る形でユウナちゃんが、ホットプレートのお好み焼きを指差した。一枚目のお好み焼きは、初回だったせいでフライ返しの要領が掴めず、少し失敗してしまった。ようし、次こそは、と三人は気合が入る。フライ返しとお皿を私が準備していると、モッちゃんが越野君に尋ねた。
「ってか、コッシー、部活は?何しに来たの?」
「部活用のTシャツ。教室に置きっぱなしだったから取りに来たんだよ。そこ。オレの机んとこ、引っ掛けてあるやつ。」
越野君が首だけで合図すると、モッちゃんが体と首を傾けた。越野君の机の横に掛けてあった、ビニールのショルダーバッグに気付く。スポーツメーカーのロゴがデザインされており、スポーツショップで商品を買った時に入れる袋だろう。越野君はそれに部活用の荷物を入れて使っているらしかった。モッちゃんと越野君のやりとりを横目で捉えつつ、私とユウナちゃんはホットプレートにじりじりと詰め寄った。
「これ、どっちからひっくり返すべき?右から?それとも左から?」
「えー、こっちから一気にじゃない?」
シュミレーションを繰り返しつつ、試行錯誤する私達に越野君が口を挟んできた。
「お好み焼きって、ヘラみたいなの、二つ要るんじゃね?両手でくるって返すイメージあるよな?」
「そんなに用意がいいわけないじゃん。ここ学校だよ?ヘラなんて無いし。フライ返しあるだけでもマシでしょ。」
ユウナちゃんが言い返すと、いや学校でお好み焼きを焼くことが間違ってるだろ、って越野君がブツブツ言うから、モッちゃんが私の持つフライ返しを奪って越野君に押し付ける。
「そんなに言うなら、コッシーやってよー。」
「はぁー?オレー?!」
少し笑うようにして越野君が押し付けられたフライ返しを手に取った。
「しゃーねーな。」
語気が強いからか、いかにも男の子っぽい越野君に近寄り難い印象を持っていたのだけれど、意外とこういうノリも嫌いじゃないらしい。面倒事を押し付けられることに慣れているその感じは、その切り替えの早い表情から見てとれた。越野君って兄弟いるのかなあ。責任感強そうだし、お兄ちゃん気質なのかも。いやいやでもヤンチャな弟気質もモッちゃんとの掛け合いから伺える。なんて、越野君の隣に立ってぼんやりと感想を抱いている間に、越野君は、よっ!という掛け声と共にお好み焼きをひっくり返してくれた。
「おー!上手いね、コッシー!」
「凄ーい!綺麗にひっくり返ったね!」
「マジ?いい感じ?」
「イイ感じ、イイ感じ!!」
私達は口々に感想と拍手で越野君を褒め称えた。裏返したお好み焼きの香ばしい匂いがしてくる。持参したソースとマヨネーズをかけて、それぞれのお皿に移し替える。その様子を越野君は、いつの間にかそばにあった椅子に座りこんで、感心するように眺めていた。
「鰹節も青海苔も準備してきてんの?本気出しすぎだろ。はは。マジでお前らウケる。」
最初の教室のドアに立っていた時の、白けた顔付きはどこへ行ったのやら。笑い声に、私も何だか楽しくなっちゃって、越野君も私達の仲間になった気になる。この勢いを借りて、私は越野君の顔を覗いて聞いた。
「越野君も、あの、食べてく?」
「え?いーの?」
「あっ、でもお皿と割り箸、人数分しか持ってきてなかった、、、。」
私が何か代用できるものをと、机の上にあるものから探そうとしたら。
「いいよ。苗字さんのそれ、一口ちょうだい。」
「え?じゃあ、はい。」
私は切り分けたお好み焼きを食べさせてあげようと、お箸で持ち上げ、越野君の口元へ差し出した。椅子に座る越野君が一瞬怯んだように私の手元を見たのち、立ったままの私に目線をやる。上目遣いの越野君は私に言った。
「、、、いや、そうじゃないんだけど。」
ソースとマヨネーズがしっかりかかった真ん中の部分を選んで切り分けたつもりなんだけど。いや違った。越野君的には、そういうことではないらしい。それに私が気付いた瞬間に、私と意思疎通が出来ていないことを諦めた越野君は、
「まあ、いいや。」
と、私が持ち上げていたお好み焼きにバクンと食い付いた。つい気安く接してしまったけれど、越野君の大きな一口は、目の前のクラスメイトが異性であることを私に再認識させた。その行為でようやく、私が越野君に対してかなり積極的な行動を取ってしまっていたことに恥ずかしくなって叫ぶ。
「、、、ちょうだいってそういうことじゃなくて!?だ、だって一口って言うから。」
「皿と箸寄越せば、一人で食えるわ。」
口をモグモグさせて、口元についたソースを親指で拭った越野君は照れ臭そうにそう言うけれど、すぐに気を取り直して私達三人に笑いかけた。
