第四章 〜絆〜(連載中)
名前変換はこちら
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
最後に耳にしたのは、もう十年以上前。だが記憶の中の声は今もなお鮮明で、忘れられるはずもない。
「お……」
口にしかけた言葉をぐっと飲み込み、まさかそんなはずはと頭を振った柚希は、手の中の扇子を握りしめる。静かに開けられる戸に全神経を集中させ、その奥に立つ人物を確認すれば、たった今否定したばかりの答えの方が正しかったことを思い知らされた。
「どうして……」
見開かれた柚希の目に映っているのは、声と同じく記憶に鮮明な吉田松陽の微笑。敷居を挟んで目の前までやって来たその男は、しばし柚希を見つめていた。だが「人の成長とは早いものですね。記憶の中の貴女とは随分と違っている」と言う男の言葉に感慨は無く、まるで他人事のようだ。この瞬間、確かに柚希という人物の記憶はあれど、懐かしさの対象として見られているわけでは無いという事を柚希は察した。
「どうして……」
先ほどとは違う意味を持って呟かれた言葉に滲むのは、悲愴感。
「親父様……っ」
くしゃりと歪んだ顔を隠すように俯いた柚希の肩は小さく震えている。それを見て泣いていると思ったのだろう。男は言った。
「そんなにも私に会えて嬉しかったのかい?……柚希」
男の手が、敷居を挟んだまま柚希に向けて伸ばされる。そして今しもその髪に触れようとした瞬間。
「触るなっ!」
パンッ! と大きな音が響く。それは柚希の扇子によって男の手が強く払いのけられた音だった。
同時に飛び下がりながら放たれた玉が宙を舞い、荒ら屋の中にいる男目掛けて降り注ぐ。的を外れた玉の上げた土煙が視界を遮るも、糸を通して伝わってくる感触から一つは男を掠めたはず。そう確信した柚希は、いつもとはほんの少しだけ作りの違う扇子の玉を引き戻し、更にその場から距離を取るべく地面を蹴ろうとした。
しかし──
「……っ!」
息を呑むよりも早く首に触れた鋭利な刃。死を覚悟する暇すら与えられず、柚希の喉元には赤い筋が一本引かれていた。
いつの間に敷居を跨いでいたのだろう。決して油断してはいなかったはずなのに、手刀でも貫ける距離に悠然と立つ男は、既に刀を鞘に収めている。ツゥ……と熱いものが首を伝う感覚が頭で理解するよりも早く現実を突き付け、柚希を絶望の淵に立たせた。
血の気の引いた顔で固まる柚希に向けて、男は言う。
「私がその気なら、君はもうこの世にはいなかった。そして君の渾身の一撃も、私には無意味だ。その証拠に──」
ゆっくりと、柚希の目の高さまで持ち上げられた男の腕。そこには柚希の喉元と同じ赤い筋が存在していた。切れ目の端にプクリと膨らんだ赤い液体を指で拭えば、見計らっていたように立ち上る微かな煙。同時にスゥ……と線は薄くなり、最後は完全に消えてしまった。
この異様な光景を見せられた柚希はと言うと、真っ青な顔で事の成り行きを見てはいたが、そこに驚きは存在しない。ただ唇を噛み締めながら凝視しているだけだ。
すると何を思ったか小さく口角を上げた男は、指に残る赤い液体──自らの血液を柚希の唇に押し当てようとした。咄嗟に顔を背けたことで色付いたのは頬だったが、その指は唇を目指し滑っていく。
一歩足を後ろに引くだけで良い。それだけで逃れられることは分かっているのに、柚希の足は動かない。ジリジリと柚希の頬を伝う指は、やがて柚希の唇に到達しようとしていた。
ところがだ。
「戯れはおやめ下さい、虚様」
不意に強い力で引き倒された柚希の体。受け身も取れぬまま地面に叩きつけられた柚希が見たものは、片膝を付いて頭を垂れる朧の背中だった。
「お……」
口にしかけた言葉をぐっと飲み込み、まさかそんなはずはと頭を振った柚希は、手の中の扇子を握りしめる。静かに開けられる戸に全神経を集中させ、その奥に立つ人物を確認すれば、たった今否定したばかりの答えの方が正しかったことを思い知らされた。
「どうして……」
見開かれた柚希の目に映っているのは、声と同じく記憶に鮮明な吉田松陽の微笑。敷居を挟んで目の前までやって来たその男は、しばし柚希を見つめていた。だが「人の成長とは早いものですね。記憶の中の貴女とは随分と違っている」と言う男の言葉に感慨は無く、まるで他人事のようだ。この瞬間、確かに柚希という人物の記憶はあれど、懐かしさの対象として見られているわけでは無いという事を柚希は察した。
「どうして……」
先ほどとは違う意味を持って呟かれた言葉に滲むのは、悲愴感。
「親父様……っ」
くしゃりと歪んだ顔を隠すように俯いた柚希の肩は小さく震えている。それを見て泣いていると思ったのだろう。男は言った。
「そんなにも私に会えて嬉しかったのかい?……柚希」
男の手が、敷居を挟んだまま柚希に向けて伸ばされる。そして今しもその髪に触れようとした瞬間。
「触るなっ!」
パンッ! と大きな音が響く。それは柚希の扇子によって男の手が強く払いのけられた音だった。
同時に飛び下がりながら放たれた玉が宙を舞い、荒ら屋の中にいる男目掛けて降り注ぐ。的を外れた玉の上げた土煙が視界を遮るも、糸を通して伝わってくる感触から一つは男を掠めたはず。そう確信した柚希は、いつもとはほんの少しだけ作りの違う扇子の玉を引き戻し、更にその場から距離を取るべく地面を蹴ろうとした。
しかし──
「……っ!」
息を呑むよりも早く首に触れた鋭利な刃。死を覚悟する暇すら与えられず、柚希の喉元には赤い筋が一本引かれていた。
いつの間に敷居を跨いでいたのだろう。決して油断してはいなかったはずなのに、手刀でも貫ける距離に悠然と立つ男は、既に刀を鞘に収めている。ツゥ……と熱いものが首を伝う感覚が頭で理解するよりも早く現実を突き付け、柚希を絶望の淵に立たせた。
血の気の引いた顔で固まる柚希に向けて、男は言う。
「私がその気なら、君はもうこの世にはいなかった。そして君の渾身の一撃も、私には無意味だ。その証拠に──」
ゆっくりと、柚希の目の高さまで持ち上げられた男の腕。そこには柚希の喉元と同じ赤い筋が存在していた。切れ目の端にプクリと膨らんだ赤い液体を指で拭えば、見計らっていたように立ち上る微かな煙。同時にスゥ……と線は薄くなり、最後は完全に消えてしまった。
この異様な光景を見せられた柚希はと言うと、真っ青な顔で事の成り行きを見てはいたが、そこに驚きは存在しない。ただ唇を噛み締めながら凝視しているだけだ。
すると何を思ったか小さく口角を上げた男は、指に残る赤い液体──自らの血液を柚希の唇に押し当てようとした。咄嗟に顔を背けたことで色付いたのは頬だったが、その指は唇を目指し滑っていく。
一歩足を後ろに引くだけで良い。それだけで逃れられることは分かっているのに、柚希の足は動かない。ジリジリと柚希の頬を伝う指は、やがて柚希の唇に到達しようとしていた。
ところがだ。
「戯れはおやめ下さい、虚様」
不意に強い力で引き倒された柚希の体。受け身も取れぬまま地面に叩きつけられた柚希が見たものは、片膝を付いて頭を垂れる朧の背中だった。