あらあらかしこ(宮城)
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「、、、いくよ?」
「う、あ、、、ちょ、、、やっぱりストップ!」
「何だよ、もう、、、。」
「ごめんってば。だって怖いんだもん、、、。」
「だったら、やめとく?オレ、別にどっちでもいーもん。」
「ううう、、、待って、、、、。ふぅ、、、よし、行ける。」
「、、、何回目だよ、もう。」
放課後の教室。窓際の隅っこの席で、私は顔を上げられずに両目をぎゅっと瞑る。覚悟を決める私に呆れながらも、こうして付き合ってくれるリョータ君は優しく笑った。
***
高校三年の冬が終わる。自由登校となり、三年の教室はがらんとしていた。進学組は私大入試も終えて、国公立文系、理系などのより具体的な志望校別対策コースに分かれ、空き教室に集められて、特別授業を受ける。すでに第一希望の私大の合格はゲットしている。ただ、もともと国公立コースを選択していたのを直前で進路変更したものだから、国公立は先生と親の手前、受験することとし、私は未だ学校に通って授業を受けていた。
空き教室で授業を終えた後、自分の教室に荷物を取りに帰る。誰もいない教室は心の中に寂しさを広げた。いつもの癖で、斜め向こうの誰も座っていない、机と椅子を見つめる。もうあの席に座る彼に会うのは卒業式なのかもしれない、と思うと、胸が締め付けられた。
目の前の受験に必死だった私は、頭の中から彼のことを追い出そうとすることにも必死だった。頑張った甲斐もあって、ひとまず受験には終止符を打てたが、私の中にある燻った気持ちには未だピリオドがつかないままだった。宙ぶらりんの気持ちをどこに着地させるべきかと迷う私は、頬を自分の机にくっつけて体ごと、机に突っ伏した。ひんやりとする机は私の熱をこのまま奪ってくれたらいいのに、とさえ思う。
「あれ、苗字さんじゃん。久しぶり。」
廊下側から知った声がかかり、私は身を起こした。同時に自分の心臓もドクンと起き上がったことに気付く。
「え、、、リョータ君。なんで、、、。」
好きな人が偶然目の前に現れるというドラマのワンシーンみたいな酷く安っぽい思考を、慌てて脳内から散らして尋ねた。
「部活、部活。何もしねーのも体ナマるし、参加させて貰ってんのよ。といってもさ、引退してんだし、あんまり長居しても後輩達にも悪いじゃん?だから早めに切り上げてきてんだけどさ。」
「そうなんだ、、、、えっと、それって毎日?」
「や、週に2、3回。去年、一個上の先輩に毎日来る人いたけど、そこまでバスケバカじゃねーもん、オレ。」
他人をバスケバカなんて揶揄しているが、リョータ君は私達よりも早いうちに大学の推薦を貰っていた。高校でこれまでやっていたスポーツには区切りをつけ、辞める人が大半だと思うのだけれど、リョータ君は昨年、国体の強化選手にも選ばれていたくらいで、大学でもバスケを続けるという。
「苗字さんは?」
「受験対策で授業受けてて。今、終わったところ。」
「へぇ、おつかれさん。」
世間話もソコソコに、そう言って、リョータ君は自分の机を漁り、何かを探している。
「忘れ物?」
「うーん、ピアスのさ、ケース。どっかに落としたっぽい。あれ、やっぱここも無いわ。」
「どんなやつ?」
私も席を立って探すのを手伝おうとすると、リョータ君は大したことないと言った風で、私を手で制す。
「ケースつっても、ピアスのキャッチしか入れてなかったし。いつも気が付いたら失くしてるからスペアも持ってたんだけど。」
それも失くすからどうしようもないよね、オレ、と、左耳を触りながらリョータ君は言った。
