第四章 〜絆〜(連載中)
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「折を見て詳しく訊いてみようかと思っていたけれど、結局言い出せないまま永の別れとなってしまったから……私が知っているのはその程度。でも親父様の血を体内に取り込むことで、その人間が生命の危機をも回避できてしまうと確認できたのは、貴方の存在があったからよ、朧」
そう言った柚希は、閉じられた朧の左目に手を伸ばす。
「とは言え、今は揺らいでるけどね」
先日診た時と同じ光を映さぬ目に、回復の兆しは欠片も見えない。
「どうしてこの目は治らないの?」
「知らんな」
「貴方が傷を負うたびに体内の血液が入れ替わって、親父様の血が薄れてるってことはない?」
「さァな」
「……虚からは貴方の言う施しとやらを受けてはいないの?」
柚希に言われ、ピクリと朧のこめかみが動く。ほんの一瞬だが、明確に不快感を顕にした朧を見た柚希は、何かに耐えるような浅い呼吸を繰り返しながらここぞとばかりに言った。
「ねぇ朧。貴方本当は虚の存在を快く思っていないんじゃない?」
「……」
答えは無い。ただ無表情を貫き、沈黙を返すだけだ。
「虚に頭を垂れてはいても、心から仕えているようには見えないんだもの」
「……」
「むしろあの男に親父様を……吉田松陽を投影していると言った方がしっくりくるわ」
「よくしゃべる口だな」
ようやく朧が反応を見せる。すると柚希はここぞとばかりに興奮気味に続けた。
「あの虚って男は、確かに親父様に似ているわ。しかも治癒の力があるところまでそっくりだった。それこそ私が思わず虚の血を警戒してしまうほどにね。でもあの男は親父様とは違う。貴方だって分かっているんでしょう? 二人は全くの別人だって。なのに何であの男に従おうとするの?」
「黙れ」
「あんな吉田松陽の外見を模しただけのまがい物に──」
「黙れと言っている!」
「……っ!」
それは、朧にしては珍しい剥き出しの感情。
恐怖よりも驚きで言葉を失った柚希が目にしたのは、怒りとも悲しみとも取れる揺れる瞳だった。
「朧……」
様子を伺いながら静かに名を呼べば、柚希の顎を掴んでいた手の力がゆるむ。それに気づいた柚希は上半身を引いて朧の手から逃れると、朧との距離を取ろうとした。
しかし思うように動かない体は、簡単に朧に捕らわれてしまう。
「その足ではどこへも行けまい」
たった今柚希を驚かせた瞳は幻だったのか。柚希の肩を掴んだ朧がいつもの冷たい視線を向けたのは、乱れた裾の隙間から覗いていた左足。ただしその肌はゆるゆると流れ伝う赤に染まっていた。
「こんな傷、何でもないわ」
柚希が強がってみせるも、地面に広がっていく赤い水たまりからも傷が深いことは明らかだ。
先程喉元に傷を作った虚の刀は、同時に柚希の足の自由をも奪っていた。痛みと出血による貧血に耐えて気丈にふるまってはいたが、実のところいつ何時意識を失ってもおかしくない。
「本気で言っているのなら、お前に医者と名乗る資格は無い。俺に探りを入れている暇があるなら、まずは己の置かれた状況を知れ」
「何よ偉そうに! 私だって──」
医者としての自分を否定されたことに腹を立てた柚希が朧に反論しかけたのと、首の後ろにチクリと痛みを感じたのとは同時だった。
しまったと思った時には既に遅く、数秒と経たずして柚希の意識が遠のく。寄りかかるように倒れてきた柚希の体を受け止めた朧は、自らが刺した睡眠薬の塗られた針を回収して言った。
「とことんバカな女だ」
そのまま地面にうつ伏せに寝かせると、着物の裾を膝下まで持ち上げる。すっぱりと切られた傷口の断面は、肉の巻き込みどころかささくれ一つ無い見事なもの。それは虚の刀が何の躊躇もなく柚希の足を斬りつけた証だと言えよう。
「お前でも無理だったか」
懐から出した水筒の水を傷口にかけて血を洗い流し、軟膏を塗る。さらしで強く縛って止血すると、柚希をそのままに一人荒ら屋へと入った。ところが古びた畳に無造作に散らばる紙を見て、一瞬朧の歩が止まる。
「……全てが無意味だったな」
その呟きは、まるで自分に言い聞かせているかのようだった。
草履のまま畳に上がり、紙を拾い集める。そこには流れるような美しい字で論語などが書かれていた。
もし今柚希がここにいれば、きっとすぐに気付いていたはずだ。
それが松陽の手による書であると。
廊に囚われていた頃、骸の手習いに使われていた物の一部であると。
拾い集めた紙を重ねて丸め、懐に入れる。取りこぼしは無いかと部屋全体を確認した朧は荒ら屋を出ると、再び柚希の元へと戻った。
眠りながらも痛みに耐えているのか苦しげな浅い呼吸の中、夢を見ているのだろう。「親父様……」と松陽を呼ぶ柚希の眦からは、ポロポロと涙がこぼれ落ちている。
「松陽の弟子の中でも、娘と明言されていたほどのお前ならばと思ったが……買いかぶりだったな」
