断片SS集
朝ご飯を作ろうとしてたら、ぎゅっと後ろから抱きしめられた。
「おはよう」
返事はない。いつものやつだな。俺は、後ろを向くと、抱き返してやる。背中をぽんぽんとしてるうちに、攻めの呼吸が収まってきた。
「おはよ」
返事が返ってきて、俺は安堵の息をついた。見上げて頬を包んであげる。
「ごはんすぐできるから」
「うん」
頷いて、隣に並んだ。手を洗って、一緒に支度をする。こういうところ、好きだなって思う。優しさと――離れたくないって、言ってくれてるみたいで。
早起きしたから、講義まで、互いに時間がある。のんびりご飯を食べてると、ニュース番組のテーマが流れた。
「あ、曲変わったんだ」
ぼんやり聞いてると、向かいの攻めの顔がこわばってた。
「どうしたの?」
「ごめん。変えていい?」
そう言って、チャンネルを変えてしまう。それから黙って、ご飯をにらんでた。どうしたんだろう。俺は心配になる。
「攻め、」
「受け、やっぱり帰らないで」
「ん?」
「今日も泊まってよ。一緒にいよう」
俯いたまま、攻めが言った。いいけど……ものものしい雰囲気により心配になる。箸を持った手は、白かった。俺は立ち上がって、そっと手を取る。
「わかった」
そっと冷たい手をあたためてあげる。攻めは、ぎゅっとまた俺のことを抱きしめてきた。背中をあやしてやる。正直、家にそろそろ風入れたいけど、仕方ない。つらい攻めをおいてく方が、心配だもんな。
ずっと動かない攻めの体は、熱いのに冷えてる。熱とか、時間以外に……俺に分かちあえるものがあればいいのにな。
攻めは何も言わない。言えないんだ。ここ三年以前の、記憶がないから。
攻めが記憶喪失になったのは、高校生の時。
当時、俺と攻めは友達ですらなかった。けど、攻めは有名人だったから、聞こえてはきた。いつも華やかに、笑ってるやつだなって、遠目から見てた。
俺の過ごしてる空き教室に、やってきたのは、噂があってすぐだった。攻めは、俺がいるのに気づいて、引き返そうとした。だから、俺は立ち上がった。
「俺もう帰るから、好きに使っていいよ」
そう言って、教室を出た。思えば初対面で、お節介な行動だったけど、あんまり死んだ顔してるから、心配になったんだ。
それから、俺は教室変えた。あそこは穴場だったから惜しかったけど、俺は一人でいたいだけだから。必要な奴が使えばいいって。
それで、適当に裏庭とかで過ごしてたら、攻めがやってきた。
「探した」
ってつぶやいて。俺はぽかんとした。何を? 攻めは、俺の隣に座った。思ったより近い距離に、ちょっと驚いた。攻めは膝に顔を埋めて、黙り込んだ。
……なにか用があった、訳じゃなかったのか。よくわかんねーなって思ったけど、まあいいかって。俺ものんびり時間をつぶしてた。
そんなことが、ずっと続いて。攻めの俺といる時間が、次第に長くなってった。
「手、つないでもいい」
って攻めに聞かれても、「うん」と手を差し出すくらいには、同じ空間って感じだった。
「名前、なんて言うの?」
聞かれたのは、半年後だった。遅いけど、そういうのでもなかったから。なんとなく嬉しいより、怖かったのを覚えてる。名前を口ずさんで、攻めはまた黙り込んでた。
俺といるとき以外の攻めは、変わらず人に囲まれて笑ってた。けど、前みたいに、屈託のないものじゃない気がした。けど、聞くのも違うから。攻めが俺に求めてるのは、それじゃないなって、ずっと、空気につとめてた。
関係が変わったのは、突然だった。攻めが、ふらふらやってきた。その日は、隣に座らなかった。死んだ顔で、俺を抱きしめた。
「つかれた」
そう言って、俺にもたれた。全力でもたれ掛かられて、倒れそうになったけど、俺は踏ん張って抱き返した。ここで、倒れたら駄目だ。なんかそう感じた。
攻めは呆然とした顔で、泣いてた。
「がんばったのに」
って低い声で、何度も繰り返した。それから、攻めは笑わなくなったんだ。
俺とずっと一緒にいるようになって、ずっと沈んでるようになった。俺は、黙って、攻めのそばに居続けた。
今にして思えば、もっとできることはあったと思うけど。幸い攻めは、少しずつ、立て直していった。俺の弁当見て、お腹鳴らしたり。勉強してたら、自分もノート開いたり。かなりほっとしたのを、覚えてる。
「受けはどこの大学行くの」
手をつないで、攻めは聞いてきた。最初から決めてた志望大を言うと、攻めは、
「俺も行っていい」
って言った。俺に聞かなくても、行けばいいのに。そう思ったら、なんか切なくて、俺は攻めの頭をなでた。出過ぎたかな、そう思ったけど、攻めは嬉しそうに笑った。
