揺さぶりのテンポルバート(水戸)
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「ん、、、もう、大楠くん、、、ふふふっ。」
「へへへっ、美奈ちゃん、、、。」
聞き慣れた友人のよく冴えた喋り声に比べると、ボリュームを落とした不自然さが異様。その違和感で目が覚める。自分に掛けられた毛布のニオイで、ここが自分の部屋でないことを思い出す。ぼんやりとした頭が覚醒するのを待たずに、服の擦れ合う音が私の背中の向こうにいるだろう男女の距離感を知らせてきた。ちょっと待って、ちょっと待って。カーペットに横たわったまま、私はもう一度目を瞑って今日の行動を反芻してみる。
***
「えぇ?今日?今から?」
中学からの友人、美奈の唐突な誘いに私は額に手を当てた。反対側の手に持つスマホを当てた耳からは、美奈の困ったような、でも少し興奮した声がする。
「そう!大楠君からね、今日は水戸君ちに行くって聞いたの〜。で、私も来れば?って言われて!」
「、、、一人で行けばいいじゃん。洋平んち、うちのすぐ近くだから知ってるでしょ、美奈も。」
「えええ〜!無理ぃ〜!私だけでなんて無理ぃ〜!」
美奈のその無駄に周りの見えなくなるテンションなら大丈夫でしょ、と言いそうになったが、美奈の恋心を知らないわけではないので私は黙って美奈の話を聞いた。
「高校別々になってから、大楠君と会えてないんだよ〜!?」
いや、大好きな大楠君と高校も一緒になりたいからって湘北高校を受験して落ちたのは、、、美奈じゃん?とは突っ込まない。さすがに当時の美奈の落ち込みぶりは酷かったことと、私もしばらくは必死で励ましたり気を遣ったりしたことを思い出したからだ。美奈は中学の頃から大楠君に片想い中で、高校に進学してからもどうやらその恋は継続中らしい。美奈からの大楠君に係る話は、友人の私に真っ先に報告が来るのだけれど、美奈と私も高校が別になってから数ヶ月。こうして突然電話が鳴ったのは今回が初めてであることから、どうやら大楠君と連絡は取り合っているものの、大きく進展しているわけではないらしい。
「でもさ、今からおいでって、、、私、もうお風呂入っちゃったもん。」
時計はもう20時を回っていた。我々普通の女子高生にとって、この時間になるとよっぽどの事がないと出歩けない。
「だから〜、あたしだって、親には名前の家に泊まりに行くって言わないと、外、出られないでしょ〜?!名前なら、水戸君ちと近いし、二人で行く方が大楠君から見てもナチュラルじゃん〜。」
「、、、ナチュラル。」
今日が美奈にとってのよっぽどの事なのだろうな、と英語が苦手なくせに横文字を使いたくなるほどに舞い上がっている美奈のことを思った。普段とは違う状況と滅多にやってこないチャンスに、ウキウキしている友人を簡単に突き放すこともできない私は、渋々承諾する。数軒先の洋平の部屋は私の二階の部屋からは見えないものの、一度窓を開けてそっちの方向を確認するように身を乗り出す。それからもう一度スマホを耳に当てて美奈に話し掛けようとしたら、スマホはすでに終話していた。何かにつけてルーズで、待ち合わせにはいつも遅刻する美奈が、我が家に自転車を走らせてきたのはその20分後。新記録だった。
***
「え、ちょっ。名前がそこにいるよぉ〜?」
あれ?それでもって何でこんなことになったんだっけ?と、先程意識を取り戻した私が今日の出来事を思い出そうとしているところに、美奈の声が遮った。何かを拒否しようとしているが、決して嫌ではないことが声の調子でわかる。美奈の間延びした声は、好きな人を前にして嬉しさを隠そうとしている時のそれだった。隠し切れてないんですけどぉ、、、と私は寝たフリをしながら背中でジロリと訴えたい。
洋平の家は結構自由で、大楠君や高宮君、野間君といった、和光中のいつものメンバーが出たり入ったりを繰り返して、溜まり場になっていた。桜木君は高校に入ってからバスケ部に入ったらしく、洋平の家にやって来ることもめっきり減ったらしいけれど、それでもみんなの話題の中心はその場にいない桜木君で、桜木軍団は高校に仲良く進学し、相変わらずのようだった。
私が美奈に半ば引き摺られるようにして、洋平の部屋を訪れると、他のメンバーは今日はたまたまいなくて、洋平と大楠君だけだった。そこに美奈も加わると、それだけでも何だか中学の同窓会みたいで、私はこの空気感に懐かしさを感じ、それから高校生となって再会する新鮮さも混じって、背伸びしたくなる気持ちになってしまったのは否めない。会話も弾むし、喉が渇いて、目の前に置いてある缶を大楠君に勧められると、飲みやすくて勢い付いた私はクピクピと一本空けてしまった。身体がかっと熱くなり、どくどくと血流が私の体を巡るリズムも響きもやたら私を気持ち良くしてくれた。しかし、すぐさまこの慣れない体の反応に、まぶたがシャッターを下ろし、そして今に至っている。そうだ、私はカーペットに直に横になり、寝てしまったのだった。ようやく点と点を繋げて線にした。床に張り付いた顔と右肩が体をずっと支え続けていたせいか痛くて重たい。しかしそれよりも重たいのは私のまぶたで、先程から私は目を開けられずに寝たフリをして固まっていた。