「うおっ、うま!何か分かんねーけど、こういうの、ちょっとテンション上がるな。」
「今日はお好み焼きなんだけどさ、今度はパンケーキの回をやるよ。生クリームとフルーツ持ち寄りでさ。焼きそばの回も計画中!」
「えっ、オレもやりてー!」
モッちゃんとユウナちゃんは、越野君が会話に乗ったことを確認して、続ける。
「じゃあ、仙道君も連れてきてよ、コッシー!」
「は?何で仙道?」
「仙道君って、コッシーと同じバスケ部でしょ?私、一度喋ってみたいなあ。」
ユウナちゃんはそういえば以前から、同じ学年なら仙道君がかっこいいと言ってたなあ。私は隣でお好み焼きを食べながら会話を聞いていると、すかさずモッちゃんがカットインしてくる。
「えー、仙道君は緊張するって!イケメンすぎて。コッシーくらいが丁度良いよ。」
「おい!茂木!丁度良いって何だよ!ムカつくな!」
そう言われても越野君は、腹は立てていない様子でモッちゃんとユウナちゃんと一緒になって笑った。こうやって不貞腐れるものの、明るく笑う越野君の言い方は少しきついけど、男の子同士ならきっと大抵こんなものなのだろう。モッちゃんもどっちかというと男の子にも容赦なくズケズケとモノを言えるからだろうけれど、越野君は女の子を相手にしても、同性と同じ態度で接してくる。裏表がない性格なんだろうなと思う。私はいつもモッちゃんの後ろに隠れて、なかなか同性と喋るようには男の子とスムーズに会話が出来ないもんだから、モグモグと口を動かしながら、二人を羨ましく見つめた。
「ねぇ、コッシーさあ、部室にこれ置かせてくれない?」
「これ、ってホットプレートのこと?」
「そう。うちら帰宅部じゃん?隠し場所もなくってさあ、出来れば毎回苗字に持ってこさせるより、学校に置きっぱなしの方が楽なんだよね。」
「おー、別に良いけど。」
「やった!じゃあ、後でホットプレート洗ったら持ってく!コッシー、体育館にいるよね?」
「ん?ああ、まあテキトーに声かけろよ。今日は監督来ない日だから、練習抜けられる。あ。やべ。部活始まる!」
教室の時計に顔を上げて、じゃあな!と言った越野君は目的だったバッグを斜めに掛けて、教室を出て行った。
「やったねー!コッシーほんと良い奴。」
モッちゃんが青海苔をパラパラとふりかけるのを見つめて、私は思ったことをつい口にした。
「越野君って、彼女とかいるのかなあ?」
「はあー?いない、いない!一年の時からずっとあんな感じだし。コッシー、どっちかっていうと口調とか粗いじゃん。当たり強いっていうかさ。女子にモテるわけない。」
私は越野君が口にしたお箸で自分のお皿にあるお好み焼きを突っつきながら越野君のことを考えた。
「でもよく笑う人なんだね。授業中は先生に当てられても、ムスっとしてる感じだったから。意外だった。あ!あと、私、さっきの変だった!?」
「何が。」
「その、あの、越野君にお好み焼き、、、食べさせちゃって。まずった、と思ったけど、なんかもう後に引けない感じだったというか、、、、。恥ずかしい、、、ああ〜!やっちゃった〜!」
こうして、自己嫌悪が自分の中で連鎖していき、一人で悪循環に陥ってしまう私を、モッちゃんとユウナちゃんが、気付いてしまったとばかりに指摘した。
「ねえちょっと、苗字、、、。」
「あんた、さっきからコッシーのことばっかり喋ってるよ。」
「、、、うそっ!」
途端にぽっとお尻に火がついたように、落ち着かなくなった私は、椅子から立ち上がった。にじり寄る気持ちがお腹の底から上がってきて、喉元で慌てて両手で口元を隠す。顔がどうも熱い。モッちゃんとユウナちゃんは、面白いものでも見つけたようにして、
「苗字はコッシーかぁぁぁー。ふぅーん。」
「別に私は良いと思うよぉー。ふふふー。」
「バスケ部だし、スポーツマンだしねえ?」
「口は悪いけどねぇ?」
「まあ、黙ってれば髪の毛サラサラだし。」
「髪の毛!サラサラ!分かる!コッシー、キューティクル凄いよね。あははは!」
「キューティクルっ!あははは!」
と、二人で好き勝手に語っては、全く議題ではない部分に着目して笑い始めるから、私は会話を遮るようにして口を出す。
「違っ、、、好きとかじゃなくて!全然!そういうんじゃなくて!」
