男前と無謀は紙一重
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警察が取り締まる薬物は、世界が超人社会となる前から出回っていた、人々に快楽と苦しみを与えるものが主流である。
だが、超人社会特有の薬物もここ最近多く出回っている。
弱個性者たちが作り出した数多くの危険ドラッグ。
その一つが個性増強剤“AX”である。
読み方はアックスで通っているが、エーエックスと呼ぶ者もいる。
AXを使用した者の特徴として、著しい個性の活性化と意識障害が挙げられる。
──以上がインターネット上に載っていたAXの情報である。
「AXって、こんなクスリなんやなぁ」
ほーっと、パソコンの前でファットガムは目を丸くする。
「何も知らないで捜査協力してはったんですか……」
「ほな、お前は知っとったんか?」
「いや、そんな詳しくは知らないですけど」
ほれみぃ、とファットガムは鼻の穴を広げる。
「でも、何で急に調べる気になったんですか? あなたデスクワークは嫌いでしょう」
「一言多いわ」
と、突っ込んでおいて、ファットガムは椅子の背もたれに深く寄りかかった。
「俺かてプロヒーローやで。仕事のことはちょっとくらい詳しくなってへんとアカンやろ」
「本当は弾さんのためだったりして」
「なっ、何言うてんねん!!!」
サイドキックとしては冗談のつもりだったのだが、ファットガムの驚きように、それが真実だということが判明した。
「ファット、俺応援しますよ」
「だからそんなんちゃうって!」
ブンブンと首も手も振って否定するが、サイドキックは全てを分かったような顔で微笑む。
「そうですか」
彼が年下の上司でも不満を抱かないでいるのは、ファットガムの人柄のお陰でもある。
ここで、ファットガムのスマホが着信を知らせる。
待ち受けに現れているのは夏季の名前。
画面をスライドさせると、ファットガムの応答を待たずに、夏季が要件を伝える。
「もしもし、弾です。AX所持者逮捕のため、協力要請願います。場所は淀川区波留麻町、淀川付近です。警察がいるのですぐに分かると思います」
ブツリと切れた通話。
息つく暇も与えさせない電話に、ファットガムは風のように飛び出した。
「気を付けて!」
協力要請されていないサイドキックはいつものように事務所に残る。
「たこ焼き作っといてや!!」
「もちろんです!」
仕事後は腹が減って仕方ないファットガムのために、たこ焼きを用意しておくのも重要な役目だ。
淀川に到着したファットガム。
チラホラと止まるパトカーと野次馬のおかげで、事件現場はすぐに分かった。
淀川から2本通りに入った住宅街。
日々の生活に突如として現れた非日常を、近所の人々は興味深々で覗いている。
これだけ人がいるということは、まだそこまで緊迫した状況にはなっていないはずだ。
「ファット! 早う、こっちや!!!」
ファットガムの巨体は遠目からでもよく目立つ。
その姿を視界に捉えた夏季の上司、萩野巡査部長が手招きした。
「おお、今行くで!」
群衆を掻き分けるようにして前へ進む。
人だかりを超えた先では、警官に挟み撃ちにされた犯人が、逃げ場がないか必死に辺りを見回していた。
「何でファットがおんねん!!?」
「警察が応援要請したのよ! これで逃げ場はどこにもないわ。大人しく罪を認めなさい!」
犯人の一番近くに立つのは、やはり夏季だ。
「あんたも警察やねんから、分かるやろ!? 俺らみたいな弱個性はクスリにでも頼らんと世の中生きていけへんねん!!」
夏季が反論するよりも前に、ファットガムの大声が響いた。
「ぬかせ! 夏季は弱個性なんかあらへん! お前と一緒にすな!! 個性は使いようやで!!」
「……ファットにだけは言われたくないねん」
犯人は懐から注射器を取り出して、首に刺した。
「止めなさい!!!」
夏季の制止も聞くはずがなく、犯人は中の液体を全て自身に注入した。
「ヴァ……アアアアァァ!!!!」
ビキビキと犯人の顔に青筋が浮かび上がる。
頭を抱えてうずくまるように叫んでいたかと思うと、
「ァァァァアアアアッハッハッハッハ!!!!」
突如として高笑いをし始めた。
「な、何やこいつ!?」
男の、あまりの狂気ぶりに、ファットガムは一瞬たじろいだ。
一方で、日々薬物使用者と対峙している夏季はすぐに危険を察知した。
「ファット、そいつから放れて!!!」
夏季が叫ぶや否や、男が更なる奇声を上げた。
「てめーらまとめていてもうたらぁぁぁぁぁああああ!!!!!!」
ゴウッ!!!
