断片SS集
帰りに立ち寄った店で、聞き覚えのある曲が流れた。
「あ、これってあの映画の曲じゃん」
「めっちゃ好き〜」
通りすがる女の子たちの、嬉しそうな声が重なる。俺は立ち止まって、その音に静かに、耳を傾けてた。どこかにあいつを感じられないかって。
攻めと離れて、もうすぐ三年になる。
あれから攻めは、彼らと一緒に行く道を選んだ。もともと一緒にバンドを組んでて、攻めが抜けた後も、皆ずっと、戻ってくるのを待ってたらしい。
「身が裂かれるみたいにつらかった」
ボーカルの子が、涙ながらに話していた。
音楽を忘れてしまった攻めを、苦しめるわけにはいかない。だからやむなく離れたけど、ずっと攻めは自分たちの精神的支柱だった。そしてずっと、攻めへの歌を作り続けてたって。
「攻めへの曲を、世に出すつもりはありませんでした。けど、イメージにぴったりだから使わせて欲しいって言ってもらって。そうしたら、また俺たちをつないでくれたんです」
あの日の朝、攻めと聞いた曲が、彼の声に重なり、流れてくる――。
何度も見た。攻めの涙のわけも、死んだ顔も、ふさいでた理由も。俺は、遠い画面越しに、知ってしまった。
メンバーの加入って波も越えて、攻めたちのバンドはどんどん頭角を現していた。今度大きなツアーにも行くみたいだ。攻めはファンに受け入れられ、たくさんの支持も得てる。そこには、攻めの華や才能だけじゃなく、不断の努力もあったんだろう。
受験のとき、一生懸命、テキストに向かってた攻めを思い返す。それで笑った。
何を知った口、聞いてるんだろう。一緒にいたのは、たった三年のことなのに。離れてから、それ以上の時が、もうすぐ経とうとしてるのに。
部屋に戻ると、買い出しの品を冷蔵庫に入れていく。
大学も、今年で卒業だ。もともと院に行って研究する予定だったから、なにか変わる訳じゃない。だから、ここに変わらず住む予定だ。でも、未練がましいなって、どうしても思う。
そもそも、攻めはいつも俺を呼ぶばかりで、俺の部屋にきたことなんて、あまりなかった。けど、来てくれたら嬉しかったな。たとえ、入り口でさよならでも。
大学受かったら、ここ絶対来ようって、あちこち散策して回ったり。互いの下宿先が決まったら、一番に招いて、料理を一緒に作ったり、夜更かししたり。このお店入れ替わったなって、買い出しの途中に、意味もなく寄り道したりしてさ。
親元離れてたから、攻めがしんどいときは、夜中だろうが駆けつけるとか、そういうことも自由にできた。
取り留めもない、何気ない日常。俺はそれが、泣きたいくらい幸せだった。
けど、もうそれじゃ、攻めをつなぎとめる理由には、ならなかった。そもそも、つなぎとめる、なんておこがましい言葉かもしれないけど。
「受けくん、ちょっと聞いて欲しいんだけど……」
「うん、何?」
「ここの論がさ、なんかおかしいってことしかわからないんだよね……」
同輩の卒論の相談を聞く。
攻めとの時間がなくなって、俺はバイトと学業に打ち込んだ。後輩の面倒見たり、同輩と話し込んだり、教授や先輩の手伝いしたり。とにかく時間を消した。
「攻めくんって本当に、受けくんだよね」
大学での友人、みんなに言われた。攻めはぜんぜん、大学で人に馴れなかったから。
でも、実際には、攻めがいなくなって、死にそうに寂しいのは俺だった。たった三年。けど、三年のあいだに、俺の生活に、攻めはずっと存在していたから。
変な話だよな。
俺は、そもそもひとりで全然平気で、むしろ、ひとりの感覚さえなかった。なのに、今は絶対に、誰かと一緒にいたいんだから。
「受け、いつもありがとな」
先輩の資料の整理をずっと手伝って、大学の外に出たら、真っ暗だった。
一本道が違ったら、すごくにぎやかなとこなのに、ここは静かだな。危ないから通るな、とか攻めに言われたっけ。でも、俺の家はこっちだった。
今度お前んちで、飲みながらじっくり話そうぜって、先輩が言った
熱心な人だから、夜通し話すことになるだろうな。
俺はあれから、まだ誰も家に入れてなかった。攻めは、俺に他人の気配がつくのをいやがった。それを、未だに、部屋の中だけは守ろうとしてるんだ。
けど、もう、そろそろいいかもしれない。
階段を上がって、角を曲がった。そこで、俺はぎくりとする。
誰かいる。
黒い陰が部屋の前に、うずくまってた。酔っぱらいか? 俺はちょっと警戒しながら、そっと進んだ。っていうか俺の部屋の前だ。膝に顔を埋めてて、よく見えない。ただ、帽子かぶってて図体もでかいってことしかわからなかった。
腹に力を込めて、それに向き直った。そして、目を見開く。
「……攻め」
俺の声に、おおきな背中が動いた。ずっとすすった鼻は、泣いてるみたいだった。
◇
「お茶でいい?」
返事はない。
まあ、とりあえず準備するかって、俺は湯を沸かし出した。そこで、はたと気づく。こういうのって、お水の方がいいんだっけ? それって俳優だっけ、歌手だっけ。俺にはわからない。