キューティクル全然関係ないし!決して越野君に対して、好きとかいう明確な気持ちがあるわけではなくて。でももう少し越野君のことを知ってみたいし、モッちゃんみたいに私も越野君と仲良くなれたらいいのにな、と意識が向いたのは本当。笑った時の屈託のなさも隣に居て快く感じた。遠慮がちな私に対しても、歯切れの良く対応してくれた(ように勝手ながら感じてる)のも嬉しかった。目の前の友人達のからかいの視線から避けるようにして、私は自分の内面と向かい合っていると、モッちゃんは私にこう命じた。
「じゃあさ、、、、苗字、せっかくだからこうしよう。」
***
「苗字さん?だけ?」
「う、うん。、、、これ、どうしたらいい?」
「体育館置いとけねーから、、、今、部室行くか。」
紙袋を両手に抱えた私は、体育館の階段を下りて、バスケ部の部室に向かっている。越野君と二人だ。使い終わったホットプレートはさっさと洗って、持ち運び可能な状態にして、モッちゃんから手渡された。越野君と口約束していたホットプレートの保管について、私一人で持って行くようにと、友人達は余計な気を回した。回すというより楽しんでいるだけなのだが、それを拒否するほど私自身も越野君に否定的でないものだから、従順になってしまい、今に至る。部室までの道のりは大して遠くはないはずなのに、越野君と無言で歩くにはかなり険しい。沈黙に耐えられなくて、当たり障りのないことで場を繋ごうと私は越野君に声を掛けた。
「ご、ごめんね。部活中なのに。」
「いいよ、休憩も兼ねてっから。」
モッちゃんみたいに冗談も言えなくて、一問一答のやりとりが空を切る。続く言葉も見つからないで、越野君を見ると、越野君は私の抱える紙袋に視線を移して聞いてきた。
「お好み焼きやるって誰の案?とんでもないこと思い付くよな。」
「あ、実は私、、、。」
「ぶっ、、、!苗字さんか。てっきり茂木かと思った。」
越野君は首からかけるタオルで噴き出しかけた口元を押さえたのを見届けて、私は続ける。
「土曜日に学校来るなんてあんまり無いから。モッちゃんに言ったらすごいノリノリで。あ、だけど今度、焼きそばもやるって言いだしたのはモッちゃんだからね。」
持ってくるものを紙に書き出して、壮大な計画かのように盛り上がっては、大笑いしたことを思い出し、私はクスクスと笑い出した。少しだけ越野君と気安く喋れたことで、重荷をひとつ下ろしたような軽い気持ちになる。
「けど、ホットプレートって重いだろ。よく持ってきたよな。」
越野君はそう言って、私が抱えていた紙袋を取り上げた。私の代わりに持ち運んでくれるらしい。私は手元まで軽くなってしまい、自分の中でバランスを取るのがやっとだ。きっと「持とうか。」と聞かれたら、私は遠慮して頑なに断っていたと思うから、何も言わずに掻っ攫って行く越野君は私にはとっても大胆な人に見えた。口では優しさを前面に出していないはずなのに、越野君の優しさは、句読点のように行動の端々に自然と添えられている。そんなことに気付くと、一気に動揺して、私の気持ちもぐらぐらと揺れた。私はお礼を言うだけで精一杯だ。
「あ、りがとう。」
「おう。」
越野君が部室のドアを開く。コンクリートの壁で囲まれた薄暗い室内は、カビ臭さと汗や道具の埃っぽさ、そして制汗剤の残り香が混じって独特の匂いを放っていた。運動部の部室なんて立ち寄ったこともなかったから、私はキョロキョロと辺りを見回した。帰宅部の私にとって部室とは、ある意味、敷居が高い場所だった。越野君についてちょっとだけ知った気になると、ますます知りたい欲が湧いてきた。授業以外で知ることのできない越野君の放課後はここから始まる。ここで越野君はどんな会話を誰とするのだろう。そんなことにまで意識を飛ばす私を無視して、越野君はさっさと紙袋をロッカーの中に閉まった。
「次、いつ開催予定?」
越野君が聞いた。
「期末テストの最終日、、、かな。午前中で学校が終わる日で。」
「あいよ。ちゃんと前もって言えよ?オレ、忘れてるかもだし、部室に取りに来ないといけないし。」
それを受けて、私は制服のポケットから出したスマホを握りしめてて、越野君に進み出る。
「あの、越野君ってSNSとかやって、、、ないの?」
「あ?やってねーよ。」
少しでも越野君を知れるといいなと思った。遠巻きに見ているだけでも十分だ。だから回りくどかったかもしれない。越野君は私からの質問を結構あっさりと突っぱねた。
「そうなんだ。」
私はスマホの真っ黒の画面をさすりながら呟やくと、もうこれ以上越野君に近付けない。その様子を察してくれたのか、越野君は言った。
「ちょい、待って。」
自分のロッカーをもう一度開いた越野君は、中にあるカバンからガサガサと乱雑に何かを取り出す。
「コードかID。」
