本編


 マリヤは悲しげに涙した。

「私はそれで、ルカ様と仲直りできると思ったんです。けれど、時計塔にルカ様は来なかった」
「あなたが雨の中倒れていたのは、それが理由だったのですね」
「はい。どうしても諦められなくて……」

 ルカを待ち続け、雨の寒さに倒れたのだ。それをオージが見つけ……

「マリヤ様。あなたは、手紙を受け取ったと言いましたね」
「はい」
「見せてもらっても?」

 マリヤは、不安げにハヤトに手紙を差し出した。ハヤトは礼を言い、中を改める。

「やはり……」

 ハヤトは、無念そうに目を伏せる。予想していたことが、当たってしまったのだ。

「これは、姉の筆跡ではありません」
「えっ」

 マリヤはルカと親友だった頃、字を知らなかった。だから、ルカの筆跡を知らなかった。

「あなたは何者かに騙されたのです。ルカ姉さまが、あなたを嫌っていると思わせる為に」



 隼人は自室で、にこにこと頬杖をついていた。思い返すのは今日のことばかり。

「龍堂くん、かっこよかったな」

 もう何度目かも知れないが、そのたび本当に思っているのでしかたがない。

「おはようって言ってくれた」

 あれから、授業が始まるまで龍堂と一緒にいた。龍堂に話したいこと、聞きたいことはたくさんあったはずなのだが、いざ向かい合うと霧散してしまった。だから、授業の話とか、とりとめもないことをずっと話していた。龍堂は隼人の言葉を、ゆっくり打ち返してくれた。
 わくわくどきどきするのに、なんだか心地よくて、隼人はずっと笑っていた。

「早く音楽の授業こないかな」

 気の早いことに、隼人はもう次の音楽の日が待ち遠しかった。

「ハヤトロクに書こうっと!」

 隣国から戻ってきたタイチが、ハヤトのピンチを颯爽と助ける。そうして、お互いの近況を話し合うのだ。
 隼人は、ノート立てから、ノートを勢いよく抜き出した。すると、つられて何冊かノートが出てしまい、床にすべり落ちた。

「いけない」

 隼人は慌ててノートを拾い上げる。するとちょうど、拾い上げた古文のノートの中身が、ごそりと抜け落ちた。

「えっ?」

 ノートのページが、ばらばらと床に散る。隼人は椅子から降りると、拾い集めた。順番をそろえ、とんと角をそろえる。

「なんでだろう。糸が切れたのかな」

 ノートの背表紙を内から確認し、あっと声を上げた。

「これ……」

 背表紙の内側に、紙の断片がびしりと残っていた。

「切られてる……?」

 隼人は、その断面を恐る恐るなぞった。切り口はすっぱりとしている。カッターか何か、刃物で切ったのかもしれない。

「なんで……?」

 勿論、自分は切った覚えがない。それなら……同時に、胸のうちに不安がさしだした。背表紙に残ったノートの切り幅は、波形にゆれている。それがどうにも生々しかった。

「まさか」

 隼人は頭を振る。しかし、はたと思い当たる。見ちゃいけない、そう思うのに、隼人は他のノートも確認を始めた。

「やっぱり、少なくなってる」

 この間も、ノートが薄く感じた。間違いなく、ノートが破られたり、切られたりしていた。ちぎれた跡が、しずかに残っている。
 自分の勘違いではなかったのだ。
 隼人は黙り込んだ。
 もしかして、誰かが自分のノートに危害を加えたのだろうか。
 もしかしなくてもそうなるが、隼人はあえてもしかしてと付け足したかった。
 四月こっちから、絡まれ続ける日々だったが、これはもう、嫌がらせと言っても過言ではないのでは……これは、悪意だ。
 隼人の心の底が、ひやりとする。

「偶然かもしれないし、悪く考えすぎだよね」

 気を取り直そうとする、自分の声は、頼りなかった。ひとまず、ノートを直そうと、テープを取ったときだった。

「はーやーとっ」

 勢いよくドアが開いた。驚き振り返ると、月歌が枇杷びわを手に、部屋に入ってきた。
 隼人は慌てて、ノートを閉じた。

「どうしたの?」

 月歌はそんな隼人を不思議そうに見つめた。隼人はつとめて平静にノートたちをしまい、隠した。

「何でもないよ」

 隼人は笑ってごまかした。月歌は、不思議そうにしていたが、納得したらしい。にこ、と笑って枇杷ののった皿を軽く持ち上げる。

「休憩しなくちゃね。食べよ?」
「うん。ありがとう!」

 隼人は立ち上がり、お皿を受け取った。月歌は隼人のベッドに座ると、隼人の手から枇杷をひとつつまんだ。

「おいしい」
「ねー、甘くておいしいね」

 二人して、もくもくと枇杷の独特の香気と風味に浸る。隼人は、だんだんと気持ちが落ち着いてくるのがわかった。
 姉がいて、日常を過ごせる、それだけで不安はだいぶよくなると実感する。姉に感謝しつつ、隼人はもうひとつ、枇杷に手を伸ばした。
 そこで、隼人のスマホが震えた。

「あ」

 たぶん、マリヤさんだ。隼人はウエットティッシュで手を拭くと、スマホを取り上げた。

「隼人、最近よくスマホ見てるね」
「そうかな?」
「うん」

 姉がじっと、隼人を見つめる。

「……大丈夫?」
「え?」
「話違うけど……違わなくもないのかな。隼人、なんだか不安そう」

 隼人は固まった。月歌の目は、隼人をまっすぐに映しこんでいた。隼人は、

「うん」

 と笑った。

「平気だよ。ありがとう、お姉ちゃん」
「うん」

 月歌は、それから何も言わなかった。ただ、気遣ってくれているのが、温度でわかった。その心が、とてもありがたかった。
 もう一度、スマホが震える。隼人はじっと、液晶を見る。
 不安。
 マリヤさんが、不安なんじゃない。ただマリヤさんに連なる何かに、隼人はひどく、胸が騒ぐのが、わかった。

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