頬を赤くして、子供みたいにあどけなかった。
守ってあげたいな。俺の中で、攻めへの好きが形になったのはそのときだった。
それからは、ふたりで勉強頑張って、大学受かって。一緒に過ごしてる訳なんだけど。攻めは、俺を自分の部屋って領域にいれたら、もっと距離が近くなった。抱きしめるようになったし、何なら一緒に寝てほしがった。
けど、そう言うんじゃないんだよな。なんとなくわかる。攻めは大学に行って、いろんな縁が切れてから、だいぶ穏やかになったけど、それでもひどく沈む時間がある。俺はただ、そのときそばにいる奴。
時々、いまでも不思議に思うときがある。攻めに名前を呼ばれて、同じご飯を食べたり、一緒に眠ってる自分が。ちょっと空気としては、出過ぎなんじゃないかって。
それでも、得難くて、欲張りたいような気持ちもわく。
攻めの前で、人でいたいなって。好きって伝えたいって、思うようになった。いいことも、悪いことも、分かち合いたい、って。
でも、攻めを追いつめるんじゃないかって、そう思ったら、踏み出せなかった。
「レポートって締め切りいつだっけ」
「明日だぞ」
「じゃあ夜更かししていい?」
攻めと鍋をつつきながら、とりとめもないことを話す。湯気の向こうの攻めを見てた。顔色、よくなってるみたいだ。ほっとして、それから好きだなって思う。
最近、語尾に「好き」っていつだってつながる。だいぶ末期だし、それは俺に話すのをかなり慎重にさせた。
風呂を借りて、出てきたら、攻めがベッドで膝を抱えて、何か聞いてた。
ちょっと聞き覚えのある声は、今朝聞いたやつだ。
つらい顔で、じっとスマホの画面をにらんでた。目から、涙が落ちてる。
「攻め」
とっさに、俺は攻めの元へ向かった。手を伸ばしたら、強く払いのけられた。乾いた音が立つ。
「ほっておいて」
攻めは言うなり、膝に顔を埋めて、泣いていた。俺は手を握った。そうか、今は、駄目だったんだな。出過ぎたことを悟り、俺はそっとベッドから離れた。
攻めはその日から、ずっとふさぎ込むようになった。
俺は、ただ傍にいるしかできなかった。自分の無力ってものを、ひどく感じてた。攻めに踏み込めば、なにか変わるかもしれない。でも、今は駄目だ。もっと、早くに踏み込んでおくべきだった。
なさけない日々は、唐突に終わりを告げた。
その日も、俺はキッチンに立ってた。攻めはめっきり食が細いから、心配だった。ドアの向こう、騒がしくなる。隣室の学生かな。でも、この声――。
「おじゃまします」
「まあ入れよ、狭いとこだけど」
「はは、ほんとだ~」
ばたん、ドアが開いた。攻めと、数人の男たちが、笑いながら入ってきた。手にたくさん、袋を持ってる。食べ物だろう、においをまとった熱気が、部屋に立ちこめた。
攻めと彼らは、俺の前を通り過ぎて、部屋に向かった。楽しげにいろいろと話し出す。
その声と、雰囲気で、俺は思いだした。
攻めと、高校の時一緒にいた人たちじゃないか? そっと耳をそばだてると、にぎやかな話し声が、たくさん入ってくる。
「でも、おまえがこんな難関大受かるとはな~」
「まあ、暇だったからな」
「暇ってこえーな」
攻めの声は、いつもと違って、強かった。周りの人たちも、みんな活気に満ちてて、何もなくとも楽しいって空気が、声にあふれてた。
「でもマジで、記憶もどったのか」
「こいつの顔見たら?」
「おう。なんかブワって」
「やば。作り事みてえ」
どっと笑い声があがる。ハイタッチでもしてるのかなって、雰囲気だ。俺は、ちょっと呆然としてた。
「嬉しいよ、攻め」
涙ぐんだ声が聞こえる。この声……あの朝の曲が、よみがえった。曲を聞いてたときの、つらそうな攻めの顔も。
「新曲聴いたよ」
「本当? ありがとう」
声の人は泣き出した。周囲は、優しい空気になる。
「虫がいいって思われてもさ。おまえのこと、忘れたことなかった」
「俺らも」
「お前ら……」
「また、俺らのとこ、来てくれよ」
「ああ、ありがとな」
そこから先は、よく聞こえなかった。
そうか。俺は、ドアにもたれて、笑った。攻めの嬉しそうな声が、聞こえる。俺といたときの攻めじゃなかった。たぶん、本当に戻ったんだ。
攻めが、笑いながら、部屋から出てくる。一瞬、俺の方を見た。けど、すぐに目をそらして、冷蔵庫を開けた。水を取り出して、戻る。楽しいしか知らない声で、部屋は満ちてる。
「おめでとう」
俺は、静かに、その場を後にした。たぶん、もう聞こえていないと思うけど。振り返って、扉の向こうの攻めに笑いかけた。
ただ、ひたすら外に歩いていった。
《完》