二人で生き合うこと


 いったいあれはなんだったんだろう。
 研究室で僕はぼけっと考えていた。
 フェイにキス……された?
 うん。何度もデータを参照したけど、間違いない。あれはキスだ。
 いったいどういう意味で……? そりゃ、親しい人ならするものではあるらしいけどさ。
 参照したデータの内にあった「恋人同士がするもの」という文言を思い出して、顔が熱くなった。

「こ、恋人って、そんな……」

 ぱたぱたと手を振って追い払う。
 というか、ここで動揺する必要もないじゃないか? うん、僕とフェイってそんなんじゃないし。ただなんか、ぶつかっただけかもしれないしさ。
 けど。
 何度も触れられた、フェイの唇を思い出してどうしようもなくなる。

「うう〜……」

 どうしちゃったと言うんだ。
 真っ赤になって頭を叩いていると、咳払いが聞こえた。顔を上げれば、リーがじっとこっちを見ていた。

「師匠、ちょっと静かにしてもらえませんか」

 ユーリからも追撃をくらい、僕は「ごめん」と謝る。
 いけない。今は研究に集中しなきゃ。
 僕は頭を振って、本に向かった。けれども、思考の海の中、何度も何度も、フェイの顔が頭に浮かんでくる。フェイの長いまつ毛も、唇も。

『師匠、愛しています』
「うわーーー! もう!」
「師匠!」

 僕の叫びに、リーの制止が被った。
 あっ。
 僕はミスを悟った。しかし時すでに遅し。むなしくも、ユーリが見ていた魔法陣は歪んでしゅんと消えてしまった。

「やり直し……。三日かかったのに……」

 ユーリがぶつぶつ呟いて、仰向けにぶっ倒れた。ガターンと大きな音が立つ。

「ユーリ!」
「ああ、もう。師匠……! もう……!」

 リーが両腕を振って、僕を叱る。こう、もっとこうなんか色々言いたいんだと思うんだけど、師匠である僕を立てて、黙ってくれてる。
 さすがに身の置き場がなくて、僕は「ごめんよ」と小さくなった。

「本当にごめん。あの……せめてさっきまでのところを復元するよ」
「無理ですよ……。こうなったらユーリは意地でも最初から自分でやりたがります」

 もう、と肩を怒らせて、リーはユーリを見た。僕はひたすら「ごめんよ」と繰り返した。リーは、ふうと息をつく。

「とりあえず、ユーリを寝かせてきます」

 と、魔法でユーリを持ち上げると、仮眠室へと連れて行った。パタリとドアの閉まる音に、僕はうなだれる。
 何やってるんだ、僕は……。
 教え子の実験の邪魔をするなんて、最悪じゃないか。いたたまれなくて、長いため息をついた。

 ◇

「で? 何があったんですか」

 コーヒーを差し出し、リーが僕に尋ねた。僕はおずおずと受け取る。口につけると、

「なにも」

 と答えた。リーはため息をついて、「あのですね」と言った。

「この検証が終わったら、ユーリはシズと一緒に過ごす予定だったんです。それがたち消えちゃったんですよ」

 仮眠室にユーリを見舞いに来た、シズがよみがえる。

『ユーリ……』

 心配と一緒に、落ちてた悲しそうな肩。そうか、逢引きの予定だったのか。僕は肩を縮める。その肩をリーがぱたぱた叩いた。

「シズのためにも、話してください。俺だって手をあけてるんですから」
「ごめんよ……」

 僕はうなだれた。僕はコーヒーをちびちび飲みながら、「うーん」と唸った。

「どう話していいものか、わからないけど」

 とりあえず、思いついたところから話しだした。

「リーは、その……キスって何を意味すると思う?」
「はあ?」

 リーが素っ頓狂な声を上げた。僕はいたたまれなくなる。

「いや、やっぱりいい」
「ちょ、すぐにひかないでくださいよ。驚いただけですから」

 慌てて打ち消すのに、リーが追いかけてきた。頭をがしがしかきながら、「うーん」とリーは唸った。

「そうですね。まあ、家族とか、恋人とかでする……愛情表現じゃないですか」
「そ、そうなの?」
「まあ挨拶でする人もいますけど、俺はそうは捉えません」
「なんで?」
「俺距離近いの嫌いなので」
「そうなんだ……」
「ユーリなんかは潔癖らしいですけどね」

 そのふたつに、どう違いがあるのかわからなかったけど、僕は「うん」と頷いた。そしてはたと思いつく、

「そのわりに二人とも、よくキスしてない?」

 主にリーはイルゼと、ユーリはシズと。僕の言葉に、リーの顔が真っ赤になった。

「それは! だから、恋人同士の愛情表現でしょ! なにか悪いですか!?矛盾してないでしょ」
「ご、ごめん」

 たしかにそうか。イルゼとリー、ユーリとシズは恋人だから、リーの言うキスする対象ってやつにそれぞれ入ってるんだな。定義は間違ってない。
 リーは眉を寄せ、自分のコーヒーを飲んだ。「それで?」と言葉を継いだ。

「キスがどうしたんですか」

 今度は僕の顔が熱くなった。もうのぼせ上がった。うなじから熱を発してるのがわかる。まごまごとマグをいらった。

「い、いや〜……単純に気になって」
「こんな定義づけごときで気をとられる神経じゃないでしょう」

 ぐうの音も出ない。
 さすが、長い付き合いだけあって、僕をよくわかってる。汗がにじみ出てきた。これ以上なく、小さくなっていると「はあ」とリーが言った。

「フェイですか?」

 カップを落としそうになった。というか落とした。リーが魔法でコーヒーごとすくい上げてくれたから、惨事は逃れたけど。

「ご、ごめ」
「いいえ。……図星ですね」

 呆れ半分、的中した得意さ半分に、リーが笑った。僕は目を閉じて、その視線からそらす。

「いや……その、そういうんじゃないんだ。なんか……」
「はあ、襲われでもしたんですか?」
「ち、違うよ! フェイは無理強いしなかったもの」

 慌てて否定すると、リーは「はは」と半眼で笑った。その様子に、何だか自分がとんでもないことを言った気になって、余計に頬がカッカとする。「うう」と普段進まないはずのコーヒーを啜った。リーは僕の顔を覗き込む。

「では、合意の上でですね?」
「わ、わかんないけど……なんか」

 なんか、流されてしまって、何度も。どうなんだろう。これって変なのかな……。落ち着かなくてコーヒーを煽った。喉を刺激してむせてしまう。

「げほっごほっ」
「ああ、師匠っ」
「けほっ、ごめ」
「もう、しっかりしてくださいよ」

 背中をとんとんと叩きながら、リーは僕に言う。叱りながらもその声には、あったかみがあった。だから、僕は安心してむせてた。

「とりあえず、ひとつだけ確認したいんですけど」

 落ち着いた頃、リーがしずかに尋ねてきた。

「師匠はお嫌でしたか?」

 それによっては、対処が変わりますから。
 ぼくは、弟子の心配そうな顔を見て、首を振った。

「ううん」
「そうですか」

 リーは頷いて、ほっと息をついた。

「それならよかったです」

 僕はその様子に、すごく胸があたたかくなった。こうして、誰かに実験でもないのに気にかけてもらえるって……すごくありがたいことだ。
 僕は、にこ、と笑った。

「ありがとう、リー」
「いいですよ。うるさくて集中できませんでしたし……」

 悪ぶって言う、照れ屋な弟子に、僕は感謝した。


 《完》


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