越野君自分のスマホを見せ、私に合図する。私のアカウントを知ろうとしてくれているのだと気付いて、たじろいだ私は思わず言ってしまう。
「えっと、あ!モッちゃん経由でもいいよ、、、。後から聞けばいいし、、、。」
越野君とスマホを突き合わせるなど。部活中の越野君のお手を煩わせまいという変な気遣いや、交換中のあのギクシャクした空気感が容易に想像出来てしまい、全てを先送りにしようとする弱気な私が顔を出す。
「なんでオレが茂木に連絡しなきゃなんねーんだよ。そっちの方が面倒だろ。」
意思疎通がズレた。私がモッちゃんから越野君のアカウントを教えてもらって、私から越野君に連絡を入れればそれでアカウント交換が出来ると思っていた。だからこその私からの提案を、越野君は、自分がモッちゃんに聞くんだと思ってるみたい。越野君が自ら私のアカウントを知ろうと積極的に動いてくれることに妙にドキドキした。
「えっ、あ、そうか。うん。ありがとう。」
「何が?」
ありがとう?は?と越野君は意味不明な私の返答に訝しむ。ほら、だから嫌なんだ。咄嗟のコミュニケーションの波に上手に乗れない。もっちゃんみたいに、楽しく、そして小気味良く越野君と喋れない。私は越野君に促されるままに、越野君と、おともだち、になった。私のスマホの画面に越野君が現れた。突然のことに、ああ、少し猶予が欲しい。越野君のことをもっと知らないことには、立ち回り方も分からない。越野君に送るメッセージはどうしよう。越野君はいつだったら連絡して良いのだろう。このやりとりを越野君の社交辞令だとは思いたくないし、これだけで終わらせてはいけない。頭の中は越野君のことでいっぱいだった。
「苗字さんから、オレに何か送って。スタンプとかでも良いから。」
ああ、少し猶予が欲しい。
「い、今!越野君部活中でしょ!あ、後から送っとく!うん!そうする!」
自分に言い聞かせるかの如く力強く越野君へ伝えた。焦る自分を悟られまいと必死になるほど、変に声が上擦る。どうか越野君、ここは静かにスルーして欲しい。そう願って私は部室の外に出ようとした。ほぼほぼ後退りのようにして。
「おー、、、まあ、いいけど。」
後に続く越野君が部室のドアを閉めて言った。明らかに不信感を持ったような越野君の声の調子に、私は再度宣言をした。
「あの、ちゃんと!後で連絡入れるから!」
「今、サクッと送ればいいだろ。」
越野君の鋭い語気に、うっ、と私が気後れして、ためらいの表情を見せてしまったらしい。それに気付いた越野君は、すかさず言葉を追加して補った。
「あ、いや、別に、、、好きにすりゃいいんだけど。」
ちょっと待って、越野君。そんなに急かさないで、越野君。越野君の傾向と対策を私、今からひたすら考えるので。私は、焦ったように、でもある意志を乗せて越野君へ答える。
「う、うん!好きにする。ってか好きにさせて!」
だから越野君、、、私、越野君のこと、好きになってもいいよね?最終的に辿り着くところは分かっているけれど、私は胸の内でうわごとのように繰り返した。
→次へ で番外編
越野君は、放課後の教室のドアに手を掛けて、ギョッとした目で私達に言った。越野君が投げかけた言葉を拾ったのは、友達のモッちゃんとユウナちゃん。
「あはははは!昼ごはん中!」
「見れば分かるでしょ、お好み焼き作ってんの。」
モッちゃん、ユウナちゃん、そして私の三人は、教室の机にホットプレートを設置し、既に一枚目を食べながら、二枚目のお好み焼きを流し込んだ。
***
学校主体の英検対策の一環で、模擬試験を先程まで受けていた。二年生までは、ほぼ強制的に受検させられるため、今日は土曜日だというのに対策試験と解説授業のため登校せねばならない。授業は午前中だけ。本日の終わりのチャイムが鳴れば各自午後の予定に忙しい。部活生は足早に午後からの部活に向かうし、帰宅部生はさっさと学校を去る。
にも関わらず、帰宅部である我々三人は、この日のために前々から計画し、各自道具と材料を持ち寄りの上、お好み焼きパーティーの最中だ。教室に居残り、およそ学校の教室に似つかわしくない調理家電を囲む。この異様な光景の私達三人の前に、ジャージ姿の越野君が出くわした。不思議そうに、いや、若干引き気味に越野君は言った。
「、、、そこ、オレの席。」
眉間に皺を寄せて、口をへの字に曲げる越野君は、どうやら午後からの部活の前に教室に戻ってきたみたい。何か用事があったのかな?越野君とは二年生になってから同じクラスになったので、バスケ部に所属しているということ以外、実はよく知らない。私の隣に座る、苗字が茂木のモッちゃんは越野君と一年の時から同じクラス。私とは違い、越野君のことはあだ名で呼んだ。
