夜にひとりで落とす問い【8月企画SS加筆版】
「いいですか。ヒートというのは――」
お昼休み。先生に呼び出されたと思ったら、オメガのヒートについて説明された。
対象のオメガは俺だけだったけど、何となくクラスに帰るとき、気まずかった。
ヒートか。
俺にも来るんだ。これからずっと。実感はないけど……配布された資料を見ながら、俺は肩を落とした。
学校が終わり、道場で稽古をしていてもずっと頭からはなれない。
見渡した仲間の顔に、自分の兄がわりのひとの顔はなかった。
樹くんは、今年から中学の部活に入ったから。忙しくって、ここに来れることが少なくなったんだ。
家はお隣どうしだから、会おうと思ったら会えるんだけど……なんだか今日は、ちょっと変化を感じる。
『アルファと無闇に二人きりにならないように』
先生の言葉が、蘇る。それで樹くん、最近お家に来ないんだなってわかった。
なんだか前みたいにはいられないんだなって、実感した。
◇
稽古を終え、道場を出ると、見覚えのある後ろ姿が目に入った。
「瀧?」
瀧は一瞬、視線を俺に向けた。けど、すぐにスマホに落とした。
「おつかれ」
「どうしたの?」
「通りがかったから」
スマホをいじりながら、なんてことないみたいに言った。俺は、「そう」と、どこか呆けて答えた。瀧の通ってる塾から、ここは通りがからないよな。もしかして、迎えに来てくれたのかな。やさしさに、胸があったかくなる。
「瀧は塾帰り?」
「うん」
「お疲れ様」
「別に」
帰り道を行きながら、俺たちはぽつぽつと話す。
「瀧は中学、樹くんと同じとこにいくの?」
「まあ。わざわざ違うとこ行く理由もないし」
瀧は、なんてことない風に答えた。すごいなあ。兄弟、二人揃って、頭いいんだよな。
「理央は」
「え?」
「兄さんがうるさく教えてるでしょ」
瀧の言葉に、俺は眉を下げた。樹くんは、『理央が受験したいなら』って、勉強いつも教えてくれてるんだ。でも、俺はあんまり出来がいい生徒じゃない。
「一緒のとこ行きたいな……って思うけど」
「ふうん」
瀧は何気なく相槌を打った。すっと、手が俺の指に絡んだ。ぎゅっと握られる。
「理央の行きたいとこに行きなよ」
前を向いたまま、瀧は続けた。
「俺もそうするし」
年下だし、付け加えられた言葉の意味はわからない。けど、励ましてくれたんだってことはわかった。
「うん」
俺は笑って、手を握り返した。
「――理央!」
向こうから、大きな影が駆けてきた。
「樹くん?」
制服の白いシャツが、夕日で朱色に染まってる。樹くんは、汗をぬぐった。
「早く終わったから、迎えに来たんだ」
行きあえてよかった。
そう言って朗らかに笑う。ふと、隣を見て
「瀧」
と言った。ちょっと意外そうに目を見開いてる。けど、すぐに「ああ」と、笑った。
「ありがとう。理央のこと、迎えに行ってくれたんだな」
瀧は、樹くんの言葉に「別に」と答えた。
「通りがかっただけ」
そう言って、ぱっと繋いでいた手を離す。いきなり空になった手を、俺は握り合わせた。
「行こうか」
樹くんが、俺と瀧を促して、歩き出す。瀧も続いたけど、向こうを向いたままだった。
「理央、稽古はどうだった」
「うん。あのね」
歩きながら、とりとめもないことを話す。
「今日、晩飯食べに来ないか? 自信作なんだ」
「いいの?」
「母さんも楽しみにしてるよ」
ありがたかった。樹くんは、家にひとりでいることの多い俺を心配して、ご飯に呼んでくれる。
はたと思い至る。樹くんは家に入らなくはなったけど、こうして呼んでくれてる。
なら、大丈夫なのかな。
その時、くい、と手を引かれた。ぎゅっと握られて、それが瀧の手だってわかった。
見ると、瀧は知らないって顔をしてた。けど、手の力は、しっかりしてた。
「理央?」
「あっ、ううん」
樹くんの言葉に、俺は首を振る。そして、また話しだした。夕焼けのかかる道に、影がみっつ、伸びて俺たちの後をついてきた。
――変わらないものって、あるのかな。
ふと、そんなことを思った。