あの日にまだ縋ってる4


佐保さほ。珍しいな」
「とぼけたこと言わないで!」

 先輩が鷹揚に返す。それに、佐保ちゃんは大きな目をつりあげて、いっそうきつい調子で言い返した。
 お兄ちゃんって。志島しじま先輩の弟って、佐保ちゃんだったのか。
 事態を飲み込みながらも、俺の頭はどこか上の空だった。瀧ばかり、気になって。

 たき、ほんとに久しぶりに会う……。

 久しぶりに見る瀧は、やっぱりすごく綺麗だった。胸が痛いくらいざわめく。見ていられなくて、顔を俯かせた。
 瀧は黙っている。瀧が、何か言うなんて、そうないけど。
 俺はただ、動揺してた。――平穏が一気に崩されて。

「お兄ちゃん、どういうこと!?何でこの人と関わってるの!?」

 佐保ちゃんの刺すような声に、思わず顔を上げる。佐保ちゃんは怒りと軽蔑に満ちた眼差しで、俺を睨んでいた。

「信じらんない……どういうつもりですか? 瀧くんの次は、僕の兄に取りつくなんて!」
「えっ……」
「どれだけ甘えるんですか!?アルファに次々取りついて……人として恥ずかしくないんですか!?」

 佐保ちゃんの言葉に、俺は戸惑った。
 とりつくって、どういうことだ?

「やめなさい」

 低い声が響いた。志島先輩だった。前に歩み出る。ちょうど、俺を背にかばうようで、俺は目を見開く。

「佐保、なんだその言いようは。恥を知りなさい」
「なっ……!」
くぬぎくんには、俺の方が会いに行ってるんだ。無礼を謝りなさい」

 そう言う先輩の声は断固として、すごく厳しかった。俺は、ぽかんと先輩を見上げた。こんな風に、庇われたのは初めてだった。
 佐保ちゃんは真っ青になって、後ろに退いた。

「瀧くん!」

 助けを求めるみたいに瀧を見上げた。佐保ちゃんは、俺を指さして、叫んだ。

「瀧くんからも言ってあげて! この人がどれだけ迷惑か……! 僕が好きでこんなこと言ってるんじゃないって言って!」

 俺は、咄嗟に身を強張らせた。先輩の背があって、瀧の表情は、俺からは見えない。
 瀧は答えなかった。俺は気持ちがしおれる。
 佐保ちゃんは戦う意思を取り戻したみたいに、頬を赤く染めた。

「お兄ちゃん! 僕だって普通の人にはそんなこと言わないよっ! でも、この人は良くない人なの! お兄ちゃんのために言ってるの!」
「佐保!」

 先輩の声が険しくなる。でも、佐保ちゃんは止まらなかった。

「この人、ずっと瀧くんにつきまとってたんだよ! 仮病まで使って、同情引いて……! それで振られたら、すぐにお兄ちゃんに乗り換えたのっ!」

 佐保ちゃんの言葉が、三年の廊下に響き渡った。しん、と辺りが静まり返った。

「許せないでしょ! 信用しちゃ駄目!」

 俺は頭が真っ白になった。裸にされたみたいに、恥ずかしくて、ただ俯くしか出来ない。
 違うって、言いたかった。
 けど、本当にそうなのかも。
 わからない――そう独白して俺は自嘲する。まだ、こんな甘えたこと、思うなんて。
 瀧は何も言わない。それが答えだろ。
 涙が滲んだ。まだ泣けるんだと思った。

「いい加減にしろ! 樟くんは――」
「そのとおりです」

 先輩に俺は言った。先輩が振り返る。先輩は、こんな俺を、全力で庇ってくれた。
 嬉しかった。それに応えられる自分じゃなくて、申し訳なかった。

「佐保ちゃんの言うとおりです。俺、ずっと、瀧につきまとってました」
「樟くん」
「ごめんなさい」

 頭を深く下げて、俺は先輩の背から抜け出した。手の中のケークサレが悲しい。返すべきだったと思ったけど、もう走り出していた。
 心がぺしゃんこだった。滲んだ涙が散る。
 強い目で俺を睨む佐保ちゃんの脇を抜けて、俺は階段に向かった。

 その時だった。
 瀧に、腕を掴まれたのは。

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