初恋の人を描き続けてる恋人が記憶喪失になった
検査を受けて、異常なしとわかる。
攻めの記憶は戻っていた。
受けは、それに安堵しながら、ずっと茫然としていた。
攻めの言葉の意味が、わからなかった。
攻めは、苦しかったのだろうか。自分が苦しめていたのだろうか。少なくとも、今苦しめたのはわかる。
会いに行っても、ずっとそっぽを向かれていた。受けは、「ごめん」と言う。
「勝手なことをしてごめん。自分が、ずるいことをしてるのが辛かったんだ」
攻めは、窓の外を見ながら、俯いた。
「攻めがずっとあの人を思ってるの、知ってたから。それを奪ってる気がして辛かった」
ごめん、もう一度繰り返して、受けは黙り込む。攻めは、沈黙していた。けど、無視ではなく、言葉を待っているような気配だった。
「ぼくにとって、あの人は特別」
言葉を手繰り寄せるみたいな、話し方だった。
「忘れたくない。絵を描き出したのも、それがきっかけだから」
「……うん」
「でも、一緒にいたいかは別」
攻めは受けを見た。迷子が辺りを見て、自分の位置を確かめるみたいな目だった。
「あの人と一緒にいる未来はなかった」
「攻め」
「けど、忘れられなくて。忘れたくなくて、ずっと描いてた」
攻めは、クロッキー帳を手に取る。適当なところで開いて、それから窓を見た。風がふく。ぱらぱらと、ページが流れた。攻めは、受けを見る。
「君は、ぼくを責めなかった。そんなぼくのことずっと描いていたよね」
問いかけにも、確認にも聞こえた。受けは、声には出さず、頷いた。
「嬉しかった」
攻めの目が、切なく細められた。受けは、何も言えないでいた。そんな風に思ってくれていたなんて、知らなかった。
攻めが、受けに一歩、歩み寄る。受けは、下がるべきなのか、迷った。けど、結局、立ち止まっていた。
ゆっくり、ゆっくり、距離を詰めて。
攻めは受けの手をとった。
「本当は、記憶は少しずつ戻ってたんだ」
受けは目を見開く。
「彼がいなくても、過ごせた自分に戸惑って、辛くもなった」
「攻め」
「けど、君がいつもぼくを連れ出してくれた」
飛び立つ鳥を見て、目を輝かせた攻めが浮かんだ。
「君は何も変わらずに、ずっと同じ顔で、ぼくのところにいた」
握る手に、そっと力が込められた。攻めの目から、涙が溢れた。
「ぼくのかわりにずっと、抱えてくれてたんだね」
「そんな」
受けは首を振った。そんなたいそうな事を、自分はしていない。ただ怯えていただけ。
けど、攻めもまた首を振った。
「わかるよ。ぼくだって、君を見てるから」
「攻め」
「ぼくこそ、知らないふりをしようとしてごめん。ずっと君にだけ、抱えさせるところだった」
攻めが、そっと受けを抱き寄せた。
初めての抱擁に、受けは身を固くする。そんな受けに笑って、肩口に顔を預けた。
「好きだよ」
「……うん」
「ぼくと一緒に生きてくれる?」
受けは頷いた。涙が止まらなくて、攻めの服を濡らした。
◇
受けは、攻めのクロッキー帳を、大切に胸に抱えた。攻めが「君に全部まかせる」って言ったので、受けは持っておくことに決めた。
一緒に生きていく。
窓の外を眺めて、手持ち無沙汰にしている攻めに、受けはそっと鉛筆を向けた。
《完》
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