篠を突く雨に探す(清田)
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朝、家を出る時は雨なんて降っていなかったし、天気予報では、午後の降水確率は50%だったから。転ばぬ先の杖、いや降らぬ先の傘を持ち歩くような性格でもないんだもの。ほら、私って物事を計画立てて順序良くこなすことより、直感力でその場を乗り切っていくタイプじゃん?と、放課後の靴箱の前で立ち往生した私は強く思った。昇降口の向こうに見えるどんよりした空と、打ち付ける雨はグラウンドに溜まる水溜りを怒ったように跳ね上げて、雨の激しさを主張してくる。
今日の部活はこの通りグラウンドが使えないから、トレーニングルームで筋トレと、校内ダッシュのメニューなはず。正直サボってもいいんだけど、なんて不真面目陸上部員の私は頭をよぎるのだけれど、こんな雨だと今家に帰る方が面倒くさい。うーん、とりあえず部室に向かうか、と覚悟を決めた。この大雨の中を突っ切って、体育館裏にある運動部の部室棟を目指して走り出そうかと、頭の上に通学バッグを乗せた私に、教室に続く廊下から声が掛かった。
「ん?苗字じゃん。おつかれー。」
声がする方へ振り向いたら、閉じた傘を呑気に振り回して、私の方へ歩いてきたのは同じクラスの清田。
「清田じゃん。今から部活?」
「おう。」
「珍しくない?いつも教室を一番に出て行くのに。」
「英語の小テストの再提出だよ、、、。」
「あ、そう。今日のやつ、難しかったよね。」
「だよなー。」
「苗字は?お前こそ、部活は?」
「図書委員の仕事やってたんだよ。だから今から行く。」
「ふうん。」
世間話もそこそこに、清田は下駄箱で靴を交換して履き替える。そして、通学バッグを頭に乗せたままの私に、玄関口で並んだ。そこでようやく私の様子と、外の様子を交互に見ながら状況を把握したらしかった。
「なんだ、苗字、傘ないの?」
「うん。だから部室まで走ろうかって。」
「そこは陸上部らしく、クラウチングスタートでしゃがんで行けよ。かっかっか。」
「何でっ!私、短距離じゃないし。」
雨はまだまだ止みそうにない。ザアザアと落ちてくる雨音は、自分の声すらもかき消す勢いなのに、清田の声はよく通る。単純に態度のデカさに比例して、声がデカいだけかもしれないけれど。
私は清田の向こうに見える空の様子を伺う。部室まではこの校舎を出て、グラウンドの左側、体育館の裏手にある。体育館も校舎とは繋がっておらず、少し離れた場所にあるから、私達運動部員は、一旦校舎の外に出て行かねばならなかった。
「、、、入ってく?」
と、多分清田は言った。多分、だと思うのは、この激しい雨音で、普段はよく通る大声の清田が、ここだけボソボソと喋ったものだから、よく聞き取れなかったからだ。
「え?何て?清田。」
と、私が言ったのと同時に、清田のジャンプ傘が、バンッと勢いよく開いたから、私の声もまた清田に届いていないのだろう。清田は傘を持ち上げて、私の居場所を作るように、こちらを向いて構えた。ん、これは?私を待っているってこと?と、清田に目で訴える。
「なんだよ?部室まで行き先は一緒だろ?」
「えー、だって、、、。」
「あん?何?」
頭に置いていた通学バッグを、左肩に背負い直す。
「ううん!何でもない!ありがと!」
だって相合傘になっちゃうじゃん、なんて恥ずかしくて言えないよ。何だか私が清田を意識しているみたいじゃない。違う、違うんだからね、と私は平然を装って、清田の隣に駆け寄った。
***
「陸上部って雨の日は何すんの?」
「筋トレ。あと階段ダッシュとか。嫌いなんだよ ね、筋トレ。だいたいサボってる。」
「お前、やる気ねぇなあ。」
「バスケ部と違って、うちの陸上部は弱小だもん。そんなもんだって。」
