きみはきっとずるい人
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日報を書き終えた夏季はすぐに帰り支度を始める。
「お先に失礼します」
「おー、楽しんでこいよ!」
ニヤニヤと冷やかしの目を向ける上司を、夏季は完全にスルーした。
署を出て、いつもとは違う方向に歩き出す。
自分のパンプスの音を聞きながら、4日前のことを思い返していた。
朝、起きたときスマホを持ったままだった。
どうやら寝落ちしていたようだ。
寝ぼけ眼のまま電源を入れて、画面をスワイプ。
ロックを外して現れた画面は、メールだった。
『了解です!』
覚えのない文章だが、送り主は自分だ。
どんな会話だったのだろう。
過去のやり取りを遡ってみて、夏季は一瞬で目が覚めた。
「はあぁぁぁ!!?」
いつのまにか食事の約束をしているではないか。
記憶は一切ない。
ないのだが、このメール履歴が動かぬ証拠だ。
「──はあああ、気が重いなぁ」
いっそ嘘を付いて、行くのを止めようかとも思ったのだが、ファットガムは大事な仕事の協力者だ。
軽率にドタキャンなどできない。
しかし、まだ数回しか顔を合せていないのに何を話せばいいだろうか。
と、考えてるうちに目的の場所へたどり着いてしまった。
「ここだ……」
指定されていたのは居酒屋チェーン店。
プロヒーローがこんなところに入って騒ぎにならないのだろうか。
疑問に思ったが、地域住民から慕われている彼ならむしろ馴染んでいるのかもしれない。
思うことはたくさんあるのだが、もうここまで来てしまったのだ。
引き下がることなどできない。
ファットガムから、先に店に入っていると連絡があったので、暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませー!」
扉を開けるとすぐに、威勢のいい挨拶が飛んでくる。
「何名様ですか?」
「あ、えっと……知り合いが先に…」
そう言いつつ、横目で店の中を見渡した。
「おーい、夏季!!」
夏季が見つけるより先に、ファットガムの大きな声が聞こえた。
見れば、カウンター席でヒラヒラと手を振っている。
「ファットのお連れさんでしたか! どうぞお席へ」
どうやら彼はここの常連のようだ。
店員に促されてカウンター席へ。
「お疲れ様です」
ファットガムは素顔のままで店に来ていた。
丸い目と大きな口。
色素の薄いフワフワとした髪。
パーカーに短パンという格好はヒーローコスチュームとあまり変わらない。
まあ、この人の場合、体格だけですぐに本人と分かりそうなものだ。
「お疲れさん。まあ、座りや」
ファットガムは隣の席を引いて、座るように促した。
夏季が座り、ドリンクの注文を済ませ、落ち着いたところで切り出した。
「まずは……、こないだの電話、出れへんくてすんませんでした!!」
「いえ、あまり気にしないでください。本来なら事務所を通すのが当たり前なんですから」
「でも、夏季は心配してくれてたやんな?」
「まあ、それは一応……」
あれだけしつこかったくせに、いざ電話して連絡が取れないとなると、誰だって心配になるはずだ。
ちょうど頼んだドリンクが運ばれてきて、夏季は間を持たせるようにグラスを傾けた。
その後の話題は主に仕事のことだ。
これならば、あまり交流がなくても間が持たせられる。
料理をつまみつつ、酒を飲みつつ、淡々と時間が過ぎていく。
途中で、ファットガムが少しはにかみながら言った。
「あのさ、俺ら同い年やねんから、プライベートの時くらいタメ口で話さへん?」
恥ずかしいことに、今ごろ気付いた。
目の前にいる彼は、“プロヒーロー”ファットガムではない。
ファットガムは、プライベートとして夏季を誘ってくれたのだ。
今更、夏季は、仕事の話ばかりだったことを申し訳なく思う。
「プライベートってことなら、いいよ」
「おおきに!!」
その笑顔は、こっちまで釣られて頬が緩んでしまうようだ。
「いやー、せっかくの同期やからもっと夏季と話したかってん」
タメ口解禁になった瞬間から、ファットガムはよりフレンドリーに話し始めた。
このことに、少しだけ優越感に浸る夏季であった。
「そーいえば、夏季ってめっちゃ標準語やんな。どこ出身なん?」
ふと、ファットガムは疑問に思っていたことを口にした。
「関東のほうだよ。親の転勤。中学までは向こうで、高校進学と同時にこっちに来たの」
「へぇ! 関東ってことは、雄英目指してたりしたん?」
ヒーロー科最高峰の雄英高校は、誰もが憧れる高校だ。
