暗愚な名君フェリクスの軌跡

 港町ヒンメルには公務で訪れた。
 グーテンベルクは島国で、近くの大陸には十数の小国がひしめいている。

 その大陸南端にある国・イズティハルから来る国王と会談をするためだ。

 イズティハルは五年前に【ドブネズミの革命】と呼ばれる革命戦争があり、王が代替わりした。

 ドブネズミの革命で最前線に立ち玉座を得たのは、現王イスティハール・アル=ファジュル。
 当時フェリクスと同じ十八歳だったと聞く。


 フェリクスも護身のために剣術の訓練はしているけれど、実戦の経験はない。
 だから自分にはなせないことを成し遂げたファジュル王には尊敬の念を抱いていた。

 今回の本題である交易の話を終えたあと、フェリクスは気になってファジュルに問いかける。

「ファジュル陛下。貴方は僕と同じ年齢の時にはご結婚されていたのですよね」
「ああ。今は子が二人いる。上の子は教育係の影響か、天真爛漫というか、落ち着きがない。先が思いやられる」

 ファジュルは通訳なしに、グーテンベルク語で話している。
 イズティハルの民特有の浅黒い肌に黒髪。戦乱で負ったのか、顔や腕……服から露出している部分には古い切り傷の痕がいくつも残っている。

 二十三歳という若さにしてはとても落ち着いた雰囲気を持っていた。

「フェリクス殿下は、婚約者がおられると。先日陛下からお聞きしました。二年後に成婚の予定だと」

(外堀埋め過ぎじゃないですか父上!!)

 両親がこんなふうに外交のたびに「うちの子はもうすぐ親友の娘と結婚を云々」話してまわるせいで、婚約破棄が遠のいていく。

「それは父上が勝手に決めたことです。僕の意思に反しています。僕とアンネリーゼが物心つく前に、親同士がそう約束をしてしまった。アンネリーゼも「婚約を解消させてほしい」と訴えているのに聞き入れてもらえなくて」
「そうだったのですね」

  他国の国王陛下の前だというのに、口を滑らせてしまった。失言に気づき、自分の口を手で塞いだ。
 貴賓の前で父王の不平不満を口にするなんて、あってはならないことだ。

「失礼しました。今のことは忘れてください」
「心配いりません。グーテンベルク語はあまり得意ではないので、うまく聞き取れませんでした」

 流暢に会話しているのに、苦手なわけがない。
 心遣いに涙が出そうだった。
 自分の父がこのように懐の深い人だったらと思わずにはいられない。

「それでは、これで失礼させていただきます。交易の快諾ありがとうございました」

 イズティハルには豆や麦を輸出し、イズティハルからは織物を輸入する。
 
 ファジュルは書面をしまい、頭を下げる。退室する前に一度振り返り、「これは独り言です」と前置く。

「俺の妻は、貧民街で共に育った捨て子でした。後ろ盾は何もないから、俺を選んだことで苦労させたと思います。……もし身分が同等でない人を選ぶなら、自分が盾になる覚悟を持たなければなりません」

 婚約破棄後に選ぶ道を見透かされているようだった。

 
 会談を終え大使館を出て、フェリクスはその場に座り込みそうになった。

「あぁ、駄目ですよフェリクス様。人前ではしゃんと背筋を伸ばしてください」

 カイに言われて居住まいを正す。
 大使館の者たちも見ているのだから、王族らしい振る舞いをしないといけない。

「緊張せずにいられないよ。僕にできないことをやってのけた人が、そこにいるんだから」

 王族なら貴族から妃を選べと言われて当然だっただろうに、平民どころか、貧民街の娘を妻にした。
 いまだ父に作られた鳥籠の中でもがいているフェリクスとは、大違いだ。

「フェリクス様はまだ二十歳にも満たないのだから、そう落ち込むことはありませんよ。生まれた瞬間飛び立つ雛鳥なんていないでしょう?」
「僕は、ちゃんと成鳥になれるだろうか」
「貴方次第ですね」

 一生、未来を決められ続けて鳥籠の中で過ごすか、籠を抜け出して羽ばたくかは、フェリクスの選択次第。

「飛べるといいな」
「そうですね。さ、俺の家はここから割と近いので、頑張ってください」

 港町の住宅街を、王室御用達の馬車が移動したら目立つ。だから馬車は大使館に置き、カイの家までほ徒歩で移動した。

 カイから私服を借りて、装飾品を外す。

 本来なら会談後すぐ王城に帰還する予定だったが、三十分だけでいいからと無理を言ってこの時間を得た。
 カイから聞いていた市井の生活をようやく知る機会が来た。

「ちょっとぶかぶかだが、いいな」
「そりゃ、俺のほうがフェリクス様より背が高いですからね」
「名を呼ばれたら、すぐまわりにバレてしまうだろう。今だけは偽名を使おう。そうだな。フィーなんてどうだろう。様もつけないでくれよ」
「……主をそんな呼び方して、俺の首ちゃんが落ちないですよね」
「落ちないよ。さ、早く案内してくれ、カイ。夕凪亭の食事は泊まらなくても食べられるのだろう」

