本編
「中条」
龍堂がそっと、隼人に回した腕に力を込めた。
「お前が好きだよ」
もう一本の腕も、回される。
――抱きしめられている。そのことに気づいたのは、龍堂の熱が、はっきり背中に伝わったからだ。隼人は思わず目を見開く。その拍子に落ちた雫が、龍堂の精悍な腕に落ちた。あわてて拭おうとするが、腕ごと抱きしめられているため、かなわなかった。
息が詰まった。優しくてかたい抱擁。
「龍堂くん」
隼人は、龍堂の名前を呼んだ。それしかできなかった。龍堂は「うん」と応えた。
くるり、と前を向かされる。今度は逃げられなかった。
龍堂はその手にずっと、ハヤトロクを持ったままだった。ノートの感触が、優しく腕に伝わる。それがどうしようもなく切なかった。
「龍堂くん」
「お前が好きだ」
龍堂の真っ直ぐな目が、隼人を映していた。ぼろぼろの自分が、信じられないように、自分を見ている。
ひぐ、と喉が鳴った。情けなくて、こんなところ、龍堂にこれ以上見られたくないのに。
なのに嬉しくて、苦しくて。
「やっと顔を見れた」
龍堂が、隼人の目元に触れた。涙を拭って、頬を包む。
そうして龍堂は、隼人を正面から抱きしめた。
「やっとつかまえた……」
その声には深い安堵が滲んでいて、隼人は胸にじんわりと、あたたかいものが流れ込むようだった。ぼろぼろだった心を包まれ、隼人はくしゃりと顔を歪め、泣き出した。
「うっ……」
「可哀想に。こんなに傷ついて……」
龍堂の声が、直に響く。隼人のふるえも受け止める強い抱擁に、隼人は涙を、もう我慢できなかった。
隼人は、龍堂の背に手を回す。龍堂は受け入れ、さらに強く抱きしめられた。全身全霊の勇気を受け入れられ、隼人は深い安堵に、体がなくなりそうだった。
「龍堂くん、ごめんなさい」
隼人は、ゆっくりと話し出す。
「ずっと、小説を書いてたんだ。自分を主人公にして」
「うん」
「小説の中なら、何にでもなれて楽しかった」
龍堂は応えて、聞いてくれた。
「……あの日、龍堂くんに助けてもらってから、友達になりたくて……それで、龍堂くんと友達のお話を書き始めたんだ」
恥ずかしくて、ぎゅっと目をつむった。自分の一番見られたくないところをさらすのは怖かった。
龍堂の手が、隼人の背を優しく叩いた。隼人はお腹に力を込め、言葉を続ける。
「でも俺、龍堂くんと本当に友達になりたいって思って、それで……」
「ぼくのところに来てくれたのか」
隼人は頷いた。龍堂の大きな手が、そっと隼人の頭を包むように触れた。肩口に引き寄せられる。
「よかった」
龍堂は一言、そう呟いた。そうしてほんの少し体を離して、隼人と目を合わせた。
視線が重なる。龍堂の目はやさしく――どこか自嘲に揺らいでいた。
「お前が、小説を書くためにぼくに話しかけたのかと思った」
「ち、違うよ!」
隼人は目を見開き、否定する。龍堂は、「わかってる」と頷くと、隼人の頰に触れた。そうして、目を伏せた。
「わかってたんだ、お前はそんな奴じゃないって。なのに、不安になった」
体を重ね合わせるように、龍堂に抱きしめられる。
「ごめんな」
隼人は龍堂からかかる重みに、じんわりと胸が痛く切なくなる。隼人はぎゅっと、龍堂を抱きしめ返し、首を振った。
「ちがう、龍堂くんは何も悪くない! 悪いのは……」
「中条は悪くない」
龍堂の声が伝わる。耳だけでなく肌からも。心臓の音さえリンクしそうで、隼人は息を呑んだ。
「お前は何も悪くない。悪いのは、お前の心を、勝手に暴いたやつだ」
「龍堂くん……」
涙がまたあふれる。龍堂の声が、心を満たして、治していく。
「お前は怒っていいんだ。自分を責めないで」
隼人は頷いた。言葉にならなかった。ありがとう、とか、うれしいとか。色々言いたいことがあるのに、全部涙に飲まれてしまう。
涙でぐちゃぐちゃの顔を、龍堂は大切そうに包んだ。至近距離で、じっと見つめ合う。
「だから」
龍堂は、隼人の手を取ると、自分の頰に当てた。
「ぼくを打っていいんだ」
龍堂の真摯な瞳が、隼人を射抜いた。隼人は呼吸も忘れて、ただ首を振った。龍堂の気持ちに、体中から幸福があふれていた。
「龍堂くんに、怒るわけない」
隼人は、ぐしゃぐしゃの顔で、笑った。答えはそれしかなかった。
「恥ずかしかったけど、龍堂くんに知られて、嫌われるのが、怖かっただけなんだ」
そうして、隼人は頰に当てられた手に、そっと力を込めた。龍堂を包むように。龍堂の目は見開かれ、そしてやわらかに細められる。
「ばかだな」
龍堂はやさしく笑う。
「嫌うわけ無いだろ。ぼくがお前を」
龍堂は、隼人の額に、そっと自分のそれを当てた。背中に、やさしくノートの感触が伝わる。
「好きだよ、中条。お前にならどうされてもいい」
目を伏せ、微笑する龍堂の顔は穏やかで、慈しみと愛情に満ちあふれていた。隼人は、その表情に、また涙と、笑顔があふれてきた。
「俺も、大好き。龍堂くんのことが、全部」
龍堂が、嬉しげに笑った。そのどこか、はにかんだ笑顔に笑い返して――隼人は意識を失った。