「あー、それはごめん。コッシーの席、ほら、コンセント近いからさあ!」
「あはははは!」
笑い上戸のユウナちゃんも関わって、一層盛り上がる。このふざけた昼食時間に、越野君という一人だけまともな人間が迷い込んできたため、私達の奇抜な計画も、前代未聞の行為もますます際立って、ますます笑いを誘った。私も声には出さないものの、みんなと一緒になってクスクスと笑った。そんな私達に対して越野君は、冷静に会話する。
「何一つ面白くねぇよ、、、。ていうか、マジで教室でお好み焼きって何。ホットプレート、、、家から持ってきたのかよ?」
「苗字がね〜!」
モッちゃんが答え、それを受け取る形で、初めて越野君の視線が私に向かう。
「苗字さんが?やることぶっ飛んでんな。先生に怒られるぞ、お前ら。」
越野君に名前を呼ばれたのはおそらく初めてだ。私のことをクラスメイトと認識はしてくれているらしい。越野君と私はこんなに近くで接したことがないものだから、二人の会話が始まるはずもなく、私の頭を通り越して、モッちゃんと越野君の会話のキャッチボールを私は眺めるだけだ。
「大丈夫だって!土曜日だし、もうガッコも終わったし。先生達が二年の廊下歩くわけないじゃん。」
「あ、ほらほら、お好み焼き!もうひっくり返していいんじゃない?!」
会話に割って入る形でユウナちゃんが、ホットプレートのお好み焼きを指差した。一枚目のお好み焼きは、初回だったせいでフライ返しの要領が掴めず、少し失敗してしまった。ようし、次こそは、と三人は気合が入る。フライ返しとお皿を私が準備していると、モッちゃんが越野君に尋ねた。
「ってか、コッシー、部活は?何しに来たの?」
「部活用のTシャツ。教室に置きっぱなしだったから取りに来たんだよ。そこ。オレの机んとこ、引っ掛けてあるやつ。」
越野君が首だけで合図すると、モッちゃんが体と首を傾けた。越野君の机の横に掛けてあった、ビニールのショルダーバッグに気付く。スポーツメーカーのロゴがデザインされており、スポーツショップで商品を買った時に入れる袋だろう。越野君はそれに部活用の荷物を入れて使っているらしかった。モッちゃんと越野君のやりとりを横目で捉えつつ、私とユウナちゃんはホットプレートにじりじりと詰め寄った。
「これ、どっちからひっくり返すべき?右から?それとも左から?」
「えー、こっちから一気にじゃない?」
シュミレーションを繰り返しつつ、試行錯誤する私達に越野君が口を挟んできた。
「お好み焼きって、ヘラみたいなの、二つ要るんじゃね?両手でくるって返すイメージあるよな?」
「そんなに用意がいいわけないじゃん。ここ学校だよ?ヘラなんて無いし。フライ返しあるだけでもマシでしょ。」
ユウナちゃんが言い返すと、いや学校でお好み焼きを焼くことが間違ってるだろ、って越野君がブツブツ言うから、モッちゃんが私の持つフライ返しを奪って越野君に押し付ける。
「そんなに言うなら、コッシーやってよー。」
「はぁー?オレー?!」
少し笑うようにして越野君が押し付けられたフライ返しを手に取った。
「しゃーねーな。」
語気が強いからか、いかにも男の子っぽい越野君に近寄り難い印象を持っていたのだけれど、意外とこういうノリも嫌いじゃないらしい。面倒事を押し付けられることに慣れているその感じは、その切り替えの早い表情から見てとれた。越野君って兄弟いるのかなあ。責任感強そうだし、お兄ちゃん気質なのかも。いやいやでもヤンチャな弟気質もモッちゃんとの掛け合いから伺える。なんて、越野君の隣に立ってぼんやりと感想を抱いている間に、越野君は、よっ!という掛け声と共にお好み焼きをひっくり返してくれた。
「おー!上手いね、コッシー!」
「凄ーい!綺麗にひっくり返ったね!」
「マジ?いい感じ?」
「イイ感じ、イイ感じ!!」
私達は口々に感想と拍手で越野君を褒め称えた。裏返したお好み焼きの香ばしい匂いがしてくる。持参したソースとマヨネーズをかけて、それぞれのお皿に移し替える。その様子を越野君は、いつの間にかそばにあった椅子に座りこんで、感心するように眺めていた。
「鰹節も青海苔も準備してきてんの?本気出しすぎだろ。はは。マジでお前らウケる。」
最初の教室のドアに立っていた時の、白けた顔付きはどこへ行ったのやら。笑い声に、私も何だか楽しくなっちゃって、越野君も私達の仲間になった気になる。この勢いを借りて、私は越野君の顔を覗いて聞いた。
