つまはじきの冬磁石(三井)
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「苗字、年末どうすんの?実家帰る?」
食事を済ませた私達は店を出た。会計はたいてい割り勘なのだけど、今夜は三井君が全部出してくれた。お会計を待つ間に私から、どうしたの?何か良いことでもあった?と聞いても、三井君は、別に、としか答えない。そして帰りの地下鉄に向かう途中で、年末の予定まで聞かれたもんだから、さすがに私だってこう聞いた。
「だからどうしたの、三井君。」
「別に。や、年末ってどーしてんのかなと思って。」
「年末はこっちにいる友達と会うよ。元旦に実家帰るつもり。三井君は?」
二人で歩きながら帰るけれど、辿り着く先はいつも別だ。私達は、いつも近況について語り、お酒を飲んで、食事をして、淡々と解散の流れに向かう。三井君はJRで、私は地下鉄。今歩いている路地から大通りに出て、大きな橋を渡りきったら、地下への入口が見えてくる。そしたら三井君とはさよならをして、私の気持ちも三井君と次に会うまで沈み、潜っていくのだ。
「バスケ部にいた木暮って知ってる?お前。」
「ああ、うん。木暮君ね。隣のクラスだった。何回か喋ったことあるよ、私。いつも年末はバスケ部で集まってるんだよね、三井君達。」
「あいつ、結婚するらしいぜ。で、今回は都合つく奴少ねーから、集まらないことになったんだよ。」
「あー、既婚者増えてくると、年末年始になかなか集まれなくなるよね。あるある。」
「そー。こうやって変わっていくものもあるよな。っていうことを最近やたら感じるわけ。この年末に。」
三井君はダウンジャケットのポケットに手を入れて、やや猫背気味に歩いている。私は首元のマフラーに鼻まで埋めるように身を竦めた。暮れも押し詰まると、何もかもを振り返りたくなったり、普段は気にしないことまで気に留めてしまうのはどうしてだろう。そしてそれは三井君も例外ではないみたい。変わることが悪いわけじゃない。でも変わることについていけないことはちょっと不安になる。私と三井君の関係も少しずつ変わっていくのだろうか。冬の外気はピリピリと肌をさすように張り詰めて、私の酔いも三井君と居る時の楽しい気持ちも少しだけ冷まそうとする。
「お前さ、オレに彼女とか出来たらどーすんの?」
三井君の声は、冴えた夜に響いた。そういえば、三井君本人には言ったことはなかったかもしれない。だけど、誰に聞かれたって、私はいつもこう答えてきたんだ。
「三井君に彼女いる状態は何度も経験してるし、慣れてるよ?私ね、三井君の元カノの誕生日もまだ覚えてるもん。」
「いや、おかしいだろ。なんで苗字が覚えてるんだよ、オレは忘れてるっつーのに、、、。」
胡乱な目で私を睨むようにして三井君は呟いた。飲み過ぎたかもしれない。こんなことを片思いの相手に伝えるなんて我ながらおかしなことを言っているな、と自分を笑った。三井君は話を続ける。
「オレら、もうイイ歳じゃん。オレだって、結婚するかもしんねーし。」
「えっ!?結婚予定あるの?三井君。」
「まだしねーよ!そしていねーよ、そんな相手!」
「良かったぁ〜。じゃあ三井君、結婚に困ったら言って。私が彼女を通り越して、三井君の配偶者になるね。あはは。」
私がケラケラと笑って言うと、いつもは聞いてないフリをしたり、話を変えたりしてやり過ごす三井君が、今日はなぜかしつこく追い掛けてくる。
「苗字。そんなことばっかり言ってたら、彼氏出来ねーし、結婚も出来ねーよ。」
「だって、三井寿を超えるようなカッコよくて素敵な男の人が見つからないんだもん。」
「お前、それを本人の前で言う?」
三井君は眉間にシワを寄せるけれど、口元は笑っている。褒められると、おだてられると、かっこいいって伝えると、満更でもないって顔をするのが三井君だ。私は、来年の抱負を語るように三井君に語る。
「私は、三井君とこうやって、たまに会えて、たまにゴハンに行ければそれでいいよ。へへへ。」
「お前はバカじゃねーのか。ヘラヘラ笑ってんじゃねーよ。」
「へへへ。だって三井君のこと、ずっと好きなんだもん。」
素直すぎると言えば聞こえはいいかもしれない。でも、いつも好きだと言って、三井君を困らせてしまう私は不器用なだけだ。三井君は今日もまた口を尖らせた。