「寝てるから大丈夫だって。」
「もぉぉ。大楠君ってばぁ。」
何が大丈夫なのよおぉぉーー!大楠ーー!美奈も喜んでイチャイチャしてんじゃないよ、バカっ、私がここにいるんだから自重してよ、二人共っ!と心の中で叫びつつ、そして眉間にシワが寄ったのが自分でも分かる。うわぁ、なんで私が寝ている間にこんなことになっちゃってるの!?どうしたらよいか分からなくなって心の中であたふたと混乱する私がひたすらに目を瞑って固まっていると、ガチャリとドアノブの回す音がした。場の空気がふわりと流れて、私の背中を優しく撫でる。
「おいコラ。人んちでイチャイチャすんな〜。」
「げ、洋平帰ってきた。」
「おま、"げっ"てなんだよ。ここはオレんちだよ。イチャつくなら外行けよ、外に。」
洋平は呆れるように笑って冷やかすと、美奈はすぐさま反応を返す。
「でも名前、どうしよっか。」
「いいよ、寝かせとくわ。オレいるし。」
「そっか!じゃあ、大楠君、ちょっと外行こ?アイス食べたーい。洋平、名前のこと見ておいてね。よろしく!」
「へいへい。さっさと行けよ、バカップル。」
えー!嘘でしょ!?私を抜きにして話はとんとん拍子に進んでいく。私は置いてけぼりってそりゃないよ、美奈!しかしそんな私の心の声は届くはずもなく、美奈は綿毛のような軽いノリで、大楠君と部屋を出て行った。残されたのは、洋平と寝たフリをした私。美奈と大楠君がいなくなったとはいえ、今更どうやって起きたら良いのか分からない。はて、今、何時なんだろう。帰ろうにも、このタイミングで起きてしまっては、あまりにもあからさますぎる気がして、美奈達はいなくとも洋平を前にして気恥ずかしい。私は目を瞑ることを続行し、胸の内でため息を落とした。
「ったく、散らかすだけ散らかして、、、何だあいつら。」
洋平は一人で愚痴りながら、無造作に転がる空き缶を一つに集めていくのが分かる。ただその言い方は決して迷惑そうではないのが洋平らしい。私の周りを洋平は歩き回りながら、ゴミを片付けていく。ゴミ袋のガサガサとした音が消えたら、よいしょ、と私の頭のそばにあるベッドを背もたれにして、腰掛けた。それらは全て気配で感じ取れた。そして、私に話しかけた。
「で、名前さ、そろそろ寝たフリやめよーぜ。」
え!バ、バレてる!洋平に!何で!?驚きの余り勢いよく、パチリと目を開けてしまったものだから、部屋の明かりが存分に眩しくって、その不意打ちにも驚く。光に慣れるまで薄目になってゴロンと寝返りを打つと、仰向けになった私を、真上から覗き込む洋平がいた。
「眉間にシワ。すっげー顔してるぞ。」
「眩しい、、、。ちょっと、待って、、、。」
両手で毛布を引き寄せて頭まで被った。洋平の家の匂いがする毛布は柔らかくて鼻をくすぐる。スン、と鼻をすすってから、申し訳程度に目元まで毛布を下げると、未だ私を見ていたらしい洋平と目が合ったので、仕方なく会話を始める。
「、、、なんで私が起きてるって分かった?」
「不自然なんだよ。オレらの会話に反応してビクってしてたもん。ビクって。」
洋平は笑いながら答えるもんだから、馬鹿にされたと思った私は、勢いよく起き上がり、わかりやすく戸惑いを伝える。
「だって、、、だって、だって!目が覚めた時、美奈と大楠君、キ、キスしてたよね!?いや、たたた多分!ねえ!?あ、あ、あそこで起きたら超気まずいじゃん。無理だよ〜!」
「ははは。あいつらマジで場所考えろって感じだよな。」
柔らかく答える洋平が共感してくれたから私はどこかホッとした。中学時代、桜木軍団はすぐに問題を起こすからと、彼らが苦手な子も多かったけれど、私が敬遠することもなく普通に会話が出来たのは洋平の存在が大きい。不良とはいえ同じ年の私と洋平は小学生以降、これまでも何度か同じクラスにもなったし、町内会も一緒で、登下校班も同じだったから付き合いだけは結構な年数が経っていた。洋平が親に叱られて鼻水垂れ流して泣いてる姿だって何度も見てきている。そこまで仲良くしていたわけではないから幼馴染みとは言い難いけれど、不良と周りから言われる以前の洋平を知ってるからか、周囲の持つ印象とはイマイチ重ならない。誰彼構わずに周囲に迷惑をかけたり、尖っている訳では無いことを、洋平と接する度に、洋平が作る柔らかな空気に触れることで私は再確認し、そして変わらぬものがあることに安心するのだ。
「洋平、、、もしかして美奈と大楠君って付き合ってるの?」
私は急な展開をおさらいするように洋平に尋ねる。
「あいつらアホだから、ノリで付き合おうってなってたぜ。名前寝てたときに。ほんとアホ。」
