断片SS集
「本当にごめん」
攻めは、俺の手を握って言った。見てるこっちまで、痛くなるような顔をしてた。
そうして、今までのことを全部話して聞かせてくれた。
「記憶を失ってから、毎日つらかった」
攻めの切り出しは、静かだった。それから、しばらく間を取って、話し出した。
「毎日、ことあるごとに、好きだった曲とか思い出話とかされたよ。『これならどうだ』って顔で。思い出せなかったら落胆されたり、泣かれたり。かわいそうって哀れまれたり。……せめて、気にしてない顔するしかなかった。『あいつらひどいよね』って顔で言い寄ってくるのもいたから」
攻めの目も口も、こわばって、険しいものを抑えてた。
「バンドの――あいつらとは、幼なじみなんだ。そのぶん、圧もすごかった。俺が中心のグループだったし、俺の出す音、前の音じゃなかったみたいでさ」
攻めの目が、ひどく沈んだ。
「へこむあいつらを、『ごめんな』って励まして、それにも泣かれて……きつかった。俺が不安なのに気遣ってばっかで、俺はどこにいるんだよって。そう思ったら、どんどん弾けなくなるし。どうしていいかわかんないとき、受けと会った」
手をそっと握り直される。
手に、攻めの体温が伝わった。攻めが、じっと俺を見つめる。攻めの方がでかいのに、見上げるみたいな、まなざしだった。
「受けといると、俺は何にもならなくてよかった。ずっと落ち込んでられた。わざと俺のこと放っておいてくれた。その気遣いも、ありがたかった」
そんなたいそうなものじゃないけど。でも、攻めは嬉しそうに笑ってた。
「心地よくて、傍にいたくて……それで何とか、気持ち保ってられたんだ。俺は大丈夫だって。……あいつらに、メンバーから抜けてくれって言われるまでは」
俺は目を見開く。
思い出すのは、攻めにはじめて、抱きしめられた日のことだ。
死んだ顔で、「つかれた」って泣いてた。
「『もう無理させたくないから。つきあわせてごめん』って、泣きながら言われたよ。頭では理解できてた。音も合ってなかったし、俺はお荷物だった。けど、切られたって思った」
攻めの手は、ふるえてた。俺はその手を、強く握った。
無理しなくていい――そう言いたかったけど、攻めの目の光が強かったから、俺もこらえた。
「今の俺だけじゃない。前の俺も、全部否定された気がした。うまく言えないけど、こいつらにとって、俺はその程度だったんだって」
俺は、攻めの目を見つめ返した。
泣きたいのは、攻めだ。わかってるのに、ひどく泣きたくなった。
「ずっと痛かった」
攻めの手が、さまようように、俺の肘に触れた。それからまた、手を握りなおす。
「何してても、全部に否定されてる気がした。記憶ってものがないだけで、こんな気持ちになるんだって」
冷たくなってく手を、俺はただ、受け止めた。
「あいつらの調子がいいと、悔しくて。落ちたもんだなって周囲の目が、許せなくて。どうして俺がって、情けなくてみじめだった。俺だって、あそこにいたはずなんだって」
攻めの声が、荒れて、ひどく上擦った。
「頑張って人生取り戻そうとして。俺だって幸せなんだって、思おうとした。けど、あの日、あの曲を聞いたら、堪えきれなくなったんだ」
攻めのふるえる手は、冷たい汗に濡れていた。
俺は、ひたすらに、黙ってた。ただ目を伏せて聞いた。昔みたいに、空気になって。
「俺のことだってわかったよ。『今でも消えた影を呼んでる、ずっと待ってる』って。許せなかった。当てこすりやがって、なんでお前らが、かわいそうみたいに、いい話みたいに救われて歌ってんだよって。人の不幸を、金にまで換えやがってって」
攻めの手の力が強くなる。攻めの目は、遠い何かを、ずっとにらんでた。
「悔しかった。ここまでバカにされるのかって。だから」
攻めは荒い息を、つとめて細く吐き出した。それから、口を何度も開いて閉じた。
「記憶が戻ったとき、飛びついた」
そう言って、うなだれた。噛み潰したみたいに、ぐちゃぐちゃな声だった。
「ざまあみろって思った。あいつら、思い出した俺に、なんて言ったと思う? 『信じてた』って泣きながら言ったんだ」
顔を上げた攻めの目は、怒りに燃えてた。こんなときでも、強い輝きを放ってて、それが悲しかった。
「どこまでも俺が悪いのかよって思った。ふざけんなって、『もう一回一緒にやろう』って言葉も、虫酸が走った。唾はきかけてやるって」
けど。
攻めは顔をぐしゃぐしゃにした。むせ込むみたいに、背が上下する。
「そうしたら、ずっと、こいつら以下だって、思っちゃったんだ……」
攻めの肌は、真っ赤だった。ふるえる手がさまよう。俺はその手を、ただとり続けた。
「それだけじゃない。また戻れるんだって、嬉しかった。元の俺が、言ったよ。『もう、こんな弱くてださい自分から離れられる』って。俺もそう思った。だから、あの日……」
俺に背を向けた攻めが、よみがえった。
「ごめん」
攻めは、それきり黙った。手を、そっと引こうとする。俺は、強く握って、引き寄せた。
「始めたことは、最後までやれ」
攻めが顔を上げる。泣きそうな顔を、じっと見上げる。