「また、好きとかすぐ言う。それ、今日何回目?」
「数えてないよ。、、、7、8回くらいは言ってる?」
「じゃあ、次でラストにしようぜ、ラスト。もう終わり。」
「え、ラスト?」
三井君はとうとう私との会話に飽きてしまったようだ。相手への気持ちの度合いを、温かいとか冷たいとかの尺度で表すのなら、温度差というものはここに来て、私を冷たくあしらってくる。三井君との会話はとても楽しいけれど、三井君を楽しくさせることは出来ないみたい。
「よっしゃ。苗字、ラストは初めて告白した時のテンションで言え。聞いてやっから。」
「ええー、やだよ。やだ。ちゃんと言うのやだ。」
「何だソレ。好き好きって、普段は軽く言うくせに。」
「だって、、、。」
ちゃんと想いを乗せた言葉を紡ぐと決まって三井君は、ちゃんとしっかり断るんだもの。いつもは軽口で私の愛の告白を跳ね返すくせに、そういう時には誤魔化さないし、冗談なんか言わない人なんだ、三井君は。それは三度目の告白をしたときにようやく覚えたし、それでますます三井君が素敵に見えたし、もっと好きになってしまうのだ。とはいっても告白を断られるなんて、そうそう経験したくはないし、そんなことで三井君を好きだと再認識をすることは非常に切ない。三井君の少し真面目で気まずそうに返す「ごめん。」の一言は、何度言われてもさすがに今でも堪えてしまうのだ。そんなことを考えて、しんみりとしてしまう私に、またもや温度差を感じさせるように三井君は喋った。
「ちょうどいいじゃねーか。108回目ってことにしようぜ。煩悩を払えるぞ、ボンノーを。」
「煩悩って、、、ぷっ、それって除夜の鐘ってこと?確かに今年もあと僅かだけどもさぁ。」
私は空を仰いだ。自分の吐いた白い息が夜空に溶けていく。鼻先を掠める凍ったような空気は雑音のない夜を作り出すが、私達二人の心の距離を埋めるほどの力はなさそうだ。二人の隙間を白い吐息が頼りなく通り過ぎていく。
「あれ言え。階段でいきなり告ってくる高一の時のやつ。お!そこ立てよ。」
三井君は私達が歩く道路と公園を分ける、花壇の縁取りを組み立てているレンガの上を指した。
「あはは、階段?演出が細かいよ、三井君。よく覚えてるね。」
三井君が示した二人の高低差を付けた演出に、私は、よっ、と声に弾みをつけてレンガの上に立った。三井君を見下ろすほどの高さはないけれど、三井君と視線が並行になることは珍しくて、私はこの高さを保つ。そしてこのレンガが終わる橋の手前まで歩くことにしたら、三井君も私の隣に従って歩調を合わせた。バランスを取りながらゆっくりと歩く私の隣で、三井君は会話を続ける。
「苗字が酔っ払ったら、何度もその話してんじゃねーかよ。さすがに覚えるって。」
そう言った三井君は、告白された張本人のくせして、他人事のようにいい加減で偉そうに笑った。その表情は昔から変わらない、私の大好きな三井君だ。私はずっと、ずっと、好きが終わらない。そう思った瞬間から、気持ちはポロポロとこぼれ出した。胸の奥が絞り取られるような苦しさを自分の中に収めきれない。ああ、いつもこうだ。そして私は三井君のあの気まずそうなごめんを受け取る苦しさよりも、自分勝手にこの破裂しそうになる想いを解放することを優先させてしまうのだ。もうどうなってもいいや、という気持ちも存分に言葉に乗せて解放してしまう。
「三井君、どうしても好きです。一緒にいて欲しいので付き合って下さい!」
久々にまともで真面目で本気の告白だった。ああ、また堪えられずに言ってしまった、と鼻の奥がツーンとするような痺れに私は目を瞑る。束の間、三井君は私の手を優しく取り上げ、そして軽く上下に振りながら握手して言った。
「おう。よろしく。」
「は!?」
予想だにしない三井君の反応に、私は目を見開き、口をあんぐりと開けたままだったようで、それを見て三井君は体を折り曲げるようにして笑った。
「ぶは!お前、"は!?"って何だよ!」
「いや、えと、、、だって、ホント今日どうしちゃったの!?なんかおかしいよ。」
「おかしいのは苗字の方だろ。よろしくって言ってんじゃん、オレ。もちっと喜べよ。」
「このパターン初めてで、ちょっとどう対処して良いか、、、。」
三井君の目を見て喋ることなんか出来なくて、足元に視線を落としながら私は言った。
