隣の早瀬兄弟


「理央(りお)が来ない!?」

 母さんの言葉に、俺は目を見開いた。

「何でまた……」

 茫然と呟く。肩にかけた、カバンの紐が硬く感じる。そうして、はたと思い至る。

「もしかして、理央は具合が悪いのか!?」
「落ち着きなさい、樹(いつき)」

 母さんは俺をたしなめた。これが落ち着いていられるものか――言い募ろうとした俺を制し、続ける。

「べつに病気じゃないから大丈夫よ」
「そ、そうか……」

 その言葉に、俺は息をついた。少なからず安堵する。しかし、次の疑問がわき起こった。

「じゃあどうして来れないんだ。用事か?」
「だから、落ち着きなさいったら」

 母さんから、二度目の制止が入った。そんなに呆れなくてもいいだろうに。やや鼻白み、言葉を待つ。

「まあ、そんなところね。『気にせず楽しんできて』って、文(あや)ちゃんに言われたわ」
「そうか……」

 俺は大きく嘆息した。母さんを真っ直ぐ見返す。

「わかった」

 納得した俺に、母さんは頷くと、

「支度をしてくるわ」

 と部屋を出ていった。
 ドアの閉まる音が、部屋に響いていた。俺は、かけていたカバンを、ベッドに下ろした。準備はとうに終えて、あとは出るだけだったから。

「残念だな」

 理央が来ない――会えないのか。
 今日から、理央と旅行の予定だった。毎年恒例で、夏休みには、俺の家と理央の家で遊びに行くんだ。
 夏休みの間、俺の家は単身赴任してる父さんのところで過ごしていて、今日、旅行先のホテルで理央の家と合流するはずだったんだ。なのに、出発を待つばかりの俺が聞いたのは、「理央が来れない」という知らせだった。
 用事なら、仕方ない――そう、頭では納得するのだが。どうにも気持ちがむなしかった。
 ずっと、部活が忙しくて。大会が終わったら、今度は父さんの単身赴任先に、缶詰めだった。
 要するに、俺は最近、理央と一緒に過ごせていなかったんだ。
 だから、今日からたくさん、一緒の時を過ごそうと思っていたのだが……うまくいかないものだ。
 はあ、と重いため息をつく。あちこちにチェックをつけた、ガイドブックをぱらぱらとめくった。どこに行こうか、たくさん話したな……理央と。

『樹くん、旅行楽しみだね』

 その時の、理央の可愛い笑顔が蘇る。

「残念だろうな。楽しみにしていたから」

 可哀想に。
 理央は、いつも家に一人で過ごしている。皆でゆっくり過ごすのを、心から楽しみにしていただろうに。ひどく胸が痛くなった。俺に、何ができるだろうか。

「よし」

 項垂れている場合ではない。俺はベッドから立ち上がる。理央を思うなら行動あるのみ。カバンをかけ直すと、向こうにいる弟を顧みた。

「瀧(たき)」

 瀧は、返事どころか、目線もあげない。だらりとベッドに腰かけていた。

「そろそろ出るぞ。準備は終わったのか」
「べつに」

 答えになってないだろう。俺は目を眇めた。

「さっきからなんだ。スマホばかりして……」


(中略)

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