白玉の露
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体の芯が冷えるような寒さの一月。都は新年の祝いに、どこも華やかな雰囲気を纏っていた。その中でも鶴見家は一層華やかな装いとなっていた。長兄の百之助の元服の儀のため、屋敷の隅々まで計算し尽くされた誂えとなっている。宴の始まる夕刻は日が落ち始め、薄暗い屋敷や庭に暖かな光が灯っていく。広大な敷地に広がる池には灯火や揺れ、そこにあつらえた舞台では雅な雅楽の音色が響き、幻想的な景色を魅せている。
屋敷の主人である右大臣は来客の祝いの言葉に一つ一つ応じ、隣で百之助も同じく神妙な面持ちで頭を下げる。百之助にとって、今後の人脈や家の繁栄など正直どうでもいい。しかし、父が自身のため、時間と金に糸目をつけずに、この場を用意してくれたことが何よりも重要だった。人の良さそうな笑顔で来客と言葉をかわす父の横顔。その口元にわずかに力が入った。間近で見ても判別しずらい変化であるが、百之助にはそれがよくわかった。父の視線の先には左大臣の姿。息子を伴って、父の前に腰を下ろした。
「左大臣様……!ようこそおいでくださいました。」
父は心底嬉しそうな表情で左大臣を迎え入れた。父とは違った雰囲気だが美丈夫だ。人好きのする柔らかな面立ち。隣の息子も同じような美少年だ。
「こちらこそ、此度は大変めでたい席にお呼びいただき、ありがとうございます。」
にこり、と人好きのする笑顔を浮かべる。
左大臣家といえば、現中宮の血縁にあたる。鶴見がいくら頭角を表してきたといえ、帝との縁ほど確固たるものはない。それを左大臣家は手にしているのだ。にも関わらず、鶴見家の姫が次の天皇の中宮へ内定しているのには訳がある。左大臣家では、子宝に恵まれず、姫が生まれたとしても儚くなってしまうのだ。それ故に男児が幾人か、息子たちを政界へ呼び込むより左大臣家を保つ術はない。
百之助は父が得体の知れない陰陽師を抱え込んでいることも薄々気がついている。父のことだ。あえて見せているという可能性の方が高いだろう。「それ」が何をしているのか。訪問から日をあけずに左大臣家の不幸が耳に入れば、想像するに容易い。左大臣家がそれに勘付いていたとしたら、この親子は笑顔の奥で何を思っているのか……。
「息子の剣之助でございます。」
左大臣の声で隣に控えていた息子が頭を下げた。父はそちらに微笑みかける。
「優秀さはお父上から聞いているよ。一度読んだ漢詩はそらんじられるだとか。時間があれば百之助の学問の友になって欲しいものだ。」
褒められて嬉しいのか剣之助は灯りの元でもわかるほど赤面している。百之助は面白くないとでもいうように、短く息を吐いた。
その頃、北西の対屋ではさくらが杢太郎の姿を今か今かと待ち望んでいた。警備の厳重なさくらの対屋には、乳母も侍女の姿も見当たらない。過保護な右大臣を思えば考えられない光景だが、今日は人手が足りない。全ての家人をもってして、元服の儀を成功させなければならないのだ。そのため、北西の対屋に続く廊下は全て錠がかけられ、鼠一匹入れないようになっている。
がらんどうとした部屋に一人、さくらは下女の格好だ。外に行くならば動きやすい格好で、と思ってのことだ。厳重な錠をあちこちに施された部屋でもさくらは余裕の表情だ。なぜなら、一つだけ錠前が形ばかりにある出入り口があるのだ。下女に一つ握らせて、「一目だけでいいの。元服の儀は一生に一度だけ。慕う百之助お兄様の凛々しいお姿を少しでいいから見たいの。」と涙ながらに訴えれば、下女も涙を浮かべて、頷いた。
きい、と木の軋む音がする。
そちらに視線を向ければ待ち望んだ人物の姿があった。
「杢太郎お兄様!」
闇に紛れる紺の狩衣。月の光のもとで、その、精悍な顔が照らされている。
「随分と可愛らしい格好だな。」
「まあっ、いつもは可愛らしくないみたいじゃない。」
悪戯っぽい表情に冗談で返すと杢太郎は笑った。
「そりゃあ、いつもは美しいお姫様だろう?あれで街に出たら街の者達が驚く。」
杢太郎がさくらの手を取った。
「今日は可愛い下女が若殿のお付きで付いてるんだ。馴染みやすい方がいい。さあ、お使いにいこうか。」
さくらは杢太郎に手を引かれるまま対屋から抜け出した。用意された馬へ横抱きにして乗せられる。
「とても…高いわ!」
初めて乗った馬は、見たことがないほど視界が広く感じられる。後ろに控えている杢太郎は興奮するさくらの腰に手を回した。
「あまり動くと振り落とされるぞ。」
その言葉にさくらはすぐさま杢太郎の胸元に身を寄せた。
「いい子だ。少し揺れるぞ。」
