二月は甘くうそぶく(流川)
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表立って流川君の彼女だと言ったって、私の生活が大きく変わることはない。流川君のファンから嫌がらせを受けることもないし、バレー部の部活の仲間も、クラスの友達も、冷やかされることはあっても、事細かに二人のことを尋ねられることもなかったのは、大変助かった。周りはみんな私が思っていた以上にとても大人だった。
流川君は流川君で、いつもあんな感じで喋らないし反応も薄いものだから、周りがどんなに突っついても、絶対にボロを出さないし、うろたえもしないから、聞いた側は肩透かしに合うだけだ。流川君に私たちのことを根掘り葉掘りと尋ねようとする人間はいなかった。
私達は、これまで通りの学校生活を送る。事情を知るのは彩子だけだ。同じクラスで、バスケ部キャプテンの宮城君にも彩子は何も言ってない。口が軽そうだからだろう。多分、きっと。いや、おそらく。
「うっそぉ。苗字さんだったのかよ?!流川と付き合ってんの?最近、体育館に流川目当ての子が来なくなったんだよなあ。女子って分かりやすいよなあ。」
宮城君は授業の休み時間に雑談の一つとして話しかけてきた。椅子の背に抱きつくようにして座る宮城君が言った。
「あいつ、何考えてっか分かんないとこあるけど、バスケには真面目だからなあ。案外彼女にも真面目そうだね。そんな感じっしょ?」
バスケに真面目であるがゆえに、よく知りもしないバレー部の、しかも一つ年上の先輩に付き合ってくれ、なんて言うのだろうか、と私はぼんやりと頭で流川君のことを思い浮かべた。流川君が何考えてるか分からないという点で、宮城君には同意したので、
「確かに。」
と両手で頬杖をついて答えたら、
「のろけてるっっ!!ちょっと、ちょっと、アヤちゃーん!?聞いてよー。」
そう言いながら宮城君は彩子に駆け寄って行った。宮城君はだいぶ思い違いをしているけれど、もはや私達の現状には全員が思い違いをしているのだし、放っておくことにする。
***
学年の違う私と流川君が登校し、その日に初めて顔を合わせるのは放課後の体育館だ。それもバレー部は外練習の日があれば体育館に寄り付くこともないから、一週間のうち、流川君を見かけるのは数回。付き合っている、という体裁を保つため、私が体育館練習の日だけは流川君と待ち合わせして一緒に帰ることになっている。最も、この算段を整えたのは、一番この状況を陰で楽しんでいる彩子なのだけれど。だからこの私達の体裁は意味があるのかないのかも、私自身よく分かっていないし、十中八九流川君も同じだろう。部活が終わり、制服に着替えたら義務的に駐輪場で流川君を待つ。流川君が現れる。そしたら二人で横並びで校門まで100メートルあるかどうか分からない校舎の横を歩いて、校門で逆方向に別れて帰宅だ。この100メートルの間だけ、流川君と私は彼氏と彼女らしい。自分のことであるのに婉曲して表したくなるほど、私と流川君の関係は未だ他人事であった。
「え、流川君、朝練してるの?」
流川君は私の問いに軽く頷いた。流川君との会話の話題なんて校門に辿り着くまでに一つ提示すれば事足りた。部活のこと、授業のこと、バスケのこと、好きな食べ物だったり、好きな音楽だったり。流川君は自ら会話をするタイプではなかったけれど、こちらが尋ねたらそれなりに答える。なので私達の会話は私からの投げかけで始まる一問一答スタイルで成り立っていた。そして今日のテーマは朝練だ。
「朝練って、、、。だって体育館ってうちら朝から使えないじゃん。部で申請してないと体育館の鍵貸してもらえないし。バスケ部って朝練やってないよね?」
「いや、近くの公園で。リングあるとこ。」
「ええー、一人で?!学校行く前からやってんの?凄っ。この辺にバスケできるような公園ってあったっけ?流川君ちの近くとか?」
