口直しのトライフル(三井)
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湘北高校バスケ部は、夏のインターハイ後、新キャプテンとなった宮城君を筆頭に、新体制で全国へ臨む。ただ一人例外を除いて。
***
今日は部室掃除の日だった。マネージャーの私は、全体練習が終わった後、バスケ部の部室に残った。本来ならば、部室の掃除は部員みんなでやるものなのに、宮城君がキャプテンになってからというもの、ほとんど実施されていない。こういうのって、キャプテンの性格が見事に部の運営に反映されるよね。赤木先輩の時は、きっちりみんなやっていたのに、と床に落ちている靴下やらペットボトルやら、テーピングのゴミなんかが目に入り、私は呆れたため息をついた。
全国を目指すという大きな目標を掲げたバスケ部のマネージャーは夏以降、三人になった。二年の彩子と私、そして一年の晴子ちゃん、は赤木先輩の妹だ。マネージャーの人数が増えたこともあり、部室掃除はマネージャーが交代で定期的に面倒を見てあげている、というのが現状。
今日は土曜日で、体育館の使用は二部制となり、前半がバスケ部、後半はバレー部が使用する。全体練習が終わったら、さっさと帰る部員もいるし、体育館が使えるギリギリまで自主的に個人練習をする部員もいる。散らかったゴミを拾い上げて、部室の掃き掃除まで終えた私は、柱の掛時計を見上げる。ちょうどバレー部の練習が始まった頃だ。そのとき、ガチャリと部室のドアノブが回る音がした。
「おっ、掃除終わってんの?」
「、、、一人?」
「おう。」
ドアの隙間から、こちらの様子を伺うように顔だけを覗かせたのは三井先輩だった。三井先輩は自主練組の常連で、ほぼ毎日部活が終わった後も最後まで残っている。夏のインターハイが終わり、同学年の赤木先輩と木暮先輩が引退するというのに、三井先輩だけは冬までバスケ部に残ると聞かされた時には、みんなで、え?三井先輩、留年決定でしたっけ?と思わず聞いてしまう程だったけれど、そうではなかった。どうやら三井先輩は大真面目にバスケで大学進学を考えているらしい。しかし、本人が言う前からバスケ部のみんなも薄々感じ取っていたけれど、さすがにそこは黙っていた。確かに学力では期待できそうにないことを、、、。
こうして、三井先輩が部活に来るたびに、宮城君は「こういうのを目の上のタンコブって言うんだ。」なんて揶揄しては、ブツブツ言っているけれど、陰では三井先輩に練習メニューを相談したりしている。流川君は自主練で居残る三井先輩に「今更、、、」なんてつぶやくし、桜木君は「ミッチーにはもう裏口入学しか残されてないんじゃ、、、?」なんて憐みを口にする。だけども二人とも練習中は三井先輩のアドバイスを素直に聞いている。意外とみんな、口では悪く言うくせに、三井先輩のことを一目置いてたりするのかもしれない。
これはひとえに、三井先輩の面倒見の良さからくるものであると思う。決して木暮先輩のように、優しく穏やかに話を聞いてくれるわけではないけれど、ふとした時に「そういえば、あの時の話、どうなった?」と三井先輩から話を振ってくることがある。時にはこちらが忘れているような些細なことでも、覚えていたりするから、この人、侮れない。三井先輩は無自覚にこれが出来ちゃうので、後輩達は気にかけてもらっている気がしてくるし、威圧感のある三井先輩だけれども、意思疎通も図れる。だから部員からの信頼も厚いのだと思う。もちろん私からの信頼も。そしてひとしおの恋愛感情も。
「着替え、取ってもいいか?」
「あ、だったら私、外に、、、。」
「いーよ、別に見られて恥ずかしいもんじゃねーし。」
三井先輩は首に巻いたタオルを外しながら、ズカズカと部室に入ってきた。
「私が恥ずかしいんだって、、、。」
「じゃあ、向こう向いてろ。」
