「オメガの騎士など認めない」と言われましたが
「カイル……」
カイルは静かに立っていた。抜き身の剣のようだ。カイルと目が合う。びりっ、と頬が痺れた。
フレデリックが「は、」と笑う。
「ずいぶん物々しいな、カイル」
カイルは美しく一礼した。カイルの剣気が収まった。
「殿下がいらっしゃるとは知らず、失礼いたしました」
「白々しいことを」
フレデリックは顎をあげた。ぐい、とノアを引寄せる。ノアは困惑し見上げる。
「わが弟が世話になったと聞いてな」
ノアは、息を呑んだ。カイルとアンブローズ、二人が向かい合う姿が蘇る。
カイルはなにも言わなかった。フレデリックは続ける。ふふ、と華やかに笑いを転がす。
「構わぬ。あの破天荒も、周囲の不甲斐なさに、鬱憤が溜まっている」
アイスブルーの目を満足気に細めた。
「お前という釣り合いのとれた従兄弟がいて、兄として嬉しく思う」
ノアは、唇を噛んだ。眉をさげ、顔をうつむかせる。胸が刺すように、痛かった。
「アンブローズ殿下は、医務室にいらっしゃいます」
カイルは礼を取ったまま、静かに続ける。
「殿下をさぞ、恋しく思っていらっしゃるかと」
「……ふふ」
フレデリックが愉悦の笑みをこぼす。
「今は聞いておいてやろう」
すっとノアから手を離した。ノアは後ろに下がり、礼をとる。フレデリックはゆったりと歩き出す。が、ふいと足を止めた。
「ノア」
「――はい」
「さっきの言葉、よく覚えておけ」
ノアは目を見開く。フレデリックは肩越しに振り返り、ノアを見ていた。
「お前などには、もったいない栄誉だ」
そう言って、今度こそ鍛錬場を後にした。
……何だったんだ。
ノアは首を傾げる。高貴な香だけが、土埃の中に残る。
「ノアさん」
ノアは飛びずさった。カイルが、すぐそばに来ていた。
「カイル……」
いつの間に。苦い気持ちで見上げる。カイルはなにも言わず、ただじっと、ノアを見下ろしていた。
澄んだ目が、不思議な光をたたえている。
その目を見ていると、何だか居た堪れない気持ちになった。ノアは身を抱いて、顔をそむけた。
「な、何の用だ」
カイルは黙っている。ノアは、言葉に詰まっていた。なにも、恥じるところなどないのに、気まずいのは何故だろう。
「なにもないです」
カイルの指先が、そっとノアの頬に触れる。
「ただ、ノアさんの顔が見たくて」
そっと、親指で唇を撫でられた。鉄が熱を発してるみたいに、カイルの目が光をやどしている。
ノアは、項から、逆上せるように熱くなった。
「い、意味がわからない!」
ぱっと顔をそむけ、手を避ける。身を抱いて、カイルに背を向けた。
「俺などより、姫様についていたらどうだ!」
ノアは腕を抱く手に、力を込める。じわ、と目元が熱くなる。
「姫様は、お前を信頼していらっしゃる。さぞ心強いだろう」
「ノアさん」
「とっとと行け」
目をぎゅっと瞑った。力んで、肩がぐっと上がる。息を詰めて、背中でカイルを追い払った。
「ノアさん」
断固とした声に、思わず目を開く。
――カイルの腕が、視界に入った。
「……!」
ノアは、カイルの腕の中に閉じ込められていた。
「そんなこと、言わないでください」
「なっ……」
「切ないです」
囁きが、頭に直接響く。長い髪が、頬に、肩口に触れる。ノアは体中、熱されたように熱くなった。
「な、あ……」
「ノアさん……」
言葉が出ない。体が石みたいに、固まってしまって動けなかった。口をぱくぱくと、開いては閉じた。
「は、はなせ」
「やです」
「なっ……」
自分でも信じられないくらい、弱った声が出た。おろおろと手が震える。
何を情けない。
カイルが敵だと、とっくに自分は死んでる。そう叱咤するのに、ちっとも動けない。
どうにか動かした手は、カイルの手に添えるだけになる。
「ノアさん」
すり、とカイルの唇が、ノアのこめかみに擦り寄せられる。ノアは息を呑んだ。
「いま、体中が、焼き付きそうなんです」
カイルの声が、低くかすれた。
「殿下がノアさんに触れた」
ノアが息を零す。開いた唇を、そっとカイルの指先がなぞった。ノアの息が震える。
「で、殿下は」
「呼ばないで」
カイルに遮られる。低い声は熱っぽかった。ふ、と息をもらす。
「わかってますから。でも、胸がただれそうに熱いんです」
固く抱きしめられる。カイルの心臓の音なのか、自分の音なのか、わからない。
「なのに、そんな風に拗ねないでください」
「す、拗ね――」
ノアは振り返る。カイルの目が、じっとノアを見つめていた。切実な目に、言葉が吸い込まれる。
「抑えられなくなるから」
カイルは囁いた。熱っぽいのに、懺悔するみたいだった。吐息が震えている。ノアは、何も言えない。言葉を忘れたみたいだ。
カイルが、息を呑んだ。
視界がぼやける。
「ノアさん」
カイルの指先が、ノアの目元に触れる。目を閉じて、それが伝った。
「ふ……」
カイルに何度も拭われて、ノアは自分が泣いていることを悟った。
「うそつき」
ひっ、としゃくりあげる。
「か、かってなことばかりいうな……」
胸が痛い。何度も何度も、嗚咽が漏れる。みっともない。わかっているのに、止まらなかった。
「俺のことなんて、もう、どうでもいいくせに……」
波のような悲しみが、目元に押し寄せた。ぼろぼろと堰をきったように、溢れ出す。
かえりみて、カイルの胸を叩く。
「ノアさん、」
「ずっと、避けてたくせに……! もう、打ち合ってもくれないくせに……!」
何度も何度も叩いた。
「ひ、姫様とは打ち合うくせに……っ、いまさら、なにもなかったみたいに……っ」
叫んだら、嗚咽が泣き声になって、止まらない。ずっとずっと我慢していた分が、ぜんぶ溢れ出していた。
「俺のこと、オメガ扱いするな……! カイルの馬鹿……!」
それ以降は、言葉にならなかった。ただひたすら、泣いていた。嗚咽に背が跳ねる。こんなところ、誰にも見られたくない。ノアは身を縮めた。
あんまりみっともなかった。
「ノアさん」
カイルの腕が、ノアを包みこんだ。
「やっ……」
「ごめんなさい」
「はなせ、ばか……」
「やです」
ぎゅっと、いっそう固く抱きしめられる。
「もう離しません。離れませんから」
「う、うそつき」
「嘘じゃありません。俺にはノアさんだけです」
「やだ……!」
胸を押し返す。
「た、ただのオメガ扱いなんていらない……! 俺は……っ」
くらりと頭が揺れる。かくり、と膝から力が抜けた。
「ノアさん!」
意識が遠のく。自分を抱くカイルに、ノアは何度も「触るな」と繰り返した。
さわるな。
……特別じゃないのに、触らないで。