「すぐそこ。チャリで。ってか学校も家から近いし。」
「あ、そうだよね。流川君、富中だもんね。すぐそこじゃん。ふーん。だから流川君ってバスケ上手いんだ。ね、朝練すれば私も上手くなる?」
と言いながら私はワンハンドのシュートフォームを顔の近くで真似て見せた。どう?こんな感じ?なんて流川君にふざけて聞くと、流川君は私を一瞥して言う。
「打点低い。」
「いや、私、バレー部だからね?!マジなアドバイス求めてないしっ。ふふふふ!」
こんなやりとりをしているうちに、ほら、あっという間に校門の手前だ。先生が門を閉めるために鍵束を持って、下校する生徒達に声をかけて急かしている。
「ほらー、さっさと帰宅しろー。最近変質者も出てるそうだからな、なるべく一人で帰るなよー。明るい道で帰れー。」
夜と言っても過言ではない真冬の部活終わりの学校の道は、寒いし暗い。そういえば陸上部の子が、見知らぬおじさんに声を掛けられたと言ってたことを思い出した。
「うげ。この辺暗いから、男の人とかと歩道ですれ違うの少し怖いんだよねー。さっさと帰ろ!」
私の独り言に近い言葉に、流川君は黙って自転車を押した。校門を抜けて、左右に別れて帰宅するといういつもの段取りに従い、私は流川君に声を掛けた。
「じゃあ、またね。流川君!って、あれ?」
これまでは私のまたね、を待たずに自転車に跨っているはずの流川君が、いつもと逆方向の、すなわち、私が帰宅する方向へ自転車のハンドルを向けていた。
「そこの信号んとこまで。」
運動場の壁沿いの道を真っ直ぐ歩いていくと、うちの高校の生徒御用達のコンビニエンスストアが見える。その手前にある信号を渡れば二車線道路があって、スーパーとスポーツジムが並び、比較的夜も明るいし、歩道も広くなる。バス通学の私はこの大通りを走る路線バスに乗り込み帰宅する。
「えっと、いいよ!大丈夫だよ。」
「いつも一人で帰ってるんすか。」
「いや、普段はバレー部の子でこっち方面の子がいて、その子と帰ってるし。彩子がいると、彩子もこっちから帰ったりするけど。」
「、、、信号んとこまで。」
流川君はさっきと同じことを繰り返して言い、もう歩き出した。カラカラカラっと、ゆっくり押し出したハンドルに付いてくるように、後輪が回転を始めるのを見て、私も絡め取られたように流川君について行く。流川君はさっきの先生の声かけで、どうやら私の事を気にしてくれたらしい。言葉足らずな彼だけれど、この行動に映るシンプルな気持ちが流川君の背中から伝わる。案外、流川君って真面目なのかもしれないな。宮城君は意外と鋭いのかもしれないぞ。明日宮城君に報告してみようと思った。おそらく宮城君は、「ほら、それ、結局のろけじゃんっ!アヤちゃーん、聞いてよ、、、っ!」と言ってまた彩子の下に駆けて行くのは容易に想像できてしまうのだけれど。
***
多くを語らない流川君から、行動理由とその背後にある気持ちを読み解いていく作業は嫌いじゃなかった。一つ一つ気を付けて彼を見ていくと発見がある。そしてその発見を一つ一つ増やしていくたびに流川君に近付いている。そう思うとなんだか楽しくなってゲームみたいにハマっていく自分がいた。
だからかもしれないが、自然と部活中に流川君のことを目で追うことが多くなった。部活っていうのは地味なもので、走ったり、投げたり、飛んだりを繰り返して、決められたメニューを淡々とこなしていくだけだから、目立つような派手なプレーを目にすることはない。流川君だって、ファン目線がなければ、ごくごく普通のバスケ部その他大勢の一人だ。バレー部側からバスケ部を眺めた時には、頭の赤い一年生が、ギャーギャー言いながら、流川君に突っかかっていくのを、キャプテンの宮城君や彩子が怒鳴って(時に宮城君も彩子に怒鳴られ)押さえつけられている場面の方が格段に目につく。それなのに流川君という対象を知ってから、私の焦点は流川君一人に絞られた。
