第四章 〜絆〜(連載中)
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翌日から、当たり前のように診療所の医者として仕事を与えられた柚希は、日中銀時の事を思い出す暇もないくらいに忙しく働いていた。
ここに来てからもう一週間ほど過ぎている。毎日次から次へとやってくる患者を診察し、的確な指示と薬を処方するその頼もしい姿に、今日も緒方は目を細めていた。
「……先生。わざわざこちらの部屋に来て私を見ている暇があるなら、あっちで患者さんを診て下さいよ」
また一人診察を終え、患者の後ろ姿が見えなくなると同時に柚希が言う。診察室の奥は隣の診察室と繋がっており、緒方はそこからひょっこりと顔を覗かせていた。柚希に声をかけられたことで、遠慮なく柚希の診察机の所までやってくると、さりげなく机の上に一枚のカルテを置きながら言う。
「もちろんだよ。でも患者さんたちの多くが柚希ちゃんに診てもらいたいって言うから、僕の出る幕が無くてね」
「嘘ばっかり。事あるごとに患者さんを焚き付けてるのは先生でしょ? ちゃんと知ってるんですからね」
「そうだったかな? どうも最近記憶が曖昧でねぇ。おっと、次の患者さんが待ってるようだよ。柚希先生、宜しく頼みま〜す」
そそくさとその場を離れる緒方の背中に向け、柚希が「もう、調子良いんだから!」と叫ぶが、その顔は笑っている。緒方が決してふざけているわけではなく、自分を心配して診察の合間を縫って見に来ていることを、柚希は最初から分かっていた。
「でも何気に、疲れが溜まった時にもこっちにカルテを回してきてるよね。先生も寄る年波には勝てないかな」
クスクスと止まらぬ笑いをそのままに、緒方が置いていった机の上のカルテを掴む。そして次の患者を呼び込むため、待合室に声をかけようとした柚希だったが、入り口に顔を向けた瞬間、頭が真っ白になった。
そこに立っていたのは、まさかの人物。
「お願いします」
少し緊張した面持ちでペコリと頭を下げたのは――小夜。突然のことに言葉が見つからない柚希は、必死に心を落ち着けようと手の中のカルテを見る。しかしそこには緒方の字で一言「ゆっくり話すと良い」と書かれているだけだった。
「これは……」
「緒方先生にお願いして入れてもらったの。どうしても柚希ちゃんに言いたいことがあって」
そう言って小夜は、ゆっくりと柚希の側へと歩み寄った。
「言いたい、こと……?」
未だ何を言われたわけでもないのに、小夜の言葉を復唱する柚希の声は震えている。白紙のカルテから目を離せない顔は強張り、ポーカーフェイスが作れない。
緊張が柚希の手に汗をかかせ、カルテに皺を作る。顔を上げることの出来ぬまま、柚希は小夜の次の言葉を待つしか出来なかった。
そんな柚希を見て、小夜もしばし迷っていたらしい。だが意を決したのだろう。一つ大きく深呼吸をすると、叫ぶように言った。
「ごめんなさいっ!」
「……え?」
その言葉と声の大きさに驚いた柚希が思わず小夜を見ると、深々と頭を下げていた。柚希が慌てて「頭を上げて」と言うも、小夜はそのままの体勢で話し続ける。
「ずっと後悔してたの。あの時……私達が勢いで松陽先生を助けに行こうと盛り上がってた時、止めてくれようとした柚希ちゃんに酷い事を言っちゃったって。本当にごめんなさい」
「小夜ちゃん……」
それは、柚希が予想もしていなかった謝罪の言葉だった。
「許してなんて言えた義理じゃないけど、せめて謝りたかったの」
「謝るだなんてそんな……」
頭を下げたままの小夜に、そっと手を伸ばす。肩に手を乗せ「頭を上げて」と言えば、小夜がゆっくりと体を起こした。
不安げな瞳が柚希を映す。そこに偽りは感じられず、これまでずっと柚希の心を覆っていた霧が、すうっと晴れた気がした。
小夜の手を取り指で脈を取れば、トクトクと早鐘のような振動が伝わってくる。
「脈が凄く早くなってる。こんなにも緊張しながら来てくれたんだね。ありがとう」
「許して……くれるの……?」
「許すも許さないも無いよ。そんな風に思ってくれてたなんて知らなくて……私の方こそ、あんな強引なやり方で不快な思いをさせちゃってごめんなさい。ずっと嫌われちゃったと思ってたから、こうして声をかけてくれて嬉しかったよ」
「柚希ちゃん……!」
この瞬間柚希と小夜は、お互いが長い間抱えてきた不安と後悔から解放された。喜びで柚希に抱きつく小夜。されるがままの柚希も、嬉しそうに微笑んでいる。
そんな二人をこっそりと覗き見ていたのは緒方だ。
「収まるところに収まったねぇ。いやぁ、良かった良かった」
診察室の奥からろくろ首のように首を伸ばし、顔だけを覗かせる形で様子を伺っていた緒方は、「青春だなぁ」としみじみ頷きながら姿を消す。表情は好々爺然としているのに妙な滑稽さが感じられ、二人は吹き出してしまった。
「もう、先生ったら」
「ほんとにね〜」
その笑いを皮切りに自然と始まった友達同士の会話は、昔と変わらぬ空気を作り出す。互いの胸の内を明かした事でわだかまりも消え、今ここにあるのは懐かしさと楽しさばかりだった。
だがそのままお喋りに興じたくも、柚希には未だ今日の診察が残っている。名残惜しくはあったが、診察の邪魔をしてはいけないと、後日改めて会うことを約束した小夜は病院を後にした。
