本編


「よし」

 今日の分のハヤトロクを、ノートに貼り付け、隼人は一息ついた。
 ここ二日、気持ちを鼓舞したいとき、いつでもどこでもハヤトロクを書いているので、ハヤトロク(本体)への移行作業は欠かせないのだ。

「明後日は音楽の授業だし、楽しみだな」

 待ち切れないから、明日会いに行こうか。今日の龍堂のことを思い出し、隼人は頰を緩ませた。
 俺を心配して来てくれた。たぶん二回も。
 胸がいっぱいだった。頬杖をつこうとして、熱を持った頬に気づく。ユーヤにノートで打たれた頬だ。

『邪魔すんなよな!』

 あのときのユーヤの顔は、すごく怖かった。

「何だったんだろう?」

 龍堂と知り合いだった……ということはないと思う。そんな雰囲気ではなかった。けど、ユーヤはどうだろう? 仲良くなりたそうだった。好きなのだろうか。
 隼人は、数学の教科書を開いた。おびただしい量の落書きを見下ろす。何度見ても酷かった。

「なんでこんなこと……」

 思わず漏れた呟きは、怯えと疲労に混じっていて、耳に届くとなお滅入った。それでも、考えずにはいられない。何故こんなことを?

「龍堂くんに教科書を貸すため……ってことはないよね。龍堂くんが俺のとこに来てくれるなんて誰も知らないし……なら、」

 これはただの悪意、ということでいいのだろうか。ボールペンの軌跡をなぞる。よほど強く書かれたのか、溝になっていた。

「はあ……」

 隼人は脱力して、机に伏せた。じゃあ、これまでのも全部、ユーヤの仕業だったのだろうか? お弁当やお茶、カッターナイフもろもろ全部。

「ここまでするかな」

 最近はケンたちを止めてくれていたと思ったのに。そうだとしたら怖すぎる。無数の犯人がいると考えるより、限定された方がましかも、とも思う。だけれど、たったひとりに激しい悪意を向けられているというのも、また違う恐怖だった。

「なんでこんなことするんだろう」

 隼人はとりあえずノートを開いた。


 敵襲!
 ハヤトは剣を抜こうとした。

「――……!?」

しかし、抜けなかった。先までは抜けたというのに、呪がかかり、鞘と結びついてる。

「くそっ……!」

 タイチが危険だというのに、自分が守らなければならないのに――焦燥が全身を駆け巡る。

「何やってんだよ! イジワルすんな!」

 ユーヤが現れ、剣を颯爽と構えるとタイチを助けるべく敵に突進した。

「やめとけ、ユーヤァ!」
「ユーヤ!」

 ケンとマオの静止が響く。ユーヤは止まらない。ハヤトは呆然と、その背を見送ることしかできなかった――



「何やってるんだよ、ハヤト!」

 咄嗟に叫んでいた。

「タイチのピンチなのに! それでも親友か!」

 悔しくて歯噛みした。どんどんとノートを叩く。タイチの窮地は敵を油断させるための演技だった。とはいえ、そんなことハヤトは預かり知らないわけで、ただハヤトはタイチを助けることができなかったのだ。なんという迂闊だろう。

「でも、それでも……!」

 ユーヤに対して悔しさが湧いた。ユーヤは酷い。ハヤトから「剣がない」と、剣を奪っておいて、本当は持っていて、タイチを助ける王子様になるなんて。

「だから、何を言ってるんだよ! タイチが助かってよかったじゃないか……」

 自分のことばかり考えるなんて最低だ。タイチは死にかけるところだったのに。なんて友達がいのない人間なのだろう。それでも、モヤモヤは止まらなかった。

「俺、一ノ瀬くんにめちゃくちゃ怒ってる」

 最悪だ。でも、これが本心だった。ノートに顔を突っ伏せる。
 ユーヤが教科書を龍堂に差し出したとき、お腹が痛くなるくらい腹が立った。
 がく然の中に、ずるい、酷い――そんな醜い言葉が心のなかで荒れ狂っていた。
 だからこそ、嬉しかった。龍堂が教科書を受け取らなかったことは。

「情けない。なんも出来なかったくせに」

 龍堂は自分を気遣って来てくれた。胸の奥がぎゅっとなるように嬉しかった。こんなにいいことが起こっていいのかと不安になるくらい。
 なのに、自分は何も龍堂くんに返すことができていない。

「はあ……」

 隼人は今日何度目かのため息をつく。情けなくて悔しかった。

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