あの日にまだ縋ってる20


 朝が来た。学校へ行く支度をしてる間に、テーブルに置いたスマホが点滅してた。四文字の言葉を、じっと見おろす。そっと返事を打って、俺は玄関に向かった。
 ドアを開けたら、白いシャツが見えた。

「おはよう」

 メッセージと同じ言葉。たきが、じっと俺を見てた。

「お、おはよう」

 俺は頷く。瀧の唇が、やわらかくほころんだ。俺はそれに、落ち着かない気持ちで、鍵を締めた。
 明日が、来た。昨日と同じで……。
 浮かんだ言葉に、胸がどきどきと高鳴り出す。すう、とゆっくり息を吸った。日の光がさあと強くなる。

「行こう」

 瀧が、手を差し出した。俺は、その手をじっと見つめた。自分の手を、握り合わせる。瀧が、首を傾げた。

「どうしたの?」

 一歩、歩み寄られる。

「具合悪い?」

 そっと、瀧が近づいて、俺の目元を指の背で撫でた。目元がさっと熱くなった。思わず目を閉じる。俺は、お腹に力を込めた。ちゃんと言わなきゃ。

「瀧」

 ぎゅっとカバンの紐を握る。

「あ、あの。ありがとう」

 瀧が目を瞬かせた。俺は続ける。

「剣道のこと、母さんに口添えしてくれて……」

 母さんの笑顔がよみがえった。

「嬉しかった」

 教室での楽しかったことも、いろんなものが、俺を後押しした。瀧は黙ってる。やわらかい風が、瀧の髪を揺らしてた。

「本当に、ありがとう」

 沈黙が広がる。俺は、そっと目を上げて、瀧をうかがった。

「!」

 目を見開いた。瀧の綺麗な顔が、近くにきてた。頭の後ろに、瀧の手のひらを感じて。
 ――瀧の唇が、俺の目元に触れた。
 あたりの音が、全部消えた。

「どういたしまして」

 俺は目を見開いたまま、それを聞いた。なにもかも、固まってしまって、動かない。ついで、自分の胸の音が耳に響き出す。いま、キスされた? 本当に?
 瀧がかすかに身を引いた。瀧の顔が、全部見える。瀧はほほ笑んでた。昔と変わらない、優しい顔。でも、

「真っ赤……?」

 瀧の顔は真っ赤だった。なんで……こんなの、見たことない。瀧はくすぐったそうな顔をした。

理央りおこそ」

 ぎゅっと抱きしめられる。首筋に、瀧のやわらかい髪がふれる。香りがふわ、と香った。

「好きだよ」

 俺は息を呑んだ。
 ――好き? 瀧が……?
 目を閉じる。そ、そんなの嘘だ。わかってるのに、瀧の熱と鼓動が、体に届く。こんなの、嘘じゃないみたいだ。無性に泣きたくなる。

「瀧……」

 瀧の背に、俺は手を添えた。
 離してなのか、離さないでなのか、自分でもわからない。瀧の腕が、いっそう強くなった。背が反るくらいの強さに、俺は息を詰めた。

「理央」

 体を離され、頬に手を添えられた。じっと、瀧の瞳が俺を映してた。湖面みたいな目が、夏の光を受けて、熱を帯びてる。頭の奥が、くらくらする。
 俺は、顔を伏せた。手にそっと遮られて、目を伏せた。瀧に、顔を近くで見られたくなかった。だって、もう俺は。
 瀧は黙ってた。痛くない沈黙だった。
 そっと顔を寄せ、額と額を合わせてきた。涙ににじんだ目元を、優しく拭われる。

「行こう」

 そう言って、俺の手を引いた。そして、ゆっくりと歩き出す。

「うん」

 俺は頷いた。何も言うことができない。
 ――強くなりたい。
 光を受ける通学路を行きながら、思った。隣の瀧をうかがう。やわらかな目と合って、慌ててそらす。瀧の手の力が、強くなった。
 瀧。どうして、優しくしてくれるんだ?
 どうして……。
 聞きたい――聞けるように。俺は変わりたいって、思った。


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