「はぁー?ノリで!?付き合うの?美奈、中学の時からずっと大楠君のこと好きだったんだよ。そんなふざけて遊びの延長みたいに、、、それでいいのかなあ、美奈は。」
「や、大楠も美奈ちゃんのこと前から気に入ってたし。美奈ちゃん、嬉しそうだったぜ?お互いがいいなら、それでいいんじゃね?」
片膝を立てて私の隣に座る洋平は全く気にとめることなく淡々と話した。そんな洋平の態度にも、大楠君にも美奈にも、私は寝たフリをしていた時以上に、置いてけぼりをくらっているような気持ちになり、ぽつねんとした本音が溢れる。
「何だか、みんな大人になっていくっていうか、進んでいくの、、、、ちょっとモヤモヤする。」
「ん?何が。」
「付き合うとか、ね?私、よく分かんないし。一緒に遊んだり、会ったり、喋ったりするだけじゃダメなのかなあ、、、みんなで楽しくいたいだけなんだけど、私。」
「そうか?別に大人になるとかさ、あんまり難しく考えんなよ。好きな子を独り占めしたくなって、そしてそういうことが、ダセェと思わなくなってきたんだって。けどさ、彼氏彼女が出来たからって、ダチといる時が楽しくないわけじゃねーだろ?何も変わんねーよ。何も。」
ただただ私の素直な感情を落としたら、洋平はそれをわざわざ拾って、砂を払ってくれる。別に主張したいわけでも、議論をしたいわけでもなかったから私は何も言い返すつもりもなく、膝を抱えるように洋平の言葉を抱えて黙った。
「例えば、名前に彼氏出来たら?美奈ちゃんと会わなくなるわけじゃないだろ?」
「、、、うん。むしろ色々聞いてもらいたいかも。」
「じゃあ、やっぱ何も変わんねーよ。な?」
「だけど美奈は、大楠君が一番って言い切っちゃいそうだけどね。」
「でもそれ、昔からじゃね?」
「あ、それもそっか!ふふふ!そうだね。」
私は洋平の一言に声を出して笑う。私の笑いが収まるのを見計らって、洋平が戯れに聞いてきた。
「名前って、彼氏と何すんの?」
「えー、だから分かんないって言ってるじゃん。彼氏なんていないし。」
「だから聞いてんだよ。ちょい言ってみ?」
「、、、例えば、学校帰りにマック寄ったり。」
「うん。」
「勉強を一緒にしたり。」
「うん。」
「手を急に繋がれたりして、ドキドキするとか。、、、え?あれ?ちょっと、洋平、何笑ってんの。」
「、、、お前、漫画の読みすぎかよ。手繋いでドキドキって。かははっ。」
くくくっと口元に手を当てて、眉毛を下げる洋平は、困ったように笑う。そして静かに息を吸い、次に息を吐くという当たり前の呼吸をするみたいにごく自然に、可愛いな、と呟いた。これは私に反応を求めたいのか、洋平の独り言としたいのか分からなくって、私は次の言葉でそれを誤魔化すように逸らした。
「だって、男子と手なんか繋いだことないもん。それこそ、去年の体育祭のフォークダンスくらいなもんで、、、。」
「え?そんなんあった?フォークダンス?」
「洋平、体育祭出なかったじゃん。サボって。」
「お、名前、よく覚えてんなー。」
覚えているよ。洋平がサボらなかったら、あのフォークダンスは、順番からして私と洋平がペアになる予定だったんだもの。当時だって期待はさっぱりしていなかったけれど、未だにそのことを恨めしく思っていた自分がいたらしいことを今ようやく知るはめになった。洋平の全く気にもしていない物言いが、私の心を逆撫でしたのだ。決して洋平のことが好きだったわけではない。だけれども、洋平には私のことをとるに足りない同級生だと思っても欲しくなかったみたいだ。急に知ったこの複雑なわだかまりに消化不良を起こしている私を見て、洋平は覗き込むように聞いてきた。
「何?なんかムカついた顔してね?」
「べ、別に!特に!何も!」
「あ、そ。」
こうやって洋平はあるところで線を引いて、その上、私にも気を引いてはくれない。性格的にあっさりしてる、と片付けてしまえばいいのに、私に興味がないように思えて、それが全くもって面白くないと感じてしまうのは、まだ体育祭の一件を私が引き摺っているからなのだと思う。
「手ぇ繋ぐってどっち?こっち?」
洋平はそう言うと、私の手を下からすくい上げた。握手する形になったかと思うと、一瞬で指を絡める握り方に変えた。洋平が繋いだ手元に視線をやるので、私も促されたようにしげしげと二人の手を見つめた。背格好は私とそんなに変わらないはずのに、手の甲に青筋が浮き出た洋平のゴツゴツした手は強い意志を持って、私に絡んでくる。身構える私の指は、握り返すことも出来ず、洋平の手の中で不格好にフラついている。
「これもドキドキしたりすんの?」
「え、急に何!?え、、、え!?そう言われると、なんかドキドキしてきた、、、のかなあ?!」
洋平に握り締められているその手とは反対の、親指や人差し指を私は手首に当てる。探り当てようとして何度もその動作を繰り返す私に、洋平は不審そうな目をして尋ねてきた。
「、、、名前、何してんだよ。」