流川君が放ったボールがリングに吸い込まれていく。流川君がいとも簡単にボールを軽く放っているように見えるものだから、私も目の前のバレーボールを持ち上げた。流川君のシュート姿を頭にイメージして、手首のスナップをきかせる。
「シューットッ!」
バスケットボールよりも軽くて小さいはずのバレーボールは、赤いリングの縁にかろうじて当たり、あらぬ方向へ跳ねていった。追い付いて、ボールを拾い上げた私に、ネット際で次のボールを抱えた部員から注意がかかる。
「名前ー!遊んでないでちゃんとボール拾いやってよー!」
「あはは、ごめんごめん!」
私は小走りでコートに戻る。流川君に注目するばっかりに、どうも行動が流川君寄りになってしまっていけない。レシーブのこぼれ玉を追うだけなのに、何度も膝のサポーターの位置を調整したり、トレーナーの袖をめくったり下ろしたりを私は繰り返した。自分の落ち着かない気持ちを散らすように、いつも以上の声出しをしてボールを拾う。
***
「あれ、何すか。」
「え?」
今日は体育館での練習の日だったから、流川君と待ち合わせの日だ。正門まで歩きながら帰っていると流川君が珍しく尋ねてきた。
「部活中。シュートしてたやつ。」
「げっ、見てたの!?」
「たまたま。」
私が苦い顔して流川君を見上げると、流川君はまたいつものように無表情で私を見下ろして言った。
「あんま上手くねーすね。」
「あはは!やっぱり?なんか流川君見てたら、私も出来るんじゃないかなーって思ったんだけどね!」
流川君は私に視線だけ寄越して、また前を向いた。これは流川君なりの相槌だ。こういう時は、この話題で会話を続けても良いということも、流川君と過ごす内に知った。だから今日も私は流川君の言葉を待たずにペラペラと好き勝手に喋る。
「バスケって難しいよ。私、体育くらいでしかやったことないけどさ、よくシュート入るね?吸い込まれるように入るじゃん?しかも連続で。あれ、すごいよ、流川君。」
流川君を褒めても特に反応は返ってこない。けれども負けるのは嫌いらしく、張り合ってくることも、私はこれまでに接した感じから分かっている。
「でもね、バレーだったら負けないよ〜?私。」
流川君は前を向いたまま言った。
「先輩にならオレ勝てそう。バレーでも。」
「は?!今何て言った?私のスパイク受けたことないでしょ!」
「怖。」
流川君、絶対怖がってないくせに、と私は声に出して笑った。まあ、私、ポジションはセッターなんだけど、流川君には分かるまい。そんな含み笑いもしつつ流川君を見る。流川君の視線は宙を彷徨って、それから、何かに気が付いたみたいに話し始めた。
「先輩、あんまスパイクとか打ってなくねーすか。トスしてるか地面に転がってるかしか見てねーかも。」
「地面に転、、、っ!?ボールに食らい付いてるとか言ってよ!やだ、転がってるって何!?」
自分から聞いてきたくせに、流川君は私の反応を見て、わざとそっぽを向いて、ノーリアクションを貫いた。それでも私達は転がってる私を二人で想像し、流川君の巧みに言い表していているさまを面白がった。クスリと笑いあった後に、私はふと心の中で立ち止まる。あれ?私が流川君を見ているように、流川君も知らない間に私のことを見ていたのだろうか。
「も、もっと言い方あるでしょお〜!ねぇ、流川君ってば!!」
さすがに、部活中に私のこと見てるの!?なんて流川君に直接確認するのは差し出がましい。私の中でこの疑問も感情も消化させようとしたけれど、流川君を目の前にすると面映さがピョコンと飛び出した。自分の胸の弾みをかき消そうと、声が大きくなる私に、
「先輩、声デケーす。」
なんて、流川君は迷惑そうな素振りを見せて、平然と言うもんだから、私はさらに焦って、う、うるさいよ!と流川君の腕をバシバシと叩いた。
***
「流川君、今日も駐輪場のとこでいい?うん。じゃあ後で!」