「苗字、オレ、お前とこうやって会ったりすんの嫌いじゃねーよ。前々から。それは分かってんだろ?」
「は、はい。」
「周りも自分も変わっていくのに、こんなに同じ調子でオレのこと構ってくれんの、お前くらいなもんだよ。あれ?オレ、前に言ったよな?夏以降、仕事、超忙しくてさ。休む暇ないくらいずっと走りっぱなしな感じで。んで、やっとこの年末にその忙しさから抜け出したんだよ。そしたら、そのタイミングでお前から飲みの誘い受けただろ?なんかこう、嬉しかったんだよな。ここ最近まで気ぃ張ってたことに気付いて、やっと気を抜けるとこ見つけたっていうか。でも苗字ってそういうタイミングを別に狙ってやってるわけじゃねーじゃん?自然体だから、会うのに構えなくっていーし。あー、オレもラクだわと。」
「は、はぁ、、、。ですか。」
それは単に三井君が心身共にお疲れだったからでは?と、私がこの状況への不可解さを混ぜた相槌で返すと、三井君は、なんでさっきから敬語なんだよ、と言って私を小突いた。普段より過多な気がするスキンシップにも、私は既に戸惑ってしまっている。
「けど、苗字って、オレのこと好きって言うけど、だからってオレとどうこうなりたいって感じで接して来ねぇじゃん。いたってフッツーだよな?こっちは思うんだよ、実はお前、言うほどオレのこと好きじゃねーだろ、って。」
「そんなことないよ!好きだよ!めちゃくちゃ!三井君のこと!」
「お前、トロいくせにそういうとこは反応も反論も早ぇな、、、、や、じゃなくて!」
三井君は、大きくため息をついた。でもそれは決して私に対する感情の表れではなくって、物事を進める時に加わる弾みとか強さの前の一呼吸だ。三井君は一拍置いて、私に言った。
「オレ、そういうの気になり出したら、とことん気になってくんの!お前が連絡くれた日からさ、今日までずっとお前のこと考えてるし、考えたら考えたで、お前のその態度もムカついちまうし。がしかし!お前にムカつくのは何か違うな、とはオレも思うわけよ。苗字ほど、自分に鈍感じゃねーからな。ってことはもう、あ、これ苗字と付き合ってみたらいいんじゃね?ってなるよな?」
なるよな?って同意を求められても、三井君の思考力について行けず、やはり対処に困って私はどうしていいか分からない。目を泳がせた私の視線の先には、三井君の手があった。繋がれた手が私を後押ししてくれる。単純なのは昔から。思い込みが激しいのも昔から。そう、三井君を好きになった時からずっと。
「えと、、、じゃあ、今から三井君は私の彼氏になってくれるってことで?」
確認をするように、三井君をようやく見た。いつもは見上げないといけない三井君の顔が、真っ直ぐな視線の先にあって、ドキリとする。
「違ぇーよ。苗字がオレの彼女になるんだろ。」
「同じじゃん、、、。」
二人共、こんな甘さに慣れてないからか、ぎこちなく微笑みながらも、互いの気持ちを共有する。私は今この時、こんなにかっこ良くて、ずっと憧れ続けてきた三井君の彼女になったのだそうだ。まだまだ信じ難くて現実味のなさに、フワフワしてしまう。これまでも三井君に告白をするところまでは、何度もシュミレートしてきたのだけれど、いつも玉砕するイメージしか持っていなかった。だから三井君と付き合うという現実的なイメージが自分の中に全く欠けていたことに今更ながら不安を覚えた私は、続けて口にした。
「あの、もしすぐ別れるってなっても、その後も私、三井君のこと好きでいても、、、いいかな?」
「お前は何でそう、後ろ向きなんだよ、、、。好き好き積極的に言えるくせに。」
「ご、ごめんね。へへへ。」
「だからヘラヘラ笑うんじゃねぇっつんだよ。もしかしたら逆パターンあるかもしんねぇじゃん?苗字がオレにがっかりする的な。あ、クソ、お前がそんなこと言い出すから、オレも後ろ向きなこと言っちまったじゃねーか!」
と、舌打ちのついでに口を尖らせた三井君を見て、私はクスリと笑った。それに気付いた三井君は、先ほどの会話を誤魔化すように早口になって私に向かってきた。
「つまりだ!付き合ってみないと分かんねーだろ、色々と。」
「私はもうだいたい分かるよ?三井君のことは。」
私はいつもの調子を取り戻して答えた。
「はぁ?本当かよ?」
「ホント、ホント!だって私は10年以上も三井君のこと見てきてるんだから。」