「、、、脈を測ってる。」
かはは!と洋平は仰け反って大きく口を開けて笑った。
「脈拍に聞かないと分かんねぇもん?」
「分かんないよ。何も分かんない。」
自分の気持ちも、今、どうしてドキドキしているのかも。そんな私を無視して、どれどれ、と洋平は私の両手を握って、手のひらを上に向けさせた。私の両手首まで洋平が自分の両手を滑らせる。そして掴んだまま、私の手を支えにして、「んしょ」と言って私に近付き、胡座をかいて座り直した。こうして私達は向き合った。
「、、、細っ。名前、手首ほっそ。」
「どこが!中学の時、右だけが腕も太くなっちゃってすごくイヤだった。」
「部活してたっけ?」
「してたよ。テニス。真っ黒だったじゃん。」
「そうだっけ?」
こんな普段通りの会話をしながらも、洋平は親指で私のドキドキを探って手首をさする。
「、、、わかんね。どこらへん?」
「この辺だってば。親指の下のこの血管のあたり、ねえ、ここ。触ってみてよ。」
洋平は両手を掴んだまま離さないで、じっと私の手首を見つめるようにして言った。
「、、、、脈、ある?」
「だから、あるってば。」
そう答えたのに、脈を取られることもなく私の両手はカーペットに着地する。洋平が重ねた手の平の重力に押さえつけられて。両手が突き出すと自然と上半身は傾く。私は洋平に向かって膝を突き合わせ、土下座するみたいに前のめりの格好となって、そこで初めて洋平を見た。洋平が真っ直ぐに私を見ていた。視線がぶつかって、バチっと音がしたみたいに痺れて動けない。
「いい?」
と尋ねた洋平は、いつものような澄ました顔でなく、目を細め、推し量るようにじわじわと距離を縮めてくる。こんなに至近距離で洋平を見るのも初めてで、ついじっくりと私も見入ってしまった。しばらく黙ってしまったが、いい?とは、、、?言われた意味が分からなくて、こう聞いた。
「何が?」
私がきょとんとした顔をしたからだろうか。洋平は一瞬だけ目を見開いた後、噴き出した。そして私の右肩に額をくっつけて、もたれかかってきた。洋平がくすくすと笑うと、その振動がダイレクトに伝わってこそばゆい。
「え?ちょっと、何?洋平?」
「全っ然、脈ねーじゃんか、お前。」
「だから、あるよ脈、、、え?脈って、、、?」
どうやら私達の認識に相違があるらしい、というところまでは分かったけれど、洋平が私に求めてきた同意が何だったのかまではピンとこない。
「オレもう、恥ずかしくて顔上がんねー。ははは。」
「何で?何で、何で。」
「オレ、さっきから好きアピールしてるんだけど。伝わってねぇ?」
「へっ!?嘘っ。い、いつから!?ちょちょっ、こっち向いてよっ。」
「ヤだよ。」
友達なのかそれ以上の存在なのか、区別のための線を引いていたのは、私だったのかもしれない。洋平はあっという間に、その垣根を越えてきた。そしてそれを悟られずに、躊躇いなくやってのけるのが、いかにも洋平らしい。その一瞬の心の跳躍に私は追い付けずに、瞬きを何度もしながら、どうやら洋平を困らせている。私は体を離して、洋平の顔を捉えようとするも、洋平は私の手を握ったままで、身動き一つ取らせてくれない。ため息を吐きつつ、私の肩に顎を乗せる形で、洋平が体を寄せた。洋平の声がますます近い。喋る度に、息をする度に、洋平の顎と喉が揺れて、体に伝わる振動が私を震わせる。私がそう感じているということは、私の脈拍の乱れも、きっともうすでに洋平に伝わっているのだろう。
「よ、洋平、、、わ、私。」
「何?」
「ど、どうしていいか分かんない、、、。」
「それはオレもだよ。」
階段を登ってくる足音が聞こえる。きっと大楠君と美奈が帰ってきたのだと、私達は何も話さずとも分かった。
「あいつらの空気読まなさ具合、ホンット、ムカつくな。」
呆れて笑う洋平は、硬直したままの私からようやく体を離した。だけども私の気持ちは離さないと言わんばかりに、先程の会話を持ち込んでみては、私をさらに惹きつける。
「あれ。さっきの。好きな子を独り占めしたいってやつ。」
「え?、、、う、うん。」
「今、めちゃくちゃそうゆう気分なんだけど、名前は?」
脈を取らずとも分かる。洋平の言葉をきっかけにして、沸騰したかのようにぐらぐらと血管を太く流れていくドキドキで、今にも心臓が飛び出そう。それを押さえつけるのに必死な私が、洋平に返事をする余裕などあろうか。私が何も言えないまま俯いていると、ガチャリと部屋のドアが開いて、例の二人が賑やかに滑り込んできた。
「ただいまー!アイス買ってきたよー。あ、名前、起きてる。大丈夫?まだ顔赤くない!?」
「えっ、、、私、顔赤い?」
そう私が尋ねた先は美奈だったのに、隣に座る洋平が割り込んで、楽しそうに答えた。
「うん。赤いぜ?」
私は咄嗟に自分の火照る頬を両手で押さえた。私は洋平に笑いかける。洋平も私を見てニヤリと笑う。ああ、もうバレてしまった。洋平への起き上がったこの気持ちに、もう寝たフリは出来ない。