もちろん、ヒーロー科だけでなくどの学科においても偏差値はかなり高い。
「いやいや、さすがにそれは無理だって! 雄英なんてあたしにはレベル違いだわ」
夏季は大袈裟に手を振った。
没個性の自分が口に出すのもおこがましいような高校だ。
「レベル違いは言いすぎやろ。自分だってどエライ個性持ってんのに」
「どこが!? “銃口”とか全然凄くないし!」
なのに、ファットガムは良い個性だと褒めてくる。
「でも犯人逮捕したやんか」
「あれは、犯人があたしのこと舐めてて、背中ガラ空きだったからできただけで……」
「そうなん?」
キョトンとした顔でファットガムは言う。
「でも、取り入れたものを何でも弾丸にできるってかなり強いと思うねんけど」
そして、夏季の顔色を窺うように訊ねた。
「……ヒーローは目指さへんかったん?」
この質問に、少しだけ胸がチクリとした。
「いやー、あたしのは没個性だってば。ファットみたいに捕縛には向いてないし。あ、勝手にファットって呼んだけど、いい?」
「呼び方はファットでもファットさんでも何でもええで。ちなみに本名は豊満大志郎な」
突然の本名公開に少々面食らった夏季。
ファットガムは気にせずに続けた。
「夏季、個性は使い用やで。俺だってまだまだ未熟者やし、新しい戦い方がないか日々手探りでやってんねんで!」
力説するファットガムだが、夏季はヒーローではない。
それが全てだ。
夏季は少しだけグラスに口をつけた。
「あたしだってヒーローに憧れてなかったわけじゃないよ。だけど、単純な話……、ヒーロー免許取れなかったんだよね」
自嘲気味に笑ってみせたが、ファットガムの疑問は別のところに向いている。
「てことはヒーロー科やったん?」
「まあ、ね」
平凡な公立の高校だけど、と口の中で呟く。
「へぇ! じゃあもしかして、仮免試験で会ったりしてたり?」
「どうかな。結構、試験会場バラけてたみたいだし……」
ここまで巨体ではないにしても、学生のころからファットガムは大きかったはずだ。
もし、同じ場所にいれば嫌でも目に入るだろう。
昔のことを思い返して、少しムスっとした顔になっていたのかもしれない。
「あ、ごめんな……。あんまり聞かれたくない話やった?」
明らかにシュンとした顔をされると、怒るに怒れなくなる。
が、あまり話したくない過去であることに間違いはない。
「そうだね。でも、あたしは別に免許取れなかったから警察になったわけじゃない」
試験である以上不合格になる者は当然いるわけで。
この世界で、ヒーローになれなかった者は少なからずいる。
そんな人間たちが集まるのが警察だ。
もちろん、ヒーロー科出身でない者もいるが。
ただ、夏季は「仕方なく」ではなく、「自らの意志」で警察官になったのだ。
それだけは分かってほしいと、なぜだか強く思う夏季であった。
「カッコええなぁ、夏季は」
「そう? まあ、ありがとう」
どの辺でそう思ったのか分からないが、褒められたのは事実。
夏季は礼を言っておく。
「だって、自分のなりたいもん目指してなれたんやろ? カッコええやん!」
ふにゃっとした笑顔を向けられて、夏季はどぎまぎしてしまう。
「ファット、酔ってるんじゃない?」
そうからかったのは照れ隠しだ。
と、夏季のスマホがヴーヴーと震え始めた。
「ちょっとすみません」
立ち上がって店の外へ出ようとすると、ここでええで、とファットガムが机を叩いた。
お言葉に甘えて座り直す。
着信は上司からだった。
「もしもし?」
どんな内容か分からないが、あまりいい知らせではないことだけは分かる。
「弾。楽しんでるとこ悪いねんけど、事件や。すぐ戻って来い」
ヒーロー同様、警察官も日夜を問わず事件が起これば借り出される。
「分かりました」
ただ、夏季たちは麻薬捜査班だ。
扱う事件は薬物関連に限られる。
「今回はAX絡みちゃうからファットガムの協力はいらへんで」
「分かりました。では、すぐに向かいます」
電話を切るころには、夏季は鞄を手に持っている。
「ごめん、仕事の電話! 今日は楽しかった、ありがとうね!」
夏季は適当にお札を数枚置いて足早に去っていった。
「おう、気ぃつけてな!」
ファットガムの大声が背後から追いかけてきた。
こういう時に─突然の退席を厭わずに─労う言葉をかけてくれるのはありがたい。
一方ファットガムは。
「もうちょい話したかってんけどなぁ」
気張る背中を見送って、まだ半分ほど残っているビールを一気に飲み干した。
「ほんま、男前な子ぉやのう」
ファットガムは夏季の置いていったお札を眺め数える。
「多すぎるっちゅーねん」
そして、楽しそうに笑うのだった。