そう言われて、私は壁に寄り掛かり、斜め向こうに見える柱の掛時計を黙って眺めることにした。三井先輩はTシャツを脱ぎながら、ロッカーも開けようとしたらしく、扉にガツンと肘が当たったようで、イテっ、と呻いた。三井先輩の行動には常に擬音語が張りついている。ロッカーにある自分の制服を取り出すのを、私は視界の隅っこで捉える。雑に引っ張り出したシャツに引きずられて、ロッカーにただ突っ込まれていただけであろう、制汗スプレーやヘアワックスがガチャガチャと勢い良くこぼれ落ちて床に散らばった。
「あーあ、クソっ。」
「先輩、行動がいちいちうるさいよ!あはは。」
「あ?向こう向いてろって言っただろうが。こっち見んじゃねーよ。」
しくじった恰好が自分でも可笑しかったのか、三井先輩は忍び笑いを洩らしつつ、しゃがんで散らばったものを拾い集める。私も足元に転がってきた、制汗スプレーを拾い上げて、三井先輩に手渡す。
「名前、この後なんか予定あんの?」
「、、、三井先輩は?」
「あったら、聞かねーよ。」
ぶっきらぼうで強気な物言いはいつものこと。だけど私の前で、ずっとこの調子が続くわけでもない。下を向いたまま、話しかけられた。
「うち、寄ってく、、、?」
三井先輩は、本心を見せる時、たまに自信なさげで弱気になる。しゃがんだまま、視線を合わせないところなんか、あからさまに。私もしゃがみこんで、三井先輩を覗き込むようにすると、ようやく目が合った。
「うん、行く。」
私達は付き合っていた。
***
「名前、何書いてんだよ?」
「バスケ部の日誌だよ。今日の練習内容とか出欠とか記録してるの。まだ今日の分、書き終わってなかったから。」
「はぁ?そんなの意味あるか?どれ、見せてみろ。」
三井先輩がシャワーを浴びて自分の部屋に戻ってきたところで、日誌を取り上げられる。パラパラとめくって、一番新しいページを読み上げる。
「"今日は桜木君と流川君がケンカになり、一時騒然となりました。明日は仲良くして欲しいです。"って、アホか!こんなこと書いて全国行けたら世話ねーわ!」
「えー、だって、前からこんな感じで書いてあったもん。彩子だって一時期、がけっぷち、しか書いてない時もあったし。ほら、この辺とか。」
私が該当部分を指差すと、三井先輩はまた日誌をめくり、呆れたような口調になる。
「あいつもなかなかだな、、、。」
「これ、安西先生に提出しているんだよ。」
「げっ!だったら、もっとマシなこと書いとけよ。"三井、シュート練追加300本"とか。」
「それ、捏造じゃん。そんなに毎日やってないでしょ。」
「やってるって。朝練と自主練合わせたら。えーと、、、た、多分。」
「"ミニゲームで、3P2本決めてドヤ顔でした!"くらいなら書けるよ。」
「そこは5本にしとけ。」
「だから、それも捏造じゃん!三井先輩、盛りすぎ!あはは。」
三井先輩は、私がカラカラとはしゃぐ姿を、気分良く見た。しかし同時に手に付いた砂に気付いて払うかの如く、おそらくずっと引っかかっていたであろうことについて、怪訝そうな顔でじろじろと見てくる。
「ところでさ、名前、いつになったら呼び方変えてくれんの?」
「え、、、?」
「その、三井先輩ってやつだよ。」
二人の間に沈黙の隙間が出来る。その隙間を埋めるように会話を繋いだ。
「待って、待って。いや、待って下さい!そ、それは三井先輩が部活引退するまで無理、、、、ですよ。私、部活中に呼んでしまいそうです、、、もん。」
ようやくタメ語で喋れるようになったというのに、つい私は少し前に戻って、後輩マネージャーとしての顔を見せる。三井先輩はそれが面白くない。
「オレは名前のこと、部活中も名前って呼んでんじゃんかよ。」
「それは前からじゃん!他の人も名前で私のこと呼ぶし。三井先輩がバスケ部に戻ってくる前からみんなからそう呼ばれていたもん。」
「お前さ、そこはマネージャーと彼女の立場くらい使い分けろよ、うまいこと。」
片膝を立てて、ムスっとする三井先輩は、しかしながら自分の主張が若干子供じみていると思い直したらしい。平静を保つフリをして、しかし嵩高な態度のまま聞いてくる。
「で?」
「で?、、、って?」
「今の名前は、マネージャー?彼女?どっち。」
「か、かにょ、、、彼女、、、です。」
「今、噛んだだろ、お前。」