「じゃあ、なんで今、お前は俺のとこに来てくれたんだ。お前の言う、ださい記憶しか持ってない、俺のとこに」
攻めは、頬をひきつらせた。下瞼がふるえる。
「忘れられなかった」
言葉と一緒に、涙が落ちた。後から後から、こぼれる。
「復讐のつもりだった。けど、やっぱり音楽は好きで。あいつらにも情があった。つらいこともあったけど、楽しかったんだ」
「うん」
そうだよな。知ってるよ。
「だから、きっとこれでいいんだって、この三年進んできた。けど」
目を閉じた。長いまつげに、透明な滴が、浮かんでは落ちてく。
「ずっと、泣いたままなんだ。俺のなかの何かが。弱さだって振り払っても、何度も」
嗚咽が響く。攻めは涙を隠すように、顔を俯かせた。
「それだけじゃない。何かあるたび、受けに話したくて仕方なかった」
攻めの声は、辿々しい。自分をひどく、恥ずかしがってるみたいだった。
「初めてライブで歓声を受けた日とか、批判食らったときとか。そんなことじゃない、ささいなこととか。心が動いたら、いつだって受けのこと、探してた」
それでも一生懸命、言葉を形にする。攻めの手は、いまは熱を持ったみたいに熱かった。俺の手に、静かに移ってく。
「ありえないだろ。自分から、振り払ったのに。受けのことを、切り捨てたのに……だから、振り返ったら駄目だって、この三年間、ずっと」
嗚咽が、溺れるみたいに深くなった。
不安になって、背をさすろうとして、止まる。握られた手が、離れない。
「ごめん」
ごめん。
攻めは、何度も繰り返した。
俺は目を閉じて、その言葉を聞いた。
……痛くないって言えば、全部が嘘になる。けど。
「お前がそんなに話したいタイプなんて、知らなかったな」
攻めが顔を上げる。俺は、攻めを見つめた。頭でもなでてやるくらいの気持ちをこめて。攻めの目が揺れる。あどけない目に、俺は首を振った。
「そうでもないか。お前、なんでもないこと、よく話してくれたよな」
課題の進捗とか、新発売のパンの味とか。
今みたいに、大それたことじゃないけど、日常のこと――いつも「聞いて」も何もなしに、いきなりさ。思い出した。
「そんな風にして、歩いてきた三年だもんな。染みついちゃってたか」
俺は笑った。なのに、何でかひどく泣けてきて。あわてて顔を俯かせた。ださいし、顔拭いたい。そう思うけど、手は離したくなかった。誰かと同じで。
「よかった。……お前の中に、ちゃんと俺がいて」
みじめだとか、そういうのは正直、堪えた。
でも、大事なのはそういう上辺の言葉じゃなくて。きっともっと、深いところ。
「ありがとな。ずっと覚えててくれて」
見えなかろうが、俺はずっと、お前の傍にいられたんだ。
それなら、もう何も、言うことはない。顔を上げて、笑う。ぐちゃぐちゃで、さぞみっともないだろう。けど、これが俺なんだ。
攻めが、俺を抱きしめた。肩口に顔がぶつかるくらい、強く。「痛えよ」って笑ったら、もっと強くなった。
「好き」
攻めが言った。俺は、目を閉じて、その言葉を聞いた。うん。
「受けは?」
俺は黙った。
言っても、いいのかな。こんな時でさえ、ちょっとためらう。空気の意識が、俺に染み着いてた。でも。俺は攻めの背に、そっと手を回す。
「好きだよ」
息するのも、ためらうくらい、お前のことが。
俺は攻めに、もたれかかった。気持ちも体も、全部のせるみたいに、重く。
攻めは笑って、受け止めてくれた。
◇
明日の講義の準備をしてたら、後ろからぎゅって抱きしめられた。
「ん?」
「まだ寝ないの」
「お前を待ってたんだけど」
苦笑して、振り返る。攻めは、ばつが悪そうに眉を下げた。
「曲できた?」
「うん」
「お疲れさま」
頭をなでてあげると、攻めは、はにかんで笑った。抱きすくめて、俺の肩に甘えてくる。仕方ないな、と好きにさせてやる。そろそろ、攻めは出なきゃいけない。わきあがったさみしさを、俺もしばし埋めることにした。
あれから攻めは、時間を見つけては、俺の部屋に来るようになった。
「こら、寝るなよ。もう行かなきゃ」
「うん……」
膝の上で、むずかる攻めの背を、ぽんぽんと叩いてやる。
これで外ではオラオラっていうか、覇気全開なんだから、人ってわかんねーな。俺は子供みたいな寝顔を眺める。夢の中でも、リズム刻んでるのかな、なんか歌ってる。
「いい曲だな」
「ふふ」
攻めは、作曲も始めたらしい。作っては、俺に聞かせてくれる。
「他の人に聞いてもらわないのか?」
「うん。受けだけ聞いて」
俺の手を取って、嬉しそうにじゃれてる。もったいないな。そう思うけど、いいかなって思う。
「攻め」
「ん」
「好きだよ」
「えっ」
攻めが、すごい速さで飛び起きる。俺は笑って、肩をたたいた。
「時間だから、支度しろ」
「えー……」
渋々立ち上がる攻めを、俺はじっと見てた。好きだな。
「じゃあ、また来る」
支度を終えた攻めが、振り返る。俺は「うん」と頷いた。
「行ってらっしゃい」
攻めは、目を見開く。顔をさっと赤くして、
「行ってきます」
って、笑った。俺も笑って、手を振り返した。
《完》