清田と並んで雑談しながら私達は部室棟へ向かう。そういえば、こんな風に清田と二人で話しをするのは初めてかもしれない。放課後は、清田はいつも体育館だし、私はグラウンドにいるから、部活中に会うこともない。教室での清田は、自信家で態度がやたらデカい奴っていうイメージがあったけれど、こうやって一対一で話すと、人懐っこくて、私に色んなことを聞いてきた。我が強そうなのに、他人にも興味を持って接してくる奴なんだと知る。そんな清田の態度に、少しだけ興味が出てきて、こちらもほぐれた会話で近寄っていく。
「清田って、こうして並ぶと背、高いんだね。何センチあるの?」
「180ないくらい。でもバスケやってたら普通。もっとデカい奴ゴロゴロいるぜ?」
雨は激しく、白い線が途切れなく縦に流れ、遠くの視界を遮る。だけど、傘に弾ける雨音は、パラン、パランと軽快に聞こえた。
「苗字も女子では背、高い方じゃね?」
「あ、うん。そうかも。だから大変だねって言われた。」
「大変?何が?」
「あのね、彼氏彼女の理想の身長差って15センチなんだって。今日さ、昼休みに友達と話題になったんだよね。で、私と15センチ差の男の子ってそんなにいないよねえ〜、なんて言われて。」
「へぇ。苗字、何センチあんの?」
「163。だから15センチ高いってなると、えーと、ひゃくななじゅう、、、何センチだっけ?」
「178か。あ、オレじゃん。」
「え?」
「え?」
不意を突かれてどうして良いか分からず、まごまごして自分自身に聞き返した私の声と、そんな私の様子を不思議に思い、聞き返した清田の声が連鎖の如く重なる。
単に概念的で一般的に捉えていた事柄が、急に直接それと分かるようなはっきりとした形を持って、目の前に現れる。清田が「オレじゃん」なんて簡単に言うもんだから、清田の身長だけでなく、清田自身を対象として私は意識してしまった。
「あっ、えっ、、いや、うん、そうだね。あー、そっか。清田くらいの背の高さの人になるんだ!へ、へぇー!」
「お、おおう。えっと、てことはオレからすると、苗字くらいの身長の子が理想的ってことかあ。」
何でそんなにありのままでひねくれてないのだろう。素直に受け止めすぎだよ、清田!そうだね、なんて肯定すると、私が清田の彼女になりたいみたいで変だし、否定すると私をそんな目で見ないでよね、なんて自意識過剰だと思われても嫌だ。うまくやり過ごせる会話が見つけられなくて、私が黙ってしまったからか、様子を伺ってくるように清田は私に視線を下ろした。それに気付いて、私は清田に向けて顔を上げた。私達はしばらく見つめ合ってしまったことにハッとして、互いに顔を背けた。足元は地面に打ち付ける雨の跳ね返りに濡れる。歩くたびに靴の底から染み上がるような気持ち悪さが、そっくりそのまま居心地の悪い空気になって纏わり付く。そう思ったのは私だけかもしれないけれど、この空気をどうにか散らしたくて清田に話しかけた。
「あっ、でも、キスする時の理想の身長差は12センチらしいよ、、、!」
って何が「でも」なのよ、と心の中で激しく自分に突っ込んだ。脈絡のないまま、私は新たな話題を持ち出すことでこの会話を早送りしようとして慌ててしまった。清田はふうん?と相槌とも言えない反応だけで、何も言ってくれなかったから、会話は前に進んでくれなくてさらに居た堪れない。清田の隣にいることにソワソワしてしまう。
濡れた前髪が額に張り付いていた。私は自分の視界を隠すように、前髪を整えるフリをして清田と逆の方向に視線をやる。そこで、初めて傘が私寄りに傾いていることに気付いた。
「あ!ねえ、清田、右肩濡れてんじゃん。私の方に傘寄せなくていいって!ごめんね!」
「いや、お前も濡れてんじゃん。っていうか、もっとこっち寄っていいって。」
「えっ!?だ、だって、なんか近、、、近くない?」
実は並んで歩き始めた時から、二人の間に微妙な空間があった。この傘の下の限られた空間で、異性との距離に戸惑わないほど、私も清田も子供ではないけれども、スマートに距離を保てるほど大人にもなれなくて、お互いの呼吸を計り損ねていた。それが、傘から落ちる雨垂れが二人の肩を濡らし、さらになんだかよく分からないままに私の気持ちも、しとしとと湿らせていく。
