本編


 応答せず。
 ため息をついて、應治は呼び出しを切った。海外旅行からそろそろ帰ってきて、きっと宿題に追われているだろうと思ったのに。
 ホームボタンを押すと、ちょうどスマホが震えた。マリヤからだった。

『今、時間ある?』

 この聞き方は、また相談事か。應治は眉をひそめた。
「あの一件」から、マリヤはずいぶん大きく出るようになった。宿題を口実に会うまでは構わないが、ささいな愚痴も聞かされるようになって、うんざりしている。
「誰も気を許せない」だの、馬鹿らしい。人畜無害と思っていたが、共犯者に選んだのは早計だったろうか。
 そこまで考えて、笑った。そうとう弱っているらしい。マリヤのような、同性の友達さえいない女が、自分を脅かせるわけはないのに。だから、この女の無礼を今も許しているのではないか。
 なにより、こんな女でさえ、今の應治には、必要だった。待ち人きたらずのスマホを、かたく握りしめた。

 この夏の初め、悠弥は有頂天だった。

『リュードーも夏期講習くるとおもったのにっ』

 そう言いながら唇を尖らせる悠弥には、ここ数か月無かった余裕がみえていた。
 支倉たちとは、依然微妙な距離感であったが、それでも悠弥は満足げだった。
 中条という存在は、よほど悠弥にとって邪魔だったらしい。奴の脅威と言うものを、應治も思い知ったのだが――その当の中条も、夏期講習には来ていなかった。
 應治の通う高校は進学校に位置しており、教育の管理も厳しい。暗黙の了解で参加は義務だ。だから、まず皆、参加していた。龍堂のような風来坊ならまだしも、中条のような埋没した生徒は、まず受けないのがおかしい。
 つまり、中条は来られなかったのだ。その事実に、應治はまず胸をなでおろした。ここで夏期講習にきたなら、また手を打たなければならないところだった。中条の心は、折れたと考えていいだろう。
 このまま、新学期にも来ないでいてくれたらいい。そう思った。
 その時、ご機嫌に、スマホを操作する悠弥を見たのは、應治の中に安堵と悠弥への優しい気持ちが浮かんだのもあった。けれども、見るべきではなかった。すぐに後悔した。悠弥のスマホの画面。LINEのトークルームは、「龍堂太一」の名前があった。
 鼻歌を歌いながら、ぽんぽんとリズムよくメッセージを送り続ける悠弥に、焦げ付くような嫉妬と怒りを覚えた。

 それから、應治も腹が立ったので、悠弥を突き放し、マリヤと行動を共にした。とはいえ、突き放しきることもできない、いつものスタンスで――悠弥の方も、いつもどおり、應治をぞんざいに扱った。そして、また、應治が折れて、悠弥が許さない。そして、また悠弥は「龍堂、龍堂」で――その繰り返しだった。
 マリヤはマリヤで、自分が應治の重要な位置を占めていると感じ出しており、悠弥に対しても前よりも蔑んだ視線を送るようになった。

「私、一ノ瀬君のこと、まだ許せていないの。だってオージ君にひどいことしたから……」

 嬉しいでしょうと言いたげに、じっと依頼心の強い目で、應治の心を逆なでするよう言葉を、平気で吐くようになった。
 悠弥は当然というべきか、そんなマリヤに対して怒り、そのマリヤと付き合う應治に対する不満を爆発させた。

「あんな女のどこがいいんだよっ?オージのばかやろおッ!」

 涙ながらに腕を振り回す悠弥に、すさんだ心が満たされた。だから、マリヤは應治にとって必要な存在だった。悠弥を傷つけ、應治の肯定感を満たすために――應治はマリヤを、丁重に扱ってやった。すると、マリヤはどんどん増長したのだ。

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