君に決めると決めたから

 高く澄んだ声が辺りに響く――それより速く、景に突進していた。

れい
「また、あなたは浮気をして……私というものがありながら!」

 黎と呼ばれた少年は、景の胸に抱きつき、頭をぐりぐり押し付けていた。明確で無邪気な非難の仕草に、景は苦笑する。

「浮気じゃないって。ちょっと話しただけ」
「嘘おっしゃい! お茶に誘ってました」
「それは、お近づきのしるしに」
「なんで近づく必要があるんですか?」
「もう、それは〜」

 二人のやりとりは、明らかに恋人のそれである。景は困り顔で、黎の頭を撫でてあげていた。

「お茶の相手なら、私がいるでしょう! なぜです?」

 そう言って、黎は、顔を上げた。その顔を見て、辺りから空気が消えたかのような、畏怖に似た沈黙が起こった。

 黎は、恐ろしく美しかった。水晶が人の形を持ったらこのようになるかというような透明感に、生気が宿っている。赤の瞳は、どんな紅玉も霞むがごとくの美しさだった。
 至上の美に、あたりは呼吸も忘れ、黎に見入った。
 ただ一人、景は気にしたふうもなく、「うーん」と頭をかいた。

「それは、まあその日の気持ちとかあるし……」
「やっぱり浮気するつもりだったんだ! 景様のばか……!」

 ぽかぽか黎が景をなぐった。景は、観念したように笑いながら、「ごめんって」と繰り返した。

「出来心だ。私だって寂しいときくらいある」
「伽の相手が欲しいなら、いつでも侍ると申していますのに」
「だめだよ、お前は子供なのだし」
「うう……」

 甘いやりとりに、ひたすら、焔と若君は固まっていた。

「景様はあれくらいでないと、対象外ということか」

 ぽそりと誰かが呟いた。
 焔の顔は薄赤く染まっていた。屈辱に燃える目が、わなわなと震えていた。

「ああ、早くおとなになりたい。そうしたら、景様を閉じ込めて離しませんものを」
「もっと優しくしておくれよ」
「やです。ずっと泣いてるんですよ」
「――うわあああ……!」

 焔が放った幻炎を、黎は見ることもなく、撃ち落とした。かわいい顔で、景に甘えながら。

「さ、お説教ですよ。景様」
「はーい」

 二人は肩を抱きあいながら、歩いていってしまった。
 残された焔は、身を震わせていた。それを見上げる若君の顔もまた、不満に満ちていた。

 *

「景様。景様は私のものです」
「うん。知っておる」
「わかってません! 私だけ見てください」
「そなただけじゃぞ。私は五十年、誰とも抱き合っておらぬもの」
「それは私が邪魔するからでしょう」

 黎が拗ねたように唇を尖らせるのを、景は笑った。

「そなたが可愛いからに決まっている」
「……景様」

 額に口づけられ、黎の顔に朱が走る。それを景は上機嫌に見つめた。
 世界で一番美しいものを見る目だった。

 《完》

2/2ページ
スキ