自信満々な私に、三井君はきっと呆れた態度で否定してくるのだと私は待ち構えた。すると、少しの沈黙ののちに三井君が口を開く。
「じゃあ、こっち向いて。」
「ん?」
段差のある私と三井君の目の高さは、同じ直線上に位置しているものだから、三井君が真っ直ぐに私の顔に近付けば、唇は簡単に合わさる。キスされたと頭で認識した時には、三井君の唇は離れて、また元の位置に戻っていた。
「、、、嘘、、、い、今のって、、、!?」
「オレのこと、だいたい分かるんじゃなかったのかよ。」
悪そうな顔して笑う三井君に対して、私は自分に落とされたはずの数秒前の唇の感触をあれこれと探ろうとするも、一瞬の出来事に呆然とするばかりで何も残ってなんかいない。しかし驚きと共に三井君が落としていったキスの事実は余韻となって大きく私の胸に波打ち、広がっていく。
「三井君、キスの仕方までかっこいいんだね、、、。」
「バッカ、、、!お前、いちいち感想なんか要らねーよ!」
照れたように言い捨てる三井君をよそに、私は三井君の手を支えにして、レンガの段差を飛び降りた。私達はしばらく黙って歩き続ける。橋を渡っていくと、地下鉄の改札へ向かう階段が見えてきた。地下へ潜る入口に着いても、三井君は私と手を繋いだままだったので私は思ったことをそのまま述べた。
「じゃあ、えと、あの、お疲れ様でした。」
私が地下鉄に乗る旨を伝えようと階段を指差し、三井君と繋いだ手についても離れようと動きかけたら。
「いやいやいやいや!待て待て待て待て!!」
三井君は認めないとでも言わんばかりに、素早い動きで、私が地下を示すその指を握って制し、そして下ろさせた。今日イチの大きなため息とともに。
「え?な、何?」
「苗字、それマジで言ってんの?」
「う、うん。え?違った?三井君、JRでしょ?」
「お前さあ、考えてみろよ?この時間に付き合おうってなった男女が解散する?普通。」
「でも三井君、終電大丈夫?私はここから家、近いからいいけど、、、。」
「はぁ。なんでオレの方が必死なんだよ、、、。」
噛み合わせの悪い私達の会話は、多分私が三井君のスピードに付いて行けていないからだ。付き合うと決めたはいいけれど、急に恋人として接することなんて出来るわけがない。安定していた関係を急に崩して再構築するなんてことは、のろまな私が最も苦手とするところだ。
肝心なところで引いた態度とるよな、と私について指摘する三井君は、私を引っ張るようにして階段を降りて行く。改札を抜けて、ホームに降り立つと、三井君は口を開いた。
「どっち?方面。こっからはお前が連れてけよ。」
「えぇ〜、うちに!?来る気?」
「だって、明日休みだもん、オレ。」
三井君は自分の家に帰るつもりは更々なさそうだが、私はこれ以上敢えての会話で確認することはしなかった。気恥ずかしい、嬉しい、むず痒い、好き、おそらくその全ての感情が、あっという間に私の頬に血を上らせた。三井君との新たな間柄を整理出来ないまま、私は口を噤み、手を引かれてホームに立ち尽くしていた。ここは地上より寒くはないけれど、三井君に照れた顔を見られたくなくてマフラーに顔を埋める。
いつもならすぐに撃ち抜かれた心の内を素直に三井君に語り出そうとする私なのに、いざと言う時には三井君に対して今一歩踏み込めていなかった自分を実感する。どん臭い私は、それが三井君の指摘通りなことに、三井君って凄いなあ、なんてのんびりした感想が遅れてやってくる。薄荷のような後味を残し、私は少しずつ三井君へ前進する。
「三井君って、外でも手を繋いで歩けるタイプなんだねぇ。」
「あ?最初くらい形から入ってみた方がいいんじゃね?オレら。」
「最初くらいって、、、」
ホームに滑り込んで来る地下鉄の巻き起こす風が、私達二人にもぶつかってくる。酔っ払っているのも、三井君との関係にも足元がおぼつかないせいか、地下鉄の轟々とした音と突風に煽られて私はよろめく。けれど今日は隣にいる三井君が私をしっかりと抱き支える。相変わらずトロくせぇな、しゃんと立てよ、なんて悪態をつきながら。そうして近寄った三井君は私に聞いてきた。
「で、どーすんの?」
駅のホームアナウンスが行き先を告げる。私は無言で三井君を引っ張り、この電車に乗るという意思を告げた。地下鉄のホームドアが口を開く。吸い込まれるように私達は乗り込んだ。