「越野君も、あの、食べてく?」
「え?いーの?」
「あっ、でもお皿と割り箸、人数分しか持ってきてなかった、、、。」
私が何か代用できるものをと、机の上にあるものから探そうとしたら。
「いいよ。苗字さんのそれ、一口ちょうだい。」
「え?じゃあ、はい。」
私は切り分けたお好み焼きを食べさせてあげようと、お箸で持ち上げ、越野君の口元へ差し出した。椅子に座る越野君が一瞬怯んだように私の手元を見たのち、立ったままの私に目線をやる。上目遣いの越野君は私に言った。
「、、、いや、そうじゃないんだけど。」
ソースとマヨネーズがしっかりかかった真ん中の部分を選んで切り分けたつもりなんだけど。いや違った。越野君的には、そういうことではないらしい。それに私が気付いた瞬間に、私と意思疎通が出来ていないことを諦めた越野君は、
「まあ、いいや。」
と、私が持ち上げていたお好み焼きにバクンと食い付いた。つい気安く接してしまったけれど、越野君の大きな一口は、目の前のクラスメイトが異性であることを私に再認識させた。その行為でようやく、私が越野君に対してかなり積極的な行動を取ってしまっていたことに恥ずかしくなって叫ぶ。
「、、、ちょうだいってそういうことじゃなくて!?だ、だって一口って言うから。」
「皿と箸寄越せば、一人で食えるわ。」
口をモグモグさせて、口元についたソースを親指で拭った越野君は照れ臭そうにそう言うけれど、すぐに気を取り直して私達三人に笑いかけた。
「うおっ、うま!何か分かんねーけど、こういうの、ちょっとテンション上がるな。」
「今日はお好み焼きなんだけどさ、今度はパンケーキの回をやるよ。生クリームとフルーツ持ち寄りでさ。焼きそばの回も計画中!」
「えっ、オレもやりてー!」
モッちゃんとユウナちゃんは、越野君が会話に乗ったことを確認して、続ける。
「じゃあ、仙道君も連れてきてよ、コッシー!」
「は?何で仙道?」
「仙道君って、コッシーと同じバスケ部でしょ?私、一度喋ってみたいなあ。」
ユウナちゃんはそういえば以前から、同じ学年なら仙道君がかっこいいと言ってたなあ。私は隣でお好み焼きを食べながら会話を聞いていると、すかさずモッちゃんがカットインしてくる。
「えー、仙道君は緊張するって!イケメンすぎて。コッシーくらいが丁度良いよ。」
「おい!茂木!丁度良いって何だよ!ムカつくな!」
そう言われても越野君は、腹は立てていない様子でモッちゃんとユウナちゃんと一緒になって笑った。こうやって不貞腐れるものの、明るく笑う越野君の言い方は少しきついけど、男の子同士ならきっと大抵こんなものなのだろう。モッちゃんもどっちかというと男の子にも容赦なくズケズケとモノを言えるからだろうけれど、越野君は女の子を相手にしても、同性と同じ態度で接してくる。裏表がない性格なんだろうなと思う。私はいつもモッちゃんの後ろに隠れて、なかなか同性と喋るようには男の子とスムーズに会話が出来ないもんだから、モグモグと口を動かしながら、二人を羨ましく見つめた。
「ねぇ、コッシーさあ、部室にこれ置かせてくれない?」
「これ、ってホットプレートのこと?」
「そう。うちら帰宅部じゃん?隠し場所もなくってさあ、出来れば毎回苗字に持ってこさせるより、学校に置きっぱなしの方が楽なんだよね。」
「おー、別に良いけど。」
「やった!じゃあ、後でホットプレート洗ったら持ってく!コッシー、体育館にいるよね?」
「ん?ああ、まあテキトーに声かけろよ。今日は監督来ない日だから、練習抜けられる。あ。やべ。部活始まる!」
教室の時計に顔を上げて、じゃあな!と言った越野君は目的だったバッグを斜めに掛けて、教室を出て行った。
「やったねー!コッシーほんと良い奴。」
モッちゃんが青海苔をパラパラとふりかけるのを見つめて、私は思ったことをつい口にした。
「越野君って、彼女とかいるのかなあ?」
「はあー?いない、いない!一年の時からずっとあんな感じだし。コッシー、どっちかっていうと口調とか粗いじゃん。当たり強いっていうかさ。女子にモテるわけない。」
私は越野君が口にしたお箸で自分のお皿にあるお好み焼きを突っつきながら越野君のことを考えた。
「でもよく笑う人なんだね。授業中は先生に当てられても、ムスっとしてる感じだったから。意外だった。あ!あと、私、さっきの変だった!?」
「何が。」
「その、あの、越野君にお好み焼き、、、食べさせちゃって。まずった、と思ったけど、なんかもう後に引けない感じだったというか、、、、。恥ずかしい、、、ああ〜!やっちゃった〜!」
