暗転
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事件発生から40時間が経過した。
夏季は、とあるアパートの前に来ていた。
その手には逮捕状を握りしめている。
カンカンと金属音の響く錆びた階段を上り、右から2つ目の部屋のインターホンを押す。
家主は出てこなかったが、家にいることは調べが付いているのだ。
懲りずに何度も呼び鈴を鳴らす。
何度目かのチャイムで、ようやく反応があった。
こちらを窺うようにゆっくりと、扉が開かれる。
夏季は、以前の潜入捜査での取り立て方法を真似した。
足を扉の隙間に押し込んで、簡単には閉めさせないようにする。
それからドアを力いっぱい引いた。
「完全 マネルさん、ですね」
ファットガムのサイドキックである、完全 マネルは、歪な笑顔を見せる。
「ああ、弾さん。こんにちは。何か用ですか?」
あくまでもしらを切るようだ。
「あなたに、AX所持の新たな容疑者として逮捕状が出ています。署までご同行ください」
夏季は、裁判所から発行された逮捕状を、マネルに向かって突きつける。
「……」
しばらく、じっと紙切れを見つめていたマネル。
しかし、次の瞬間。
「あはは、はははは…あっはっはっは!!!!」
彼は狂ったように笑い始めた。
「さすがは、警察ですね。人海戦術はお手の物ですか?」
小馬鹿にしたような言い方にイラッとするが、感情を出してしまえば相手の思う壷だ。
「いやぁ、まさかこんなに早くバレるとは思ってませんでしたよ」
夏季は、酷く引っぱたかれたような顔になった。
「何で、こんなことを……」
思わず本音が漏れてしまう。
「あなたは、ファットの相棒じゃないんですか……」
かつて夏季も憧れたヒーローが悪の道に進んでしまったという事実は、予想以上に夏季の心を刺した。
「俺にだって、色々あるんですよ」
「色々って、何なんですか!」
夏季は、警察官という立場を忘れて怒鳴る。
「信じてくれないと思うんですけど、俺はファットを裏切ることなんてしたくなかったですよ」
「だったら何で!!!」
殴りかかってきそうな勢いに、マネルは泣き出しそうな声で、
「彼よりも大切なものがあったからです」
そう言って、左手の薬指をさすった。
「恋人のために……?」
「バカなことだと思いますか?」
投げやりな様子でマネルは訊ねる。
夏季はすぐに返事をすることができなかった。
もちろん、倫理的には間違っている。
しかし、時に感情が倫理を超えていくことを知っている。
全ての人間が感情をコントロールできたなら、犯罪など起こらないのだ。
もし、ファットガムを助けるために罪を犯さなければならないとしたら、私は一体どうするだろう。
「俺、弾さんとファットのこと応援してたんですよ」
突然ファットガムの名前を出されて、心を読まれたのかと思ってしまった夏季は声を荒らげる。
「今はそんなこと関係ないでしょう!!!」
というか、何でファットで考えたのよ!!
別に、家族でも職場のみんなでも良かったじゃない!!
と、夏季の心の中は慌ただしい。
「関係ありますよ。だって、弾さんはファットのために事件を解決したいんでしょう?」
「当たり前です! だけど、それとどう関係するっていうんですか?!」
マネルを睨みつけたが、彼はヘラヘラと受け流す。
「昔、“愛は地球を救う”っていう言葉があったじゃないですか」
1年に一度、夏に放送されていた有名なテレビ番組のキャッチコピーだ。
夏季は静かに頷く。
「俺、ずっとこの言葉をバカにしてたんです。愛だけで地球は救えない。……でも、今なら分かる気がするんです」
マネルの言葉の意図が全く読めない。
「何が言いたいんですか……?」
彼は、初めてにこりと笑った。
「愛は、地球までとは行かなくても、身近な誰かは救うことができる。だから俺、完璧なストーリーを考えたんです。そのためには、少し弾さんに協力してもらわなきゃいけないんですよ」
「え?」
夏季が聞き返すのと同時に、ガチャリと銃口が向けられた。
突然の脅威に、夏季は身体が強ばるのを感じた。
「おやすみなさい、弾さん」
無情な音が事務所に響いた。
*********
ファットガムが逮捕されてから45時間が経過した。
長時間の拘束により、普段の食事ができなかった彼は、すっかり脂肪がなくなっている。
あと数時間で検察への送検が決まってしまう、そんな時だった。