「雨に濡れるよりいーだろ。何を照れてんだよ。」
「照れ、、、、!照れてないしっ!」
「だったら、こっち寄れって!あー、もう!」
「あ、ちょ、、、、ちょっと!」
そう言って、清田は私の右腕を掴んで引っ張った。ぐい、と体を持っていかれる。予想だにしていない行動に、よろけた私は清田の肩にもたれかかってしまい、そんな私をガッシリとした清田の上半身は全くぐらつくことなく受け止めた。体勢を落ち着かせて顔を上げると、丁度視線の先に清田の喉仏が目に入ってきた。太く隆起した喉元に、ああ清田って男の子なんだ、と思ってしまった。その上、そんな当たり前のことを性差によって知るということが、なんだかひどく性的なことのように感じてしまい、非常に決まりが悪い。こんな自分のよろけた気持ちを知られまいと、踏ん張るように言葉にして清田に向けた。
「きゅ、急に引っ張らないでよお!」
「わ、悪ぃ。」
部室まであと少し。清田が私を掴んで寄せた距離は、時折、清田の傘を持つ肘と、私の腕をくっつける。この肌が触れても清田は何も言わないから、私も変に反応するのもおかしな気がして、会話は途切れたまま。私達は互いの温度に気付いたり、知らないふりをしたりしながら、この距離に収まり、黙って体育館沿いを歩いた。
***
「あれ?」
部室棟の入口で向こうから歩いてきた男の人が清田に気付いて声をかけた。
「あ、神さん。おつかれーっす。」
神さんと言われた人はどうやらバスケ部の先輩のよう。
「信長、今日遅いじゃん。オレ、委員会さっき終わって、今から体育館。」
「英語のテストの居残りで、、、。すぐ着替えて行きます!」
「うん、牧さんに言っとく。」
「あざーす!」
傘をバサバサと振り回して雫を切る清田と違って、先輩は静かに体育館に歩いて行く。さっき図書委員会の集まりにいた人だ。背が高いから目立っていたなあ、そういえば。
「今の先輩、バスケ部なんだ?さっき委員の集まりで居たよ。」
「お、おう。2年の先輩。レギュラーだぜ。そうだ、オレもレギュラーなんだぜ?苗字、知ってた?」
「知ってるよ。教室でうるさく言い回ってたもんね。ってか、今そのアピール要る?!」
「へっへっへっ。」
別に褒めたつもりは全くないのだけれど、清田は満足気に、そして嬉しそうに笑った。自己主張の強い性格を、こうして屈託のない笑顔がうまいこと素直さを演出するので、憎めなくってずるいなあと、つられて私も笑った。
「じゃあ、うちの部室、、、、あっちだから行くね。あの、ありがとね。」
「おう。」
私が歩き出したら、清田が声を上げる。
「なあ!苗字!」
「何?」
私がその声に振り向くと、清田は一旦バスケ部の部室に入りかけた体を仰け反らせ、ドア越しに顔だけ覗かせていた。
「明日も雨降るみたいだぞ!傘忘れんなよー。」
「、、、、忘れたら清田にまた入れてもらおっかなー。」
清田とちょっとだけ仲良くなれた気がして、私は少し心がフワっとしていた。もう少し清田に近寄ってみたいな、なんて興味本位のノリや軽さもあったのかもしれない。だから小雨の中を傘無しで歩くような気取った本音を織り交ぜて返した。これならたとえ濡れてもすぐに乾くような冗談だと笑って誤魔化せる。卑しくもこうした言い訳で心の体裁を保とうとする私に、清田はまあまあの真顔で返す。
「、、、まあ。うん、いーけど。」
胸が跳ねた。い、いーけど、って?えっと、それってどういう、、、?清田の言葉に意味を探したくなってしまった私は、色んなことに気付くのが急に怖くなり、跳ね上がる胸を抑えつける。
「バ、バイバイ!」
と不自然に言い捨てて、下を向いて私は部室に走った。昇降口で偶然出会うまで、清田はただのクラスメイトで、ただの目立ちたがり屋の男子というだけだったのに。