そう言って、三井先輩は私に近付いて、一瞬の触れるだけのキスをする。伏せた目を開いてみたら、三井先輩と未だ数センチの距離。後発のキスがまた降ってきて、今度は唇を舌でなぞられる。口を開けろという合図に、気持ちが後ずさりした。私は思わず三井先輩を引き剥がして、驚きも戸惑いも隠せずに彼を見る。
「ちょ、え、まだ?するの?」
「するって、何を。」
「あの、えーと、チュって感じのやつじゃなくって、深いやつっていうか、濃ゆい感じやつっていうか、つまり、そういうやつ、、、。」
目を泳がせ、言い渋る私に、まだ、その経験はなかった。ディープキス、と言うのは憚られる。言葉は意味を確固としたものとするから、私が発した途端に、承認され、目の前の彼に口の中を狩られそうだと思った。
「さっき、風呂場で歯磨いてきたし。」
「えっ、いや、歯磨きとか、、、え?そこ!?ちょ、めっちゃ、やる気満々じゃん!あははははっ!可笑しいってソレ!」
「なんだよ、、、。やる気満々で悪いかよ?させろ、ベロチューを。」
「やだー!!なんかエロいこと言ってる人いますぅーーー!!!」
「うっせーな!」
私達はじゃれ合うように笑って、怒って、また笑った。照れ隠しもあった。お互いに、だと思う。これからの展開が容易く予想できるからこそ。
「ででで、でもダメなの!、、、嫌、とかじゃなくて。今日は、ちょっと、、、。」
「今日は?何?お前、さっきからダメとかエロいとか言いやがって。もう、知らね。」
「えぇー?いじけるの無しにしてよ。」
「いじけてねーし。」
すぐ隣に座る私に向かって言うのではなく、ボソボソと独り言のようにそっぽを向いて発言するところを見ると、どうやら三井先輩は私に拒否されて、弱気になっているようだ。ほんっと、この人、どうしようもないなって思ってしまった。でもそこが可愛くて仕方がない。男の人に、しかも年上の先輩に、可愛いくて好き、と思うのはおかしいのかもしれないけど、私は内側からゾクゾクと込み上げてくる感情に震えた。このタイミングで、三井先輩のことを好きだと思う気持ちが溢れてきてしまう。そんな私もどうしようもないことを自覚する。
「ねぇ、ねぇ、ごめんってば。チュッてするのはいいよ。ね?」
そっぽを向いた私の好きな人を振り向かせるべく、三井先輩のほっぺたを指でつついた。まだまだ眉間にシワを寄せる隣人に、わざとらしく甘えた声で私は聞いた。
「ねぇ、三井先輩ー。どうするの?」
「する。するよ。するけれども。」
あ、キスはするんだ。しかし、そんなに何回も言わなくたって、、、、と頭の中で冷静にツッコんでみたけれど、これを三井先輩に言ったらすぐに怒って投げ出すから我慢した。イジけているくせに、こちらが構って欲しい姿勢を見せると、三井先輩は手の平を返すかのような素直さを見せてくれる。四つん這いになって、私に寄ってくる三井先輩の手が私の肩に触れ、反対の手は、背中に添えられて、ぐっと体を引き寄せられた。うわっ、こういう時だけ強引なんだもん、ずるいよ、三井先輩!
「なぁ。名前、、、。」
まだまだしつこく迫ってくる三井先輩に、それでもやっぱり私は。
「や、無理無理。無理だって。今日はごめんなさい!」
「ああ?」
至近距離で威嚇してくるのやめて欲しい。恐っ!観念した私はとうとう告白する。
「わ、わかった!、、、ちょっと、言う言う!あのね、実は、口内炎が、、、!」
「は?」
「こ、口内炎が出来てて、、、」
「は?」
「口の中、、、い、痛くて。は、初めてするのに、そっちばっかり気になっちゃう。痛かったら、、、、ヤダなあって、思っちゃった、、、からぁ、、、。」
段々と声のトーンが下がり、縮こまる私は下を向き、ただひたすら自分のつま先に向かって話しかける。私の告白に少し間を置いた後に、三井先輩がしょっぱいため息を吐くのが分かった。
「お前、、、マジで引くわ。」
「ほらぁ!絶対そう言うと思ったぁ!」
私が顔を上げて、ムキになって反論してくるのが面白かったのか、三井先輩はからかうように笑った。
「ははっ、どこ?見せてみろよ。」
「えー、結構エグいよ。」