留置所に入れられていたファットガムの元に警官がやってきた。
その警官にはどこか見覚えがある。
「あれ……? どこかでお会いしましたよね?」
「ああ。弾の上司の荻野や」
なぜ、ここに夏季の上司が現れたのだろうか。
ファットガムの頭にはクエスチョンマークが浮かんだが、荻野巡査部長の言葉にかき消される。
「ファットに、良い知らせと悪い知らせと、最悪な知らせがあんねん。どれから聞きたい?」
どこかの外国映画の真似事のように、荻野巡査部長は3本の指を伸ばした。
「じゃあ……良い知らせから」
「喜べ、ファットは釈放や」
あまりにもあっさりと告げられて、喜ぶタイミングを見失う。
それに、あっさりと答えられたことで、悪い知らせの深刻さが伺える。
「……悪い知らせっていうのは?」
「真犯人は完全マネル、お前さんとこのサイドキックや」
「──はぁ!!?」
予想だにもしてなかった真実に、ファットガムは言葉を飲み込むのに時間がかかった。
「信じへんぞ! あいつがそんなことするわけあらへんやろ!」
「……じゃあ、最後に最悪な知らせや」
荻野巡査部長は、重々しくその口を開いた。
「完全は弾を人質にして、ある要求をしてきてんねん」
「──はァ?」
普段の穏和なファットガムからは想像もつかないほどの歪んだ顔。
その顔は、今まで見たこともないほど恐ろしかったと、後に語られる。
「……その要求ってのは何なんですか?」
怒りを押し殺した、低く唸るような声。
「完全はファットの釈放と金を要求してきた。その受け渡しにファットをご希望や」
明らかに罠だと思える要求である。
しかし、ファットガムは俄然やる気だ。
「ほな、奴さんのお望み通りに渡しに行きます」
にも関わらず、後ろ髪を引く荻野巡査部長。
「まあ待て。そう急ぐな」
ファットガムは、不服な顔を隠すこともできなかった。
「悠長にしとる場合と違うんちゃいます?」
今、この瞬間でさえも、夏季の命が安全である保証はない。
一刻も早く助けに行かなければ。
しかし、荻野巡査部長は夏季よりも、もっとその先を見ていた。
「おそらく、この事件のバックには大きな組織がついとる。そうやないと、プロヒーローを標的にするリスクがデカすぎる」
「そのバックの存在って……?」
荻野巡査部長は、顎に手を置いて黙り込んだが、やがて意を決したように、とある名前を口にした。
「……東堂組や」
「東堂組?」
ファットガムは小さく首をかしげる。
「麻薬の取り引きに始まり、殺しも担う。裏社会のトップに君臨しとる、巨大な組織や」
「何でそんな巨大な組織が俺なんかを?」
「以前の潜入捜査、覚えてへんか?」
夏季が男装して潜入したあの仕事だ。
同時に、夏季を傷つけてしまった嫌な記憶も蘇る。
と、ここである名前を思い出した。
たった一度だけ。
しかし確かに言っていた。
「……東堂さん」
暴力団員の一人が、怯えたようにその名前を呼んでいた。
「でも、あの場に東堂は現れませんでしたよ」
「弾からは、東堂に通じる女がおったって聞いとるけど?」
ああ、とファットガムは手を叩いた。
「いましたね。嫌な個性持ってはったわ」
苦虫を噛み潰したような表情になる。
「おそらく、その女は、東堂の嫁か愛人かってとこやな」
愛人のほうが彼女にはぴったりやなぁ、とファットガムは女の風貌を思い出して、心の中で呟いた。
「あの潜入捜査のおかげで、AXと東堂組のつながりが見えた。東堂組がAXの流通に加担してると思って、俺たちはずっとマークしてたんや」
つまりやな、と荻野巡査部長は語気を強めた。
「ここで、東堂組がAXに関わっとることが証明できれば、一気に検挙することができんねん」
そのセリフで、なぜ夏季救出に待ったをかけているのか分かった気がした。
「それは、夏季を餌に泳がせるってことですか?」
ファットガムの声が一層低くなった。
しかし、荻野巡査部長にも譲れない部分がある。
「ファット。先に言っとくが、あいつは一端の警官やぞ。自分の役割は理解してるはずや」
「じゃあ、俺も言っときますね」
すぅ、と大きく息を吸い込んだ。
「俺はヒーローや!!!! 人を守るためにおんねん!!! 今ここに、守れる命があるなら!! それを守り抜くのが俺の使命や!!!!」
相手を圧倒させる勢いでまくし立てた後、荒々しく扉を開けて出て行った。
しばらくして、
「……夏季の居場所、聞いてへんかったわ」
扉を半開きにして、気まずそうにするファットガム。
荻野巡査部長はズデェンとその場にこけた。