あの日にまだ縋ってる26
「こんにちは」
礼をして、教室内に入る。早くに来てる子たちが、
「
って、返してくれた。いつもの明るい笑顔に、ホッとする。準備運動をして、気持ちを整える。明るい道場の中をじっと見渡す。
「理央くん、こんにちはー!」
みくちゃんとかなちゃんが、にこにこ声をかけてくれる。俺はそれに応えて笑う。
大丈夫、俺はここにいる。いていいんだ。息を吸って、ゆっくり吐き出す。お腹に、一生懸命、力を込めた。
礼をして、稽古が始まった。
休憩をとり、俺は息をついた。溢れた汗を拭い、息をつく。夢中で稽古してたら、だいぶ気持ちが整ってきた。そんな自分自身に、ホッとする。
皆の気合いや、竹刀の音を聞いてると、安心する。大丈夫、俺はここにいる。いていいんだ。
俺はもう一度繰り返した。稽古に戻ろうと、立ち上がった時だった。
「こんにちはーっ」
高く、澄んだ声が響いた。
私服姿の佐保ちゃんが、クーラーボックスを持って、入り口に立ってる。俺は、息も忘れて固まった。皆がそっちを見てる。「佐保ちゃん?」と皆が囁いてる。先生が、皆を制して、歩いていった。
「佐保くんじゃないか。久しぶりだね」
「お久しぶりですっ。えへへ、最近兄がお世話になってるって聞いて、来ちゃいました」
にこっとはにかんで、髪を耳にかけた。外の光を受けて、きらきら輝いてる。
「これ、差し入れですっ。――皆、アイスだよー!」
道場のなかに声をかけた。歓声があがる。
「ありがとうございます!」
皆並んで、ぴしっと礼をした。
休憩になって、佐保ちゃんはにこやかに皆にアイスを配ってる。
「佐保ちゃん、ありがとう」
「いいえっ。お兄ちゃんのこと、よろしくね!」
「佐保ちゃん、久しぶりで嬉しい」
「えっ、可愛い〜」
皆が、わいわいと佐保ちゃんと話してる。皆、佐保ちゃんのこと、知ってるんだ。先輩の弟さんなんだから、当たり前なのに。なんだか身の置き場がなかった。
佐保ちゃんと目が合う。佐保ちゃんは俺を見て、ふっと笑った。
「理央くん、もらわないの?」
かなちゃんが俺に聞く。俺は、一歩がでなかった。胸のあたりがぐらぐらして、息がうまくできない。
佐保ちゃんは、先生に向き直る。
「来月、合宿ですよね?」
「ああ、よく知っているね」
「兄が参加するって聞いたのでっ。僕、お手伝いに行きますね!」
俺は息を呑む。
「いいのかい? 高校生で忙しいだろうに」
「いえいえっ。これも経験ですし」
談笑しながら、佐保ちゃんが俺を見た。笑顔の中の一瞬の鋭い目に、胸がすくむ。指先が冷たい。
「佐保ちゃん来るの!?」
「楽しみー」
皆も、嬉しそうにしてる。佐保ちゃんは天使みたいな笑顔で、皆に応えてた。
「じゃ、僕、見学していきますね。懐かしいなあ」
稽古が再開して、佐保ちゃんは入り口の近くに座った。俺は何度も、落ち着かなきゃって、繰り返してた。体が冷たい。息を吸って、吐き出した。視界が上手くきかない。通りがかりに、かなちゃんとぶつかってしまう。
「わっ」
「ご、ごめんなさい!」
「かなちゃん、大丈夫!?」
俺が言うより早く、佐保ちゃんが駆けてきた。ぱっとかなちゃんを庇って、怪我がないか見ている。
「平気、平気」
「かわいそうに。痛かったね」
俺は咄嗟に言葉が出なかった。皆が「なに?」と俺たちを見てた。
「あっ、ごめんね。邪魔して……つい心配でっ」
佐保ちゃんは笑って皆に謝って、隅に戻ってく。情けなくて、かなちゃんに謝るので精一杯だった。
足がふらつく。落ち着こうとするのに、上手く動けなかった。迷惑かけちゃう。ちゃんとしないと……。
「っ!」
のどに息が戻って、俺はへたり込んだ。
駄目だ。こんなところで、迷惑になる。必死に我慢するけど、いっそう酷くなった。先生が来てくれて、背をさすってくれた。
すみません、と謝ろうとする俺を留めて、
「大丈夫」
と言った。俺は申し訳なくて、せめて隅に寄った。紙袋をあてがって、息を整えていると、すっと気配が近寄ってきた。
「呆れた。予想以上ですよ」
佐保ちゃんだった。皆を笑顔で見ながら、静かに囁く。
「まさかこんなに迷惑かけてるとは思わなかったです。その体たらくで、よく自分の居場所なんて言えましたね」
根っからの寄生虫根性で、驚かされます。
いっそう発作が酷くなる。うるさくしちゃ駄目。迷惑かけちゃう。わかってるのに、止められなかった。
「あなたなんて、月謝払ってるから嫌々親切にしてもらってるだけですよ。今日のでわかったでしょう? 本当の親身さがどういうものか」
佐保ちゃんは笑って、俺を見下ろしてた。氷みたいなそれに射抜かれたみたいに、俺は動けなかった。
「これ以上嫌われる前に、やめたほうがいいですよ。あなたの居場所なんて、最初からないんですから」