抱えていた不安が一つ消えた柚希は、明るい笑顔で小夜を診察室から見送る。そして気持ち新たに次の患者の診察を始めたのだった。
ここに来てからもう一週間ほど過ぎている。毎日次から次へとやってくる患者を診察し、的確な指示と薬を処方するその頼もしい姿に、今日も緒方は目を細めていた。
「……先生。わざわざこちらの部屋に来て私を見ている暇があるなら、あっちで患者さんを診て下さいよ」
また一人診察を終え、患者の後ろ姿が見えなくなると同時に柚希が言う。診察室の奥は隣の診察室と繋がっており、緒方はそこからひょっこりと顔を覗かせていた。柚希に声をかけられたことで、遠慮なく柚希の診察机の所までやってくると、さりげなく机の上に一枚のカルテを置きながら言う。
「もちろんだよ。でも患者さんたちの多くが柚希ちゃんに診てもらいたいって言うから、僕の出る幕が無くてね」
「嘘ばっかり。事あるごとに患者さんを焚き付けてるのは先生でしょ? ちゃんと知ってるんですからね」
「そうだったかな? どうも最近記憶が曖昧でねぇ。おっと、次の患者さんが待ってるようだよ。柚希先生、宜しく頼みま〜す」
そそくさとその場を離れる緒方の背中に向け、柚希が「もう、調子良いんだから!」と叫ぶが、その顔は笑っている。緒方が決してふざけているわけではなく、自分を心配して診察の合間を縫って見に来ていることを、柚希は最初から分かっていた。
「でも何気に、疲れが溜まった時にもこっちにカルテを回してきてるよね。先生も寄る年波には勝てないかな」
クスクスと止まらぬ笑いをそのままに、緒方が置いていった机の上のカルテを掴む。そして次の患者を呼び込むため、待合室に声をかけようとした柚希だったが、入り口に顔を向けた瞬間、頭が真っ白になった。
そこに立っていたのは、まさかの人物。
「お願いします」
少し緊張した面持ちでペコリと頭を下げたのは――小夜。突然のことに言葉が見つからない柚希は、必死に心を落ち着けようと手の中のカルテを見る。しかしそこには緒方の字で一言「ゆっくり話すと良い」と書かれているだけだった。
「これは……」
「緒方先生にお願いして入れてもらったの。どうしても柚希ちゃんに言いたいことがあって」
そう言って小夜は、ゆっくりと柚希の側へと歩み寄った。
「言いたい、こと……?」
未だ何を言われたわけでもないのに、小夜の言葉を復唱する柚希の声は震えている。白紙のカルテから目を離せない顔は強張り、ポーカーフェイスが作れない。
緊張が柚希の手に汗をかかせ、カルテに皺を作る。顔を上げることの出来ぬまま、柚希は小夜の次の言葉を待つしか出来なかった。
そんな柚希を見て、小夜もしばし迷っていたらしい。だが意を決したのだろう。一つ大きく深呼吸をすると、叫ぶように言った。
「ごめんなさいっ!」
「……え?」
その言葉と声の大きさに驚いた柚希が思わず小夜を見ると、深々と頭を下げていた。柚希が慌てて「頭を上げて」と言うも、小夜はそのままの体勢で話し続ける。
「ずっと後悔してたの。あの時……私達が勢いで松陽先生を助けに行こうと盛り上がってた時、止めてくれようとした柚希ちゃんに酷い事を言っちゃったって。本当にごめんなさい」
「小夜ちゃん……」
それは、柚希が予想もしていなかった謝罪の言葉だった。
「許してなんて言えた義理じゃないけど、せめて謝りたかったの」
「謝るだなんてそんな……」
頭を下げたままの小夜に、そっと手を伸ばす。肩に手を乗せ「頭を上げて」と言えば、小夜がゆっくりと体を起こした。
不安げな瞳が柚希を映す。そこに偽りは感じられず、これまでずっと柚希の心を覆っていた霧が、すうっと晴れた気がした。
小夜の手を取り指で脈を取れば、トクトクと早鐘のような振動が伝わってくる。
「脈が凄く早くなってる。こんなにも緊張しながら来てくれたんだね。ありがとう」
「許して……くれるの……?」
「許すも許さないも無いよ。そんな風に思ってくれてたなんて知らなくて……私の方こそ、あんな強引なやり方で不快な思いをさせちゃってごめんなさい。ずっと嫌われちゃったと思ってたから、こうして声をかけてくれて嬉しかったよ」
「柚希ちゃん……!」
この瞬間柚希と小夜は、お互いが長い間抱えてきた不安と後悔から解放された。喜びで柚希に抱きつく小夜。されるがままの柚希も、嬉しそうに微笑んでいる。
そんな二人をこっそりと覗き見ていたのは緒方だ。
「収まるところに収まったねぇ。いやぁ、良かった良かった」
診察室の奥からろくろ首のように首を伸ばし、顔だけを覗かせる形で様子を伺っていた緒方は、「青春だなぁ」としみじみ頷きながら姿を消す。表情は好々爺然としているのに妙な滑稽さが感じられ、二人は吹き出してしまった。
「もう、先生ったら」
「ほんとにね〜」
その笑いを皮切りに自然と始まった友達同士の会話は、昔と変わらぬ空気を作り出す。互いの胸の内を明かした事でわだかまりも消え、今ここにあるのは懐かしさと楽しさばかりだった。
だがそのままお喋りに興じたくも、柚希には未だ今日の診察が残っている。名残惜しくはあったが、診察の邪魔をしてはいけないと、後日改めて会うことを約束した小夜は病院を後にした。
抱えていた不安が一つ消えた柚希は、明るい笑顔で小夜を診察室から見送る。そして気持ち新たに次の患者の診察を始めたのだった。