「へへへっ、美奈ちゃん、、、。」
聞き慣れた友人のよく冴えた喋り声に比べると、ボリュームを落とした不自然さが異様。その違和感で目が覚める。自分に掛けられた毛布のニオイで、ここが自分の部屋でないことを思い出す。ぼんやりとした頭が覚醒するのを待たずに、服の擦れ合う音が私の背中の向こうにいるだろう男女の距離感を知らせてきた。ちょっと待って、ちょっと待って。カーペットに横たわったまま、私はもう一度目を瞑って今日の行動を反芻してみる。
***
「えぇ?今日?今から?」
中学からの友人、美奈の唐突な誘いに私は額に手を当てた。反対側の手に持つスマホを当てた耳からは、美奈の困ったような、でも少し興奮した声がする。
「そう!大楠君からね、今日は水戸君ちに行くって聞いたの〜。で、私も来れば?って言われて!」
「、、、一人で行けばいいじゃん。洋平んち、うちのすぐ近くだから知ってるでしょ、美奈も。」
「えええ〜!無理ぃ〜!私だけでなんて無理ぃ〜!」
美奈のその無駄に周りの見えなくなるテンションなら大丈夫でしょ、と言いそうになったが、美奈の恋心を知らないわけではないので私は黙って美奈の話を聞いた。
「高校別々になってから、大楠君と会えてないんだよ〜!?」
いや、大好きな大楠君と高校も一緒になりたいからって湘北高校を受験して落ちたのは、、、美奈じゃん?とは突っ込まない。さすがに当時の美奈の落ち込みぶりは酷かったことと、私もしばらくは必死で励ましたり気を遣ったりしたことを思い出したからだ。美奈は中学の頃から大楠君に片想い中で、高校に進学してからもどうやらその恋は継続中らしい。美奈からの大楠君に係る話は、友人の私に真っ先に報告が来るのだけれど、美奈と私も高校が別になってから数ヶ月。こうして突然電話が鳴ったのは今回が初めてであることから、どうやら大楠君と連絡は取り合っているものの、大きく進展しているわけではないらしい。
「でもさ、今からおいでって、、、私、もうお風呂入っちゃったもん。」
時計はもう20時を回っていた。我々普通の女子高生にとって、この時間になるとよっぽどの事がないと出歩けない。
「だから〜、あたしだって、親には名前の家に泊まりに行くって言わないと、外、出られないでしょ〜?!名前なら、水戸君ちと近いし、二人で行く方が大楠君から見てもナチュラルじゃん〜。」
「、、、ナチュラル。」
今日が美奈にとってのよっぽどの事なのだろうな、と英語が苦手なくせに横文字を使いたくなるほどに舞い上がっている美奈のことを思った。普段とは違う状況と滅多にやってこないチャンスに、ウキウキしている友人を簡単に突き放すこともできない私は、渋々承諾する。数軒先の洋平の部屋は私の二階の部屋からは見えないものの、一度窓を開けてそっちの方向を確認するように身を乗り出す。それからもう一度スマホを耳に当てて美奈に話し掛けようとしたら、スマホはすでに終話していた。何かにつけてルーズで、待ち合わせにはいつも遅刻する美奈が、我が家に自転車を走らせてきたのはその20分後。新記録だった。
***
「え、ちょっ。名前がそこにいるよぉ〜?」
あれ?それでもって何でこんなことになったんだっけ?と、先程意識を取り戻した私が今日の出来事を思い出そうとしているところに、美奈の声が遮った。何かを拒否しようとしているが、決して嫌ではないことが声の調子でわかる。美奈の間延びした声は、好きな人を前にして嬉しさを隠そうとしている時のそれだった。隠し切れてないんですけどぉ、、、と私は寝たフリをしながら背中でジロリと訴えたい。
洋平の家は結構自由で、大楠君や高宮君、野間君といった、和光中のいつものメンバーが出たり入ったりを繰り返して、溜まり場になっていた。桜木君は高校に入ってからバスケ部に入ったらしく、洋平の家にやって来ることもめっきり減ったらしいけれど、それでもみんなの話題の中心はその場にいない桜木君で、桜木軍団は高校に仲良く進学し、相変わらずのようだった。
私が美奈に半ば引き摺られるようにして、洋平の部屋を訪れると、他のメンバーは今日はたまたまいなくて、洋平と大楠君だけだった。そこに美奈も加わると、それだけでも何だか中学の同窓会みたいで、私はこの空気感に懐かしさを感じ、それから高校生となって再会する新鮮さも混じって、背伸びしたくなる気持ちになってしまったのは否めない。会話も弾むし、喉が渇いて、目の前に置いてある缶を大楠君に勧められると、飲みやすくて勢い付いた私はクピクピと一本空けてしまった。身体がかっと熱くなり、どくどくと血流が私の体を巡るリズムも響きもやたら私を気持ち良くしてくれた。しかし、すぐさまこの慣れない体の反応に、まぶたがシャッターを下ろし、そして今に至っている。そうだ、私はカーペットに直に横になり、寝てしまったのだった。ようやく点と点を繋げて線にした。床に張り付いた顔と右肩が体をずっと支え続けていたせいか痛くて重たい。しかしそれよりも重たいのは私のまぶたで、先程から私は目を開けられずに寝たフリをして固まっていた。
