つまはじきの冬磁石(三井)
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週末を迎える店内は、新しいお酒の注文と料理を運び込む店員さんが忙しくすれ違う。12月の忘年会のシーズン。この時期はカップルよりも仕事帰りのグループ客が目立つ。活気づいてきた店内で私はドリンクメニューに目を通した。ワインよりも焼酎の取り揃えがあることを確認する。よしよし、いい感じ。
前回は、「肉が食べたい」という彼のリクエストに応えて、気軽につまめる小皿料理と骨太な肉料理を提供するビストロ風の居酒屋を探したのだが、今回は「給料前で金無いから、安居酒屋で」という条件の下で、和風創作居酒屋を予約した。お店を探すのも、手配をするのもいつも私の役目だ。こういうのは、食べ物やお酒が好きとか嫌いとかではなく、会いたい方が積極的にせっせと気を回すのだろうと思う。だから今日だって、待ち合わせの時刻よりも早めに到着して、食事のメニューも確認し、彼が頼みそうなもの、苦手なものを考慮しながら、一品一品セレクトしていく。彼の到着を待つ間も、彼の事を思い、想像する。これもまた楽しいのだ。半個室の落ち着きの暖色空間は、隠れ家風というキャッチコピー通りのお店だったが、私のはやる気持ちを隠すことは出来なかった。
店員さんの、こちらです、という声で顔をあげたら、彼が登場だ。毎度のことだけれど、久しぶりに見る顔にドキドキする。
「悪ぃ、遅れた。」
ダウンのジャケットを脱ぎ、スーツ姿の三井君が私の目の前に、ドカドカと座った。
***
「何品か頼んじゃってる。三井君、サラダは食べるでしょ?」
「おう、オレの大事な栄養源だから、今日。」
テーブルに置かれたおしぼりで手を拭きながら三井君は、とりあえずビールで、とオーダーする。三井君は夏の社内異動で、本社の営業部署に回されたそうだ。新卒で印刷会社に就職した三井君の会社は、入社後数年は作業所勤務を経験し、その後に本社に戻されるのが定番らしい。仕事帰りの待ち合わせも夏以降、リュックサックに作業着のジャンパーだったのが、ビジネスバッグとスーツに変わった。作業着姿も働く男の人って感じで良かったけれど、三井君のスーツ姿は二割増し。カッコ良すぎて私は立ちくらみがしたほどだ。まあ、夏以降、三井君に会えたのは前回の食事以来なので2回目なんだけど。
「えー、普段ちゃんと食べてる?毎日カップ麺?コンビニ弁当?」
「まあな。あ、でも下っ腹出てねーだろ?!会社でも事務の女の人に、三井さんスタイル良いですね〜って、言われたんだぜ。やっぱりなー、オレ、かっこいいからなー。」
といって、顎を触りながら三井君は言った。合間にビールが到着し、私達は、ひとまずお疲れ様、と軽くグラスを合わせた。
「スタイルが褒められただけでしょ。顔のこと何も触れられてないじゃん。でも顔もかっこいいもんなぁ、三井君。」
「、、、お、おう。苗字、お前ってほんとオレのこと持ち上げてくるよな、、、。」
自分から同意を求めてきたくせに、私が話に乗っかると急にジョッキを持ち上げて私からの視線を逸らすようにビールを飲んで、その表情を隠した。照れる三井君は、それでもやっぱり嬉しそうだ。私は思ってることを毎回伝えているだけなのに、そんな嬉しそうな顔も、照れた顔も、大して強くもないビールを顔を斜めに向けてあおる動作も本当にかっこいいと思ってる。
「好きなんだもん、三井君のこと。」
「へいへい。」
こうやって、私が三井君に気持ちを伝えては、三井君が聞き流すようになったのはいつからだったろうか。ビールジョッキをテーブルに置いた三井君は、私とのやりとりはお構いなしに、目の前のサラダを取り分ける。
「これ残り、食べて。んで、皿下げてもらって。」
三井君と二人で食事に行くと、三井君は私にてきぱきと指示をしたがる。どん臭い私は、三井君との会話や食事にいつも夢中になるので、せっせと大皿料理を取り分け、テーブルの上を片付けていく三井君からの指示を受けないと、何にも気付かないし、気も利かせることが出来ないのだ。いつからか、私と三井君の二人の食事スタイルはこの形に落ち着いた。
「あと、取り皿追加。」
「ああ、はいはい。すみませーん。あ!三井君、次何飲む?」
