本編
「隼人、そろそろお洋服買いに行きましょ」
八月の半ばに差し掛かる朝の日のこと、母がリビングに入ってきた隼人にそう言った。
「いいね。私も思ってた」
トーストを食べていた月歌が、頷いた。母は「でしょう」とにっこり返す。父も新聞を読みながら、「行ってきなさい」と言った。隼人は家族を見て、それからわが身を見下ろした。
「いいの?まだ新しいよ?」
「それじゃ動きにくいでしょ」
「そうよ。そもそも、そのシャツ二年くらい見てるわよ?」
確かに。月歌の指摘に、隼人は服をつまんだ。確かに、シャツもパンツも横幅はがばがばなのに、丈が短くなっていた。ベルトを締めるから、不都合はないかと思っていたのだが。父が新聞から目を上げ、じいっと隼人を見つめる。
「そうだなあ。制服も仕立て直した方がいいな」
「そうなの。新学期に間に合うには、そろそろ行かなきゃと思ってね」
父がにこ、と母と月歌に、次いで隼人に笑いかける。隼人は笑みを返しつつ、手を振った。
「ありがとう。でも、制服までは」
「だーめ!体に合わない服着たら調子崩すよ!」
「そうよ、せっかく頑張ったんだし!ここはびしっときめていきなさい!」
「うんうん。母さんも月歌もそう言っているんだし。甘えなさい」
皆の強い後押しもあり、隼人は制服を採寸に行くことになった。そのあと、月歌も息抜きに出かけたいとのことで、家族でそのあとちょっと外食をすることになった。ワゴン車に乗り込み、月歌がお気に入りの曲をかける。母が歌いだし、父が「行くぞ」と車を発進させた。
「うん、そうなんだ」
制服の採寸を終え、隼人は龍堂と話していた。龍堂に制服が変わることを伝えると、「楽しみだな」と笑っていた。
「隼人、そろそろ行くよー」
「あっ、うん!じゃあ、龍堂くん、また」
『ああ』
隼人は通話を終えると、ほうと息をついた。最近、こうしてささやかな時も龍堂と話している。頬の内側が熱を持つ。冷房の効いた室内なのに、変だなと思うが、いつもそうだ。月歌の再度の呼びかけに、隼人は車に向かった。
◆
大型ショッピングモールに入ると、たくさんの人でにぎわっていた。
「盛況だな~」
「うん。あっパン美味しそう!お母さん、お父さん、ちょっと見ていこうよ」
「いい匂いね。ご飯の前にちょっと食べる?」
「うん。あ~これ見たかった映画だ。まだやってるんだ」
受験生で、努力家な月歌は、最近ずっと缶詰だ。久しぶりの余暇に、嬉しそうにあたりを散策していた。隼人は月歌の背を追いながら、にこにこしていた。
「おっ隼人、ウェアあるぞ!ちょっと見ていかないか?」
「も~お父さん。どうせ、ゴルフクラブ見るつもりでしょ」
隼人は店頭にならぶ服を見て、「もうすぐ秋が来るんだな」と思った。季節の終わりはさみしい。けれど、新しい季節の始まりでもある。
――新学期が来るんだ。
教室が、ぐんと思考の中に迫ってきた。あの日の出来事も。
最近は、遠い出来事のように思えるくらい、思い出さなかった記憶。けれども、いざ始まるとなると、やっぱり、少しどきりとする。あそこに、また自分は行く。
隼人は、ぎゅっと胸の奥に力をこめた。握りこぶしを作ると、気合いを込める。
負けないぞ。
隼人は決意を新たに、ショップに入った。
店員さんのすすめられるままに、試着してみて、いろいろ考える。今までは自分が着られる服から、好きだな、と思う服を選んできた。けれど、これからは、どんな服を着たらいいだろう?
かっこいいもの?おしゃれなもの?皆が驚くような――意気込んでみるものの、あまりぴんとこない。
四着目くらいに、隼人は、向こうに、落ち着いたデザインのシャツがかかっているのが見えた。
龍堂に似合いそうだなと、ふと考えた。そこで、龍堂の顔が浮かぶ。すると、ふわりと甘い気配が胸に起こった。
龍堂のとなりにいて、似合うもの。そこまで考えて、また一歩心に踏み込む。龍堂が驚くような、そんな服を着たい。「見違えた」って、「似合う」って、笑ってくれるような。
そう思うと、隼人は服を戻した。そして新たな気持ちで、服に向き合いだす。
「おにーさん、すごい熱心ですね」
一生懸命な様子の隼人に、店員さんが気さくに笑う。隼人は「はい」と答えた。
「かっこいいなって思ってもらいたいんです」
「お~!いいですね!じゃあ自分も頑張らないと」
「ありがとうございます!」
店員さんが笑って「恋ですね」とつぶやいた。隼人は、きょとんとして、それから「いや、そんな」と手を振った。そういうのではない。自分たちは友達だし。けど、なんだか、くすぐったくて、照れてしまった。それくらい好きだって言われた気がして。そんな自分が、隼人は不思議だった。