男の体が燃え上がった。
全てを焼き尽くすような業火を纏い、ユラユラとこちらへ近づいてくる。
「あっちイ!! 何や急に燃えよったで!!? なんやねんこれ、焼け死んでまうぞ!!!」
「あれがAXの威力ですよ。彼の元々の個性では、ライター程度の火しか出せないはずです」
ライターが大火事に変身するなんて。
「嘘やん……」
ファットガムはごくりと唾を飲み込んだ。
夏季が日々向き合っているものの大きさに圧倒される。
大気中の酸素を取り込んで、炎は更に威力を増している。
周囲の窓ガラスが、熱に耐えきれず悲鳴を上げる。
このままでは、近隣住民はおろか、夏季たちの命まで危ない。
「ったく、人も多くいるってのに!!」
夏季は舌打ちをすると、手のひらを燃え盛る男に向けた。
五口径の銃口が現れて、水が噴き出した。
だが、夏季が蓄えているだけの水量では到底鎮火には至らない。
目と鼻の先には淀川があるのだが、そこに犯人を誘導するためにはどれだけの犠牲を払うことになるのか。
いくらファットガムでも触れない相手を捕まえるなど、不可能だ。
夏季は瞬時に判断を下した。
「ファット、後は頼みます」
消防車が到着するのが先か、夏季たちが焼け死ぬのが先か。
考えるまでもない。
言うが早いか、夏季は最後の蓄えていた水を天に放射し、水を被った。
顔に張り付く髪をかき上げて、据わった目を火柱に向ける。
「ちょっ、何してんねん!! 早まんなて!」
夏季の次の行動が読めて、ファットガムは慌てて濡れた腕を取る。
「放して! 急がなきゃ、これ以上被害を広げるわけにはいかないでしょう!!」
夏季はこのままあの灼熱の中に飛び込むつもりなのだ。
「ほんっま、男前やんな自分」
炎にビビってたこっちが恥ずかしいやんか。
「今はそんなこと言ってる場合じゃないです!」
すぐにでも手を振り払って飛び出して行きそうな夏季だが、ファットガムの腕はびくともしない。
「夏季、ここはファットさんに任せてや」
焦る夏季とは裏腹に、ファットガムは大きく口を開けて笑った。
「いくらなんでも、あの炎に突っ込むなんて無茶ですよ」
自分のことは棚に上げて、厳しい顔をする夏季。
「夏季かて今それしようとしてたやん。別に突っ込んだりせーへんから安心しぃーや」
そう言ってファットガムは腕まくりをした。
力を込めると、大木のような腕が筋肉でさらに太さを増す。
「あ、警察の人たち! しっかり踏ん張っとってください!」
ファットガムは犯人を挟んだ反対側の警察官たちに向かって声をかけた。
「どういうつもりか知らへんけど、任せい!」
意図は読めなくても、頼もしい警察官の返事が返ってくる。
「夏季も踏ん張っときや!」
「了解」
ファットガムが、右の拳に力を溜めていっていることが分かる。
シューシューとファットガムの体から蒸気が上がる。
その腕はもはや2トンのハンマーのような大きさだ。
未だ炎を纏って意味不明な言葉を叫ぶ犯人に狙いを定めて腕を引いた。
「クスリなんかに頼っとるから、小物は小物のままやねんで!!!!」
言うと同時に、真っ直ぐ腕を振りぬいた。
ゴウッッッッッッ!!!