「ねぇ、リョータ君。ちょっと、耳見せて。」
「え?何?いいケド。」
左耳には、小粒のピアスがちょこんとくっついていた。
「ピアス、いつ開けたの?」
「あー、十代の時。」
「今も十代なんですけど。ね、それ、自分で開けた?」
「うん。」
「実は私もピアス、開けたいんだよね。」
リョータ君に憧れてるんだよ、なんて笑いながらでも言えたらどんなに良かっただろう。言えないからいつも淡い恋心は成仏できずに、その辺をあてもなく彷徨っている。私は耳たぶをさすりながら、床に視線を落とし、リョータ君への気持も伏せた。
机に寄り掛かるようにして立っていたリョータ君は、正面の時計を見て、もう5時じゃん、と言った。その言葉で、二人の会話が終わろうとしていることにハッとして、現実に引き戻される。そしてこの後、私はそんなリョータ君に合わせて、物事の道理を飲み込むように、バイバイって言うんだ。いつもそうだった。再び明日を待っているだけの高校生活だったなと振り返りかけた。でも待って。私達の高校生活に、あとどれほどの明日があるというのか。閃きのように錯綜した私の思惑は、彼と私のこの僅かに設けられた世界をどうにかして繋ぎ止めたいと働いた。自分でも驚くほど衝動的に、何の準備もなく思いつきで踏み切ったのだった。
「あの、、、!リョータ君にお願いがあるんだけどっ!」
***
「どう?この辺かな?」
教室の隅っこに座る私はサインペンで耳たぶに、アタリをつける。それを手鏡で確認しながらも、向かい合わせで座るリョータ君にも尋ねる。
「もうちょい、下じゃね?小ぶりな奴つけた時、耳たぶ隠れるくらいが可愛いよ。」
貸して、とサインペンを手に取り、私の耳にそっと触れて、新たな印をつけた。リョータ君が触れた私の耳たぶは、彼の指の感触と温度を記憶させたくて、何度もリフレインさせようとするから、私をひたすらに緊張させた。机の下に隠れた両手は、ギュッとスカートの裾を強く掴んだ。
「そ、そう?可愛いかな?」
「うん。可愛い、可愛い。」
二人が囲む机の上に無造作に置かれたレジ袋からは、ピアッサーが二つ、覗いている。先週、私はリョータ君にピアスを開けて欲しい、とお願いをした。リョータ君は私の突拍子もないお願いを、なんか面白そうじゃん、と二つ返事で快く了承してくれた。リョータ君が部活のために次に学校に来る日を決行日とすることに決め、誰も居ない自分達の教室で待ち合わせをした。
「にしても、なんでピアス開けたいと思ったのよ。苗字さんは。」
リョータ君はピアッサーのパッケージをバリバリと剥がして、本体を取り出しながら言った。
「リョータ君はピアスを開けてから、人生変わった?あのね、耳ってね、穴を開けると運命変わるんだって。」
「何?風水とか?今流行りのスピリチュアル系?」
「スピリチュアル系って流行ってるの?」
「さあ?」
リョータ君はピアッサーの説明書の部分を読みながら、私と会話する。私は、リョータ君の左耳に光るピアスを眺めながら言う。
「ピアス付けるのが単純に可愛いからってのもあるけどさ、新しい自分になりたいっていうのはあるよね。運命変えられるなら、そのきっかけにしたいなって、、、。」
「苗字さん、運命変えたいの?」
「変えたいよ。性格だって変えたい。もっと明るくって可愛い子になりたい。」
「ははっ、何じゃそりゃ。オレ、穴開けたからって別に何も変化ない気がするけど。あ、バスケは高校の方が真面目にやったかもしんねーな。大学もバスケで行くことになったし。でも彼女は出来なかったなー!オレの高校生活、しょーもねえ。」
「リョータ君。私だって高校三年間、彼氏出来なかったよ。一緒、一緒。」
私は笑って答えた。リョータ君の前で本当に笑えているかは少し自信ないけれど。