とりあえず上がってもらったけど、どうしたんだろう。攻めはずっと黙り込んでて、思惑がちっともわからない。
久しぶりに見た攻めは、眩むほどの輝きに満ちてた。変装なのか、ひどく地味な服に身を包んでるけど、隠しきれないくらいオーラがあった。
頑張ってるんだな。
なんとなく、そう思った。攻めのもとの覇気を思えば、「戻ったんだな」の方が正しいんだろうけど、やせ我慢かな、まず言葉になったのはこれだった。
泣きたいくらい、嬉しくなるかって思ってたんだけど。実際に会ってみると、心が追いつかない。家の前にいても、感づきもしなかった。あんまり、距離を感じるからだろうか。
「会いたかった」
なんて、抱きつける関係でもないもんな。
想像してちょっと笑った。そしたら、気配がして、見れば攻めが俺を見てた。
「何?」
「べつに」
攻めは向こうを向く。
そうか。俺はコップを手に取って、お茶をいれる。
「はい」
「……ありがと」
攻めはちょっとの間、コップを見てた。首を傾げてると、そっと受け取る。そして、少しずつ飲み出した。長い指は、手入れされてるけど、頑張ってる人の手だった。綺麗だな。俺はちょっと離れて、ローテーブルの向こうに座る。
「どうしたんだ」
攻めが、顔を上げた。
ちょっと驚いたふうな顔に「ああ」と思い至る。
こんな風に、聞いたこと、なかったっけ。何か、逆に距離を感じた。でも、前みたいにただ時間を過ごせない。だって、お前がいる。前みたいに自分の時間を、隣で過ごせない。
それでも、どうにか前みたいに振る舞おうって、ゆったり構えてるふりをした。でもこれじゃ、攻めは落ち着かないだろう。そこまで考えて、バカみたいになる。
こんなになっても、お前のことばかり考えちゃうんだな、俺ってものは。どこからどこまでが俺だったっけ。そろそろ、心の領域を、自分の体に返したいよ。
攻めが、ふと、部屋の隅の棚を見てるのに、気づいた。なんだって見て、俺は顔をしかめた。
攻めの載ってる雑誌とか、CDとか、集めて置いてあるの忘れてた。そんなもの、見たって苦いだけなのに。見かけたら手に取っちゃってさ。
今から隠すのも言い訳するのも、逆に気味悪いよな。とりあえずお茶を飲んで、攻めの視線が去るのを待った。
沈黙が痛い。痛いって、感じる。俺もこらえ性がなくなったな。
「どうしたんだ」
って攻めに聞きたくって、仕方ない。
でも、それやってしまったら、たぶんお仕舞いだよな。けど。
「何かあったのか」
もう、聞かずにはいられなかった。だって、もう昔とは違うから。攻めは元に戻って、俺とは違う人生を生きてるんだ。俺だって、もう違う人間なんだから。求められても――求められてるかさえ、俺にはもう、わからないけど、とにかく、違うんだから。
攻めの手は、じっとコップを握ってた。白くなった指先は、あんまりにも見覚えがあった。思わず手を取りそうになって、そんな自分を気持ち悪いって思う。そんなの、もう求めてない距離感だろ。
攻めは何も言わない。ただ、じっとコップを包んでた。コップ……そこで、俺は気づいた。
このコップ、攻めと買ったやつだ。
「俺、これがいい」
って、攻めが、俺のかごに入れたんだ。俺も笑って、色違いを買ったっけ。今、それもテーブルに置いてある。
「なんなんだよ」
もう、それしか言えなかった。
最悪だった。気づきもしなかった。無性に取り上げたくて、でもそれさえできなくて。うなだれるしかなかった。
「ごめん」
攻めがようやく、口にしたのはその三文字だった。よけいに笑えた。
「謝って欲しいんじゃねえよ」
俺は立ち上がると、自分のコップを流しにおいた。そのままそこに立ち尽くす。
帰ってくれ。
本当の仲間の元へ帰れって、そう言ってやりたい。けど、もし、もし。万が一、お前がいま、死にそうな気持ちなら、どうしたらいい。
俺が空気でも、なんでも。自意識過剰でも、なんでも。
お前との三年を、俺は、ずっと本物に思ってる。
だから、お前がつらいなら、そんな顔、どうしても見たくないと思ってしまう。
流しの縁をつかんだ俺の手に、冷たい手が触れた。攻めの手だ。綺麗な手に、滴が落ちたのを見て、自分が泣いてたってわかった。拭おうとして、攻めの手に抑えられた。
「ごめん」
攻めはもう一度、繰り返した。そして、抱きしめられる。
あまりに強い力に、息ができなくなる。
「受けが好き」
攻めは、泣いてた。
ふるえる息が、俺の鼓膜を揺らした。
聞き覚えのある声。――聞いたことのない言葉。
「ごめん」
それ以降は、言葉にならなかった。攻めの温度が伝わる。三年、なくなっていた熱。
俺はそっと、腕に手をやった。攻めがふるえる。
「聞かせてよ」
お前の気持ち。気が済むまで、泣いてからでいいから。
俺は、攻めの手を、ぽんぽんと叩いた。
やっと言えた。
そんな自分に、どこか、笑いながら。
《完》