「寝てるから大丈夫だって。」
「もぉぉ。大楠君ってばぁ。」
何が大丈夫なのよおぉぉーー!大楠ーー!美奈も喜んでイチャイチャしてんじゃないよ、バカっ、私がここにいるんだから自重してよ、二人共っ!と心の中で叫びつつ、そして眉間にシワが寄ったのが自分でも分かる。うわぁ、なんで私が寝ている間にこんなことになっちゃってるの!?どうしたらよいか分からなくなって心の中であたふたと混乱する私がひたすらに目を瞑って固まっていると、ガチャリとドアノブの回す音がした。場の空気がふわりと流れて、私の背中を優しく撫でる。
「おいコラ。人んちでイチャイチャすんな〜。」
「げ、洋平帰ってきた。」
「おま、"げっ"てなんだよ。ここはオレんちだよ。イチャつくなら外行けよ、外に。」
洋平は呆れるように笑って冷やかすと、美奈はすぐさま反応を返す。
「でも名前、どうしよっか。」
「いいよ、寝かせとくわ。オレいるし。」
「そっか!じゃあ、大楠君、ちょっと外行こ?アイス食べたーい。洋平、名前のこと見ておいてね。よろしく!」
「へいへい。さっさと行けよ、バカップル。」
えー!嘘でしょ!?私を抜きにして話はとんとん拍子に進んでいく。私は置いてけぼりってそりゃないよ、美奈!しかしそんな私の心の声は届くはずもなく、美奈は綿毛のような軽いノリで、大楠君と部屋を出て行った。残されたのは、洋平と寝たフリをした私。美奈と大楠君がいなくなったとはいえ、今更どうやって起きたら良いのか分からない。はて、今、何時なんだろう。帰ろうにも、このタイミングで起きてしまっては、あまりにもあからさますぎる気がして、美奈達はいなくとも洋平を前にして気恥ずかしい。私は目を瞑ることを続行し、胸の内でため息を落とした。
「ったく、散らかすだけ散らかして、、、何だあいつら。」
洋平は一人で愚痴りながら、無造作に転がる空き缶を一つに集めていくのが分かる。ただその言い方は決して迷惑そうではないのが洋平らしい。私の周りを洋平は歩き回りながら、ゴミを片付けていく。ゴミ袋のガサガサとした音が消えたら、よいしょ、と私の頭のそばにあるベッドを背もたれにして、腰掛けた。それらは全て気配で感じ取れた。そして、私に話しかけた。
「で、名前さ、そろそろ寝たフリやめよーぜ。」
え!バ、バレてる!洋平に!何で!?驚きの余り勢いよく、パチリと目を開けてしまったものだから、部屋の明かりが存分に眩しくって、その不意打ちにも驚く。光に慣れるまで薄目になってゴロンと寝返りを打つと、仰向けになった私を、真上から覗き込む洋平がいた。
「眉間にシワ。すっげー顔してるぞ。」
「眩しい、、、。ちょっと、待って、、、。」
両手で毛布を引き寄せて頭まで被った。洋平の家の匂いがする毛布は柔らかくて鼻をくすぐる。スン、と鼻をすすってから、申し訳程度に目元まで毛布を下げると、未だ私を見ていたらしい洋平と目が合ったので、仕方なく会話を始める。
「、、、なんで私が起きてるって分かった?」
「不自然なんだよ。オレらの会話に反応してビクってしてたもん。ビクって。」
洋平は笑いながら答えるもんだから、馬鹿にされたと思った私は、勢いよく起き上がり、わかりやすく戸惑いを伝える。
「だって、、、だって、だって!目が覚めた時、美奈と大楠君、キ、キスしてたよね!?いや、たたた多分!ねえ!?あ、あ、あそこで起きたら超気まずいじゃん。無理だよ〜!」
「ははは。あいつらマジで場所考えろって感じだよな。」
柔らかく答える洋平が共感してくれたから私はどこかホッとした。中学時代、桜木軍団はすぐに問題を起こすからと、彼らが苦手な子も多かったけれど、私が敬遠することもなく普通に会話が出来たのは洋平の存在が大きい。不良とはいえ同じ年の私と洋平は小学生以降、これまでも何度か同じクラスにもなったし、町内会も一緒で、登下校班も同じだったから付き合いだけは結構な年数が経っていた。洋平が親に叱られて鼻水垂れ流して泣いてる姿だって何度も見てきている。そこまで仲良くしていたわけではないから幼馴染みとは言い難いけれど、不良と周りから言われる以前の洋平を知ってるからか、周囲の持つ印象とはイマイチ重ならない。誰彼構わずに周囲に迷惑をかけたり、尖っている訳では無いことを、洋平と接する度に、洋平が作る柔らかな空気に触れることで私は再確認し、そして変わらぬものがあることに安心するのだ。
「洋平、、、もしかして美奈と大楠君って付き合ってるの?」
私は急な展開をおさらいするように洋平に尋ねる。
「あいつらアホだから、ノリで付き合おうってなってたぜ。名前寝てたときに。ほんとアホ。」
「はぁー?ノリで!?付き合うの?美奈、中学の時からずっと大楠君のこと好きだったんだよ。そんなふざけて遊びの延長みたいに、、、それでいいのかなあ、美奈は。」