「好きな奴、いなかったの?」
私に視線もよこさずに、リョータ君は二個目のピアッサーのパッケージをまたバリバリと破きながらついでのような感じで聞いてきた。こうやって私に問いかける調子に、リョータ君が私に対して何とも思っていないんだろうなと感じて、私の心の中はスンと冷たくなっていく。
「いた、、、けど、告ったりはしなかったな。フラれるって分かってたし。」
「ふーん。彼女いる奴?」
「うん、、、そう。」
ここに来て、フェイクを混ぜて答えてしまう自分の臆病さにシュンとしたのを、リョータ君はどうやら私がどこかの誰かを想って落ち込んでいるのだと思ってくれたらしい。弾みをつけるように私に向かってピアッサーを掲げ、カチャカチャと振って笑う。
「じゃあさ、穴開けて、運命変えちゃおーぜ。」
「ははは、うん。そうする。」
***
「ちょっと。苗字さんっ!何回目!?」
「だ、だってリョータ君が、いくよ、いくよ、みたいに焦らすから怖くなるんじゃん!」
最初は優しかったリョータ君も、何度もピアッサーを私の耳たぶに当てては、私の待った!で離れることを繰り返して、呆れ始めた。
「あのさあ、、、」
「うん?」
「女の子の耳に穴開けるんだぜ?結構責任重大だよ、これ。オレだって、集中力いるし、めちゃくちゃドキドキするって。」
「リョータ君もドキドキするんだね。」
「するよ、そりゃ。」
私はずっと前からドキドキしているよ、と心の中でリョータ君に向けて言った。届かないことは分かっているから、せめて、せめて今くらいは自分へも、リョータ君へも勇気を見せたくなって、自分に気合いを入れた。
「よし!もう行ける!いいよ、リョータ君!」
「ほんとかよ〜?」
んじゃ、いきますか、とリョータ君が私の耳元に近付いて、私はギュッと目を瞑った。バチン。そしてまたもう片方の耳にも、バチン。ホチキスの芯を留める時のような無機質な音が耳元に強く、連続で鳴った。そっと目を開けて、手鏡を手に取る。決められた位置に、銀色のシンプルなピアスが既にくっついていた。
「うわ、うわ、、、、ど、どう?」
「可愛いじゃん。いいカンジ。いえーい。」
リョータ君はダブルピースで応えるものだから、私はどっとこれまでの思いが溢れてしまいそうで、両手で鼻先と口元を覆った。
リョータ君と隣の席になった時に、毎日挨拶を交わせるようになった。授業中のリョータ君はほぼ寝ているもんだから、先生に指された時には、私が肩をトントンって叩いて起こす。それだけのことなのに全神経を右手に集中させて、ドキドキしながらリョータ君に触れた。体育祭の打ち上げで、夜中にクラスで集まった時に、みんなに混ざって初めて宮城君、からリョータ君と呼び方を変えた。決して二人の間に特別な思い出はなくても、私の毎日はリョータ君を想うことで胸が苦しくなったり、嬉しさやときめきで膨らんだりもした。本当に好きだったの。そのダブルピースも凄く好きで、一緒になって真似をした。目の前が涙で滲む。
「ど、どうしたよ、苗字さん!?」
私の涙に、ギョッとして聞いてくるリョータ君に私は、自分でも意外なほど穏やかに答えることが出来た。
「終わったことにホッとしたら、両耳がジンジンしてきて、、、、。」
前半はホント。後半は嘘。ジンジンしているのは、両耳ではなく私の胸だ。そして、終わったのは大して頑張りもしなかった、ただただ相手のことを想う時間だけが積み上げられた、この恋。
「リョータ君、ありがとう。」
私は涙ぐんだ目をこすって、笑った。
「大丈夫?しばらくそれ、外したらダメだかんね。穴出来るまで。」
「一ヶ月くらい?」
「うん。」