部室に駆け込んで、さほど上がっていない息を整える。あの時。ぶつかった時の目線の先にあった、清田の喉仏を確かめるように、自分の喉にそっと触れた。私の右腕を掴んだ清田の手も、ぶつかって支えられた肩も胸も、大きくて、力強くて、広くて、硬くて、私は驚いてしまっていた。部室の前で清田が急に真顔になったことにも、ドキリとした。私の知らなかった清田がたくさんいて、それは水溜りの波紋のように、幾重にも輪を描いて広がって、私の心を波打った。清田が図々しくも私の中に居座る。こんなこと、今朝の天気予報でも言っていなかったじゃないかと、体を熱くして愚痴る。
***
「ねえ、信長。さっき一緒に歩いてた子、彼女?」
後ろのロッカーから神さんが背中で話しかけてきた。神さんのシュート練習にくっついてたから、部室に最後まで残ったのはオレ達二人だけ。
「えっ、何言ってんすか!同じクラスの女子すよ!ただの、、、!」
「ふうん、そう?」
「な、なんで?」
オレはロッカーの扉をバタンと閉めて、少しだけ神さんの方を盗み見るように振り向く。着替えの最中の神さんが、Tシャツを脱ぎ捨て、袖を通した制服のシャツから頭を出すと、オレの視線に気付く。
「なんか二人の距離近かったから。」
「そ、そそそそれは、雨、降ってたし!傘一つだったし、、、!仕方なくすよ!仕方なくっ!」
「でもオレにはイイ感じに見えたよ?二人並んだ感じが。」
「え。ホントっすか?」
「ほら、やっぱりそういう子なんだろ?」
神さんは、オレの浮つく反応を見て、声に出さないで笑った。こんなことで調子付いてしまうオレは、底の浅さを知られたみたいで、面白くない。そして一つ年上の先輩はそんなオレの後退した気配までも察して言う。
「図書委員だよね?今日見た。テキパキ動いてたし、良い子そう。」
褒められてるのはオレじゃないのに、つい嬉しくなった。自慢げに、でしょ?なんて共感を求めそうになって、はたと立ち止まる。なんで全てお見通しで、オレの気持ちも手に取るように分かってるんだよ、この人は。それでもって、茶化さずにいてくれるのだから、そんな先輩を前にして、ただの同じクラスの女子です、なんて言い張る自分がガキみたいで悔しいじゃないか。加えて、現実は全然前に進めていないし、偶然を待つことしかしていない自分に心の中で舌打ちもした。
「でも、友達っす。い、今は、、、。」
「は?えぇ?!今は?」
神さんの聞き方は、明らかに驚きよりも、オレを煽って本音を引き出そうとするものだったから、その見透かされた感じを打ち消すように強く言った。
「い、今は!ってことにしといて下さい、、、!」
「ははは、それオレに言われても。お、雨止んでる。」
部室の外に出ると、もうあたりは暗くなっていた。雨は小止みになっていたが、低くたれこめる重たそうな雲が蓋のように湿度を閉じ込めたままだ。ジメジメしたオレの心模様もこれでは一向に晴れ間が見える気がしなかった。
「神さん。」
「ん?何?」
「オレと神さんの身長差ってキスしやすいらしいっすよ。」
まあ、多少の誤差はあるすけどって付け加えようとしたら、神さんはそれより先に面白がって言った。
「へぇ。やってみる?」
「はぁっ!?えっ、ちょ、、、は!?」
「するわけないじゃん。オレ、するなら女の子がいいよ。」
ははは、と笑って神さんは傘を手元でクルクルと回しながら先頭を行く。あのー、オレだって、女の子がいいすよ、、、それもある特定の。神さんの背中についていきながら、その特定のあの子との今日を思い浮かべて、嘆いた息を吐く。オレ、絶対神さんみたいに言えないす。無理。全部相手の言う事、真に受けてしまうところがあるし。
オレの前線に流れ込む湿った空気の影響で、非常に不安定な感情に振り回される。所により急な強い雨が降るし、雷を伴うことだってある。今日なんかは、結構オレ頑張ったよな?こうして一時的に夏空が広がることだってあるものの、進展しない関係は概ね曇りだ。
「オレ、もう身長止まってもいいや。」