私はすかさずドリンクメニューを渡したら、三井君がバカにしたように軽く笑って言う。
「早ぇーよ、バカ。何、どん臭さ挽回しようとしてんだよ。飲みたかったら自分で頼むって。苗字も好きに頼めよ。気にしすぎ。」
「あはは。だって、どん臭くて、私がタラタラしてると三井君が嫌そうな顔するんだもん。だからなるべく三井君の前では気を付けたいの。」
三井君は割り箸で冷奴を崩しながら、醤油をかける。
「苗字がどん臭いのは高校の時からじゃん。別に嫌がってねーよ、オレ。もう慣れたし。あ、バカにはするけど。」
「あ、それそれそれ!三井君、変わらないなあ。覚えてる?高一の時に、私に似たようなこと言ってくれたの。」
「あん?それ、高一のいつ?」
「最初の告白のとき。」
「、、、ああ、あれか。」
***
私の三井君への、長い長い片思いは高一の春にスタートする。入学早々から三井君はクラスでも目立つポジションを掴んでいて、同じクラスにいても思い切り存在感の薄い私とはかなり縁遠い存在となっていた。あれは確か、ゴールデンウィーク前の四月下旬だったと思う。昼休み後の五限目。移動教室なのに、教科書のほかに必要な資料集を忘れてしまい、教室に取りに戻った私と、昼休みに体育館に行っていた三井君が教室に戻ってきて、そこで初めて二人きりになる、というシチュエーションが運命的にハマった日だった。運命だの、ハマっただのと言い張るのは私だけで、三井君はそんな思い出に浸ったままの私に、ただの偶然じゃねーか、と毎回冷たく言い放つのだけれど。
「あ、あれ、、、?資料集、、、私どこに置いたっけ?無い、無い、、、。」
高一の私は、誰もいない教室でしゃがみこんで自分の机の暗い引き出しを覗く。重なり合う教科書やノートの束から目当てのものを探した。もうすぐ五限目が始まってしまうという焦りからか、なかなか資料集は出てこない。
「あー!もうー!見つからない〜!!!」
探すことに一点集中し、この時周りが見えていなかった私は、誰かが教室に入ってきたことなんて気付けるはずがなかった。
「あのさぁ!」
「ひっ、、、!うわっ!ぎゃ、、、っ!」
背後から勢いよく声をかけられて、私は驚きの余り、前につんのめるのをかろうじて堪えて、立ち上がろうとした。するとその勢いのまま、自分の机の角におでこをぶつけてしまう。
「い、痛っ、、、!痛い、、、地味に、、、。」
「ちょ、大丈夫か、、、。」
私がおでこを両手で押さえてうずくまってしまったところに、背後から声をかけてきた人物が駆け寄ってきた。これが三井君。
「い、いえ、、、私がどん臭いだけなので、、、き、気にしないで、、、。あいたたた、、、。」
「五限目って美術だよな?」
三井君は私に五限目の教室の場所を聞くべく、声をかけてきた。おそらくこの時点では三井君は私の名前すら覚えていなかったのだと思う。それくらい私と三井君は同じクラスとはいえ、全く接点がなかったのだ。三井君にぼんやりとしかクラスの一員と認識されてない私が頷いて答えようとしたら、三井君は私を見て声を上げた。
「って、うわ、ちょ、血ぃ出てるぞ!デコ!」
「へ?」
***
「ありがとうございましたぁ。失礼しましたぁ、、、。」
保健室の先生に、額の傷を手当てしてもらって、廊下に出た。机の角にぶつけた際に、少しだけ切ってしまって血が出ていた。そちらは実は大したことはなくって、絆創膏一つ貼り付けておけば良かったのだが、ぶつけた箇所が腫れてたんこぶを作ってしまったため、凍ったアイスノンを固定するべく、私の頭部はベルトでぐるぐる巻きにされた。これがまたかなり不格好で、保健室のガラス窓にうつった自分は、誇張でも何でもなく、どん臭さを最大限に表現してしまっていた。
「あの、ありがとう。三井君、、、。ついてきてくれて。その、ごめんなさい。五限、、、今から美術室行く、、、よね?」
保健室には三井君もついて来てくれた。三井君は、この不格好な私の頭部を眺めつつ、頬を掻きながら答える。
「や、オレがデカめに声かけたのも悪かったし。えーと、苗字?、、、さんはどうすんの。」
「わ、私はクラスに戻る。こんな頭で遅れて美術室なんて、恥ずかしくて行けないもん、、、。五限が終わる頃には腫れも引いてると思うんだけど。」