「髪の毛下ろしてると分かんないよね?しばらくはこれでやり過ごそうかな。学校だってあとは卒業式に出るだけだし。」
私は横髪を手櫛で頬に添うように梳き、耳を隠して見せてリョータ君に聞いた。
「そうだなあ、、、。それだと分かんないね。」
リョータ君は私をじっと見て、身を乗り出した。机一個分の距離をためらいもなく乗り越えて私の髪の毛に手をかける。横髪をすくって、左耳にかけ、続いて右耳にも。そして左右に体を傾げるようにしてピアスの位置を確認する。
「うん。いい感じ。オレ、ピアス開けんの上手くない?」
ニッと笑うリョータ君は、髪の毛で隠そうとした私の気持ちも露わにするものだから、急き立てられたように、つい口にしてしまった。
「、、、私、フラれてもいいから告白しようかな。」
見せかけだけの空疎な意地だった。
「おっ、何?早速、運命変えちゃう感じ?」
「待って!やっぱり、やめとく。」
「またそうやって、すぐ撤回する。」
リョータ君は頬杖をついた。私達は今日幾度も行ったこのやりとりを思い起こして笑った。だから私はこの笑顔を連れたまま、リョータ君に伝えるのだ。
「聞いて、リョータ君。私、大学行ったらソッコーで彼氏作るよ。そして彼氏に、可愛いピアス買ってもらう。これ大学生活の目標にします!」
「はははは、何だよ、急に。オレに宣言すんの?!いいんじゃね?ガンバレー。」
目を伏せて、私は今開けたばかりのピアスにそっと触れ、イメージを広げた。リョータ君が私に穿った二つの穴は大きく広がり、積み上げてきた私の彼への思いの丈が、その穴を誰にも気付かれずに通り抜けていく。そして身に付けたピアスは、その穴を静かに埋めて、私の気持ちを区切って留めた。ジンジンと連続で鳴り響いていた胸の痛みは止んで、瞬間的に飛び散った火花のような想いがチリチリと、胸を打つ。しかしそれもやがて消えてゆくだろう。甘く優しい残像だけを残して。
「う、あ、、、ちょ、、、やっぱりストップ!」
「何だよ、もう、、、。」
「ごめんってば。だって怖いんだもん、、、。」
「だったら、やめとく?オレ、別にどっちでもいーもん。」
「ううう、、、待って、、、、。ふぅ、、、よし、行ける。」
「、、、何回目だよ、もう。」
放課後の教室。窓際の隅っこの席で、私は顔を上げられずに両目をぎゅっと瞑る。覚悟を決める私に呆れながらも、こうして付き合ってくれるリョータ君は優しく笑った。
***
高校三年の冬が終わる。自由登校となり、三年の教室はがらんとしていた。進学組は私大入試も終えて、国公立文系、理系などのより具体的な志望校別対策コースに分かれ、空き教室に集められて、特別授業を受ける。すでに第一希望の私大の合格はゲットしている。ただ、もともと国公立コースを選択していたのを直前で進路変更したものだから、国公立は先生と親の手前、受験することとし、私は未だ学校に通って授業を受けていた。
空き教室で授業を終えた後、自分の教室に荷物を取りに帰る。誰もいない教室は心の中に寂しさを広げた。いつもの癖で、斜め向こうの誰も座っていない、机と椅子を見つめる。もうあの席に座る彼に会うのは卒業式なのかもしれない、と思うと、胸が締め付けられた。
目の前の受験に必死だった私は、頭の中から彼のことを追い出そうとすることにも必死だった。頑張った甲斐もあって、ひとまず受験には終止符を打てたが、私の中にある燻った気持ちには未だピリオドがつかないままだった。宙ぶらりんの気持ちをどこに着地させるべきかと迷う私は、頬を自分の机にくっつけて体ごと、机に突っ伏した。ひんやりとする机は私の熱をこのまま奪ってくれたらいいのに、とさえ思う。
「あれ、苗字さんじゃん。久しぶり。」