食事を済ませた私達は店を出た。会計はたいてい割り勘なのだけど、今夜は三井君が全部出してくれた。お会計を待つ間に私から、どうしたの?何か良いことでもあった?と聞いても、三井君は、別に、としか答えない。そして帰りの地下鉄に向かう途中で、年末の予定まで聞かれたもんだから、さすがに私だってこう聞いた。
「だからどうしたの、三井君。」
「別に。や、年末ってどーしてんのかなと思って。」
「年末はこっちにいる友達と会うよ。元旦に実家帰るつもり。三井君は?」
二人で歩きながら帰るけれど、辿り着く先はいつも別だ。私達は、いつも近況について語り、お酒を飲んで、食事をして、淡々と解散の流れに向かう。三井君はJRで、私は地下鉄。今歩いている路地から大通りに出て、大きな橋を渡りきったら、地下への入口が見えてくる。そしたら三井君とはさよならをして、私の気持ちも三井君と次に会うまで沈み、潜っていくのだ。
「バスケ部にいた木暮って知ってる?お前。」
「ああ、うん。木暮君ね。隣のクラスだった。何回か喋ったことあるよ、私。いつも年末はバスケ部で集まってるんだよね、三井君達。」
「あいつ、結婚するらしいぜ。で、今回は都合つく奴少ねーから、集まらないことになったんだよ。」
「あー、既婚者増えてくると、年末年始になかなか集まれなくなるよね。あるある。」
「そー。こうやって変わっていくものもあるよな。っていうことを最近やたら感じるわけ。この年末に。」
三井君はダウンジャケットのポケットに手を入れて、やや猫背気味に歩いている。私は首元のマフラーに鼻まで埋めるように身を竦めた。暮れも押し詰まると、何もかもを振り返りたくなったり、普段は気にしないことまで気に留めてしまうのはどうしてだろう。そしてそれは三井君も例外ではないみたい。変わることが悪いわけじゃない。でも変わることについていけないことはちょっと不安になる。私と三井君の関係も少しずつ変わっていくのだろうか。冬の外気はピリピリと肌をさすように張り詰めて、私の酔いも三井君と居る時の楽しい気持ちも少しだけ冷まそうとする。
「お前さ、オレに彼女とか出来たらどーすんの?」
三井君の声は、冴えた夜に響いた。そういえば、三井君本人には言ったことはなかったかもしれない。だけど、誰に聞かれたって、私はいつもこう答えてきたんだ。
「三井君に彼女いる状態は何度も経験してるし、慣れてるよ?私ね、三井君の元カノの誕生日もまだ覚えてるもん。」
「いや、おかしいだろ。なんで苗字が覚えてるんだよ、オレは忘れてるっつーのに、、、。」
胡乱な目で私を睨むようにして三井君は呟いた。飲み過ぎたかもしれない。こんなことを片思いの相手に伝えるなんて我ながらおかしなことを言っているな、と自分を笑った。三井君は話を続ける。
「オレら、もうイイ歳じゃん。オレだって、結婚するかもしんねーし。」
「えっ!?結婚予定あるの?三井君。」
「まだしねーよ!そしていねーよ、そんな相手!」
「良かったぁ〜。じゃあ三井君、結婚に困ったら言って。私が彼女を通り越して、三井君の配偶者になるね。あはは。」
私がケラケラと笑って言うと、いつもは聞いてないフリをしたり、話を変えたりしてやり過ごす三井君が、今日はなぜかしつこく追い掛けてくる。
「苗字。そんなことばっかり言ってたら、彼氏出来ねーし、結婚も出来ねーよ。」
「だって、三井寿を超えるようなカッコよくて素敵な男の人が見つからないんだもん。」
「お前、それを本人の前で言う?」
三井君は眉間にシワを寄せるけれど、口元は笑っている。褒められると、おだてられると、かっこいいって伝えると、満更でもないって顔をするのが三井君だ。私は、来年の抱負を語るように三井君に語る。
「私は、三井君とこうやって、たまに会えて、たまにゴハンに行ければそれでいいよ。へへへ。」
「お前はバカじゃねーのか。ヘラヘラ笑ってんじゃねーよ。」
「へへへ。だって三井君のこと、ずっと好きなんだもん。」
素直すぎると言えば聞こえはいいかもしれない。でも、いつも好きだと言って、三井君を困らせてしまう私は不器用なだけだ。三井君は今日もまた口を尖らせた。
「また、好きとかすぐ言う。それ、今日何回目?」
「数えてないよ。、、、7、8回くらいは言ってる?」