「いいから。どれ?」
上唇の裏側に出来た口内炎の場所を示すべく、私は自分の親指と人差し指でグイと、唇をめくる。うまく発音できなくて、ここらへん、と言いたかったのに、ほほりゃへん、と間抜けな発音になる。至近距離で三井先輩に覗き込まれ、今の私は正直、キス顔よりもかなり緊張感のない、情けない顔をしているはず。
「うーわ、めちゃ広がってんな。病院行った?」
「行ってないよ。じきに治るって。」
「薬は?口内炎って塗り薬とかあるじゃん。」
「えー、面倒くさい。放っておけば治るよ。」
「名前、そのズボラなところからまず治せよな。」
むっ、三井先輩に言われたくないんですけど、と言わんばかりの表情で、眉間にシワを寄せた。三井先輩を意識した私のお得意のモノマネに、三井先輩は、お前、それやめろよ。と嘆いて、私の頭に大きな手を乗せる。そして親指でそのシワを消すように、グリグリと私の眉間を擦った。私はこれが大好きで、つい誘うように三井先輩のモノマネをやりたがる。
***
「よし、それでいーじゃん。貸せ、買ってやるから。」
三井先輩は私の手から、薬を奪ってレジに向かう。
「や、いいよ!三井先輩!自分で買うって。」
三井先輩は、あの後、私を引っ張って、ドラッグストアに連れてきた。口内炎の薬を買わせるために、だ。三井先輩はいつから私の保護者になったのだろうか。いや、違う、違う。彼氏だった。面倒見の良さはこんなところにまで表れている。なんてことを、考えている間にも、三井先輩はさっさと会計を済ませ、財布をしまいながら店の外に出ていこうとする。その後ろを金魚のフンのように黙って付いていくだけの私。
「ほらよ。これ、誕生日プレゼント。」
レジ袋を押し付けられるように手渡され、私は三井先輩のセリフと行動の意味が分からなくてキョトンとした顔になったんだと思う。それを察した三井先輩は、答えを教えるように言う。
「明後日、誕生日だろ。名前の。」
「え、なんでそんなこと、知ってんの、、、。知らないと思ってた。」
「付き合い始めの頃、教えてもらったじゃねーかよ。」
「やだ、めちゃ彼氏っぽい、、、。」
「彼氏だろ。他に何かあんのか?ボケ。」
口が悪くてぶっきらぼうなくせに、雑なくせに、他人に興味なさそうなくせに、たまにこちらが忘れているような些細なことでも、覚えてたりする。やっぱりこの人、侮れない。
「でも、最近そんな話、全然してなかったじゃん。バスケ、バスケ、バスケだったじゃん。」
「おお、悪ぃ。だもんで、ガチのプレゼントは全く準備してねぇぞ?」
「いいよ。これ、私、すっごく嬉しいよ。」
レジ袋の中身を覗き、口内炎の薬をまじまじと見つめてながら言った。そして、へへへっと三井先輩に笑いかけた。三井先輩もまんざらでもない顔で、私に笑いかけて言う。
「嘘つけ。口内炎さっさと治せ。」
「はーい。ありがとー、ミッチー。」
「お前、その呼び方はナシ。桜木かよ!」
「ふふふ、ごめーん、ミッチー。」
掛け合いが楽しくて図に乗る私に、三井先輩は据わった目で釘を刺す。
「お前、その口内炎治ったら、、、、覚えとけよ?」
三井先輩は、意地悪そうに舌を出し、そして確信めいた笑顔を作った。私は瞬く間に意味を理解し、三井先輩の唇におのずと視点を集中させてしまう。頭の中はこのことで占拠され、クラッシュ寸前の私だけれど、このまま三井先輩の言いなりに頷くこともしたくない。地震のようにいきなりやってきた心の揺れを無理矢理抑えつけて、冷やかしの言葉で誤魔化す。
「やっ、えっ、こういうのって予告すんの?やだやだ、超ダサいよ!三井先輩!」
「口内炎作ってるようなダサい奴が言うんじゃねーよ!はー、来週も部活頑張ろー。頑張れる気がするなーオレ。」
「はぁ!?」
、、、、私の口内炎が治るまでの一週間。もとい三井先輩とのキスまでの一週間。警戒レベル5で過ごすはめになった。三井先輩から避難なんて、出来ない。上唇の痛みが消えゆくにつれ、余震のような響きが胸を打ち鳴らす。これは期待なのか、焦らされる苛立ちか、躊躇なのか、混ざる気持ちは複雑すぎて自分でも分からなくなる。じっとしていられないのは、待ち切れない歯痒さなのか。悶々として、今もなお頬が熱い。