瞬間、嵐のような爆風が巻き起こり、犯人の炎もろとも吹き飛ばしたではないか。
両側の建築物の窓のほとんどが、風圧に耐えきれなくて割れている。
「ぎゃあ!! ファットやりすぎや!!」
反対側の警官たちは、踏ん張っていたにもかかわらず、ほとんどが暴風にあおられて強制後退させられた。
おまけに頭上からは雨のようにガラスが降ってくる。
飛ばされた犯人は、警察官たちを巻き込んで、十数メートル先でようやく止まった。
気を失ったのか、ピクピクと痙攣している。
「いっちょ上がり!」
もくもくと立ち込める煙の向こうから、ファットガムの声だけが聞こえる。
「すっごい……」
パンチの風圧だけで制圧してしまったファットガムに、無意識のうちに言葉が漏れていた。
「夏季、怪我してへんか?」
ユラユラと煙が晴れていき、現れたその姿を見て、夏季は目をぱちくり。
「誰ですか……?」
「ファットさんに決まっとるやん」
確かに着ている服は同じだが、チャームポイントのふくよかな体はどこにもない。
自身のパンチの反動で、脱げたフードからは、色素の薄いふわふわの猫っ毛が風に揺れている。
脂肪が落ちたその姿は……。
「……そのギャップはずるいわぁ」
思わず夏季は呟いた。
「ほんまは、こんくらいのパンチ、あんまり脂肪使わずに打ちたいねんけどな。まだまだみたいやわ」
へへへっと恥ずかしそうに頭をかくファットガム。
見た目はすっかり変わってしまったが、持ち前の愛嬌は顕在だ。
「いやいや、十分だって」
思わずタメ口が出てしまった夏季。
ハッとなって言い直す。
「今のままでも十分強いですよ」
「せやけど、俺の個性は脂肪がないと話にならへんからな」
脂肪を蓄えることで衝撃を吸収したり、腹に沈めたり、ファットガムの個性には脂肪が欠かせない。
「もうちょい戦い方変えなアカンな」
ファットガムは右手をグーパーと握って開く。
「へっくしゅん! ……失礼しました」
と、夏季が抑え気味にくしゃみをした。
「おお、そういやびしょ濡れのまんまやったな。寒いやろ? これでも羽織っときや」
そう言って、ファットガムは自身が来ていたパーカーを脱いで夏季の肩にかけた。
現れた逞しい腹筋に、夏季は視線のやり場に困った。
ファットガムなのだがファットガムではない、知らない人のように思えて、夏季はいつもの距離感が掴めなくなる。
「あっ、いや、お気になさらずに! これじゃあファットが寒いでしょう!? 私はパトカーに毛布積んでますし」
「ええからええから」
と、問答無用でファットガムは夏季の肩を押さえる。
いくら伸縮性のあるパーカーでも、縦の大きさは変わらない。
ぶかぶかのパーカーから、ふんわり柔軟剤の香りがする。
あ、この匂い好きだわ。
思わずそう言いかけて、何を変態じみたことを! と心の中で叱咤する。
「すみません、ありがとうございます。お言葉に甘えて、少しだけお借りします」
「ええよぉ。そや、夏季。こないだの飯代、余分にもらってたから後で返すな」
「え、いいですよ、そんな!」
「いやいや、あれは多すぎやわ! ファットさん、あんなにもらわれへんって!」
このままではお互いに引き下がらないと判断した夏季は、咄嗟に提案した。
「じゃあ、そのお金でまた今度ご飯にでも行きましょう!」
「ご飯は賛成やけど、割り勘やで!」
「分かりましたよ!」
こうして、再び食事の約束が出来上がる。
それを遠くから見ていた夏季の上司と同僚たちはというと。
「あれ、何なんですかね?」
「バカップル?」
「ナチュラルに彼パーカーかましてんで、アレ」
冷やかしつつも、薬物取り締まり班の紅一点に近づく男の影にどこか寂しさを覚える同僚たち。
「あいつら……まだ仕事中やっちゅーねん」
荻野巡査部長は呆れて眉間を押さえるのだった。