「じゃあ、次でラストにしようぜ、ラスト。もう終わり。」
「え、ラスト?」
三井君はとうとう私との会話に飽きてしまったようだ。相手への気持ちの度合いを、温かいとか冷たいとかの尺度で表すのなら、温度差というものはここに来て、私を冷たくあしらってくる。三井君との会話はとても楽しいけれど、三井君を楽しくさせることは出来ないみたい。
「よっしゃ。苗字、ラストは初めて告白した時のテンションで言え。聞いてやっから。」
「ええー、やだよ。やだ。ちゃんと言うのやだ。」
「何だソレ。好き好きって、普段は軽く言うくせに。」
「だって、、、。」
ちゃんと想いを乗せた言葉を紡ぐと決まって三井君は、ちゃんとしっかり断るんだもの。いつもは軽口で私の愛の告白を跳ね返すくせに、そういう時には誤魔化さないし、冗談なんか言わない人なんだ、三井君は。それは三度目の告白をしたときにようやく覚えたし、それでますます三井君が素敵に見えたし、もっと好きになってしまうのだ。とはいっても告白を断られるなんて、そうそう経験したくはないし、そんなことで三井君を好きだと再認識をすることは非常に切ない。三井君の少し真面目で気まずそうに返す「ごめん。」の一言は、何度言われてもさすがに今でも堪えてしまうのだ。そんなことを考えて、しんみりとしてしまう私に、またもや温度差を感じさせるように三井君は喋った。
「ちょうどいいじゃねーか。108回目ってことにしようぜ。煩悩を払えるぞ、ボンノーを。」
「煩悩って、、、ぷっ、それって除夜の鐘ってこと?確かに今年もあと僅かだけどもさぁ。」
私は空を仰いだ。自分の吐いた白い息が夜空に溶けていく。鼻先を掠める凍ったような空気は雑音のない夜を作り出すが、私達二人の心の距離を埋めるほどの力はなさそうだ。二人の隙間を白い吐息が頼りなく通り過ぎていく。
「あれ言え。階段でいきなり告ってくる高一の時のやつ。お!そこ立てよ。」
三井君は私達が歩く道路と公園を分ける、花壇の縁取りを組み立てているレンガの上を指した。
「あはは、階段?演出が細かいよ、三井君。よく覚えてるね。」
三井君が示した二人の高低差を付けた演出に、私は、よっ、と声に弾みをつけてレンガの上に立った。三井君を見下ろすほどの高さはないけれど、三井君と視線が並行になることは珍しくて、私はこの高さを保つ。そしてこのレンガが終わる橋の手前まで歩くことにしたら、三井君も私の隣に従って歩調を合わせた。バランスを取りながらゆっくりと歩く私の隣で、三井君は会話を続ける。
「苗字が酔っ払ったら、何度もその話してんじゃねーかよ。さすがに覚えるって。」
そう言った三井君は、告白された張本人のくせして、他人事のようにいい加減で偉そうに笑った。その表情は昔から変わらない、私の大好きな三井君だ。私はずっと、ずっと、好きが終わらない。そう思った瞬間から、気持ちはポロポロとこぼれ出した。胸の奥が絞り取られるような苦しさを自分の中に収めきれない。ああ、いつもこうだ。そして私は三井君のあの気まずそうなごめんを受け取る苦しさよりも、自分勝手にこの破裂しそうになる想いを解放することを優先させてしまうのだ。もうどうなってもいいや、という気持ちも存分に言葉に乗せて解放してしまう。
「三井君、どうしても好きです。一緒にいて欲しいので付き合って下さい!」
久々にまともで真面目で本気の告白だった。ああ、また堪えられずに言ってしまった、と鼻の奥がツーンとするような痺れに私は目を瞑る。束の間、三井君は私の手を優しく取り上げ、そして軽く上下に振りながら握手して言った。
「おう。よろしく。」
「は!?」
予想だにしない三井君の反応に、私は目を見開き、口をあんぐりと開けたままだったようで、それを見て三井君は体を折り曲げるようにして笑った。
「ぶは!お前、"は!?"って何だよ!」
「いや、えと、、、だって、ホント今日どうしちゃったの!?なんかおかしいよ。」
「おかしいのは苗字の方だろ。よろしくって言ってんじゃん、オレ。もちっと喜べよ。」
「このパターン初めてで、ちょっとどう対処して良いか、、、。」
三井君の目を見て喋ることなんか出来なくて、足元に視線を落としながら私は言った。
「苗字、オレ、お前とこうやって会ったりすんの嫌いじゃねーよ。前々から。それは分かってんだろ?」
「は、はい。」
