あの日にまだ縋ってる29


「落ち着いたか」

 先輩が、そっと、俺に尋ねた。

「は、はい……」

 俺は頷く。俺は小さくなってた。顔を押さえると、目元が熱っぽくてぼーっとする。いっぱい泣いたせいだ。すっごくだだをこねてしまった。助けてもらっておいて、どうなんだろう。落ち着いたら、恥ずかしくって、汗が出てきた。

「す、すみま――」

 最後まで言葉にならなかった。先輩が、俺の唇に、そっと指を当てた。

「まだ吐き出し足りないか?」

 そう言って、笑った。先輩の笑顔は、どこまでも優しかった。胸がぎゅって、あたたかくなる。

「ありがとうございます」

 自然と、笑みがこぼれた。先輩は頷く。

「今日みたいに、自分をいじめたくなったら」

先輩は俺を見つめた。まっすぐな、穏やかな瞳。

「いつでも呼んでくれ。何度でも君を叩き直そう」
「……ふふ」

俺は思わず笑った。いつもの先輩だった。

「やさしいですね」
「そうか? この上なく厳しいつもりだが」
「あはは」

おおらかな言葉が、くすぐったい。先輩も笑ってた。けど、「あ」と思い出したみたいに声を上げる。

「先輩?」
「もちろん、それ以外の時も歓迎しているぞ」

君からの呼び出しは。
項に手をやって、ちょっとあわてたみたいに言った。落ち着かない感じに、天井を見てる。まっすぐな仕草。俺の心も、自然に、まっすぐになる。

「行こう」

先輩の言葉に、俺は頷く。促されて、歩き出した。そっと俺の背に手を添えて、支えてくれた。

「無理をさせたな。体は大丈夫か」
「はい」
「今すぐ病院に――」

先輩のあたたかい声と一緒に、俺は外に出た。
夏の日差しが、俺を照らしてる。まばゆさに、目を細めて。
俺はまた、歩き出した。


《完》

4/4ページ
スキ