「や、大楠も美奈ちゃんのこと前から気に入ってたし。美奈ちゃん、嬉しそうだったぜ?お互いがいいなら、それでいいんじゃね?」
片膝を立てて私の隣に座る洋平は全く気にとめることなく淡々と話した。そんな洋平の態度にも、大楠君にも美奈にも、私は寝たフリをしていた時以上に、置いてけぼりをくらっているような気持ちになり、ぽつねんとした本音が溢れる。
「何だか、みんな大人になっていくっていうか、進んでいくの、、、、ちょっとモヤモヤする。」
「ん?何が。」
「付き合うとか、ね?私、よく分かんないし。一緒に遊んだり、会ったり、喋ったりするだけじゃダメなのかなあ、、、みんなで楽しくいたいだけなんだけど、私。」
「そうか?別に大人になるとかさ、あんまり難しく考えんなよ。好きな子を独り占めしたくなって、そしてそういうことが、ダセェと思わなくなってきたんだって。けどさ、彼氏彼女が出来たからって、ダチといる時が楽しくないわけじゃねーだろ?何も変わんねーよ。何も。」
ただただ私の素直な感情を落としたら、洋平はそれをわざわざ拾って、砂を払ってくれる。別に主張したいわけでも、議論をしたいわけでもなかったから私は何も言い返すつもりもなく、膝を抱えるように洋平の言葉を抱えて黙った。
「例えば、名前に彼氏出来たら?美奈ちゃんと会わなくなるわけじゃないだろ?」
「、、、うん。むしろ色々聞いてもらいたいかも。」
「じゃあ、やっぱ何も変わんねーよ。な?」
「だけど美奈は、大楠君が一番って言い切っちゃいそうだけどね。」
「でもそれ、昔からじゃね?」
「あ、それもそっか!ふふふ!そうだね。」
私は洋平の一言に声を出して笑う。私の笑いが収まるのを見計らって、洋平が戯れに聞いてきた。
「名前って、彼氏と何すんの?」
「えー、だから分かんないって言ってるじゃん。彼氏なんていないし。」
「だから聞いてんだよ。ちょい言ってみ?」
「、、、例えば、学校帰りにマック寄ったり。」
「うん。」
「勉強を一緒にしたり。」
「うん。」
「手を急に繋がれたりして、ドキドキするとか。、、、え?あれ?ちょっと、洋平、何笑ってんの。」
「、、、お前、漫画の読みすぎかよ。手繋いでドキドキって。かははっ。」
くくくっと口元に手を当てて、眉毛を下げる洋平は、困ったように笑う。そして静かに息を吸い、次に息を吐くという当たり前の呼吸をするみたいにごく自然に、可愛いな、と呟いた。これは私に反応を求めたいのか、洋平の独り言としたいのか分からなくって、私は次の言葉でそれを誤魔化すように逸らした。
「だって、男子と手なんか繋いだことないもん。それこそ、去年の体育祭のフォークダンスくらいなもんで、、、。」
「え?そんなんあった?フォークダンス?」
「洋平、体育祭出なかったじゃん。サボって。」
「お、名前、よく覚えてんなー。」
覚えているよ。洋平がサボらなかったら、あのフォークダンスは、順番からして私と洋平がペアになる予定だったんだもの。当時だって期待はさっぱりしていなかったけれど、未だにそのことを恨めしく思っていた自分がいたらしいことを今ようやく知るはめになった。洋平の全く気にもしていない物言いが、私の心を逆撫でしたのだ。決して洋平のことが好きだったわけではない。だけれども、洋平には私のことをとるに足りない同級生だと思っても欲しくなかったみたいだ。急に知ったこの複雑なわだかまりに消化不良を起こしている私を見て、洋平は覗き込むように聞いてきた。
「何?なんかムカついた顔してね?」
「べ、別に!特に!何も!」
「あ、そ。」
こうやって洋平はあるところで線を引いて、その上、私にも気を引いてはくれない。性格的にあっさりしてる、と片付けてしまえばいいのに、私に興味がないように思えて、それが全くもって面白くないと感じてしまうのは、まだ体育祭の一件を私が引き摺っているからなのだと思う。
「手ぇ繋ぐってどっち?こっち?」
洋平はそう言うと、私の手を下からすくい上げた。握手する形になったかと思うと、一瞬で指を絡める握り方に変えた。洋平が繋いだ手元に視線をやるので、私も促されたようにしげしげと二人の手を見つめた。背格好は私とそんなに変わらないはずのに、手の甲に青筋が浮き出た洋平のゴツゴツした手は強い意志を持って、私に絡んでくる。身構える私の指は、握り返すことも出来ず、洋平の手の中で不格好にフラついている。
「これもドキドキしたりすんの?」
「え、急に何!?え、、、え!?そう言われると、なんかドキドキしてきた、、、のかなあ?!」
洋平に握り締められているその手とは反対の、親指や人差し指を私は手首に当てる。探り当てようとして何度もその動作を繰り返す私に、洋平は不審そうな目をして尋ねてきた。
「、、、名前、何してんだよ。」
「、、、脈を測ってる。」
かはは!と洋平は仰け反って大きく口を開けて笑った。
「脈拍に聞かないと分かんねぇもん?」
「分かんないよ。何も分かんない。」