苗字との15センチを親指と人差し指でおもむろに目測しながら言ったら、振り向いた神さんが、口元に手を当てて、というか防ぐようにして、青い顔をしていた。いや、オレと神さんのことじゃなくて、、、!オレだって神さんとキスなんか嫌ですよっ!と慌てて誤解を説く。
はてさて、オレの梅雨明けはいつ発表されるんだろう。明日、苗字に聞いてみようかな。
今日の部活はこの通りグラウンドが使えないから、トレーニングルームで筋トレと、校内ダッシュのメニューなはず。正直サボってもいいんだけど、なんて不真面目陸上部員の私は頭をよぎるのだけれど、こんな雨だと今家に帰る方が面倒くさい。うーん、とりあえず部室に向かうか、と覚悟を決めた。この大雨の中を突っ切って、体育館裏にある運動部の部室棟を目指して走り出そうかと、頭の上に通学バッグを乗せた私に、教室に続く廊下から声が掛かった。
「ん?苗字じゃん。おつかれー。」
声がする方へ振り向いたら、閉じた傘を呑気に振り回して、私の方へ歩いてきたのは同じクラスの清田。
「清田じゃん。今から部活?」
「おう。」
「珍しくない?いつも教室を一番に出て行くのに。」
「英語の小テストの再提出だよ、、、。」
「あ、そう。今日のやつ、難しかったよね。」
「だよなー。」
「苗字は?お前こそ、部活は?」
「図書委員の仕事やってたんだよ。だから今から行く。」
「ふうん。」
世間話もそこそこに、清田は下駄箱で靴を交換して履き替える。そして、通学バッグを頭に乗せたままの私に、玄関口で並んだ。そこでようやく私の様子と、外の様子を交互に見ながら状況を把握したらしかった。
「なんだ、苗字、傘ないの?」
「うん。だから部室まで走ろうかって。」
「そこは陸上部らしく、クラウチングスタートでしゃがんで行けよ。かっかっか。」
「何でっ!私、短距離じゃないし。」
雨はまだまだ止みそうにない。ザアザアと落ちてくる雨音は、自分の声すらもかき消す勢いなのに、清田の声はよく通る。単純に態度のデカさに比例して、声がデカいだけかもしれないけれど。
私は清田の向こうに見える空の様子を伺う。部室まではこの校舎を出て、グラウンドの左側、体育館の裏手にある。体育館も校舎とは繋がっておらず、少し離れた場所にあるから、私達運動部員は、一旦校舎の外に出て行かねばならなかった。
「、、、入ってく?」
と、多分清田は言った。多分、だと思うのは、この激しい雨音で、普段はよく通る大声の清田が、ここだけボソボソと喋ったものだから、よく聞き取れなかったからだ。
「え?何て?清田。」
と、私が言ったのと同時に、清田のジャンプ傘が、バンッと勢いよく開いたから、私の声もまた清田に届いていないのだろう。清田は傘を持ち上げて、私の居場所を作るように、こちらを向いて構えた。ん、これは?私を待っているってこと?と、清田に目で訴える。
「なんだよ?部室まで行き先は一緒だろ?」
「えー、だって、、、。」
「あん?何?」
頭に置いていた通学バッグを、左肩に背負い直す。
「ううん!何でもない!ありがと!」
だって相合傘になっちゃうじゃん、なんて恥ずかしくて言えないよ。何だか私が清田を意識しているみたいじゃない。違う、違うんだからね、と私は平然を装って、清田の隣に駆け寄った。
***
「陸上部って雨の日は何すんの?」
「筋トレ。あと階段ダッシュとか。嫌いなんだよ ね、筋トレ。だいたいサボってる。」
「お前、やる気ねぇなあ。」
「バスケ部と違って、うちの陸上部は弱小だもん。そんなもんだって。」
清田と並んで雑談しながら私達は部室棟へ向かう。そういえば、こんな風に清田と二人で話しをするのは初めてかもしれない。放課後は、清田はいつも体育館だし、私はグラウンドにいるから、部活中に会うこともない。教室での清田は、自信家で態度がやたらデカい奴っていうイメージがあったけれど、こうやって一対一で話すと、人懐っこくて、私に色んなことを聞いてきた。我が強そうなのに、他人にも興味を持って接してくる奴なんだと知る。そんな清田の態度に、少しだけ興味が出てきて、こちらもほぐれた会話で近寄っていく。
