あの日にまだ縋ってる20
「理央ちゃん、剣道をやりたいって言ったらしいのよ」
ある日の夕食の席で、母さんが言った。母さんは、ビーフシチューをスプーンですくうと、小さく一口含んだ。俺は手を止めて、母さんの次の言葉を待っていた。
剣道? 理央が?
「それで?」
「うん。それで
グラスを傾けながら、母さんは目線を上に上げた。俺は固まる。
「意外よねぇ、剣道なんて」
……は?
俺は胡乱に母さんと、その思考の先にいるだろう理央の母さんの影を見ていた。母さんはそんな俺に気づかず、パンを千切ってる。
「……おばさん、なんで断ったの?」
いつまで待っても言わないから聞いた。母さんは「それは」と当然のように応えた。
「文ちゃん、心配なのよ。ほら、今からしてもついてけないでしょうし。剣道部って、たぶんハードでしょう?」
理央ちゃんは、体も弱いし、何より危ないし。
つらつら、母さんは駄目な理由をあげてく。
「オメガらしい楽しみのほうがいいんじゃないかしらって――」
「させてやったらいいだろ」
聞いてられず、言葉を遮ってた。思ったより強い声が出た。母さんはきょとんとする。俺は目を伏せて、続ける。
「お金の問題とかじゃないなら、させてあげれば。せっかく理央がやりたいっていったのに」
そんな、頭ごなしに言うことはないだろうに。なんで、大人はこんなに頭が固いんだ。仕事仕事で、理央をずっと一人にしてるんだから、たまの頼みくらい、聞いてあげればいいのに。
スプーンを握りしめる。皿にぶつかって、かたりと音を立てた。だいたい、オメガらしい趣味ってなんだよ。
……理央はもともと、雛人形だと、右大臣が好きだった。
「俺、かっこいい?」
こどもの日に、かぶとをかぶせてあげたら、嬉しそうにしてた。無邪気に笑ってて、可愛かった。
それは、俺だって、理央に剣道が似合ってるかと言うと、よくわからないけど。こんな風に他人に言われると、苛々する。
「やらせてあげなよ」
母さんがはっと息を呑んだ。俺は目をそらした。ちょっと言い過ぎたことに、胸が悪くなってきた。黙ってシチューの肉を崩しだす。
「……そうね」
目を上げると、母さんは笑っていた。頬がつやつやと赤くなっている。
「そうよね! 理央ちゃんの気持ちが大事だわ」
手を合わせて、はしゃいだ声を上げる。
「そうね、楽しいことがあれば、体も元気になるかもしれないものね!」
明るい、あまりに前向きな言葉に、眉を寄せた。賛同されてるのに、頭がむずむずする。
「ふふ、そうね。ありがとう、瀧」
母さんはグラスを傾けて、それから首を傾けた。頬に手を添える。
「文ちゃんに伝えておくわ」
「……べつに」
思ったこと言っただけだし。あんまり感謝されても、やな感じだ。母さんはうっとり、目を閉じ、「はあ」と高くため息をついた。
「若いっていいわねぇ。パパに会いたくなっちゃった」
母さんは、高い声をころころ転がした。……その水はお酒だったのかと、皮肉っぽい気持ちになる。
ものすごく居心地が悪くて、胸がざらざらする。俺はぎこちなく、スプーンを動かした。でも、間違ったことは言ってない。そう、自分を納得させながら。