本編


「どうぞ」
「お、お邪魔しまーす!」

 龍堂の促しに、隼人はおっかなびっくり、おずおずとドアをくぐった。心の中は、ばくばく大騒動である。何これ、何がどうしてこうなったの!?
 さかのぼること、およそ一時間前。

「――考えてみれば俺、龍堂くんの家、知らない!」

 家を出てずんずん歩き出し、肝要なことに気づいた。考えてみればも何も、考えなくてもそうだ。自分は龍堂の家に言ったことがないではないか。ケーキを手に、右に左にきょろきょろする。したところで、道がわかりはしないのだが、はやる気持ちがそうさせた。どうしたものか。
 しかし不思議なことに、隼人の中に、「このまますごすごお家に帰る」という選択肢はなかった。龍堂がつかまらないならまだしも、道がわからなくて、ケーキが渡せないはない。ここで渡せなくては男がすたる。
 渡す。
 とはいえ、なにも手掛かりがないのはよくない。現実的ではない。

「仕方ない、かっこつかないけど……」

 あれだけ堂々と出ていったが、ひとまず隼人は財布とスマホを取りに帰った。月歌たちは驚いたが、「考えてみればそうだよね」と笑ってくれた。ついでにフォークも二本もらった。いろいろと恥ずかしい。照れ隠しに笑いながら、隼人はスマホと財布を手に、今度こそ家を飛び出した。

「さて、とりあえず、龍堂くんに連絡しようかな」

 とりあえずも何も、先に連絡して都合をつけてから出たらよいのだが、都合がつかなかったときの悲しい気持ちは家でむかえたくなかった。てくてくと歩きながら、スマホを取り出し、龍堂に連絡する。今日も暑い。肌をじりじりと焼く日も、蝉しぐれも絶好調だ。ケーキが熱にむされないよう、できうる限り日陰を選んで歩いた。

『中条?』
「あっ龍堂くん!こんにちは!」

 コールして数回目で、龍堂の声に変わった。隼人はほっとしながら、挨拶する。それに、向こうから笑う声が聞こえて、隼人は首をかしげた。なんか俺、変なことしたかな?龍堂は笑みの残った声で、『どうした?』とたずねてきた。隼人は「あ、うん!」と慌てて応える。

「龍堂くん、今から会えないかな」

 超・単刀直入に隼人は切り込んだ。隼人的には、うまく誘えたと思ったが、龍堂がスマホの向こうで一拍沈黙したので、「ちょっと直球すぎたかな」と宙を仰ぎ、首をかしげた。

『いいよ』
「ほんと!?よかった!」

 しかし返ってきたのはさらりとした是の意だったので、隼人は喜びの声を上げた。よかった。ほほ笑んだ頬を通った汗が首を伝う。隼人は腕を上げ、服の袖で首をぬぐうと、言葉を続ける。

「じゃあ、いつものところで」
『ああ』

 そう言って、通話を切った。隼人は歩道橋に向かった。
 龍堂がやってきたのは、隼人がついて、それからすぐのことだった。走ってきてくれたらしい。「龍堂くん」と呼ぶ隼人をみとめると、顔を上げて笑った。フォームのいい軽やかな走りが、ゆっくりになり、隼人のもとへたどり着いた。息一つきらしていない。ただ汗が一筋、首筋を伝っていた。隼人はそれを、眩し気に見上げる。

「はやいね」
「急いできたから」
「ありがとう」

 ふ、と龍堂は笑った。そして、目線をおろす。

「ケーキ?」
「うん。龍堂くんと食べたくて」

 隼人は、照れながら話す。

「龍堂くんの話したら、お姉ちゃんたちがくれたんだ。一緒に食べなさいって」

 蝉が鳴いている。隼人は、じっとケーキを見つめた。今まで友達がいなかった自分を、ずっと心配してくれていた、月歌たちの優しさ。今、自分はこうして走ってきてくれる友達がいる。陽炎のたつほど暑い日の中、なんだかそれは奇跡のように思えた。

「そうか」

 龍堂が、静かに応えた。隼人は「うん」とうなずいた。龍堂の手が、そっとケーキを持つ隼人の手に重なる。精悍な手のひらが、あんまり優しかったので、どきりとした。

「ありがとう。食べよう」
「――うん!」

 公園に行って、それからケーキを食べた。いつものお礼にと、隼人がお茶を買おうとしたら「それじゃ割に合わないから」と龍堂が買ってくれた。自分が得をしてないかな?と隼人は思ったが、振り返りざまの龍堂の笑顔をみていると嬉しくて、お言葉に甘えることにした。

「おいしい」
「よかった!好きだと思ったんだ」

 二人でケーキを分け合って食べた。二人で隣り合い、ケーキをつついていると、なんだかまた不思議な気持ちになってきた。本当に、今起こってるうことって現実かな。

「嬉しいな」
「何が?」
「こうして、龍堂くんといることが」

 ふふ、と隼人は笑った。龍堂と音楽の授業で同じになってから、ずっと憧れだった。いつも堂々としていて、格好良くて。龍堂みたいになりたいと、何度思ったろう。それが、助けてもらったあの日から「友達になりたい」に変わって、いろいろあって、こうして一緒にいる。そして、これからも。

「夢みたいだ」

 頑張ろう。そう、隼人が決意を新たにしていると、「――」と龍堂がなにごとかささやいた。

「え?」
「中条――」

 しかし、言葉はそこで途切れた。盛大に降り出した雨によって。

「わああ!?」
「夕立か」

 辺りが真っ白になる勢いの雨に、隼人は仰天する。龍堂も、空を見た。幸い、屋根のあるベンチに座ったので、ケーキも二人も無事なのであるが。

「当分、出れそうにないな」
「そうだね」

 とっても晴れていたので、傘を持っていない。しぶきが霧になって飛んできそうなほどの雨。夕立なら、止むだろうけれど。勢いの強さに、しばしぼうっとする。龍堂は、隼人を見ると、肩をすくめた。

「そのうち止むよ。ケーキを食べよう」
「そうだね!」

 そうして、二人はベンチに座りなおした。

「止まないね……」

 これは困った。ケーキも食べ終わり、お茶をゆっくり飲みながら、隼人は真っ白の景色を見た。
 なんてことだ。傘を持ってくるんだった。隼人は頭を抱えた。自分はいいけど、龍堂に悪い。龍堂は、隼人を見た。それから、少し思案気に空を見る。

「なあ、中条」
「うん?」
「少し濡れてもかまわないか?」
「へ?」

 龍堂の問いに、隼人は首をかしげた。龍堂は、じっと隼人を見つめた。

「家に来ないか」

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