「清田って、こうして並ぶと背、高いんだね。何センチあるの?」
「180ないくらい。でもバスケやってたら普通。もっとデカい奴ゴロゴロいるぜ?」
雨は激しく、白い線が途切れなく縦に流れ、遠くの視界を遮る。だけど、傘に弾ける雨音は、パラン、パランと軽快に聞こえた。
「苗字も女子では背、高い方じゃね?」
「あ、うん。そうかも。だから大変だねって言われた。」
「大変?何が?」
「あのね、彼氏彼女の理想の身長差って15センチなんだって。今日さ、昼休みに友達と話題になったんだよね。で、私と15センチ差の男の子ってそんなにいないよねえ〜、なんて言われて。」
「へぇ。苗字、何センチあんの?」
「163。だから15センチ高いってなると、えーと、ひゃくななじゅう、、、何センチだっけ?」
「178か。あ、オレじゃん。」
「え?」
「え?」
不意を突かれてどうして良いか分からず、まごまごして自分自身に聞き返した私の声と、そんな私の様子を不思議に思い、聞き返した清田の声が連鎖の如く重なる。
単に概念的で一般的に捉えていた事柄が、急に直接それと分かるようなはっきりとした形を持って、目の前に現れる。清田が「オレじゃん」なんて簡単に言うもんだから、清田の身長だけでなく、清田自身を対象として私は意識してしまった。
「あっ、えっ、、いや、うん、そうだね。あー、そっか。清田くらいの背の高さの人になるんだ!へ、へぇー!」
「お、おおう。えっと、てことはオレからすると、苗字くらいの身長の子が理想的ってことかあ。」
何でそんなにありのままでひねくれてないのだろう。素直に受け止めすぎだよ、清田!そうだね、なんて肯定すると、私が清田の彼女になりたいみたいで変だし、否定すると私をそんな目で見ないでよね、なんて自意識過剰だと思われても嫌だ。うまくやり過ごせる会話が見つけられなくて、私が黙ってしまったからか、様子を伺ってくるように清田は私に視線を下ろした。それに気付いて、私は清田に向けて顔を上げた。私達はしばらく見つめ合ってしまったことにハッとして、互いに顔を背けた。足元は地面に打ち付ける雨の跳ね返りに濡れる。歩くたびに靴の底から染み上がるような気持ち悪さが、そっくりそのまま居心地の悪い空気になって纏わり付く。そう思ったのは私だけかもしれないけれど、この空気をどうにか散らしたくて清田に話しかけた。
「あっ、でも、キスする時の理想の身長差は12センチらしいよ、、、!」
って何が「でも」なのよ、と心の中で激しく自分に突っ込んだ。脈絡のないまま、私は新たな話題を持ち出すことでこの会話を早送りしようとして慌ててしまった。清田はふうん?と相槌とも言えない反応だけで、何も言ってくれなかったから、会話は前に進んでくれなくてさらに居た堪れない。清田の隣にいることにソワソワしてしまう。
濡れた前髪が額に張り付いていた。私は自分の視界を隠すように、前髪を整えるフリをして清田と逆の方向に視線をやる。そこで、初めて傘が私寄りに傾いていることに気付いた。
「あ!ねえ、清田、右肩濡れてんじゃん。私の方に傘寄せなくていいって!ごめんね!」
「いや、お前も濡れてんじゃん。っていうか、もっとこっち寄っていいって。」
「えっ!?だ、だって、なんか近、、、近くない?」
実は並んで歩き始めた時から、二人の間に微妙な空間があった。この傘の下の限られた空間で、異性との距離に戸惑わないほど、私も清田も子供ではないけれども、スマートに距離を保てるほど大人にもなれなくて、お互いの呼吸を計り損ねていた。それが、傘から落ちる雨垂れが二人の肩を濡らし、さらになんだかよく分からないままに私の気持ちも、しとしとと湿らせていく。
「雨に濡れるよりいーだろ。何を照れてんだよ。」
「照れ、、、、!照れてないしっ!」
「だったら、こっち寄れって!あー、もう!」
「あ、ちょ、、、、ちょっと!」