黙って頷く流川君を見て、用件を伝えた私は足早にバレー部側のコートに戻る。部活が始まる少し前、まだ人がまばらなこの時間を狙って流川君に話しかけていた。体育館での練習の日は流川君と一緒に帰る約束をしたけれど、曜日が固定しているわけではない。男子バレー部と体育館使用日を調整して練習するうちの部は、スケジュールが週の初めでコロコロ変わったりするもんだから、不意打ちで今日は外練習、なんて言われる日もある。その逆もまた然り。よって流川君に帰宅情報を共有をしておく必要があった。
「先輩、結構きっちり、してんすね。」
「え?何が?」
帰り道、流川君が珍しく話しかけてきた。
「毎回、体育館の日、帰りの確認しに来るやつ。」
「ああ、あれ?もしかして話しかけられるの嫌だった?」
「別に。」
「だって、部活中に今日は流川君と帰るんだっけ?どうするんだっけー?あー、言ってなかったー!って悶々とするの嫌じゃん。かといって部活始まってから、話し掛けるのもなんか、、、邪魔しちゃ悪いし。」
「真面目すね。」
流川君が一言、感想を述べたから、私は煌々とするコンビニの看板を見ながら言った。
「流川君だって、ちゃんとしてるよ。すごく。」
流川君は私の言った意味が分からないようだったが、特に気に留めることもなく黙って一緒に歩いてくれる。こないだ、コンビニ前の信号の所まで見送ってくれた日から、流川君は必ずここの信号まで一緒に帰ってくれるようになった。私はこのことについて、流川君にまだ何もお礼をしていなかったことを思い出して閃く。
「ねぇ、流川君。お腹空かない?肉まん奢るよ?今20円引きだって。」
私はコンビニの入り口にある20円引きと宣伝された垂れ幕を流川君に分かるように指差して示した。
「、、、ゴチになりマス。」
「あは!反応早っ。素直か!」
噴き出す私に流川君は私の目をじいっと見て強調する様に言う。
「、、、ちゃんとしてるんで。」
こうやってさっきの会話のくだりを持ち込んでは、私を笑わせてくれる。
「あははは!も〜、流川君ってホント面白いよね。楽しい!」
「だから言われたことねーし。」
じゃあ、私だけが知ってるんだね、と私は私の役割を喜んだ。流川君の背中を私は笑ってバンバン叩きながら、二人でコンビニに入った。
流川君は流川君で、いつもあんな感じで喋らないし反応も薄いものだから、周りがどんなに突っついても、絶対にボロを出さないし、うろたえもしないから、聞いた側は肩透かしに合うだけだ。流川君に私たちのことを根掘り葉掘りと尋ねようとする人間はいなかった。
私達は、これまで通りの学校生活を送る。事情を知るのは彩子だけだ。同じクラスで、バスケ部キャプテンの宮城君にも彩子は何も言ってない。口が軽そうだからだろう。多分、きっと。いや、おそらく。
「うっそぉ。苗字さんだったのかよ?!流川と付き合ってんの?最近、体育館に流川目当ての子が来なくなったんだよなあ。女子って分かりやすいよなあ。」
宮城君は授業の休み時間に雑談の一つとして話しかけてきた。椅子の背に抱きつくようにして座る宮城君が言った。
「あいつ、何考えてっか分かんないとこあるけど、バスケには真面目だからなあ。案外彼女にも真面目そうだね。そんな感じっしょ?」
バスケに真面目であるがゆえに、よく知りもしないバレー部の、しかも一つ年上の先輩に付き合ってくれ、なんて言うのだろうか、と私はぼんやりと頭で流川君のことを思い浮かべた。流川君が何考えてるか分からないという点で、宮城君には同意したので、
「確かに。」
と両手で頬杖をついて答えたら、
「のろけてるっっ!!ちょっと、ちょっと、アヤちゃーん!?聞いてよー。」
そう言いながら宮城君は彩子に駆け寄って行った。宮城君はだいぶ思い違いをしているけれど、もはや私達の現状には全員が思い違いをしているのだし、放っておくことにする。