その声は冷たかったが、柚希を抱き上げ頬を伝う涙を拭った唇が優しいのは何故なのか。
「俺はお前たちとは違う」
そう言って拭った涙と熱を柚希の唇に移した朧は、柚希を抱いたまま高く跳び上がったのだった。
そう言った柚希は、閉じられた朧の左目に手を伸ばす。
「とは言え、今は揺らいでるけどね」
先日診た時と同じ光を映さぬ目に、回復の兆しは欠片も見えない。
「どうしてこの目は治らないの?」
「知らんな」
「貴方が傷を負うたびに体内の血液が入れ替わって、親父様の血が薄れてるってことはない?」
「さァな」
「……虚からは貴方の言う施しとやらを受けてはいないの?」
柚希に言われ、ピクリと朧のこめかみが動く。ほんの一瞬だが、明確に不快感を顕にした朧を見た柚希は、何かに耐えるような浅い呼吸を繰り返しながらここぞとばかりに言った。
「ねぇ朧。貴方本当は虚の存在を快く思っていないんじゃない?」
「……」
答えは無い。ただ無表情を貫き、沈黙を返すだけだ。
「虚に頭を垂れてはいても、心から仕えているようには見えないんだもの」
「……」
「むしろあの男に親父様を……吉田松陽を投影していると言った方がしっくりくるわ」
「よくしゃべる口だな」
ようやく朧が反応を見せる。すると柚希はここぞとばかりに興奮気味に続けた。
「あの虚って男は、確かに親父様に似ているわ。しかも治癒の力があるところまでそっくりだった。それこそ私が思わず虚の血を警戒してしまうほどにね。でもあの男は親父様とは違う。貴方だって分かっているんでしょう? 二人は全くの別人だって。なのに何であの男に従おうとするの?」
「黙れ」
「あんな吉田松陽の外見を模しただけのまがい物に──」
「黙れと言っている!」
「……っ!」
それは、朧にしては珍しい剥き出しの感情。
恐怖よりも驚きで言葉を失った柚希が目にしたのは、怒りとも悲しみとも取れる揺れる瞳だった。
「朧……」
様子を伺いながら静かに名を呼べば、柚希の顎を掴んでいた手の力がゆるむ。それに気づいた柚希は上半身を引いて朧の手から逃れると、朧との距離を取ろうとした。
しかし思うように動かない体は、簡単に朧に捕らわれてしまう。
「その足ではどこへも行けまい」
たった今柚希を驚かせた瞳は幻だったのか。柚希の肩を掴んだ朧がいつもの冷たい視線を向けたのは、乱れた裾の隙間から覗いていた左足。ただしその肌はゆるゆると流れ伝う赤に染まっていた。
「こんな傷、何でもないわ」
柚希が強がってみせるも、地面に広がっていく赤い水たまりからも傷が深いことは明らかだ。
先程喉元に傷を作った虚の刀は、同時に柚希の足の自由をも奪っていた。痛みと出血による貧血に耐えて気丈にふるまってはいたが、実のところいつ何時意識を失ってもおかしくない。
「本気で言っているのなら、お前に医者と名乗る資格は無い。俺に探りを入れている暇があるなら、まずは己の置かれた状況を知れ」
「何よ偉そうに! 私だって──」
医者としての自分を否定されたことに腹を立てた柚希が朧に反論しかけたのと、首の後ろにチクリと痛みを感じたのとは同時だった。
しまったと思った時には既に遅く、数秒と経たずして柚希の意識が遠のく。寄りかかるように倒れてきた柚希の体を受け止めた朧は、自らが刺した睡眠薬の塗られた針を回収して言った。
「とことんバカな女だ」
そのまま地面にうつ伏せに寝かせると、着物の裾を膝下まで持ち上げる。すっぱりと切られた傷口の断面は、肉の巻き込みどころかささくれ一つ無い見事なもの。それは虚の刀が何の躊躇もなく柚希の足を斬りつけた証だと言えよう。
「お前でも無理だったか」
懐から出した水筒の水を傷口にかけて血を洗い流し、軟膏を塗る。さらしで強く縛って止血すると、柚希をそのままに一人荒ら屋へと入った。ところが古びた畳に無造作に散らばる紙を見て、一瞬朧の歩が止まる。
「……全てが無意味だったな」
その呟きは、まるで自分に言い聞かせているかのようだった。
草履のまま畳に上がり、紙を拾い集める。そこには流れるような美しい字で論語などが書かれていた。
もし今柚希がここにいれば、きっとすぐに気付いていたはずだ。
それが松陽の手による書であると。
廊に囚われていた頃、骸の手習いに使われていた物の一部であると。
拾い集めた紙を重ねて丸め、懐に入れる。取りこぼしは無いかと部屋全体を確認した朧は荒ら屋を出ると、再び柚希の元へと戻った。
眠りながらも痛みに耐えているのか苦しげな浅い呼吸の中、夢を見ているのだろう。「親父様……」と松陽を呼ぶ柚希の眦からは、ポロポロと涙がこぼれ落ちている。
「松陽の弟子の中でも、娘と明言されていたほどのお前ならばと思ったが……買いかぶりだったな」
その声は冷たかったが、柚希を抱き上げ頬を伝う涙を拭った唇が優しいのは何故なのか。
「俺はお前たちとは違う」
そう言って拭った涙と熱を柚希の唇に移した朧は、柚希を抱いたまま高く跳び上がったのだった。