二十一話 一歩ずつでも


「んー……」

 アラームを止めて、俺はゆっくり伸びをした。
 体が伸びて、じわじわと意識が目覚めてく。カーテンを開けて、朝の日差しを浴びた。
 おかゆを温めながら、俺はレンジに映った自分の顔を眺めた。眠そうな顔だな。伸びた髪を軽く引っ張った。
 剣道教室に通いだして、しばらく。
 俺の体は、「眠い」って感覚を思い出してきた。通い始めたばかりなんか、一日中寝ちゃう日もあった。ふあ、と小さくあくびをして、もう一度伸びをした。
 おかゆをゆっくり食べて、お茶をのんだ。メッセージが来たので、丁寧に返す。お昼に先輩と飲むお茶の準備もして、身支度を整える。
 その頃には、体ははっきり起き出してて、俺は鏡の前で格好の確認をした。

「行ってきます」

 玄関から振り返って家のなかにひとこと。挨拶ははっきりと。頭を下げると、俺はドアを開けた。

「おはよう」

 たきが立ってる。白いシャツが、眩く映えていた。湖面みたいな瞳が、こっちを見てる。俺はその目をじっと見て、頷く。

「おはよう」

 上ずった俺の声に、瀧は笑って、俺の手を引いた。熱っぽい手に、ほんの少し汗が滲んでた。待たせたかな。俺が見上げると、瀧は、

「行こう」

 と言った。

「教室、どう?」

 道を行きながら、瀧が、ふいに尋ねてきた。そよ風みたいにさりげない問いに、俺は「うん」と頷く。

「楽しい。まだ、基礎をゆっくりしてるけど」

 最初は、体力がついていかなくて、じっと見学してることも多かった。もどかしくて、情けなかったけど。

『見るのも練習だよ』

 って、先生が励ましてくれた。

「休みながらだけど、最後まで参加できるようになってきたんだ」
理央りおくん、おめでとう!』

 皆、自分のことみたいに喜んでくれた。嬉しかった。皆の笑顔を思い出して、笑ってたら、瀧が

「よかったね」

 と言った。優しい目に、頬がぱっと熱くなる。昔も、こんなふうに俺の話聞いてくれたことを、思い出した。日差しが差す。

「ありがとう」

 俺の言葉に、瀧はぎゅっと手をかたく握った。

「手も、あったかくなってきたね」

 その言葉は、なんだか恥ずかしくて、俺は目をそらした。手を引こうとすると、強く引き返される。繋いでるのと反対の手が、俺の頬に触れた。

「頬も赤くなってきたし」

 指先で撫でられて、とっさに目を瞑ってしまう。肩まで力が入った。瀧の声は、嬉しそうだった。身を固くしてると、引き寄せられる。額に、唇が触れた。

「行こう」

 促されるままに、俺はまた歩き出す。項が熱くて、体がぎくしゃくする。瀧は、俺に触れてくることが、多くなった。そのたび、俺は落ち着かない。

「勉強は?」

 瀧は色々、俺に聞いてくれる。俺はひとつひとつ、返しながら、じっと瀧を見上げた。

「どうしたの?」

 瀧は首をかしげる。俺は

「ううん」

 と首を振って、話をそらした。
 ……瀧の話を、聞きたい。でも、聞いたら駄目だよな。

「くだらないこと、聞かないでください」

 って、言われたことを思いだして、胸が塞がった。
 でも、今こうして聞いてくれてるし、俺も踏み出したって、いいんじゃないか。そう思うけど……アスファルト、「止まれ」の文字が白く光ってる。
 瀧が優しいからって、調子に乗ったら、駄目だよな。さぁ、と風が吹く。俺は髪をおさえた。



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