こうして、自己嫌悪が自分の中で連鎖していき、一人で悪循環に陥ってしまう私を、モッちゃんとユウナちゃんが、気付いてしまったとばかりに指摘した。
「ねえちょっと、苗字、、、。」
「あんた、さっきからコッシーのことばっかり喋ってるよ。」
「、、、うそっ!」
途端にぽっとお尻に火がついたように、落ち着かなくなった私は、椅子から立ち上がった。にじり寄る気持ちがお腹の底から上がってきて、喉元で慌てて両手で口元を隠す。顔がどうも熱い。モッちゃんとユウナちゃんは、面白いものでも見つけたようにして、
「苗字はコッシーかぁぁぁー。ふぅーん。」
「別に私は良いと思うよぉー。ふふふー。」
「バスケ部だし、スポーツマンだしねえ?」
「口は悪いけどねぇ?」
「まあ、黙ってれば髪の毛サラサラだし。」
「髪の毛!サラサラ!分かる!コッシー、キューティクル凄いよね。あははは!」
「キューティクルっ!あははは!」
と、二人で好き勝手に語っては、全く議題ではない部分に着目して笑い始めるから、私は会話を遮るようにして口を出す。
「違っ、、、好きとかじゃなくて!全然!そういうんじゃなくて!」
キューティクル全然関係ないし!決して越野君に対して、好きとかいう明確な気持ちがあるわけではなくて。でももう少し越野君のことを知ってみたいし、モッちゃんみたいに私も越野君と仲良くなれたらいいのにな、と意識が向いたのは本当。笑った時の屈託のなさも隣に居て快く感じた。遠慮がちな私に対しても、歯切れの良く対応してくれた(ように勝手ながら感じてる)のも嬉しかった。目の前の友人達のからかいの視線から避けるようにして、私は自分の内面と向かい合っていると、モッちゃんは私にこう命じた。
「じゃあさ、、、、苗字、せっかくだからこうしよう。」
***
「苗字さん?だけ?」
「う、うん。、、、これ、どうしたらいい?」
「体育館置いとけねーから、、、今、部室行くか。」
紙袋を両手に抱えた私は、体育館の階段を下りて、バスケ部の部室に向かっている。越野君と二人だ。使い終わったホットプレートはさっさと洗って、持ち運び可能な状態にして、モッちゃんから手渡された。越野君と口約束していたホットプレートの保管について、私一人で持って行くようにと、友人達は余計な気を回した。回すというより楽しんでいるだけなのだが、それを拒否するほど私自身も越野君に否定的でないものだから、従順になってしまい、今に至る。部室までの道のりは大して遠くはないはずなのに、越野君と無言で歩くにはかなり険しい。沈黙に耐えられなくて、当たり障りのないことで場を繋ごうと私は越野君に声を掛けた。
「ご、ごめんね。部活中なのに。」
「いいよ、休憩も兼ねてっから。」
モッちゃんみたいに冗談も言えなくて、一問一答のやりとりが空を切る。続く言葉も見つからないで、越野君を見ると、越野君は私の抱える紙袋に視線を移して聞いてきた。
「お好み焼きやるって誰の案?とんでもないこと思い付くよな。」
「あ、実は私、、、。」
「ぶっ、、、!苗字さんか。てっきり茂木かと思った。」
越野君は首からかけるタオルで噴き出しかけた口元を押さえたのを見届けて、私は続ける。
「土曜日に学校来るなんてあんまり無いから。モッちゃんに言ったらすごいノリノリで。あ、だけど今度、焼きそばもやるって言いだしたのはモッちゃんだからね。」
持ってくるものを紙に書き出して、壮大な計画かのように盛り上がっては、大笑いしたことを思い出し、私はクスクスと笑い出した。少しだけ越野君と気安く喋れたことで、重荷をひとつ下ろしたような軽い気持ちになる。
「けど、ホットプレートって重いだろ。よく持ってきたよな。」
越野君はそう言って、私が抱えていた紙袋を取り上げた。私の代わりに持ち運んでくれるらしい。私は手元まで軽くなってしまい、自分の中でバランスを取るのがやっとだ。きっと「持とうか。」と聞かれたら、私は遠慮して頑なに断っていたと思うから、何も言わずに掻っ攫って行く越野君は私にはとっても大胆な人に見えた。口では優しさを前面に出していないはずなのに、越野君の優しさは、句読点のように行動の端々に自然と添えられている。そんなことに気付くと、一気に動揺して、私の気持ちもぐらぐらと揺れた。私はお礼を言うだけで精一杯だ。
「あ、りがとう。」
「おう。」
