「笑顔が嘘くさい」と言ってきた転校生が恋人の親友になった
「卑しい奴、お父様に媚びやがって。この性悪が」
おろしたての礼服が、和希ごと水びたしになる。父があつらえてくれたものだった。
和希の母は、皆見家に使用人として勤めに出たところ、父に見初められ、和希を身ごもったことで後妻に迎えられた。
父は、使用人に手をつけたこと、また、息子たちへの遠慮から、結婚するまで息子たちに交際を秘匿していた。息子たちや周囲は、和希と和希の母を憎んだ。
和希の母は田舎から出てきて、先妻が亡くなってから雇われたのだ。しかし、「父に取り入り、たらし込んだのだ」と、親族はじめとする口さがないものたちは言った。和希の母を「人面獣心の卑しい愛人」と事あるごとに罵った。
腹違いの兄たちは、彼らの言葉を信じ、和希にきびしい制裁を与えるようになった。
味方は一人としていなかった。
和希は母を守るため、父の庇護を得ようと必死に努力した。
兄や周囲は、そんな和希をこぞって「性悪」だと罵った。とんだ二面性を持った、卑しい子供だと――。
父は和希をかわいがったが、兄たちのことを深く愛していた。和希へのいじめなど、疑いもしなかった。どこかで、兄たちに申しわけないと思っていたのかもしれない。
和希は、「お前だけが頼り」と泣く母を守って、ひとり、兄や親族の執拗な嫌がらせに耐え続けた。父の好ましい息子であるように笑顔を絶やさず、父の言うことを聞き兄を支え、困る人があれば、すすんで助けた。
口さがないものたちは絶えなかったが、支持してくれる他人も得はじめたころ――和希は自分の心が、浮かべる笑顔と、まったく乖離してしまっていることに気づいた。
和希の振る舞いを見る人たちは、和希を「心優しい」「立派だ」とほめてくれた。けれど、和希は自分自身が、皆の言うような人間ではないと、感じていた。
和希の心には、怒りやかなしみ――いろんな気持ちがあった。けれども、それらをすべて笑顔の奥に押し込めていたからだ。
遠野をはじめ和希の二面性に気づいた人間は、和希を「性悪」と笑った。「それこそがお前の本性だ」と。
違う、これは仕方ないことなのだと――自己弁護しても、やがて否定できなくなり、自分は悪人なのだと、和希は自分の人格に自信が持てなくなっていった。そうして、自分を嫌うようになっていった。
自分自身を嫌うようになって、和希はいっそう孤独になった。
苦しくて、自分がどこにいるかさえ、わからなくなる。しかしどうすることもできないとき、出会ったのが幸人だった。
幸人の笑みを浮かべた目の奥は、驚くほど温かくて、和希は幸人のことをすぐに好きになった。自分の心がふわりと開いた気がした。
幸人といると、不思議なことに和希の心と笑顔が、ぴったりと重なるのだ。
自然と気持ちが明るくなって、心が笑顔に開けるのだ。自分がここにいるんだと、確かに感じた。幸人といる自分のことだけは、和希は好きになることができた。
幸人とずっとそばにいたい。それは切実な願いだった。
幸人に告白されたとき、信じられなかった。自分のどこを、幸人が好きになってくれたか、ちっともわからない。幸人は和希を可愛いと言って、宝物のように扱ってくれた。
眠る幸人の胸に身を寄せる。あたたかい心臓の音を聞いていると、泣きたいくらい幸福だった。願わくば、今死んでしまいたい。そう思うことも、一度や二度じゃなかった。
「幸人……」
幸人の腕が、ぎゅっと和希を抱きしめる。眠っているのに、自分を閉じ込めてくれる腕は、悲しいくらいあたたかだった。
10/22ページ