あの日にまだ縋ってる25
俺は息を呑んだ。
どうして佐保ちゃんが、ここに……。
佐保ちゃんは一人、夕日を背負って立っていた。お人形さんみたいに可愛い顔に、表情はない。
「お兄ちゃんが、」
佐保ちゃんは切り出した。声は淡々として、温度がない。その気配に圧されて、俺の胸は詰まった。
「ずっとこんなとこに通ってるから変だと思ったんです」
大会も近いのに。
そう言って、薄く目を伏せる。沢山のまつげが、大きな瞳を隠した。
「そしたら……」
佐保ちゃんは、は、と微かに笑った。でも、全然楽しそうじゃない。ゆらりと横に視線を流す。揺れる火みたいだった。
「どういうつもりですか?」
大きな目が、俺を見上げた。逆光の中にゆらゆら、目の奥が静かに燃えてた。ぎゅっと喉が、締まった。
「兄のテリトリーにまで、ずかずか入り込んで……」
二重だ。高く甘い声なのに、ひどく低く聞こえる。佐保ちゃんが、ひどく怒ってるのが伝わってきた。
「また同情引いて……今度は手首でも切りました?」
鋭い眼差しが、俺を刺す。胸のあたりが冷たくなって、一気に震えてきた。汗が冷たい。
「ち、ちが……」
否定しながら、咄嗟に後ずさってた。佐保ちゃんはそれに、「はあ?」と不愉快そうに目を眇めた。
「何ですか、その態度」
首を傾げて、大きな目が俺を睨んでた。はっと、笑う。
「もしかして自分が被害者気取りですか?」
佐保ちゃんは腰に手を当てて、首を傾げた。
「さすが、オメガってことを利用する人は違いますね」
俺は、何も言えなかった。ただ、佐保ちゃんの形のいい唇が動くのを、見てるしか出来ない。烏の声が降ってくる。
「兄は今、すっごく大事な時期なんです。あなたみたいな人に構ってる暇はないの」
佐保ちゃんの言葉は、一音一音、俺に向かってきた。
「自分に何もないからって、アルファにとりつくのやめてください」
圧される。見開いた強い目に、張られた声に、何も言えなくて、思わず項垂れてしまう。
「オメガとして恥なんで。自分自身で勝負してください。出来ないなら消えてください」
佐保ちゃんの言葉がのしかかる。呼吸が浅くなって、思わず服の胸元を握った。指先がふるえてる。俺は、すぅと、息を吸う。
「……お、俺……」
落ち着け。胸のうちから言葉を押し出した。
「そんなつもりじゃ……」
「なら、消えてくれますよね。兄の前から」
すぐに、佐保ちゃんの言葉が被さる。
意味を追って、思考が止まった。は、と唇が開く。蝉の声が、また聞こえ出す。
「……それは、」
「剣道教室もやめてください」
「そ、そんな……」
「できますよね?」
顔を上げて、ぶつかった佐保ちゃんの目は、おそろしく強かった。壁みたいに、目の向こうが見えない。それだけ、先輩を思ってるんだ。保健室での影に重なって、がたがた震えだす。
でも。
俺は拳をぎゅっと握りしめた。息を思い切り吸う。
「や、やめたくないです」