***
今日は部室掃除の日だった。マネージャーの私は、全体練習が終わった後、バスケ部の部室に残った。本来ならば、部室の掃除は部員みんなでやるものなのに、宮城君がキャプテンになってからというもの、ほとんど実施されていない。こういうのって、キャプテンの性格が見事に部の運営に反映されるよね。赤木先輩の時は、きっちりみんなやっていたのに、と床に落ちている靴下やらペットボトルやら、テーピングのゴミなんかが目に入り、私は呆れたため息をついた。
全国を目指すという大きな目標を掲げたバスケ部のマネージャーは夏以降、三人になった。二年の彩子と私、そして一年の晴子ちゃん、は赤木先輩の妹だ。マネージャーの人数が増えたこともあり、部室掃除はマネージャーが交代で定期的に面倒を見てあげている、というのが現状。
今日は土曜日で、体育館の使用は二部制となり、前半がバスケ部、後半はバレー部が使用する。全体練習が終わったら、さっさと帰る部員もいるし、体育館が使えるギリギリまで自主的に個人練習をする部員もいる。散らかったゴミを拾い上げて、部室の掃き掃除まで終えた私は、柱の掛時計を見上げる。ちょうどバレー部の練習が始まった頃だ。そのとき、ガチャリと部室のドアノブが回る音がした。
「おっ、掃除終わってんの?」
「、、、一人?」
「おう。」
ドアの隙間から、こちらの様子を伺うように顔だけを覗かせたのは三井先輩だった。三井先輩は自主練組の常連で、ほぼ毎日部活が終わった後も最後まで残っている。夏のインターハイが終わり、同学年の赤木先輩と木暮先輩が引退するというのに、三井先輩だけは冬までバスケ部に残ると聞かされた時には、みんなで、え?三井先輩、留年決定でしたっけ?と思わず聞いてしまう程だったけれど、そうではなかった。どうやら三井先輩は大真面目にバスケで大学進学を考えているらしい。しかし、本人が言う前からバスケ部のみんなも薄々感じ取っていたけれど、さすがにそこは黙っていた。確かに学力では期待できそうにないことを、、、。
こうして、三井先輩が部活に来るたびに、宮城君は「こういうのを目の上のタンコブって言うんだ。」なんて揶揄しては、ブツブツ言っているけれど、陰では三井先輩に練習メニューを相談したりしている。流川君は自主練で居残る三井先輩に「今更、、、」なんてつぶやくし、桜木君は「ミッチーにはもう裏口入学しか残されてないんじゃ、、、?」なんて憐みを口にする。だけども二人とも練習中は三井先輩のアドバイスを素直に聞いている。意外とみんな、口では悪く言うくせに、三井先輩のことを一目置いてたりするのかもしれない。
これはひとえに、三井先輩の面倒見の良さからくるものであると思う。決して木暮先輩のように、優しく穏やかに話を聞いてくれるわけではないけれど、ふとした時に「そういえば、あの時の話、どうなった?」と三井先輩から話を振ってくることがある。時にはこちらが忘れているような些細なことでも、覚えていたりするから、この人、侮れない。三井先輩は無自覚にこれが出来ちゃうので、後輩達は気にかけてもらっている気がしてくるし、威圧感のある三井先輩だけれども、意思疎通も図れる。だから部員からの信頼も厚いのだと思う。もちろん私からの信頼も。そしてひとしおの恋愛感情も。
「着替え、取ってもいいか?」
「あ、だったら私、外に、、、。」
「いーよ、別に見られて恥ずかしいもんじゃねーし。」
三井先輩は首に巻いたタオルを外しながら、ズカズカと部室に入ってきた。
「私が恥ずかしいんだって、、、。」
「じゃあ、向こう向いてろ。」
そう言われて、私は壁に寄り掛かり、斜め向こうに見える柱の掛時計を黙って眺めることにした。三井先輩はTシャツを脱ぎながら、ロッカーも開けようとしたらしく、扉にガツンと肘が当たったようで、イテっ、と呻いた。三井先輩の行動には常に擬音語が張りついている。ロッカーにある自分の制服を取り出すのを、私は視界の隅っこで捉える。雑に引っ張り出したシャツに引きずられて、ロッカーにただ突っ込まれていただけであろう、制汗スプレーやヘアワックスがガチャガチャと勢い良くこぼれ落ちて床に散らばった。