杢太郎が軽く馬の腹を蹴ると走り始めた。馬は軽く走っているが、頬に当たる風は冷たく、幼い頃に駆けた時に比べればその何倍も速い。風に混じって様々な匂いがさくらの鼻腔に届く。湿った土の香り、薪の燃える煙、煮炊きする食べ物の匂い。
嗅ぎ慣れない香り。外の香り。
さくらは町の香りを感じようと、目一杯に深く息を吸い込んだ。
屋敷の主人である右大臣は来客の祝いの言葉に一つ一つ応じ、隣で百之助も同じく神妙な面持ちで頭を下げる。百之助にとって、今後の人脈や家の繁栄など正直どうでもいい。しかし、父が自身のため、時間と金に糸目をつけずに、この場を用意してくれたことが何よりも重要だった。人の良さそうな笑顔で来客と言葉をかわす父の横顔。その口元にわずかに力が入った。間近で見ても判別しずらい変化であるが、百之助にはそれがよくわかった。父の視線の先には左大臣の姿。息子を伴って、父の前に腰を下ろした。
「左大臣様……!ようこそおいでくださいました。」
父は心底嬉しそうな表情で左大臣を迎え入れた。父とは違った雰囲気だが美丈夫だ。人好きのする柔らかな面立ち。隣の息子も同じような美少年だ。
「こちらこそ、此度は大変めでたい席にお呼びいただき、ありがとうございます。」
にこり、と人好きのする笑顔を浮かべる。
左大臣家といえば、現中宮の血縁にあたる。鶴見がいくら頭角を表してきたといえ、帝との縁ほど確固たるものはない。それを左大臣家は手にしているのだ。にも関わらず、鶴見家の姫が次の天皇の中宮へ内定しているのには訳がある。左大臣家では、子宝に恵まれず、姫が生まれたとしても儚くなってしまうのだ。それ故に男児が幾人か、息子たちを政界へ呼び込むより左大臣家を保つ術はない。
百之助は父が得体の知れない陰陽師を抱え込んでいることも薄々気がついている。父のことだ。あえて見せているという可能性の方が高いだろう。「それ」が何をしているのか。訪問から日をあけずに左大臣家の不幸が耳に入れば、想像するに容易い。左大臣家がそれに勘付いていたとしたら、この親子は笑顔の奥で何を思っているのか……。
「息子の剣之助でございます。」
左大臣の声で隣に控えていた息子が頭を下げた。父はそちらに微笑みかける。
「優秀さはお父上から聞いているよ。一度読んだ漢詩はそらんじられるだとか。時間があれば百之助の学問の友になって欲しいものだ。」
褒められて嬉しいのか剣之助は灯りの元でもわかるほど赤面している。百之助は面白くないとでもいうように、短く息を吐いた。
その頃、北西の対屋ではさくらが杢太郎の姿を今か今かと待ち望んでいた。警備の厳重なさくらの対屋には、乳母も侍女の姿も見当たらない。過保護な右大臣を思えば考えられない光景だが、今日は人手が足りない。全ての家人をもってして、元服の儀を成功させなければならないのだ。そのため、北西の対屋に続く廊下は全て錠がかけられ、鼠一匹入れないようになっている。
がらんどうとした部屋に一人、さくらは下女の格好だ。外に行くならば動きやすい格好で、と思ってのことだ。厳重な錠をあちこちに施された部屋でもさくらは余裕の表情だ。なぜなら、一つだけ錠前が形ばかりにある出入り口があるのだ。下女に一つ握らせて、「一目だけでいいの。元服の儀は一生に一度だけ。慕う百之助お兄様の凛々しいお姿を少しでいいから見たいの。」と涙ながらに訴えれば、下女も涙を浮かべて、頷いた。
きい、と木の軋む音がする。
そちらに視線を向ければ待ち望んだ人物の姿があった。
「杢太郎お兄様!」
闇に紛れる紺の狩衣。月の光のもとで、その、精悍な顔が照らされている。
「随分と可愛らしい格好だな。」
「まあっ、いつもは可愛らしくないみたいじゃない。」
悪戯っぽい表情に冗談で返すと杢太郎は笑った。
「そりゃあ、いつもは美しいお姫様だろう?あれで街に出たら街の者達が驚く。」
杢太郎がさくらの手を取った。
「今日は可愛い下女が若殿のお付きで付いてるんだ。馴染みやすい方がいい。さあ、お使いにいこうか。」
さくらは杢太郎に手を引かれるまま対屋から抜け出した。用意された馬へ横抱きにして乗せられる。
「とても…高いわ!」
初めて乗った馬は、見たことがないほど視界が広く感じられる。後ろに控えている杢太郎は興奮するさくらの腰に手を回した。
「あまり動くと振り落とされるぞ。」
その言葉にさくらはすぐさま杢太郎の胸元に身を寄せた。
「いい子だ。少し揺れるぞ。」
杢太郎が軽く馬の腹を蹴ると走り始めた。馬は軽く走っているが、頬に当たる風は冷たく、幼い頃に駆けた時に比べればその何倍も速い。風に混じって様々な匂いがさくらの鼻腔に届く。湿った土の香り、薪の燃える煙、煮炊きする食べ物の匂い。
嗅ぎ慣れない香り。外の香り。
さくらは町の香りを感じようと、目一杯に深く息を吸い込んだ。