「じゃあ、オレも教室に戻るわ。今から行っても先生に何か言われんのも面倒だしよ。」
「えと、じゃあ、、、。」
「おう。」
私は一年十組のある教室の方を頼りなく指差す。教室に向かう旨を伝えようと三井君を上目遣いで見ると、頭がぐらついた。アイスノンの重さで、ベルトが顔にずり落ちる。おっとっと、なんて古臭い言葉を吐きつつ、慌てて手で押さえつける私を見た三井君が笑いを堪えたように見えたから、思わず伝えた。
「あの、三井君、、、我慢しなくてもいいから。私、トロくって、いつもこんな目に遭うし、笑われるの、慣れてるので。」
「いや、おう。悪ぃけど、なかなかウケる。」
「うん、それでいいよ、、、。は、ははは。」
相手が誰だろうが、どうせもうこんな姿を晒してしまっているのだから、自分を良く見せるとか、取り繕うこともないかと良い意味で諦めた。だから三井君とはこの日、初めて話したのだけれど、気を遣って余計な話題でこの場の空気を埋めることも必要なかった。
保健室を出ると、渡り廊下を経て、コの字型に折れ曲がる形で一年の教室が連なる。三井君は私の前を歩き、渡り廊下の数段の段差を一歩で飛び降り、振り向きざまに私に言う。
「あ、でもさぁ、トロいとか、どん臭いとか自分から言わない方がいいんじゃねーの?それ認めると、周りがそんな態度で接してくんだろ?それってなんか嫌じゃね?」
「あ、そうなの!うん!そ、そう!なので高校ではなるべくそう見えないように心掛けていた、、、つ、つもりなんだけど。」
そう言って、階段手前で立ち止まって、私は額を押さえた。三井君はそれを見て、笑いそうになってる顔を引き締めるように、こう言った。
「まあ、オレも笑っちまったけどさ。あ、だからって苗字さんのこと、嫌いとかウザいとか思ったりはしてねーからな。一応言っとくけど。」
昔から、ぼーっとしていて、どん臭いと笑われてきた私は、自己肯定感が極端に低くって。そんな私を三井君は否定しなかった。頭が真っ白になった。こんな風に言ってくれた男の子は三井君が初めてで、加えて恋愛経験もさして無く、男の子から嫌いじゃない、なんて言われてしまった日には、たとえそれが同級生としてのつきあいを進めるための儀礼的な社交の会話であっても、私にとっては恋の坂道を転がっていくための素敵なスイッチになる。こうして、真っ白になった私の頭の中は途端に三井君でいっぱいになった。
渡り廊下の入口に立ち止まって動かない私を、階段を降りた三井君が不思議がって見た。まともに三井君と目を合わせたのは、この時が初めてだったと思う。当時から三井君は背が高かったけれど、私が階段の数段上に立っていたため、三井君をちょっとだけ見下ろす形となった。この角度から見た時、三井君は実は凄くかっこいい。たとえそれが訝しげにこちらを見ていたとしてもだ。急に全てがかっこよく見え出す瞬間に、口走る思いはここから始まった。
「あの、、、!三井君、す、好きです!付き合って下さいっ!」
***
私は三井君が崩した冷奴の残りを、すくい上げるようにして口に運び、箸を置いた。
「とまあ、初めての告白は、結構素敵なシチュエーションだったと私的には思っているんだけど。」
「オレ、そん時何て言った?」
「"は?"だったかな。第一声。」
「うん、そりゃそうだよな。お前、絶対ソレおかしいもん。」
「そのあとさ、三井君は学校サボりがちになるけど、あれが実は初めてのサボりだったんだよね?!記念すべき日だね。感慨深いなぁ〜。」
「、、、お前、余計なこと言うなっつの。投げるぞ、コラ。」
三井君は、手元のおしぼりを私に投げるフリをしてきたから、私は避けるフリをしてケラケラと笑った。
人生で初めての私の告白は、当然に玉砕するものの、私のどん臭さは精神面にも及んでいて、鈍感だったのがこれ幸いと、また半年後には行動を起こして告白をした。結果が見えているのは分かりきっていても、溢れ出る気持ちをどう表して良いか、どうアプローチして良いか分からなくって、これ以降も、定期的に気持ちが爆発しては、三井君ご本人に好きだと言い続けるほかなかった。