***
学年の違う私と流川君が登校し、その日に初めて顔を合わせるのは放課後の体育館だ。それもバレー部は外練習の日があれば体育館に寄り付くこともないから、一週間のうち、流川君を見かけるのは数回。付き合っている、という体裁を保つため、私が体育館練習の日だけは流川君と待ち合わせして一緒に帰ることになっている。最も、この算段を整えたのは、一番この状況を陰で楽しんでいる彩子なのだけれど。だからこの私達の体裁は意味があるのかないのかも、私自身よく分かっていないし、十中八九流川君も同じだろう。部活が終わり、制服に着替えたら義務的に駐輪場で流川君を待つ。流川君が現れる。そしたら二人で横並びで校門まで100メートルあるかどうか分からない校舎の横を歩いて、校門で逆方向に別れて帰宅だ。この100メートルの間だけ、流川君と私は彼氏と彼女らしい。自分のことであるのに婉曲して表したくなるほど、私と流川君の関係は未だ他人事であった。
「え、流川君、朝練してるの?」
流川君は私の問いに軽く頷いた。流川君との会話の話題なんて校門に辿り着くまでに一つ提示すれば事足りた。部活のこと、授業のこと、バスケのこと、好きな食べ物だったり、好きな音楽だったり。流川君は自ら会話をするタイプではなかったけれど、こちらが尋ねたらそれなりに答える。なので私達の会話は私からの投げかけで始まる一問一答スタイルで成り立っていた。そして今日のテーマは朝練だ。
「朝練って、、、。だって体育館ってうちら朝から使えないじゃん。部で申請してないと体育館の鍵貸してもらえないし。バスケ部って朝練やってないよね?」
「いや、近くの公園で。リングあるとこ。」
「ええー、一人で?!学校行く前からやってんの?凄っ。この辺にバスケできるような公園ってあったっけ?流川君ちの近くとか?」
「すぐそこ。チャリで。ってか学校も家から近いし。」
「あ、そうだよね。流川君、富中だもんね。すぐそこじゃん。ふーん。だから流川君ってバスケ上手いんだ。ね、朝練すれば私も上手くなる?」
と言いながら私はワンハンドのシュートフォームを顔の近くで真似て見せた。どう?こんな感じ?なんて流川君にふざけて聞くと、流川君は私を一瞥して言う。
「打点低い。」
「いや、私、バレー部だからね?!マジなアドバイス求めてないしっ。ふふふふ!」
こんなやりとりをしているうちに、ほら、あっという間に校門の手前だ。先生が門を閉めるために鍵束を持って、下校する生徒達に声をかけて急かしている。
「ほらー、さっさと帰宅しろー。最近変質者も出てるそうだからな、なるべく一人で帰るなよー。明るい道で帰れー。」
夜と言っても過言ではない真冬の部活終わりの学校の道は、寒いし暗い。そういえば陸上部の子が、見知らぬおじさんに声を掛けられたと言ってたことを思い出した。
「うげ。この辺暗いから、男の人とかと歩道ですれ違うの少し怖いんだよねー。さっさと帰ろ!」
私の独り言に近い言葉に、流川君は黙って自転車を押した。校門を抜けて、左右に別れて帰宅するといういつもの段取りに従い、私は流川君に声を掛けた。
「じゃあ、またね。流川君!って、あれ?」
これまでは私のまたね、を待たずに自転車に跨っているはずの流川君が、いつもと逆方向の、すなわち、私が帰宅する方向へ自転車のハンドルを向けていた。
「そこの信号んとこまで。」
運動場の壁沿いの道を真っ直ぐ歩いていくと、うちの高校の生徒御用達のコンビニエンスストアが見える。その手前にある信号を渡れば二車線道路があって、スーパーとスポーツジムが並び、比較的夜も明るいし、歩道も広くなる。バス通学の私はこの大通りを走る路線バスに乗り込み帰宅する。
「えっと、いいよ!大丈夫だよ。」
「いつも一人で帰ってるんすか。」
「いや、普段はバレー部の子でこっち方面の子がいて、その子と帰ってるし。彩子がいると、彩子もこっちから帰ったりするけど。」
「、、、信号んとこまで。」