「周りも自分も変わっていくのに、こんなに同じ調子でオレのこと構ってくれんの、お前くらいなもんだよ。あれ?オレ、前に言ったよな?夏以降、仕事、超忙しくてさ。休む暇ないくらいずっと走りっぱなしな感じで。んで、やっとこの年末にその忙しさから抜け出したんだよ。そしたら、そのタイミングでお前から飲みの誘い受けただろ?なんかこう、嬉しかったんだよな。ここ最近まで気ぃ張ってたことに気付いて、やっと気を抜けるとこ見つけたっていうか。でも苗字ってそういうタイミングを別に狙ってやってるわけじゃねーじゃん?自然体だから、会うのに構えなくっていーし。あー、オレもラクだわと。」
「は、はぁ、、、。ですか。」
それは単に三井君が心身共にお疲れだったからでは?と、私がこの状況への不可解さを混ぜた相槌で返すと、三井君は、なんでさっきから敬語なんだよ、と言って私を小突いた。普段より過多な気がするスキンシップにも、私は既に戸惑ってしまっている。
「けど、苗字って、オレのこと好きって言うけど、だからってオレとどうこうなりたいって感じで接して来ねぇじゃん。いたってフッツーだよな?こっちは思うんだよ、実はお前、言うほどオレのこと好きじゃねーだろ、って。」
「そんなことないよ!好きだよ!めちゃくちゃ!三井君のこと!」
「お前、トロいくせにそういうとこは反応も反論も早ぇな、、、、や、じゃなくて!」
三井君は、大きくため息をついた。でもそれは決して私に対する感情の表れではなくって、物事を進める時に加わる弾みとか強さの前の一呼吸だ。三井君は一拍置いて、私に言った。
「オレ、そういうの気になり出したら、とことん気になってくんの!お前が連絡くれた日からさ、今日までずっとお前のこと考えてるし、考えたら考えたで、お前のその態度もムカついちまうし。がしかし!お前にムカつくのは何か違うな、とはオレも思うわけよ。苗字ほど、自分に鈍感じゃねーからな。ってことはもう、あ、これ苗字と付き合ってみたらいいんじゃね?ってなるよな?」
なるよな?って同意を求められても、三井君の思考力について行けず、やはり対処に困って私はどうしていいか分からない。目を泳がせた私の視線の先には、三井君の手があった。繋がれた手が私を後押ししてくれる。単純なのは昔から。思い込みが激しいのも昔から。そう、三井君を好きになった時からずっと。
「えと、、、じゃあ、今から三井君は私の彼氏になってくれるってことで?」
確認をするように、三井君をようやく見た。いつもは見上げないといけない三井君の顔が、真っ直ぐな視線の先にあって、ドキリとする。
「違ぇーよ。苗字がオレの彼女になるんだろ。」
「同じじゃん、、、。」
二人共、こんな甘さに慣れてないからか、ぎこちなく微笑みながらも、互いの気持ちを共有する。私は今この時、こんなにかっこ良くて、ずっと憧れ続けてきた三井君の彼女になったのだそうだ。まだまだ信じ難くて現実味のなさに、フワフワしてしまう。これまでも三井君に告白をするところまでは、何度もシュミレートしてきたのだけれど、いつも玉砕するイメージしか持っていなかった。だから三井君と付き合うという現実的なイメージが自分の中に全く欠けていたことに今更ながら不安を覚えた私は、続けて口にした。
「あの、もしすぐ別れるってなっても、その後も私、三井君のこと好きでいても、、、いいかな?」
「お前は何でそう、後ろ向きなんだよ、、、。好き好き積極的に言えるくせに。」
「ご、ごめんね。へへへ。」
「だからヘラヘラ笑うんじゃねぇっつんだよ。もしかしたら逆パターンあるかもしんねぇじゃん?苗字がオレにがっかりする的な。あ、クソ、お前がそんなこと言い出すから、オレも後ろ向きなこと言っちまったじゃねーか!」
と、舌打ちのついでに口を尖らせた三井君を見て、私はクスリと笑った。それに気付いた三井君は、先ほどの会話を誤魔化すように早口になって私に向かってきた。
「つまりだ!付き合ってみないと分かんねーだろ、色々と。」
「私はもうだいたい分かるよ?三井君のことは。」
私はいつもの調子を取り戻して答えた。
「はぁ?本当かよ?」
「ホント、ホント!だって私は10年以上も三井君のこと見てきてるんだから。」
自信満々な私に、三井君はきっと呆れた態度で否定してくるのだと私は待ち構えた。すると、少しの沈黙ののちに三井君が口を開く。