初めて三井君と喋ったのも、三井君と二人きりになったのも、三井君を好きになったのも、三井君に告白したのも、あの日から始まった。こんなにも素早い展開の主役になれたのはこの時だけで、それから十年以上、私の片思いは局所で変化はあるものの、かさぶたになることもなく、ジュクジュクと化膿したまま、一向に治る気配がない。
前回は、「肉が食べたい」という彼のリクエストに応えて、気軽につまめる小皿料理と骨太な肉料理を提供するビストロ風の居酒屋を探したのだが、今回は「給料前で金無いから、安居酒屋で」という条件の下で、和風創作居酒屋を予約した。お店を探すのも、手配をするのもいつも私の役目だ。こういうのは、食べ物やお酒が好きとか嫌いとかではなく、会いたい方が積極的にせっせと気を回すのだろうと思う。だから今日だって、待ち合わせの時刻よりも早めに到着して、食事のメニューも確認し、彼が頼みそうなもの、苦手なものを考慮しながら、一品一品セレクトしていく。彼の到着を待つ間も、彼の事を思い、想像する。これもまた楽しいのだ。半個室の落ち着きの暖色空間は、隠れ家風というキャッチコピー通りのお店だったが、私のはやる気持ちを隠すことは出来なかった。
店員さんの、こちらです、という声で顔をあげたら、彼が登場だ。毎度のことだけれど、久しぶりに見る顔にドキドキする。
「悪ぃ、遅れた。」
ダウンのジャケットを脱ぎ、スーツ姿の三井君が私の目の前に、ドカドカと座った。
***
「何品か頼んじゃってる。三井君、サラダは食べるでしょ?」
「おう、オレの大事な栄養源だから、今日。」
テーブルに置かれたおしぼりで手を拭きながら三井君は、とりあえずビールで、とオーダーする。三井君は夏の社内異動で、本社の営業部署に回されたそうだ。新卒で印刷会社に就職した三井君の会社は、入社後数年は作業所勤務を経験し、その後に本社に戻されるのが定番らしい。仕事帰りの待ち合わせも夏以降、リュックサックに作業着のジャンパーだったのが、ビジネスバッグとスーツに変わった。作業着姿も働く男の人って感じで良かったけれど、三井君のスーツ姿は二割増し。カッコ良すぎて私は立ちくらみがしたほどだ。まあ、夏以降、三井君に会えたのは前回の食事以来なので2回目なんだけど。
「えー、普段ちゃんと食べてる?毎日カップ麺?コンビニ弁当?」
「まあな。あ、でも下っ腹出てねーだろ?!会社でも事務の女の人に、三井さんスタイル良いですね〜って、言われたんだぜ。やっぱりなー、オレ、かっこいいからなー。」
といって、顎を触りながら三井君は言った。合間にビールが到着し、私達は、ひとまずお疲れ様、と軽くグラスを合わせた。
「スタイルが褒められただけでしょ。顔のこと何も触れられてないじゃん。でも顔もかっこいいもんなぁ、三井君。」
「、、、お、おう。苗字、お前ってほんとオレのこと持ち上げてくるよな、、、。」
自分から同意を求めてきたくせに、私が話に乗っかると急にジョッキを持ち上げて私からの視線を逸らすようにビールを飲んで、その表情を隠した。照れる三井君は、それでもやっぱり嬉しそうだ。私は思ってることを毎回伝えているだけなのに、そんな嬉しそうな顔も、照れた顔も、大して強くもないビールを顔を斜めに向けてあおる動作も本当にかっこいいと思ってる。
「好きなんだもん、三井君のこと。」
「へいへい。」
こうやって、私が三井君に気持ちを伝えては、三井君が聞き流すようになったのはいつからだったろうか。ビールジョッキをテーブルに置いた三井君は、私とのやりとりはお構いなしに、目の前のサラダを取り分ける。
「これ残り、食べて。んで、皿下げてもらって。」
三井君と二人で食事に行くと、三井君は私にてきぱきと指示をしたがる。どん臭い私は、三井君との会話や食事にいつも夢中になるので、せっせと大皿料理を取り分け、テーブルの上を片付けていく三井君からの指示を受けないと、何にも気付かないし、気も利かせることが出来ないのだ。いつからか、私と三井君の二人の食事スタイルはこの形に落ち着いた。
「あと、取り皿追加。」
「ああ、はいはい。すみませーん。あ!三井君、次何飲む?」
私はすかさずドリンクメニューを渡したら、三井君がバカにしたように軽く笑って言う。
「早ぇーよ、バカ。何、どん臭さ挽回しようとしてんだよ。飲みたかったら自分で頼むって。苗字も好きに頼めよ。気にしすぎ。」
