2026年エイプリルフール企画SS


「嫌だ……! 師匠っ……!」

 叫び、朱櫻は身を起こした。
 はあ、はあと息を荒げる。上下する胸に手を当てた。西日が部屋に差し込んでいた。体中、汗に濡れていた。
 あたりを見回す。そこは見慣れた屋敷である。

「師匠……!」

 朱櫻は起き出して、外に駆け出した。

「師匠っ! どこですか!? 師匠……!」

 叫んであたりを必死に探す。血のような夕空に、影が差してきていた。
 わなわなと体が震えだしていた。雷落のもとへ行かねばならない。朱櫻の目がぼうっと赤く光った。
 屋敷に戻り、簡単な荷物だけひったくるようにとる。刀を腰に佩いて、札を懐に数枚入れた。
 念のため、ぐるりと屋敷内を確認した。やはり、いらっしゃらない。

「許さない。絶対にとりかえしてやる」

 噛み締めた唇が、ぶつりと音を立てた。戸締りをすると、外に出た。空は闇に飲まれかかっていた。

「師匠……今、朱櫻が行きます」

 足に力を込めたときだ。
 けえ、と大鳥が鳴いた。目を眇めると、見慣れた鳥の影が一つ、こちらに降りてくる。

「そうら、ついたぞ」
「うぅ……気持ち悪い」
「情けないやつだな」

 雷落の呑気な声のあとに、敬愛して止まないお方の声を聞き、朱櫻は

「師匠!」

 と叫んでいた。とっさに斬りかかることも忘れ、己の師に飛びかかる。

「朱櫻」
「師匠……! 師匠」

 もとに戻られている。
 ぎゅうと抱きつくと、花燐の腕がゆるりと背に回る。触れた背は、びっしょりと冷たかった。

「迎えに来てくれたの?」

 尋ねる花燐の顔は青かった。頬に手を添えると冷たい。

「どうなさったのですっ? もとには、戻られたみたいですが……」
「ん?」
「雷落さま! どういうことです」

 怒鳴りかかると、雷落が肩をすくめた。

「どうもこうも、今日中に帰れるように、送ってやっただけだ」
「でまかせを……! 師匠をさらったではありませんか」
「え?」

 朱櫻の言葉に、雷落は目を見開き、花燐は首を傾げた。
 沈黙が走る。朱櫻が拳を握り、睨んだ。

「はははっ!」

 雷落が火がついたように笑い出した。あまりの爆笑に、朱櫻は余計に怒る。

「何がおかしいんですか!」
「はははっ……! これが笑わずにいられるか、なあ?」

 腹を抱えて、雷落は花燐を小突いた。花燐は唇を突き出して、「やめてください」と言った。

「朱櫻はいい子なんです」
「いい子ったって……乳離れが出来なすぎる」
「は!?」

 あまりの言い草に拳を振りかぶると、花燐が手で制した。

「やめなさい、朱櫻」
「でも、師匠……」
「ひとりにしてごめんね。ちゃんと帰ってきたから」

 ぎゅっと、花燐が朱櫻を抱きしめた。
 花燐の低い熱に包まれ、朱櫻は固まる。おずおずと、背に手を回した。

「師匠……」
「お土産もたくさんあるよ。家に入ろう?」

 花燐の穏やかな細い声が、朱櫻の頭を撫でた。すっと、朱櫻の目の赤みが引く。
 雷の音がする。一雨来そうだった。

「じゃあ、俺は帰るぞ」
「兄さん」
「坊主、確かに届けたからな」

 そう言って、雷落は去っていった。大鳥の影が闇に溶けすぐに見えなくなる。

「珍しいな。寄っていかないなんて」

 花燐は、見上げ呟いた。鼻先にぽつりと雨が落ちる。

「あっ」
「行きましょう、師匠」
「うん」

 朱櫻は花燐の手を引いた。地面を叩き出す雨の中、二人は玄関へと書けた。

 ◇

「朱櫻」

 ご飯をもそもそ食べながら、花燐はじっと朱櫻を見た。

「なんですか?」
「渡したいものがあるんだ」

 箸をおくと、いそいそと、懐から包をとりだした。

「それは……」
「もうすぐお前の生まれの日だろう」

 おいで、手招きされ、朱櫻は彼の師の前に寄る。

「後ろを向いて」

 背を向けると、結い上げた髪をおろされる。せっせと、花燐は朱櫻の髪を結い上げた。

「できた」

 満足げな師の声に、朱櫻は背をそわそわさせた。振り返ると、長いそれが、目元に揺れた。

「守りの紐だよ。お前のことをずっと守ってくれるように」

 花燐は、そっと優しい手つきで、赤いそれに触れた。

「この先、何があっても」

 伏せられた黒目がちの目の、感情は見えない。朱櫻は胸が掻き立てられた。

「ありがとう」

 私の可愛い子。
 静かに、ほほ笑んだ。儚いそれを見ていられず、朱櫻は花燐を抱きしめた。まだ、自分より広い肩は薄い。

「離れません」

 固く、抱きしめた。花燐が息を詰める。守り紐が、二人の間で揺れる。血のように、赤い。

「朱櫻は、ずっとあなたのお傍に」

 花燐は応えなかった。ただ、朱櫻の背に、そっと手を添えた。

 《完》

 
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