「あーあ、クソっ。」
「先輩、行動がいちいちうるさいよ!あはは。」
「あ?向こう向いてろって言っただろうが。こっち見んじゃねーよ。」
しくじった恰好が自分でも可笑しかったのか、三井先輩は忍び笑いを洩らしつつ、しゃがんで散らばったものを拾い集める。私も足元に転がってきた、制汗スプレーを拾い上げて、三井先輩に手渡す。
「名前、この後なんか予定あんの?」
「、、、三井先輩は?」
「あったら、聞かねーよ。」
ぶっきらぼうで強気な物言いはいつものこと。だけど私の前で、ずっとこの調子が続くわけでもない。下を向いたまま、話しかけられた。
「うち、寄ってく、、、?」
三井先輩は、本心を見せる時、たまに自信なさげで弱気になる。しゃがんだまま、視線を合わせないところなんか、あからさまに。私もしゃがみこんで、三井先輩を覗き込むようにすると、ようやく目が合った。
「うん、行く。」
私達は付き合っていた。
***
「名前、何書いてんだよ?」
「バスケ部の日誌だよ。今日の練習内容とか出欠とか記録してるの。まだ今日の分、書き終わってなかったから。」
「はぁ?そんなの意味あるか?どれ、見せてみろ。」
三井先輩がシャワーを浴びて自分の部屋に戻ってきたところで、日誌を取り上げられる。パラパラとめくって、一番新しいページを読み上げる。
「"今日は桜木君と流川君がケンカになり、一時騒然となりました。明日は仲良くして欲しいです。"って、アホか!こんなこと書いて全国行けたら世話ねーわ!」
「えー、だって、前からこんな感じで書いてあったもん。彩子だって一時期、がけっぷち、しか書いてない時もあったし。ほら、この辺とか。」
私が該当部分を指差すと、三井先輩はまた日誌をめくり、呆れたような口調になる。
「あいつもなかなかだな、、、。」
「これ、安西先生に提出しているんだよ。」
「げっ!だったら、もっとマシなこと書いとけよ。"三井、シュート練追加300本"とか。」
「それ、捏造じゃん。そんなに毎日やってないでしょ。」
「やってるって。朝練と自主練合わせたら。えーと、、、た、多分。」
「"ミニゲームで、3P2本決めてドヤ顔でした!"くらいなら書けるよ。」
「そこは5本にしとけ。」
「だから、それも捏造じゃん!三井先輩、盛りすぎ!あはは。」
三井先輩は、私がカラカラとはしゃぐ姿を、気分良く見た。しかし同時に手に付いた砂に気付いて払うかの如く、おそらくずっと引っかかっていたであろうことについて、怪訝そうな顔でじろじろと見てくる。
「ところでさ、名前、いつになったら呼び方変えてくれんの?」
「え、、、?」
「その、三井先輩ってやつだよ。」
二人の間に沈黙の隙間が出来る。その隙間を埋めるように会話を繋いだ。
「待って、待って。いや、待って下さい!そ、それは三井先輩が部活引退するまで無理、、、、ですよ。私、部活中に呼んでしまいそうです、、、もん。」
ようやくタメ語で喋れるようになったというのに、つい私は少し前に戻って、後輩マネージャーとしての顔を見せる。三井先輩はそれが面白くない。
「オレは名前のこと、部活中も名前って呼んでんじゃんかよ。」
「それは前からじゃん!他の人も名前で私のこと呼ぶし。三井先輩がバスケ部に戻ってくる前からみんなからそう呼ばれていたもん。」
「お前さ、そこはマネージャーと彼女の立場くらい使い分けろよ、うまいこと。」
片膝を立てて、ムスっとする三井先輩は、しかしながら自分の主張が若干子供じみていると思い直したらしい。平静を保つフリをして、しかし嵩高な態度のまま聞いてくる。
「で?」
「で?、、、って?」
「今の名前は、マネージャー?彼女?どっち。」
「か、かにょ、、、彼女、、、です。」
「今、噛んだだろ、お前。」
そう言って、三井先輩は私に近付いて、一瞬の触れるだけのキスをする。伏せた目を開いてみたら、三井先輩と未だ数センチの距離。後発のキスがまた降ってきて、今度は唇を舌でなぞられる。口を開けろという合図に、気持ちが後ずさりした。私は思わず三井先輩を引き剥がして、驚きも戸惑いも隠せずに彼を見る。