「あはは。だって、どん臭くて、私がタラタラしてると三井君が嫌そうな顔するんだもん。だからなるべく三井君の前では気を付けたいの。」
三井君は割り箸で冷奴を崩しながら、醤油をかける。
「苗字がどん臭いのは高校の時からじゃん。別に嫌がってねーよ、オレ。もう慣れたし。あ、バカにはするけど。」
「あ、それそれそれ!三井君、変わらないなあ。覚えてる?高一の時に、私に似たようなこと言ってくれたの。」
「あん?それ、高一のいつ?」
「最初の告白のとき。」
「、、、ああ、あれか。」
***
私の三井君への、長い長い片思いは高一の春にスタートする。入学早々から三井君はクラスでも目立つポジションを掴んでいて、同じクラスにいても思い切り存在感の薄い私とはかなり縁遠い存在となっていた。あれは確か、ゴールデンウィーク前の四月下旬だったと思う。昼休み後の五限目。移動教室なのに、教科書のほかに必要な資料集を忘れてしまい、教室に取りに戻った私と、昼休みに体育館に行っていた三井君が教室に戻ってきて、そこで初めて二人きりになる、というシチュエーションが運命的にハマった日だった。運命だの、ハマっただのと言い張るのは私だけで、三井君はそんな思い出に浸ったままの私に、ただの偶然じゃねーか、と毎回冷たく言い放つのだけれど。
「あ、あれ、、、?資料集、、、私どこに置いたっけ?無い、無い、、、。」
高一の私は、誰もいない教室でしゃがみこんで自分の机の暗い引き出しを覗く。重なり合う教科書やノートの束から目当てのものを探した。もうすぐ五限目が始まってしまうという焦りからか、なかなか資料集は出てこない。
「あー!もうー!見つからない〜!!!」
探すことに一点集中し、この時周りが見えていなかった私は、誰かが教室に入ってきたことなんて気付けるはずがなかった。
「あのさぁ!」
「ひっ、、、!うわっ!ぎゃ、、、っ!」
背後から勢いよく声をかけられて、私は驚きの余り、前につんのめるのをかろうじて堪えて、立ち上がろうとした。するとその勢いのまま、自分の机の角におでこをぶつけてしまう。
「い、痛っ、、、!痛い、、、地味に、、、。」
「ちょ、大丈夫か、、、。」
私がおでこを両手で押さえてうずくまってしまったところに、背後から声をかけてきた人物が駆け寄ってきた。これが三井君。
「い、いえ、、、私がどん臭いだけなので、、、き、気にしないで、、、。あいたたた、、、。」
「五限目って美術だよな?」
三井君は私に五限目の教室の場所を聞くべく、声をかけてきた。おそらくこの時点では三井君は私の名前すら覚えていなかったのだと思う。それくらい私と三井君は同じクラスとはいえ、全く接点がなかったのだ。三井君にぼんやりとしかクラスの一員と認識されてない私が頷いて答えようとしたら、三井君は私を見て声を上げた。
「って、うわ、ちょ、血ぃ出てるぞ!デコ!」
「へ?」
***
「ありがとうございましたぁ。失礼しましたぁ、、、。」
保健室の先生に、額の傷を手当てしてもらって、廊下に出た。机の角にぶつけた際に、少しだけ切ってしまって血が出ていた。そちらは実は大したことはなくって、絆創膏一つ貼り付けておけば良かったのだが、ぶつけた箇所が腫れてたんこぶを作ってしまったため、凍ったアイスノンを固定するべく、私の頭部はベルトでぐるぐる巻きにされた。これがまたかなり不格好で、保健室のガラス窓にうつった自分は、誇張でも何でもなく、どん臭さを最大限に表現してしまっていた。
「あの、ありがとう。三井君、、、。ついてきてくれて。その、ごめんなさい。五限、、、今から美術室行く、、、よね?」
保健室には三井君もついて来てくれた。三井君は、この不格好な私の頭部を眺めつつ、頬を掻きながら答える。
「や、オレがデカめに声かけたのも悪かったし。えーと、苗字?、、、さんはどうすんの。」
「わ、私はクラスに戻る。こんな頭で遅れて美術室なんて、恥ずかしくて行けないもん、、、。五限が終わる頃には腫れも引いてると思うんだけど。」
「じゃあ、オレも教室に戻るわ。今から行っても先生に何か言われんのも面倒だしよ。」
「えと、じゃあ、、、。」
「おう。」
私は一年十組のある教室の方を頼りなく指差す。教室に向かう旨を伝えようと三井君を上目遣いで見ると、頭がぐらついた。アイスノンの重さで、ベルトが顔にずり落ちる。おっとっと、なんて古臭い言葉を吐きつつ、慌てて手で押さえつける私を見た三井君が笑いを堪えたように見えたから、思わず伝えた。
