本編
教室の床に、横ざまに倒れこんで、悠弥は愕然としていた。殴られた衝撃で、頭が空っぽだ。その中で、オージの言葉が、ガンガンと反響していた。
『お前とかかわったすべて、後悔しかない』
何を言われたか、わからない。ただ、わかるのは、オージに裏切られたことだけだ。
「う、うあ……――ッ!」
心のままに、泣こうとして、打たれた顔が引きつった。痛みに体をけいれんさせて、悠弥は「うーっ」とうめいた。ぽろぽろと目から大粒の涙がこぼれる。泣くことさえ、自分に痛みを思いださせる。自分の体にさえ、裏切られている気がした。悠弥は打ちひしがれた。
ひどい。ひどい。ひどい。まさか、こんな目にあうなんて。もはやすべてが信じられなかった。
ずっとオージの面倒を見てきてやったのに、縁を切る時は一瞬なのだ。だから、オージなんて勝手な甘ったれ、信用できないのだ。勝手に執着して――捨てるなんて。人間の屑以下といっても過言ではなかった。くそったれ、くそったれ、くそったれ。
それなのに、信じて、頼ってあげて――馬鹿みたいだ。自分は何度、こんなことを繰り返してしまうんだろう。
オージごときに、心をかけるんじゃなかった。あんなボッチのゴミに……それでも、オージが好きだから。だから、自分は今こんなに、体が八つ裂きになるより苦しい痛みにもだえている。
それでも、自分は、人を好きだから。きっとまた繰り返すんだ。床に仰向けになって、胸を上下させ泣いた。
「ひっ、ひっ……」
苦し気な息が漏れて――まさに自分だと思った。
人の好さで身を滅ぼすなんてふざけた世の中。世の中の方が滅べばいいのに。
「リュードォオ……」
切ない声音で、悠弥は龍堂を呼んだ。
もう、自分には龍堂しかいない。そんなこと、とっくの昔にわかりきっていたけれど、オージへの友情で、踏み切れなかった。
でも、オージとの縁は切れた。切られた――なら、もう、我慢しない。
うる、と盛り上がった涙をそのままに、悠弥は走り出した。顔が痛いだけで、走りにくい。それでも。
「リュードオオオオオ……!」
愛しい人に向かって、この足は止められない。
裏切られた、なんて、うそだ。辛すぎてそんな風に怒ってしまったけれど、本当はわかっている。龍堂は裏切ってない。あいつがだましてるんだって。
――だから、たすけてあげなきゃ。つらくても……。
悠弥は、ぎゅっと胸の痛みをこらえた。自分の愛情深さに、震えが走る。そこで、ぴしりと天啓が走る。
――ううん、もしかすると、龍堂は。
悠弥の気持ちを確かめようとしているのかもしれない。自分が、オージのことばっかり、構わなきゃいけなかったから。
それは憶測だったが、確信に近かった。だって、龍堂は優しくて、さみしがり屋だ。自分と同じでだから――悠弥は口角を上げる。
ばか、ばかばか、リュードー、おれはおまえだけなのに。
悠弥は地面を蹴る。はあはあと上がる息さえ、楽しくなってきた。
でも、おれもばかだ。リュードーに怒っちゃった。悠弥は胸が痛くなる。
龍堂は、自分と同じで優しいから、勘違いしてべたついてくるボッチのことを、振り切れなかったに違いない。それでも龍堂は、あいつを口実に、自分に会いに来てくれていたのに。
なのに、自分は疑って。不安だと、愛情を試したくなる気持ちは、すごくわかるのに。龍堂も自分も、独りぼっちだから。
ううん、違う――もしかしたら、龍堂は、ずっと悠弥を守ってくれていたのかもしれない。
だって、あいつはずっと、悠弥に嫌がらせをしてきたストーカーだ。あいつをこっぴどく拒絶したら、悠弥はどんな目にあっていたかわからない。だから、あんな奴と友達のふりをして悠弥を守っていてくれたのかも――。
そういえば、さっき自分を拒絶した龍堂の目に、悲しみが込められていなかったか。気づいて、って言っていなかったか。あいつは図々しく、勝ち誇っていたけど。自分にはわかる。本当に、龍堂が好きだから。
「リュードー、ごめんッ……!」
ずっと、友達だったのに。龍堂は、素直じゃないけど、自分を大切にしてくれたのに。
いつの間にか、自分たちは、すれ違ってしまっていた。自分たちに張り付く、ストーカーのせいで。
ごめん、ごめん、龍堂。
今こそ、龍堂を信じないで誰が信じてやるんだ。龍堂には、自分しかいないんだから。自分がそうなように。自分たちは唯一無二なのだ。
リュードー、あのね。ぼく、すごい辛いことがあったの。ずっとだいすきだった友達に、うらぎられたんだよ……?べつに、ひとに、うらぎられるの、はじめてじゃないけど。こいつだけは、うらぎらないって信じてたんだあ……ひどいよね?
龍堂の優しい、ハスキーな低音が、頭の中で甘くこだまする。
――辛かったな、一ノ瀬――
「はあ、はあ……リュードーッ!」
はやく、抱きしめて、ぼくのこと慰めて。たっくさん、甘やかしてね。ね?
ぼくも、リュードーのこと、つらかったねって、抱きしめてあげるから……ッ!
悠弥は恍惚に笑いながら、走っていた。体育館は、もはや目前に迫っていた。