自分の気持ちも、今、どうしてドキドキしているのかも。そんな私を無視して、どれどれ、と洋平は私の両手を握って、手のひらを上に向けさせた。私の両手首まで洋平が自分の両手を滑らせる。そして掴んだまま、私の手を支えにして、「んしょ」と言って私に近付き、胡座をかいて座り直した。こうして私達は向き合った。
「、、、細っ。名前、手首ほっそ。」
「どこが!中学の時、右だけが腕も太くなっちゃってすごくイヤだった。」
「部活してたっけ?」
「してたよ。テニス。真っ黒だったじゃん。」
「そうだっけ?」
こんな普段通りの会話をしながらも、洋平は親指で私のドキドキを探って手首をさする。
「、、、わかんね。どこらへん?」
「この辺だってば。親指の下のこの血管のあたり、ねえ、ここ。触ってみてよ。」
洋平は両手を掴んだまま離さないで、じっと私の手首を見つめるようにして言った。
「、、、、脈、ある?」
「だから、あるってば。」
そう答えたのに、脈を取られることもなく私の両手はカーペットに着地する。洋平が重ねた手の平の重力に押さえつけられて。両手が突き出すと自然と上半身は傾く。私は洋平に向かって膝を突き合わせ、土下座するみたいに前のめりの格好となって、そこで初めて洋平を見た。洋平が真っ直ぐに私を見ていた。視線がぶつかって、バチっと音がしたみたいに痺れて動けない。
「いい?」
と尋ねた洋平は、いつものような澄ました顔でなく、目を細め、推し量るようにじわじわと距離を縮めてくる。こんなに至近距離で洋平を見るのも初めてで、ついじっくりと私も見入ってしまった。しばらく黙ってしまったが、いい?とは、、、?言われた意味が分からなくて、こう聞いた。
「何が?」
私がきょとんとした顔をしたからだろうか。洋平は一瞬だけ目を見開いた後、噴き出した。そして私の右肩に額をくっつけて、もたれかかってきた。洋平がくすくすと笑うと、その振動がダイレクトに伝わってこそばゆい。
「え?ちょっと、何?洋平?」
「全っ然、脈ねーじゃんか、お前。」
「だから、あるよ脈、、、え?脈って、、、?」
どうやら私達の認識に相違があるらしい、というところまでは分かったけれど、洋平が私に求めてきた同意が何だったのかまではピンとこない。
「オレもう、恥ずかしくて顔上がんねー。ははは。」
「何で?何で、何で。」
「オレ、さっきから好きアピールしてるんだけど。伝わってねぇ?」
「へっ!?嘘っ。い、いつから!?ちょちょっ、こっち向いてよっ。」
「ヤだよ。」
友達なのかそれ以上の存在なのか、区別のための線を引いていたのは、私だったのかもしれない。洋平はあっという間に、その垣根を越えてきた。そしてそれを悟られずに、躊躇いなくやってのけるのが、いかにも洋平らしい。その一瞬の心の跳躍に私は追い付けずに、瞬きを何度もしながら、どうやら洋平を困らせている。私は体を離して、洋平の顔を捉えようとするも、洋平は私の手を握ったままで、身動き一つ取らせてくれない。ため息を吐きつつ、私の肩に顎を乗せる形で、洋平が体を寄せた。洋平の声がますます近い。喋る度に、息をする度に、洋平の顎と喉が揺れて、体に伝わる振動が私を震わせる。私がそう感じているということは、私の脈拍の乱れも、きっともうすでに洋平に伝わっているのだろう。
「よ、洋平、、、わ、私。」
「何?」
「ど、どうしていいか分かんない、、、。」
「それはオレもだよ。」
階段を登ってくる足音が聞こえる。きっと大楠君と美奈が帰ってきたのだと、私達は何も話さずとも分かった。
「あいつらの空気読まなさ具合、ホンット、ムカつくな。」
呆れて笑う洋平は、硬直したままの私からようやく体を離した。だけども私の気持ちは離さないと言わんばかりに、先程の会話を持ち込んでみては、私をさらに惹きつける。
「あれ。さっきの。好きな子を独り占めしたいってやつ。」
「え?、、、う、うん。」
「今、めちゃくちゃそうゆう気分なんだけど、名前は?」
脈を取らずとも分かる。洋平の言葉をきっかけにして、沸騰したかのようにぐらぐらと血管を太く流れていくドキドキで、今にも心臓が飛び出そう。それを押さえつけるのに必死な私が、洋平に返事をする余裕などあろうか。私が何も言えないまま俯いていると、ガチャリと部屋のドアが開いて、例の二人が賑やかに滑り込んできた。
「ただいまー!アイス買ってきたよー。あ、名前、起きてる。大丈夫?まだ顔赤くない!?」
「えっ、、、私、顔赤い?」
そう私が尋ねた先は美奈だったのに、隣に座る洋平が割り込んで、楽しそうに答えた。
「うん。赤いぜ?」
私は咄嗟に自分の火照る頬を両手で押さえた。私は洋平に笑いかける。洋平も私を見てニヤリと笑う。ああ、もうバレてしまった。洋平への起き上がったこの気持ちに、もう寝たフリは出来ない。
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