あの日にまだ縋ってる30
先輩は、すぐに俺の元へ戻ってきて、ひざまずいた。先輩の腕には、注射のあとを示す四角の絆創膏が貼られてた。
「せんぱい」
ごめんなさい。俺の言葉を押しとどめた。
「心配しなくていい。俺は抑制剤のたぐいは慣れっこだ」
試合前は必ず打つ。
そう言って笑った。その笑顔が、あんまりてらいがなくて。思わず目が和らぐ。その拍子に、涙が横に流れた。先輩は、じっと俺を見ていた。
「触れても、いいだろうか。君に」
ゆっくり、静かに、先輩は問いかけた。俺のことを、ひどく尊重してくれてるのが、わかる抑えた声音だった。俺は、笑った。顎を上下させた。先輩は、息をこぼして、俺の涙を拭った。そっと。
「先輩」
「大丈夫だ」
俺は息をついて、頷いた。点滴が、体の中にしみわたってくる。そんな気がした。俺は、そっと手をベッドの脇にのばした。先輩は、俺の手を取る。両手で包むように、握ってくれた。
「いい子だ」
やさしい言葉。こわばっていた心と体が、点滴の中にとけてく。波紋が広がるみたいに、静かに眠気がやってきた。きれいな水面が、ゆったり俺の意識をなでてく。
「せんぱい」
俺はいつの間にか、眠りに落ちてた――。