廊下側から知った声がかかり、私は身を起こした。同時に自分の心臓もドクンと起き上がったことに気付く。
「え、、、リョータ君。なんで、、、。」
好きな人が偶然目の前に現れるというドラマのワンシーンみたいな酷く安っぽい思考を、慌てて脳内から散らして尋ねた。
「部活、部活。何もしねーのも体ナマるし、参加させて貰ってんのよ。といってもさ、引退してんだし、あんまり長居しても後輩達にも悪いじゃん?だから早めに切り上げてきてんだけどさ。」
「そうなんだ、、、、えっと、それって毎日?」
「や、週に2、3回。去年、一個上の先輩に毎日来る人いたけど、そこまでバスケバカじゃねーもん、オレ。」
他人をバスケバカなんて揶揄しているが、リョータ君は私達よりも早いうちに大学の推薦を貰っていた。高校でこれまでやっていたスポーツには区切りをつけ、辞める人が大半だと思うのだけれど、リョータ君は昨年、国体の強化選手にも選ばれていたくらいで、大学でもバスケを続けるという。
「苗字さんは?」
「受験対策で授業受けてて。今、終わったところ。」
「へぇ、おつかれさん。」
世間話もソコソコに、そう言って、リョータ君は自分の机を漁り、何かを探している。
「忘れ物?」
「うーん、ピアスのさ、ケース。どっかに落としたっぽい。あれ、やっぱここも無いわ。」
「どんなやつ?」
私も席を立って探すのを手伝おうとすると、リョータ君は大したことないと言った風で、私を手で制す。
「ケースつっても、ピアスのキャッチしか入れてなかったし。いつも気が付いたら失くしてるからスペアも持ってたんだけど。」
それも失くすからどうしようもないよね、オレ、と、左耳を触りながらリョータ君は言った。
「ねぇ、リョータ君。ちょっと、耳見せて。」
「え?何?いいケド。」
左耳には、小粒のピアスがちょこんとくっついていた。
「ピアス、いつ開けたの?」
「あー、十代の時。」
「今も十代なんですけど。ね、それ、自分で開けた?」
「うん。」
「実は私もピアス、開けたいんだよね。」
リョータ君に憧れてるんだよ、なんて笑いながらでも言えたらどんなに良かっただろう。言えないからいつも淡い恋心は成仏できずに、その辺をあてもなく彷徨っている。私は耳たぶをさすりながら、床に視線を落とし、リョータ君への気持も伏せた。
机に寄り掛かるようにして立っていたリョータ君は、正面の時計を見て、もう5時じゃん、と言った。その言葉で、二人の会話が終わろうとしていることにハッとして、現実に引き戻される。そしてこの後、私はそんなリョータ君に合わせて、物事の道理を飲み込むように、バイバイって言うんだ。いつもそうだった。再び明日を待っているだけの高校生活だったなと振り返りかけた。でも待って。私達の高校生活に、あとどれほどの明日があるというのか。閃きのように錯綜した私の思惑は、彼と私のこの僅かに設けられた世界をどうにかして繋ぎ止めたいと働いた。自分でも驚くほど衝動的に、何の準備もなく思いつきで踏み切ったのだった。
「あの、、、!リョータ君にお願いがあるんだけどっ!」
***
「どう?この辺かな?」
教室の隅っこに座る私はサインペンで耳たぶに、アタリをつける。それを手鏡で確認しながらも、向かい合わせで座るリョータ君にも尋ねる。
「もうちょい、下じゃね?小ぶりな奴つけた時、耳たぶ隠れるくらいが可愛いよ。」
貸して、とサインペンを手に取り、私の耳にそっと触れて、新たな印をつけた。リョータ君が触れた私の耳たぶは、彼の指の感触と温度を記憶させたくて、何度もリフレインさせようとするから、私をひたすらに緊張させた。机の下に隠れた両手は、ギュッとスカートの裾を強く掴んだ。
「そ、そう?可愛いかな?」
「うん。可愛い、可愛い。」