「ちょ、え、まだ?するの?」
「するって、何を。」
「あの、えーと、チュって感じのやつじゃなくって、深いやつっていうか、濃ゆい感じやつっていうか、つまり、そういうやつ、、、。」
目を泳がせ、言い渋る私に、まだ、その経験はなかった。ディープキス、と言うのは憚られる。言葉は意味を確固としたものとするから、私が発した途端に、承認され、目の前の彼に口の中を狩られそうだと思った。
「さっき、風呂場で歯磨いてきたし。」
「えっ、いや、歯磨きとか、、、え?そこ!?ちょ、めっちゃ、やる気満々じゃん!あははははっ!可笑しいってソレ!」
「なんだよ、、、。やる気満々で悪いかよ?させろ、ベロチューを。」
「やだー!!なんかエロいこと言ってる人いますぅーーー!!!」
「うっせーな!」
私達はじゃれ合うように笑って、怒って、また笑った。照れ隠しもあった。お互いに、だと思う。これからの展開が容易く予想できるからこそ。
「ででで、でもダメなの!、、、嫌、とかじゃなくて。今日は、ちょっと、、、。」
「今日は?何?お前、さっきからダメとかエロいとか言いやがって。もう、知らね。」
「えぇー?いじけるの無しにしてよ。」
「いじけてねーし。」
すぐ隣に座る私に向かって言うのではなく、ボソボソと独り言のようにそっぽを向いて発言するところを見ると、どうやら三井先輩は私に拒否されて、弱気になっているようだ。ほんっと、この人、どうしようもないなって思ってしまった。でもそこが可愛くて仕方がない。男の人に、しかも年上の先輩に、可愛いくて好き、と思うのはおかしいのかもしれないけど、私は内側からゾクゾクと込み上げてくる感情に震えた。このタイミングで、三井先輩のことを好きだと思う気持ちが溢れてきてしまう。そんな私もどうしようもないことを自覚する。
「ねぇ、ねぇ、ごめんってば。チュッてするのはいいよ。ね?」
そっぽを向いた私の好きな人を振り向かせるべく、三井先輩のほっぺたを指でつついた。まだまだ眉間にシワを寄せる隣人に、わざとらしく甘えた声で私は聞いた。
「ねぇ、三井先輩ー。どうするの?」
「する。するよ。するけれども。」
あ、キスはするんだ。しかし、そんなに何回も言わなくたって、、、、と頭の中で冷静にツッコんでみたけれど、これを三井先輩に言ったらすぐに怒って投げ出すから我慢した。イジけているくせに、こちらが構って欲しい姿勢を見せると、三井先輩は手の平を返すかのような素直さを見せてくれる。四つん這いになって、私に寄ってくる三井先輩の手が私の肩に触れ、反対の手は、背中に添えられて、ぐっと体を引き寄せられた。うわっ、こういう時だけ強引なんだもん、ずるいよ、三井先輩!
「なぁ。名前、、、。」
まだまだしつこく迫ってくる三井先輩に、それでもやっぱり私は。
「や、無理無理。無理だって。今日はごめんなさい!」
「ああ?」
至近距離で威嚇してくるのやめて欲しい。恐っ!観念した私はとうとう告白する。
「わ、わかった!、、、ちょっと、言う言う!あのね、実は、口内炎が、、、!」
「は?」
「こ、口内炎が出来てて、、、」
「は?」
「口の中、、、い、痛くて。は、初めてするのに、そっちばっかり気になっちゃう。痛かったら、、、、ヤダなあって、思っちゃった、、、からぁ、、、。」
段々と声のトーンが下がり、縮こまる私は下を向き、ただひたすら自分のつま先に向かって話しかける。私の告白に少し間を置いた後に、三井先輩がしょっぱいため息を吐くのが分かった。
「お前、、、マジで引くわ。」
「ほらぁ!絶対そう言うと思ったぁ!」
私が顔を上げて、ムキになって反論してくるのが面白かったのか、三井先輩はからかうように笑った。
「ははっ、どこ?見せてみろよ。」
「えー、結構エグいよ。」
「いいから。どれ?」
上唇の裏側に出来た口内炎の場所を示すべく、私は自分の親指と人差し指でグイと、唇をめくる。うまく発音できなくて、ここらへん、と言いたかったのに、ほほりゃへん、と間抜けな発音になる。至近距離で三井先輩に覗き込まれ、今の私は正直、キス顔よりもかなり緊張感のない、情けない顔をしているはず。