「あの、三井君、、、我慢しなくてもいいから。私、トロくって、いつもこんな目に遭うし、笑われるの、慣れてるので。」
「いや、おう。悪ぃけど、なかなかウケる。」
「うん、それでいいよ、、、。は、ははは。」
相手が誰だろうが、どうせもうこんな姿を晒してしまっているのだから、自分を良く見せるとか、取り繕うこともないかと良い意味で諦めた。だから三井君とはこの日、初めて話したのだけれど、気を遣って余計な話題でこの場の空気を埋めることも必要なかった。
保健室を出ると、渡り廊下を経て、コの字型に折れ曲がる形で一年の教室が連なる。三井君は私の前を歩き、渡り廊下の数段の段差を一歩で飛び降り、振り向きざまに私に言う。
「あ、でもさぁ、トロいとか、どん臭いとか自分から言わない方がいいんじゃねーの?それ認めると、周りがそんな態度で接してくんだろ?それってなんか嫌じゃね?」
「あ、そうなの!うん!そ、そう!なので高校ではなるべくそう見えないように心掛けていた、、、つ、つもりなんだけど。」
そう言って、階段手前で立ち止まって、私は額を押さえた。三井君はそれを見て、笑いそうになってる顔を引き締めるように、こう言った。
「まあ、オレも笑っちまったけどさ。あ、だからって苗字さんのこと、嫌いとかウザいとか思ったりはしてねーからな。一応言っとくけど。」
昔から、ぼーっとしていて、どん臭いと笑われてきた私は、自己肯定感が極端に低くって。そんな私を三井君は否定しなかった。頭が真っ白になった。こんな風に言ってくれた男の子は三井君が初めてで、加えて恋愛経験もさして無く、男の子から嫌いじゃない、なんて言われてしまった日には、たとえそれが同級生としてのつきあいを進めるための儀礼的な社交の会話であっても、私にとっては恋の坂道を転がっていくための素敵なスイッチになる。こうして、真っ白になった私の頭の中は途端に三井君でいっぱいになった。
渡り廊下の入口に立ち止まって動かない私を、階段を降りた三井君が不思議がって見た。まともに三井君と目を合わせたのは、この時が初めてだったと思う。当時から三井君は背が高かったけれど、私が階段の数段上に立っていたため、三井君をちょっとだけ見下ろす形となった。この角度から見た時、三井君は実は凄くかっこいい。たとえそれが訝しげにこちらを見ていたとしてもだ。急に全てがかっこよく見え出す瞬間に、口走る思いはここから始まった。
「あの、、、!三井君、す、好きです!付き合って下さいっ!」
***
私は三井君が崩した冷奴の残りを、すくい上げるようにして口に運び、箸を置いた。
「とまあ、初めての告白は、結構素敵なシチュエーションだったと私的には思っているんだけど。」
「オレ、そん時何て言った?」
「"は?"だったかな。第一声。」
「うん、そりゃそうだよな。お前、絶対ソレおかしいもん。」
「そのあとさ、三井君は学校サボりがちになるけど、あれが実は初めてのサボりだったんだよね?!記念すべき日だね。感慨深いなぁ〜。」
「、、、お前、余計なこと言うなっつの。投げるぞ、コラ。」
三井君は、手元のおしぼりを私に投げるフリをしてきたから、私は避けるフリをしてケラケラと笑った。
人生で初めての私の告白は、当然に玉砕するものの、私のどん臭さは精神面にも及んでいて、鈍感だったのがこれ幸いと、また半年後には行動を起こして告白をした。結果が見えているのは分かりきっていても、溢れ出る気持ちをどう表して良いか、どうアプローチして良いか分からなくって、これ以降も、定期的に気持ちが爆発しては、三井君ご本人に好きだと言い続けるほかなかった。
初めて三井君と喋ったのも、三井君と二人きりになったのも、三井君を好きになったのも、三井君に告白したのも、あの日から始まった。こんなにも素早い展開の主役になれたのはこの時だけで、それから十年以上、私の片思いは局所で変化はあるものの、かさぶたになることもなく、ジュクジュクと化膿したまま、一向に治る気配がない。
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