芹沢鴨【完結】

 雨は、嫌いではなかった。
 雨に打たれる事で、俺の中にある澱みが全て洗い流されるような気がするから。
 濡れた袴の裾から滴る水も、地に落ちてやがて消えてしまえば、全てが無かったことになる。不快なのは、ほんのひと時だ。

「今夜は止みそうにありまへんな」

 近藤達としこたま飲み、屯所に戻った俺の腕を枕にしているお梅が、気怠そうに言った。つい先ほどまで火照っていた体はもう、ひんやりと冷たくなっている。

「そうだな。まぁこの雨音を子守唄に寝るのも悪くは無かろう」
「あれ、鴨はんがそないな事を言わはるなんて珍しい。槍か刀でも降るんと違います?」

 くすくすと笑うお梅の小憎らしさに「うるせぇよ」と唇を塞げば「んっ……」と甘い吐息が漏れる。これがお梅なりの俺への気遣いと分かっているだけに、胸が痛んだ。

「本当に良いのか? 間違いなく死ぬんだぞ」

 新見が切腹をしたと知ったその日、俺は自らの死期が近い事を悟った。だから俺はお梅に言ったのだ。

『逃げろ』

と。だがこの女は、決して俺から離れないと言い切り。今もこうして片時も離れず、側に寄り添っている。
 情けない話だが、嬉しかった。どこにいても、何をしていても荒くれ者として扱われ、疎まれ続けていたのに。そんな俺の側にいると言ってくれる者がいる。それがどれだけ心強く感じられた事か。

「後悔しないか?」

 この女以外には決して見せない顔で問う。するとお梅は不思議そうに言った。

「鴨はんは後悔してはるん?」

 まさか自らの質問に、自らが答えさせられる羽目になるとは思いもよらず。そういやこいつはそういう奴だった、と苦笑いしながら、これまでの事を振り返ってみた。
 我ながら、不器用な生き方だったと思う。信念を貫くと言えば聞こえは良いが、強引で傲慢なやり方で貫けば、受け入れられる筈もない。

 しかしあいつらのように馬鹿正直に主人に尻尾を振っていても、ただ舐められて良いように使われるだけだ。誰かがやらねばならなかったのだ。
 従順で実直な近藤では役不足であり、狡猾なくせに仲間に対しては誰よりも懇篤な土方には似合わない。俺しかいなかったんだ。この新選組を大きくするためには、傍若無人と言われても、持ち得る強さと存在感を周りの者達に見せつけておかねばならない。

――例えその行為が、仲間内からの恨みを買う事になろうとも。

「後悔はしていないが、出来る事ならこの先大きくなっていく新選組を見たかったな」

 単なる田舎者の集まりだと思っていたあいつらが、ただ真っ直ぐに前を見つめ、走り続けようとする姿が眩しかった。
 恐れを知らず、疑う事をせず、仲間と共に自分の信念を貫こうとするその姿勢に感心もした。それはとても疎ましくて、腹立たしくて……羨ましくて。
 だからこそ、使い捨ての駒でしかないこの新選組を、どんな手を使ってでものし上げてやりたかったんだ。

「ほんまに新選組がお好きやったんですな」

 俺が口にする事の出来なかった言葉を、お梅が当たり前のように言う。
 いつもの俺なら偉そうに勿体ぶった言葉で答えるのだが、今は素直にそれを受け取った。

「……ああ、好きだった」
「だったらその気持ちを素直に表現しとけば良かったんや。最後まで捻くれモンやな」

 今度は呆れたように言われ、再び「黙れ」と唇を塞ぐ。
 『最後』という言葉と、先程から伝わってきていた小さな震えに気付いてはいたが、俺は敢えてそれに気付かぬふりをしながらお梅を抱きしめた。

「もう寝るぞ。いい加減俺も疲れた」
「……そやね。雨の子守歌で、二人一緒に気持ち良う永の眠りに就くんも……悪ないえ」

 ゆっくりと目を閉じ、雨音に耳を傾ける。やがてお梅の静かな寝息が重なり、俺も後を追うように眠りに就いた。
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