そう言って、清田は私の右腕を掴んで引っ張った。ぐい、と体を持っていかれる。予想だにしていない行動に、よろけた私は清田の肩にもたれかかってしまい、そんな私をガッシリとした清田の上半身は全くぐらつくことなく受け止めた。体勢を落ち着かせて顔を上げると、丁度視線の先に清田の喉仏が目に入ってきた。太く隆起した喉元に、ああ清田って男の子なんだ、と思ってしまった。その上、そんな当たり前のことを性差によって知るということが、なんだかひどく性的なことのように感じてしまい、非常に決まりが悪い。こんな自分のよろけた気持ちを知られまいと、踏ん張るように言葉にして清田に向けた。
「きゅ、急に引っ張らないでよお!」
「わ、悪ぃ。」
部室まであと少し。清田が私を掴んで寄せた距離は、時折、清田の傘を持つ肘と、私の腕をくっつける。この肌が触れても清田は何も言わないから、私も変に反応するのもおかしな気がして、会話は途切れたまま。私達は互いの温度に気付いたり、知らないふりをしたりしながら、この距離に収まり、黙って体育館沿いを歩いた。
***
「あれ?」
部室棟の入口で向こうから歩いてきた男の人が清田に気付いて声をかけた。
「あ、神さん。おつかれーっす。」
神さんと言われた人はどうやらバスケ部の先輩のよう。
「信長、今日遅いじゃん。オレ、委員会さっき終わって、今から体育館。」
「英語のテストの居残りで、、、。すぐ着替えて行きます!」
「うん、牧さんに言っとく。」
「あざーす!」
傘をバサバサと振り回して雫を切る清田と違って、先輩は静かに体育館に歩いて行く。さっき図書委員会の集まりにいた人だ。背が高いから目立っていたなあ、そういえば。
「今の先輩、バスケ部なんだ?さっき委員の集まりで居たよ。」
「お、おう。2年の先輩。レギュラーだぜ。そうだ、オレもレギュラーなんだぜ?苗字、知ってた?」
「知ってるよ。教室でうるさく言い回ってたもんね。ってか、今そのアピール要る?!」
「へっへっへっ。」
別に褒めたつもりは全くないのだけれど、清田は満足気に、そして嬉しそうに笑った。自己主張の強い性格を、こうして屈託のない笑顔がうまいこと素直さを演出するので、憎めなくってずるいなあと、つられて私も笑った。
「じゃあ、うちの部室、、、、あっちだから行くね。あの、ありがとね。」
「おう。」
私が歩き出したら、清田が声を上げる。
「なあ!苗字!」
「何?」
私がその声に振り向くと、清田は一旦バスケ部の部室に入りかけた体を仰け反らせ、ドア越しに顔だけ覗かせていた。
「明日も雨降るみたいだぞ!傘忘れんなよー。」
「、、、、忘れたら清田にまた入れてもらおっかなー。」
清田とちょっとだけ仲良くなれた気がして、私は少し心がフワっとしていた。もう少し清田に近寄ってみたいな、なんて興味本位のノリや軽さもあったのかもしれない。だから小雨の中を傘無しで歩くような気取った本音を織り交ぜて返した。これならたとえ濡れてもすぐに乾くような冗談だと笑って誤魔化せる。卑しくもこうした言い訳で心の体裁を保とうとする私に、清田はまあまあの真顔で返す。
「、、、まあ。うん、いーけど。」
胸が跳ねた。い、いーけど、って?えっと、それってどういう、、、?清田の言葉に意味を探したくなってしまった私は、色んなことに気付くのが急に怖くなり、跳ね上がる胸を抑えつける。
「バ、バイバイ!」
と不自然に言い捨てて、下を向いて私は部室に走った。昇降口で偶然出会うまで、清田はただのクラスメイトで、ただの目立ちたがり屋の男子というだけだったのに。
部室に駆け込んで、さほど上がっていない息を整える。あの時。ぶつかった時の目線の先にあった、清田の喉仏を確かめるように、自分の喉にそっと触れた。私の右腕を掴んだ清田の手も、ぶつかって支えられた肩も胸も、大きくて、力強くて、広くて、硬くて、私は驚いてしまっていた。部室の前で清田が急に真顔になったことにも、ドキリとした。私の知らなかった清田がたくさんいて、それは水溜りの波紋のように、幾重にも輪を描いて広がって、私の心を波打った。清田が図々しくも私の中に居座る。こんなこと、今朝の天気予報でも言っていなかったじゃないかと、体を熱くして愚痴る。