「うーわ、めちゃ広がってんな。病院行った?」
「行ってないよ。じきに治るって。」
「薬は?口内炎って塗り薬とかあるじゃん。」
「えー、面倒くさい。放っておけば治るよ。」
「名前、そのズボラなところからまず治せよな。」
むっ、三井先輩に言われたくないんですけど、と言わんばかりの表情で、眉間にシワを寄せた。三井先輩を意識した私のお得意のモノマネに、三井先輩は、お前、それやめろよ。と嘆いて、私の頭に大きな手を乗せる。そして親指でそのシワを消すように、グリグリと私の眉間を擦った。私はこれが大好きで、つい誘うように三井先輩のモノマネをやりたがる。
***
「よし、それでいーじゃん。貸せ、買ってやるから。」
三井先輩は私の手から、薬を奪ってレジに向かう。
「や、いいよ!三井先輩!自分で買うって。」
三井先輩は、あの後、私を引っ張って、ドラッグストアに連れてきた。口内炎の薬を買わせるために、だ。三井先輩はいつから私の保護者になったのだろうか。いや、違う、違う。彼氏だった。面倒見の良さはこんなところにまで表れている。なんてことを、考えている間にも、三井先輩はさっさと会計を済ませ、財布をしまいながら店の外に出ていこうとする。その後ろを金魚のフンのように黙って付いていくだけの私。
「ほらよ。これ、誕生日プレゼント。」
レジ袋を押し付けられるように手渡され、私は三井先輩のセリフと行動の意味が分からなくてキョトンとした顔になったんだと思う。それを察した三井先輩は、答えを教えるように言う。
「明後日、誕生日だろ。名前の。」
「え、なんでそんなこと、知ってんの、、、。知らないと思ってた。」
「付き合い始めの頃、教えてもらったじゃねーかよ。」
「やだ、めちゃ彼氏っぽい、、、。」
「彼氏だろ。他に何かあんのか?ボケ。」
口が悪くてぶっきらぼうなくせに、雑なくせに、他人に興味なさそうなくせに、たまにこちらが忘れているような些細なことでも、覚えてたりする。やっぱりこの人、侮れない。
「でも、最近そんな話、全然してなかったじゃん。バスケ、バスケ、バスケだったじゃん。」
「おお、悪ぃ。だもんで、ガチのプレゼントは全く準備してねぇぞ?」
「いいよ。これ、私、すっごく嬉しいよ。」
レジ袋の中身を覗き、口内炎の薬をまじまじと見つめてながら言った。そして、へへへっと三井先輩に笑いかけた。三井先輩もまんざらでもない顔で、私に笑いかけて言う。
「嘘つけ。口内炎さっさと治せ。」
「はーい。ありがとー、ミッチー。」
「お前、その呼び方はナシ。桜木かよ!」
「ふふふ、ごめーん、ミッチー。」
掛け合いが楽しくて図に乗る私に、三井先輩は据わった目で釘を刺す。
「お前、その口内炎治ったら、、、、覚えとけよ?」
三井先輩は、意地悪そうに舌を出し、そして確信めいた笑顔を作った。私は瞬く間に意味を理解し、三井先輩の唇におのずと視点を集中させてしまう。頭の中はこのことで占拠され、クラッシュ寸前の私だけれど、このまま三井先輩の言いなりに頷くこともしたくない。地震のようにいきなりやってきた心の揺れを無理矢理抑えつけて、冷やかしの言葉で誤魔化す。
「やっ、えっ、こういうのって予告すんの?やだやだ、超ダサいよ!三井先輩!」
「口内炎作ってるようなダサい奴が言うんじゃねーよ!はー、来週も部活頑張ろー。頑張れる気がするなーオレ。」
「はぁ!?」
、、、、私の口内炎が治るまでの一週間。もとい三井先輩とのキスまでの一週間。警戒レベル5で過ごすはめになった。三井先輩から避難なんて、出来ない。上唇の痛みが消えゆくにつれ、余震のような響きが胸を打ち鳴らす。これは期待なのか、焦らされる苛立ちか、躊躇なのか、混ざる気持ちは複雑すぎて自分でも分からなくなる。じっとしていられないのは、待ち切れない歯痒さなのか。悶々として、今もなお頬が熱い。
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