流川君はさっきと同じことを繰り返して言い、もう歩き出した。カラカラカラっと、ゆっくり押し出したハンドルに付いてくるように、後輪が回転を始めるのを見て、私も絡め取られたように流川君について行く。流川君はさっきの先生の声かけで、どうやら私の事を気にしてくれたらしい。言葉足らずな彼だけれど、この行動に映るシンプルな気持ちが流川君の背中から伝わる。案外、流川君って真面目なのかもしれないな。宮城君は意外と鋭いのかもしれないぞ。明日宮城君に報告してみようと思った。おそらく宮城君は、「ほら、それ、結局のろけじゃんっ!アヤちゃーん、聞いてよ、、、っ!」と言ってまた彩子の下に駆けて行くのは容易に想像できてしまうのだけれど。
***
多くを語らない流川君から、行動理由とその背後にある気持ちを読み解いていく作業は嫌いじゃなかった。一つ一つ気を付けて彼を見ていくと発見がある。そしてその発見を一つ一つ増やしていくたびに流川君に近付いている。そう思うとなんだか楽しくなってゲームみたいにハマっていく自分がいた。
だからかもしれないが、自然と部活中に流川君のことを目で追うことが多くなった。部活っていうのは地味なもので、走ったり、投げたり、飛んだりを繰り返して、決められたメニューを淡々とこなしていくだけだから、目立つような派手なプレーを目にすることはない。流川君だって、ファン目線がなければ、ごくごく普通のバスケ部その他大勢の一人だ。バレー部側からバスケ部を眺めた時には、頭の赤い一年生が、ギャーギャー言いながら、流川君に突っかかっていくのを、キャプテンの宮城君や彩子が怒鳴って(時に宮城君も彩子に怒鳴られ)押さえつけられている場面の方が格段に目につく。それなのに流川君という対象を知ってから、私の焦点は流川君一人に絞られた。
流川君が放ったボールがリングに吸い込まれていく。流川君がいとも簡単にボールを軽く放っているように見えるものだから、私も目の前のバレーボールを持ち上げた。流川君のシュート姿を頭にイメージして、手首のスナップをきかせる。
「シューットッ!」
バスケットボールよりも軽くて小さいはずのバレーボールは、赤いリングの縁にかろうじて当たり、あらぬ方向へ跳ねていった。追い付いて、ボールを拾い上げた私に、ネット際で次のボールを抱えた部員から注意がかかる。
「名前ー!遊んでないでちゃんとボール拾いやってよー!」
「あはは、ごめんごめん!」
私は小走りでコートに戻る。流川君に注目するばっかりに、どうも行動が流川君寄りになってしまっていけない。レシーブのこぼれ玉を追うだけなのに、何度も膝のサポーターの位置を調整したり、トレーナーの袖をめくったり下ろしたりを私は繰り返した。自分の落ち着かない気持ちを散らすように、いつも以上の声出しをしてボールを拾う。
***
「あれ、何すか。」
「え?」
今日は体育館での練習の日だったから、流川君と待ち合わせの日だ。正門まで歩きながら帰っていると流川君が珍しく尋ねてきた。
「部活中。シュートしてたやつ。」
「げっ、見てたの!?」
「たまたま。」
私が苦い顔して流川君を見上げると、流川君はまたいつものように無表情で私を見下ろして言った。
「あんま上手くねーすね。」
「あはは!やっぱり?なんか流川君見てたら、私も出来るんじゃないかなーって思ったんだけどね!」
流川君は私に視線だけ寄越して、また前を向いた。これは流川君なりの相槌だ。こういう時は、この話題で会話を続けても良いということも、流川君と過ごす内に知った。だから今日も私は流川君の言葉を待たずにペラペラと好き勝手に喋る。
「バスケって難しいよ。私、体育くらいでしかやったことないけどさ、よくシュート入るね?吸い込まれるように入るじゃん?しかも連続で。あれ、すごいよ、流川君。」
流川君を褒めても特に反応は返ってこない。けれども負けるのは嫌いらしく、張り合ってくることも、私はこれまでに接した感じから分かっている。
「でもね、バレーだったら負けないよ〜?私。」
流川君は前を向いたまま言った。
