あの日にまだ縋ってる3


 家に帰ると、おばさんが俺に気づいたらしくて、玄関からタイミングよく飛び出してきた。

「理央ちゃん、ちょうどよかったわ」

 そう言って、小さな赤いお鍋を差し出してくれた。それはいつも俺に渡してくれるもので、中に具沢山のポトフが入っていて、ほわりとあたたかい。

「ちゃんと栄養とって休んでね」
「おばさん。いつもありがとうございます」
「水臭いんだから。いつでも頼ってね」

 にっこり笑って肩に手を置かれる。おばさんは、じっと俺の顔を見て、笑った。
 俺は泣きたい気持ちになった。
 皆優しいな。頑張って元気にならないといけない。俺はぎゅっと小鍋を握りしめた。
 おばさんは、笑顔で去ろうとして――少し迷ったような顔をして、振り返った。

「瀧も、心配してるわ」
「えっ」
「あっ、ごめんね。こんなこと言って。あの子、素直じゃないから……」

 俺の顔を見て、おばさんは慌てて言葉をついだ。俺は頭を振って笑った。

「瀧が優しいのは、知ってます」
「理央ちゃん」
「おばさんも。いつもありがとう」

 笑って、頭を下げる。おばさんも、眉を下げて、笑みを浮かべた。俺はおばさんを見送って、玄関に入った。
 おばさんの優しさが、泣きたいくらい切なかった。瀧が、心配してる。そんなことありえないのに。

 瀧とはあれから一度も顔を合わせていない。自分から会いに行かなかったら、こんなものなんだなって思った。勿論、瀧は家に来てくれたんだから、俺から行くのが礼儀なんだけど……でも、今行ったら、全部が元の黙阿弥だと思った。
 瀧との繋がりは、簡単に切れてしまった。
 これなら、忘れるのも予想より、うまくいくかも。皆と一緒に過ごして、皆を大切にして、眼の前のことに一生懸命頑張っていれば――。



 三年の校舎に行って、俺は先輩のクラスを訪れていた。特進科の上級生は、俺に対してさして嫌悪を見せず、「ああ」という様子で、先輩を呼んでくれた。先輩はすぐにやってきてくれた。

「樟くん、どうしたんだ?」
「志島先輩、こんにちは」

 颯爽とした様子の先輩に、俺は頭を下げる。

「この間は、ありがとうございました」

 そう言って紙袋を差し出した。中には、洗濯して綺麗にしたハンカチと、お菓子が入っている。先輩は、少し目を丸くしてそれを受け取った。にこっと笑みを浮かべる。

「ありがとう。樟くんは律儀だな」
「い、いえ。そんなことないです」

 人生で、あまり言われたことをない言葉を、まっすぐ言われて照れくさい。先輩のほうがずっと律儀だと思うけど、優しいな。先輩は「ちょっとまっていてくれ」と足早に席に戻った。学生鞄を肩に、戻ってくると「少しいいかな」と廊下を指した。俺は頷いて、廊下に出る。考えてみれば、扉のところで立ち話はよくないよな。
 廊下に出ると、先輩は小さく咳払いをした。俺の方を向き直る。

「俺も君に会いに行こうと思ってたんだ」
「へ?」

 先輩は鞄から、包を取り出して、俺に差し出した。

「これは……」

見てみると、それはお菓子だ。ケーキかな、と思ったけど、違う。多分ケークサレだ。彩りよく野菜が入っている。

「美味しそう。どうしたんですか?」
「昨日作ったんだ。その、菓子作りが趣味で」
「えっ! すごい」
「よかったら、友達とでも食べてほしい」

 先輩はいつもより落ち着かない感じで、早口だった。お菓子作りが趣味なんだ。本当になんでもできるんだな。
 お世辞抜きに美味しそうで、ふわりといい香りもする。お腹が空いてきた。ケークサレは食べたことないから、楽しみだな。

「ありがとうございます。さっそくいただきます」
「よかった。味は保証するよ」

 先輩は、うなじに手をやりながら、笑った。顔がふわっと赤くなってる。先輩相手に変だけど、いつもよりあどけなく見えて、俺も笑った。
 嬉しいな。こんな風に親切にしてもらえて。手の中の包を大切に抱えたときだった。

「お兄ちゃん!」

 聞き覚えのある声が、向こうから飛んできた。
 俺は咄嗟に身を固くした。振り返ると、予想通り、佐保さほちゃんが立ってて、こっちを睨んでた。
 ――隣に、瀧を連れて。

《完》
 
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