二人が囲む机の上に無造作に置かれたレジ袋からは、ピアッサーが二つ、覗いている。先週、私はリョータ君にピアスを開けて欲しい、とお願いをした。リョータ君は私の突拍子もないお願いを、なんか面白そうじゃん、と二つ返事で快く了承してくれた。リョータ君が部活のために次に学校に来る日を決行日とすることに決め、誰も居ない自分達の教室で待ち合わせをした。
「にしても、なんでピアス開けたいと思ったのよ。苗字さんは。」
リョータ君はピアッサーのパッケージをバリバリと剥がして、本体を取り出しながら言った。
「リョータ君はピアスを開けてから、人生変わった?あのね、耳ってね、穴を開けると運命変わるんだって。」
「何?風水とか?今流行りのスピリチュアル系?」
「スピリチュアル系って流行ってるの?」
「さあ?」
リョータ君はピアッサーの説明書の部分を読みながら、私と会話する。私は、リョータ君の左耳に光るピアスを眺めながら言う。
「ピアス付けるのが単純に可愛いからってのもあるけどさ、新しい自分になりたいっていうのはあるよね。運命変えられるなら、そのきっかけにしたいなって、、、。」
「苗字さん、運命変えたいの?」
「変えたいよ。性格だって変えたい。もっと明るくって可愛い子になりたい。」
「ははっ、何じゃそりゃ。オレ、穴開けたからって別に何も変化ない気がするけど。あ、バスケは高校の方が真面目にやったかもしんねーな。大学もバスケで行くことになったし。でも彼女は出来なかったなー!オレの高校生活、しょーもねえ。」
「リョータ君。私だって高校三年間、彼氏出来なかったよ。一緒、一緒。」
私は笑って答えた。リョータ君の前で本当に笑えているかは少し自信ないけれど。
「好きな奴、いなかったの?」
私に視線もよこさずに、リョータ君は二個目のピアッサーのパッケージをまたバリバリと破きながらついでのような感じで聞いてきた。こうやって私に問いかける調子に、リョータ君が私に対して何とも思っていないんだろうなと感じて、私の心の中はスンと冷たくなっていく。
「いた、、、けど、告ったりはしなかったな。フラれるって分かってたし。」
「ふーん。彼女いる奴?」
「うん、、、そう。」
ここに来て、フェイクを混ぜて答えてしまう自分の臆病さにシュンとしたのを、リョータ君はどうやら私がどこかの誰かを想って落ち込んでいるのだと思ってくれたらしい。弾みをつけるように私に向かってピアッサーを掲げ、カチャカチャと振って笑う。
「じゃあさ、穴開けて、運命変えちゃおーぜ。」
「ははは、うん。そうする。」
***
「ちょっと。苗字さんっ!何回目!?」
「だ、だってリョータ君が、いくよ、いくよ、みたいに焦らすから怖くなるんじゃん!」
最初は優しかったリョータ君も、何度もピアッサーを私の耳たぶに当てては、私の待った!で離れることを繰り返して、呆れ始めた。
「あのさあ、、、」
「うん?」
「女の子の耳に穴開けるんだぜ?結構責任重大だよ、これ。オレだって、集中力いるし、めちゃくちゃドキドキするって。」
「リョータ君もドキドキするんだね。」
「するよ、そりゃ。」
私はずっと前からドキドキしているよ、と心の中でリョータ君に向けて言った。届かないことは分かっているから、せめて、せめて今くらいは自分へも、リョータ君へも勇気を見せたくなって、自分に気合いを入れた。
「よし!もう行ける!いいよ、リョータ君!」
「ほんとかよ〜?」
んじゃ、いきますか、とリョータ君が私の耳元に近付いて、私はギュッと目を瞑った。バチン。そしてまたもう片方の耳にも、バチン。ホチキスの芯を留める時のような無機質な音が耳元に強く、連続で鳴った。そっと目を開けて、手鏡を手に取る。決められた位置に、銀色のシンプルなピアスが既にくっついていた。