「先輩にならオレ勝てそう。バレーでも。」
「は?!今何て言った?私のスパイク受けたことないでしょ!」
「怖。」
流川君、絶対怖がってないくせに、と私は声に出して笑った。まあ、私、ポジションはセッターなんだけど、流川君には分かるまい。そんな含み笑いもしつつ流川君を見る。流川君の視線は宙を彷徨って、それから、何かに気が付いたみたいに話し始めた。
「先輩、あんまスパイクとか打ってなくねーすか。トスしてるか地面に転がってるかしか見てねーかも。」
「地面に転、、、っ!?ボールに食らい付いてるとか言ってよ!やだ、転がってるって何!?」
自分から聞いてきたくせに、流川君は私の反応を見て、わざとそっぽを向いて、ノーリアクションを貫いた。それでも私達は転がってる私を二人で想像し、流川君の巧みに言い表していているさまを面白がった。クスリと笑いあった後に、私はふと心の中で立ち止まる。あれ?私が流川君を見ているように、流川君も知らない間に私のことを見ていたのだろうか。
「も、もっと言い方あるでしょお〜!ねぇ、流川君ってば!!」
さすがに、部活中に私のこと見てるの!?なんて流川君に直接確認するのは差し出がましい。私の中でこの疑問も感情も消化させようとしたけれど、流川君を目の前にすると面映さがピョコンと飛び出した。自分の胸の弾みをかき消そうと、声が大きくなる私に、
「先輩、声デケーす。」
なんて、流川君は迷惑そうな素振りを見せて、平然と言うもんだから、私はさらに焦って、う、うるさいよ!と流川君の腕をバシバシと叩いた。
***
「流川君、今日も駐輪場のとこでいい?うん。じゃあ後で!」
黙って頷く流川君を見て、用件を伝えた私は足早にバレー部側のコートに戻る。部活が始まる少し前、まだ人がまばらなこの時間を狙って流川君に話しかけていた。体育館での練習の日は流川君と一緒に帰る約束をしたけれど、曜日が固定しているわけではない。男子バレー部と体育館使用日を調整して練習するうちの部は、スケジュールが週の初めでコロコロ変わったりするもんだから、不意打ちで今日は外練習、なんて言われる日もある。その逆もまた然り。よって流川君に帰宅情報を共有をしておく必要があった。
「先輩、結構きっちり、してんすね。」
「え?何が?」
帰り道、流川君が珍しく話しかけてきた。
「毎回、体育館の日、帰りの確認しに来るやつ。」
「ああ、あれ?もしかして話しかけられるの嫌だった?」
「別に。」
「だって、部活中に今日は流川君と帰るんだっけ?どうするんだっけー?あー、言ってなかったー!って悶々とするの嫌じゃん。かといって部活始まってから、話し掛けるのもなんか、、、邪魔しちゃ悪いし。」
「真面目すね。」
流川君が一言、感想を述べたから、私は煌々とするコンビニの看板を見ながら言った。
「流川君だって、ちゃんとしてるよ。すごく。」
流川君は私の言った意味が分からないようだったが、特に気に留めることもなく黙って一緒に歩いてくれる。こないだ、コンビニ前の信号の所まで見送ってくれた日から、流川君は必ずここの信号まで一緒に帰ってくれるようになった。私はこのことについて、流川君にまだ何もお礼をしていなかったことを思い出して閃く。
「ねぇ、流川君。お腹空かない?肉まん奢るよ?今20円引きだって。」
私はコンビニの入り口にある20円引きと宣伝された垂れ幕を流川君に分かるように指差して示した。
「、、、ゴチになりマス。」
「あは!反応早っ。素直か!」
噴き出す私に流川君は私の目をじいっと見て強調する様に言う。
「、、、ちゃんとしてるんで。」
こうやってさっきの会話のくだりを持ち込んでは、私を笑わせてくれる。
「あははは!も〜、流川君ってホント面白いよね。楽しい!」
「だから言われたことねーし。」
じゃあ、私だけが知ってるんだね、と私は私の役割を喜んだ。流川君の背中を私は笑ってバンバン叩きながら、二人でコンビニに入った。