越野君が部室のドアを開く。コンクリートの壁で囲まれた薄暗い室内は、カビ臭さと汗や道具の埃っぽさ、そして制汗剤の残り香が混じって独特の匂いを放っていた。運動部の部室なんて立ち寄ったこともなかったから、私はキョロキョロと辺りを見回した。帰宅部の私にとって部室とは、ある意味、敷居が高い場所だった。越野君についてちょっとだけ知った気になると、ますます知りたい欲が湧いてきた。授業以外で知ることのできない越野君の放課後はここから始まる。ここで越野君はどんな会話を誰とするのだろう。そんなことにまで意識を飛ばす私を無視して、越野君はさっさと紙袋をロッカーの中に閉まった。
「次、いつ開催予定?」
越野君が聞いた。
「期末テストの最終日、、、かな。午前中で学校が終わる日で。」
「あいよ。ちゃんと前もって言えよ?オレ、忘れてるかもだし、部室に取りに来ないといけないし。」
それを受けて、私は制服のポケットから出したスマホを握りしめてて、越野君に進み出る。
「あの、越野君ってSNSとかやって、、、ないの?」
「あ?やってねーよ。」
少しでも越野君を知れるといいなと思った。遠巻きに見ているだけでも十分だ。だから回りくどかったかもしれない。越野君は私からの質問を結構あっさりと突っぱねた。
「そうなんだ。」
私はスマホの真っ黒の画面をさすりながら呟やくと、もうこれ以上越野君に近付けない。その様子を察してくれたのか、越野君は言った。
「ちょい、待って。」
自分のロッカーをもう一度開いた越野君は、中にあるカバンからガサガサと乱雑に何かを取り出す。
「コードかID。」
越野君自分のスマホを見せ、私に合図する。私のアカウントを知ろうとしてくれているのだと気付いて、たじろいだ私は思わず言ってしまう。
「えっと、あ!モッちゃん経由でもいいよ、、、。後から聞けばいいし、、、。」
越野君とスマホを突き合わせるなど。部活中の越野君のお手を煩わせまいという変な気遣いや、交換中のあのギクシャクした空気感が容易に想像出来てしまい、全てを先送りにしようとする弱気な私が顔を出す。
「なんでオレが茂木に連絡しなきゃなんねーんだよ。そっちの方が面倒だろ。」
意思疎通がズレた。私がモッちゃんから越野君のアカウントを教えてもらって、私から越野君に連絡を入れればそれでアカウント交換が出来ると思っていた。だからこその私からの提案を、越野君は、自分がモッちゃんに聞くんだと思ってるみたい。越野君が自ら私のアカウントを知ろうと積極的に動いてくれることに妙にドキドキした。
「えっ、あ、そうか。うん。ありがとう。」
「何が?」
ありがとう?は?と越野君は意味不明な私の返答に訝しむ。ほら、だから嫌なんだ。咄嗟のコミュニケーションの波に上手に乗れない。もっちゃんみたいに、楽しく、そして小気味良く越野君と喋れない。私は越野君に促されるままに、越野君と、おともだち、になった。私のスマホの画面に越野君が現れた。突然のことに、ああ、少し猶予が欲しい。越野君のことをもっと知らないことには、立ち回り方も分からない。越野君に送るメッセージはどうしよう。越野君はいつだったら連絡して良いのだろう。このやりとりを越野君の社交辞令だとは思いたくないし、これだけで終わらせてはいけない。頭の中は越野君のことでいっぱいだった。
「苗字さんから、オレに何か送って。スタンプとかでも良いから。」
ああ、少し猶予が欲しい。
「い、今!越野君部活中でしょ!あ、後から送っとく!うん!そうする!」
自分に言い聞かせるかの如く力強く越野君へ伝えた。焦る自分を悟られまいと必死になるほど、変に声が上擦る。どうか越野君、ここは静かにスルーして欲しい。そう願って私は部室の外に出ようとした。ほぼほぼ後退りのようにして。
「おー、、、まあ、いいけど。」
後に続く越野君が部室のドアを閉めて言った。明らかに不信感を持ったような越野君の声の調子に、私は再度宣言をした。
「あの、ちゃんと!後で連絡入れるから!」
「今、サクッと送ればいいだろ。」
越野君の鋭い語気に、うっ、と私が気後れして、ためらいの表情を見せてしまったらしい。それに気付いた越野君は、すかさず言葉を追加して補った。
「あ、いや、別に、、、好きにすりゃいいんだけど。」
ちょっと待って、越野君。そんなに急かさないで、越野君。越野君の傾向と対策を私、今からひたすら考えるので。私は、焦ったように、でもある意志を乗せて越野君へ答える。
「う、うん!好きにする。ってか好きにさせて!」
だから越野君、、、私、越野君のこと、好きになってもいいよね?最終的に辿り着くところは分かっているけれど、私は胸の内でうわごとのように繰り返した。
→次へ で番外編
1/2ページ