「うわ、うわ、、、、ど、どう?」
「可愛いじゃん。いいカンジ。いえーい。」
リョータ君はダブルピースで応えるものだから、私はどっとこれまでの思いが溢れてしまいそうで、両手で鼻先と口元を覆った。
リョータ君と隣の席になった時に、毎日挨拶を交わせるようになった。授業中のリョータ君はほぼ寝ているもんだから、先生に指された時には、私が肩をトントンって叩いて起こす。それだけのことなのに全神経を右手に集中させて、ドキドキしながらリョータ君に触れた。体育祭の打ち上げで、夜中にクラスで集まった時に、みんなに混ざって初めて宮城君、からリョータ君と呼び方を変えた。決して二人の間に特別な思い出はなくても、私の毎日はリョータ君を想うことで胸が苦しくなったり、嬉しさやときめきで膨らんだりもした。本当に好きだったの。そのダブルピースも凄く好きで、一緒になって真似をした。目の前が涙で滲む。
「ど、どうしたよ、苗字さん!?」
私の涙に、ギョッとして聞いてくるリョータ君に私は、自分でも意外なほど穏やかに答えることが出来た。
「終わったことにホッとしたら、両耳がジンジンしてきて、、、、。」
前半はホント。後半は嘘。ジンジンしているのは、両耳ではなく私の胸だ。そして、終わったのは大して頑張りもしなかった、ただただ相手のことを想う時間だけが積み上げられた、この恋。
「リョータ君、ありがとう。」
私は涙ぐんだ目をこすって、笑った。
「大丈夫?しばらくそれ、外したらダメだかんね。穴出来るまで。」
「一ヶ月くらい?」
「うん。」
「髪の毛下ろしてると分かんないよね?しばらくはこれでやり過ごそうかな。学校だってあとは卒業式に出るだけだし。」
私は横髪を手櫛で頬に添うように梳き、耳を隠して見せてリョータ君に聞いた。
「そうだなあ、、、。それだと分かんないね。」
リョータ君は私をじっと見て、身を乗り出した。机一個分の距離をためらいもなく乗り越えて私の髪の毛に手をかける。横髪をすくって、左耳にかけ、続いて右耳にも。そして左右に体を傾げるようにしてピアスの位置を確認する。
「うん。いい感じ。オレ、ピアス開けんの上手くない?」
ニッと笑うリョータ君は、髪の毛で隠そうとした私の気持ちも露わにするものだから、急き立てられたように、つい口にしてしまった。
「、、、私、フラれてもいいから告白しようかな。」
見せかけだけの空疎な意地だった。
「おっ、何?早速、運命変えちゃう感じ?」
「待って!やっぱり、やめとく。」
「またそうやって、すぐ撤回する。」
リョータ君は頬杖をついた。私達は今日幾度も行ったこのやりとりを思い起こして笑った。だから私はこの笑顔を連れたまま、リョータ君に伝えるのだ。
「聞いて、リョータ君。私、大学行ったらソッコーで彼氏作るよ。そして彼氏に、可愛いピアス買ってもらう。これ大学生活の目標にします!」
「はははは、何だよ、急に。オレに宣言すんの?!いいんじゃね?ガンバレー。」
目を伏せて、私は今開けたばかりのピアスにそっと触れ、イメージを広げた。リョータ君が私に穿った二つの穴は大きく広がり、積み上げてきた私の彼への思いの丈が、その穴を誰にも気付かれずに通り抜けていく。そして身に付けたピアスは、その穴を静かに埋めて、私の気持ちを区切って留めた。ジンジンと連続で鳴り響いていた胸の痛みは止んで、瞬間的に飛び散った火花のような想いがチリチリと、胸を打つ。しかしそれもやがて消えてゆくだろう。甘く優しい残像だけを残して。
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