***
「ねえ、信長。さっき一緒に歩いてた子、彼女?」
後ろのロッカーから神さんが背中で話しかけてきた。神さんのシュート練習にくっついてたから、部室に最後まで残ったのはオレ達二人だけ。
「えっ、何言ってんすか!同じクラスの女子すよ!ただの、、、!」
「ふうん、そう?」
「な、なんで?」
オレはロッカーの扉をバタンと閉めて、少しだけ神さんの方を盗み見るように振り向く。着替えの最中の神さんが、Tシャツを脱ぎ捨て、袖を通した制服のシャツから頭を出すと、オレの視線に気付く。
「なんか二人の距離近かったから。」
「そ、そそそそれは、雨、降ってたし!傘一つだったし、、、!仕方なくすよ!仕方なくっ!」
「でもオレにはイイ感じに見えたよ?二人並んだ感じが。」
「え。ホントっすか?」
「ほら、やっぱりそういう子なんだろ?」
神さんは、オレの浮つく反応を見て、声に出さないで笑った。こんなことで調子付いてしまうオレは、底の浅さを知られたみたいで、面白くない。そして一つ年上の先輩はそんなオレの後退した気配までも察して言う。
「図書委員だよね?今日見た。テキパキ動いてたし、良い子そう。」
褒められてるのはオレじゃないのに、つい嬉しくなった。自慢げに、でしょ?なんて共感を求めそうになって、はたと立ち止まる。なんで全てお見通しで、オレの気持ちも手に取るように分かってるんだよ、この人は。それでもって、茶化さずにいてくれるのだから、そんな先輩を前にして、ただの同じクラスの女子です、なんて言い張る自分がガキみたいで悔しいじゃないか。加えて、現実は全然前に進めていないし、偶然を待つことしかしていない自分に心の中で舌打ちもした。
「でも、友達っす。い、今は、、、。」
「は?えぇ?!今は?」
神さんの聞き方は、明らかに驚きよりも、オレを煽って本音を引き出そうとするものだったから、その見透かされた感じを打ち消すように強く言った。
「い、今は!ってことにしといて下さい、、、!」
「ははは、それオレに言われても。お、雨止んでる。」
部室の外に出ると、もうあたりは暗くなっていた。雨は小止みになっていたが、低くたれこめる重たそうな雲が蓋のように湿度を閉じ込めたままだ。ジメジメしたオレの心模様もこれでは一向に晴れ間が見える気がしなかった。
「神さん。」
「ん?何?」
「オレと神さんの身長差ってキスしやすいらしいっすよ。」
まあ、多少の誤差はあるすけどって付け加えようとしたら、神さんはそれより先に面白がって言った。
「へぇ。やってみる?」
「はぁっ!?えっ、ちょ、、、は!?」
「するわけないじゃん。オレ、するなら女の子がいいよ。」
ははは、と笑って神さんは傘を手元でクルクルと回しながら先頭を行く。あのー、オレだって、女の子がいいすよ、、、それもある特定の。神さんの背中についていきながら、その特定のあの子との今日を思い浮かべて、嘆いた息を吐く。オレ、絶対神さんみたいに言えないす。無理。全部相手の言う事、真に受けてしまうところがあるし。
オレの前線に流れ込む湿った空気の影響で、非常に不安定な感情に振り回される。所により急な強い雨が降るし、雷を伴うことだってある。今日なんかは、結構オレ頑張ったよな?こうして一時的に夏空が広がることだってあるものの、進展しない関係は概ね曇りだ。
「オレ、もう身長止まってもいいや。」
苗字との15センチを親指と人差し指でおもむろに目測しながら言ったら、振り向いた神さんが、口元に手を当てて、というか防ぐようにして、青い顔をしていた。いや、オレと神さんのことじゃなくて、、、!オレだって神さんとキスなんか嫌ですよっ!と慌てて誤解を説く。
はてさて、オレの梅雨明けはいつ発表されるんだろう。明日、苗字に聞いてみようかな。
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