「じゃあ、こっち向いて。」
「ん?」
段差のある私と三井君の目の高さは、同じ直線上に位置しているものだから、三井君が真っ直ぐに私の顔に近付けば、唇は簡単に合わさる。キスされたと頭で認識した時には、三井君の唇は離れて、また元の位置に戻っていた。
「、、、嘘、、、い、今のって、、、!?」
「オレのこと、だいたい分かるんじゃなかったのかよ。」
悪そうな顔して笑う三井君に対して、私は自分に落とされたはずの数秒前の唇の感触をあれこれと探ろうとするも、一瞬の出来事に呆然とするばかりで何も残ってなんかいない。しかし驚きと共に三井君が落としていったキスの事実は余韻となって大きく私の胸に波打ち、広がっていく。
「三井君、キスの仕方までかっこいいんだね、、、。」
「バッカ、、、!お前、いちいち感想なんか要らねーよ!」
照れたように言い捨てる三井君をよそに、私は三井君の手を支えにして、レンガの段差を飛び降りた。私達はしばらく黙って歩き続ける。橋を渡っていくと、地下鉄の改札へ向かう階段が見えてきた。地下へ潜る入口に着いても、三井君は私と手を繋いだままだったので私は思ったことをそのまま述べた。
「じゃあ、えと、あの、お疲れ様でした。」
私が地下鉄に乗る旨を伝えようと階段を指差し、三井君と繋いだ手についても離れようと動きかけたら。
「いやいやいやいや!待て待て待て待て!!」
三井君は認めないとでも言わんばかりに、素早い動きで、私が地下を示すその指を握って制し、そして下ろさせた。今日イチの大きなため息とともに。
「え?な、何?」
「苗字、それマジで言ってんの?」
「う、うん。え?違った?三井君、JRでしょ?」
「お前さあ、考えてみろよ?この時間に付き合おうってなった男女が解散する?普通。」
「でも三井君、終電大丈夫?私はここから家、近いからいいけど、、、。」
「はぁ。なんでオレの方が必死なんだよ、、、。」
噛み合わせの悪い私達の会話は、多分私が三井君のスピードに付いて行けていないからだ。付き合うと決めたはいいけれど、急に恋人として接することなんて出来るわけがない。安定していた関係を急に崩して再構築するなんてことは、のろまな私が最も苦手とするところだ。
肝心なところで引いた態度とるよな、と私について指摘する三井君は、私を引っ張るようにして階段を降りて行く。改札を抜けて、ホームに降り立つと、三井君は口を開いた。
「どっち?方面。こっからはお前が連れてけよ。」
「えぇ〜、うちに!?来る気?」
「だって、明日休みだもん、オレ。」
三井君は自分の家に帰るつもりは更々なさそうだが、私はこれ以上敢えての会話で確認することはしなかった。気恥ずかしい、嬉しい、むず痒い、好き、おそらくその全ての感情が、あっという間に私の頬に血を上らせた。三井君との新たな間柄を整理出来ないまま、私は口を噤み、手を引かれてホームに立ち尽くしていた。ここは地上より寒くはないけれど、三井君に照れた顔を見られたくなくてマフラーに顔を埋める。
いつもならすぐに撃ち抜かれた心の内を素直に三井君に語り出そうとする私なのに、いざと言う時には三井君に対して今一歩踏み込めていなかった自分を実感する。どん臭い私は、それが三井君の指摘通りなことに、三井君って凄いなあ、なんてのんびりした感想が遅れてやってくる。薄荷のような後味を残し、私は少しずつ三井君へ前進する。
「三井君って、外でも手を繋いで歩けるタイプなんだねぇ。」
「あ?最初くらい形から入ってみた方がいいんじゃね?オレら。」
「最初くらいって、、、」
ホームに滑り込んで来る地下鉄の巻き起こす風が、私達二人にもぶつかってくる。酔っ払っているのも、三井君との関係にも足元がおぼつかないせいか、地下鉄の轟々とした音と突風に煽られて私はよろめく。けれど今日は隣にいる三井君が私をしっかりと抱き支える。相変わらずトロくせぇな、しゃんと立てよ、なんて悪態をつきながら。そうして近寄った三井君は私に聞いてきた。
「で、どーすんの?」
駅のホームアナウンスが行き先を告げる。私は無言で三井君を引っ張り、この電車に乗るという意思を告げた。地下鉄のホームドアが口を開く。吸い込まれるように私達は乗り込んだ。
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