2026年6月企画SS


 雨音がしている。地面を叩く音、傘を叩く音。
 その傘のうちで、理仁(りひと)は駆けていた。鈍色の空の中、雨に叩かれ、水を含んだ地面を蹴った。ぱたぱた、濡れた音が跳ね、理仁の靴を、靴下を濡らしていた。車の音がする。ランプの赤が、曇る。
 水気を含んだランドセルが、何度も理仁の背を叩いていた。
 小さな建物の前のポストに、理仁は立った。回収の十六時には間に合ったはずだ。
 顎と肩で傘をささえると、ランドセルを開いた。体操服の巾着から、それをとりだす。
 宛先をもういちど確認して、ポストへと投函する。
 ことんと、小さな音がたった。葉書一枚分のそれを、理仁は万感の思いで聞いた。

「無事に届きますように」

 手を合わせて、お祈りした。ポストに入れたのだから、もう大丈夫。わかっていても、お祈りするクセができていた。
 手を合わせた拍子に傘が落ちる。道の向こうに転がっていった。理仁は雨に降られながら、それを追いかけた。
 気持ちは明るかった。

 ◇

 学校の体験学習で、絵手紙の授業があった。

「大切な人に描くように」とのことで、理仁が書く相手は決まっていた。
 モデルの紫陽花の花を見つめながら、理仁は一生懸命、筆を走らせた。

「あら、いい絵ね」

 特別にやってきた絵手紙の先生が、理仁をのぞき込み、笑った。画材のない理仁に、貸してくれた親切な先生だった。理仁ははにかむ。
 日頃のお礼。忙しくて会えない父さんに。ちょうど父の日が近い。先生が集めて出してくれるから、きっと大丈夫だろう。
 伝えたい言葉を色々と考える。授業がおわり、理仁は満足げに、筆をおいた。


「いつもありがとうだってよ!」
「ファザコンだ〜」
「返して!」

 理仁は、同級生を必死に追いかけていた。先生に出そうとしたところを、取られたのだ。

「深輝(みき)をいじめてって暗号?」
「まず深輝に謝れよなー」

 笑いながら、絵手紙を持つ両手に、力をこめた。

「やめて!」

 手首をぐっと捻るのが、ゆっくり理仁の視界を流れる。紙の破れる音が、響いた。理仁の絵手紙は、同級生たちの笑いの中、散り散りになった。
 拾って集めようとすると、手を踏まれる。欠片を各々が手に取って、笑いながら駆けていった。
 理仁は、必死に追いかけたが、行き着く先は、方々のごみ箱だった。

「バーカ!」

 去っていった同級生たちの向こう、深輝がいた。皆がはしゃいで、深輝を呼ぶ。

「深輝!」

 深輝は応えず、ただ薄く笑った。けれども、それだけで十分だった。彼らは高揚し、深輝についていった。理仁は、彼らの背を、ただ見送った。
 ごみ箱を見る。さすがに、これは送れない。拳を握って、耐えた。
 ――負けるもんか。
 唇をかみしめる。理仁は、外へ飛び出した。

「できた」

 それから二日ほど経ち――理仁は、絵手紙を手にしていた。あらたに、描き直したのだ。
 画材はなかった。あるのは少ないお小遣いから買った、葉書が一枚だけ。
 理仁は校庭や道をゆくたびに、花を探した。水たまりに落ちる綺麗な花びらを拾い集める。できる限り色をそろえた。
 それから、理仁は一枚ずつ、それをはり合わせる。のりは先生に借りた。鉛筆でとったあたりにあわせて、花びらを葉書に貼っていく。
 やがてそれは、いろとりどりの紫陽花になった。理仁は出来に満足して、それから、鉛筆で言葉を書き出す。

「お父さん、いつもありがとう」

 右肩上がりの字を、丁寧に書きそろえた。
 なんとか、完成した。あとは、これをポストに無事に投函するだけだ。
 深輝にバレない内に。
 理仁はすぐにそれを持って走った。体操服の中に隠し、ランドセルに入れて。傘をさして、飛び出したのだ。

 ◇

「うまくいった」

 深輝を出し抜いたぞ。達成感に息をつく。口元がじくりと痛んだ。殴られた痛みを、頬が思い出し始めていた。あのあと、囲まれ殴られたのだ。ぐっと唇を引き結ぶ。

「負けるもんか」

 雨が降る。傘を叩いていた。きっと、光が差す。あきらめなければ。頑張っていれば――。



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