 普通なら許されないが、そう呼べと命令されたら従うしかないのが配下。

 フェリクスはカイに先導してもらい、夕凪亭に向かった。


 夕凪亭は、海を見下ろせる高台にあった。
 一階が食堂、二階と三階が客室になっている。

 食堂にはいくつもテーブルが並んでいて、食事をしている客層は幅広い。
 地元の漁師や市民、旅行者。
 皆、楽しそうに笑いあって食べている。

 フェリクスとカイが席につくと、翡翠色の髪と瞳を持つ女性が注文を取りに来た。

「いらっしゃいませ。ご注文はいかがなさいますか」
「ランチ二つ」
「かしこまりました。食べられないものはありますか?」
「制限はないから何でも」
「承知しました。すぐお持ちしますね」

 こういう店はメニューを渡されて、その中から選ぶのだろうと考えていた。
 フェリクスは疑問を率直に聞いてみる。

「ねえ、メニューがどこにも書いていないようだけど、なぜ?」
「日によって入荷できるものが変わるからです。たとえば、剣魚《ケンギョ》のスープって書いておいたのに不漁で取れなかったら、出せないでしょう? なので固定メニューというものはないんです」
「なるほど」

 季節や天候によって手に入る食材は変わる。主食のパンですら、麦が不作なら提供できない。

「おーい、ラーラさんや。こっちにスープの追加を頼むよ。また肉無しのやつ」
「かしこまりました。肉なしのスープを追加ですね」

 近くの席から、ヴァレンティノ語で注文がきた。
 ラーラと呼ばれた女性はすぐに返事をする。

「今の、何と言っていたのかわかったんですか」
「はい。私の父はルベルタ人とヴァレンティノ人のハーフなんです。それにここは大陸からのお客様も多いですし。宗教上肉を食べられない方もいますので、お客様の要望をきちんと聞き取れるにこしたことはありません」

 ラーラは厨房に追加注文して、五分とおかずフェリクスとカイのランチを運んできた。

「それでは、どうぞごゆっくり」

 会釈をして次の注文を取りにいく。

 カイが絶賛していたとおり、食事はとても美味しかった。
 そして何より、ラーラの聡明さに惹かれた。

 貴族でも、母国語以外に話せてニヶ国語がいいところだ。
 それも、語学専門の家庭教師をつけて学習する。

 食事中に見ている限り、ラーラは少なくとも七カ国を理解し、客と会話できていた。応対も丁寧で、朗らかな笑顔も良い。

 ドレスや貴金属で着飾っていないのに、とても輝いて見える。

「ねえ、ラーラ。失礼でなかったら教えてほしい。恋人はいる?」

 店を出るとき、フェリクスはラーラに質問した。

「いませんよ。恋人にならないか、なんて冗談で仰るお客様は多いですけど」

 たぶんその中には本気で告白している人もいるだろう。けれど、本気だと受け止めてもらえず今にいたる。
 軽口で言う人が多いと、その中に本気が混じっていても判別できない。

「よかった。また来るね。僕はフィー。覚えていてくれたら嬉しいな」  

 それから公務で港町に立ち寄る機会があるたびに、時間を作って夕凪亭に通った。


 そして通うたびに話をした。
 ラーラには上に兄が二人いて、兄たちは交代で警備をしているという。
 厨房に立つのは祖父母。
 宿の運営は父と母が担う。

 家族で支え合っている宿だった。

 通い始めて五回目、フェリクスは踏み込んだことを聞く。

「ラーラは、もし結婚するならどんな相手がいい?」
「なんですか、フィーさん。また冗談ですか?」
「冗談でなくて、本気。結婚したあとも、宿の仕事を続けたい? それとも、何か宿屋以外にやりたいことがある?」
「うーん……世界を、見てみたいです。ほら、ここはいろんな国からお客様がいらっしゃるでしょう? その方たちが祖国のことを話してくれて、いつかその景色を自分の目で見てみたいと思っていました」

 ラーラは窓の外、真っ青な海を見つめてつぶやく。
 
「お父さんたち家族のことはすごく好きです。宿の仕事も、性に合っていると思います。体が二つあったら、貿易商になってみたかったです」
「世界をまたにかける貿易商か。素敵だと思うよ」

 貿易商の奥さんになれば世界をまわれる、ではなく自身が商人になってみたいという。そういう考え方にも惹かれる。
 広い視野を持つラーラとなら、グーテンベルクをいい方向に導けるのではないかという気持ちが湧いてくる。
 
 
「世界を見る仕事。もしもそのチャンスが巡ってきたら、ラーラは手を伸ばすかい?」
「え? どうしたんです、急に。もしかしてフィーさんは商人なんですか?」
「商人ではないけれど、世界を見る仕事をしている。君にも、とても向いていると思う」

 
 フェリクスはラーラの夢を聞き、次に会いに来るときは、きっとラーラに求婚しようと決めた。
 

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